暖かな日差しの中で



   6 もっと恥ずかしい下着


 なかなかトイレから戻ってこない娘を探しにやってきた母親――遠藤奈美恵は、遥香が大柄な少女たちの輪に加わって楽しそうにしているのをみつけて足早に近づいたが、そこにいるのが昨日出会った少女たちだと気づくと、改めて自分と娘の名を名乗り、真澄たちが手短に自己紹介を終えるのを待って
「ごめんなさい、遥香がすっかりお世話になっちゃって。私が迎えに来るまでの間、この子ったら迷惑をかけなかったかしら? 昨日みたいに変なことを言って嫌な思いをさせたりしなかった?」
と、恐縮しきりといった様子で言った。
 それに対して真澄が
「とんでもないです、迷惑だなんて。逆に、遥香ちゃんが早苗ちゃんの面倒をみてくれるから助かっているんですよ」
と、遥香の顔と早苗の顔を交互に見比べながら如才なく応じた。
 すると遥香が
「そうだよ、ママ。遥香、早苗ちゃんがおむつを取り替えてもらうの、手伝ってあげたんだよ。それで、早苗ちゃんがお利口さんだったから、いい子いい子してあげたんだよ」
と誇らしげに胸をそらして奈美恵に自分の手柄を報告する。
「え? 早苗ちゃんのおむつ……?」
 真澄たちの自己紹介の様子を思い返し、早苗というのが最も年下(と奈美恵もすっかり思い込んでしまっている)で小柄なエプロンドレス姿の少女だということを改めて思い出して、小柄とはいえ自分と比べれば体も大きく年齢も上の早苗のことを遥香がまるで同い年か年下の子に接する時のように『ちゃん』付けで名前を呼んでいることに加え、『おむつ』という思ってもみなかった言葉に、それまでの経緯をまるで知らない奈美恵は困惑の表情を浮かべた。
「あ、説明します。さっき紹介した通り早苗ちゃんは私の従姉妹なんですけど――」
 小首をかしげる奈美恵に向かって真澄が説明を始めた。
 けれど、自分も片棒を担いでいる母親の企みを正直に打ち明けるわけがない。真澄が行ったのは、両親と離れ離れになった寂しさのせいで周囲の者への精神的な依存性が過度に高まり、その結果、早苗が失禁までするようになってしまったという、もしも誰かに事情を話す必要に迫られたらこういうふうに言いなさいと予め摩耶から教えられていた偽りの説明だった。

「――というわけなんです。それで、近くにいた遥香ちゃんが手伝ってくれて大助かりだったんです」
「そうだったの。人にはいろいろ事情があるとはいえ、預かっている子がそんな状態だと、真澄さんも真澄さんのお母様も大変ね」
 元来がお人好しな性格なのだろう、説明を聞き終えた奈美恵はまるで疑う様子もなく、それどころか真澄や摩耶に対する気遣いの言葉まで口にして、真澄の背中に身を隠す早苗の下腹部に憐憫の視線を向けた。
「いえ、母も私も、大変だなんて思ったことは一度もありません。とっても私になついていて私に甘えてばかりで、三年生になるのにおむつが手放せない早苗ちゃんのこと、母も私も可愛くて仕方ないんです。おむつを汚して泣きじゃくる早苗ちゃんのことがいとおしくて堪らないんです。ずっと一人っ子で、欲しくて欲しくてたまらなかった妹ができたみたいで」
 真澄は静かに首を振って言い、早苗の体を奈美恵の正面に押しやった。
 途端に早苗は真澄が着ているパーカーの裾をぎゅっと握り締め、奈美恵と顔を会わすまいとして真澄にすがりつく。
 その仕種は、それこそ、人見知りの激しい幼児さながらだ。
「ほら、いつもこんなに甘えん坊さんなんですよ。とっても可愛いでしょう?」
「そうだよ。早苗ちゃん、とっても可愛いんだよ。だから、遥香、真澄お姉さんや早苗ちゃんともっと一緒にいたいの。ね、いいでしょう? だって、遥香がどこか行っちゃうと、早苗ちゃん、寂しがって泣いちゃうよ。だから、いいでしょ、ママ?」
 まるで幼い妹を庇うかのように早苗と奈美恵の間に割って入り、遥香は母親の顔を仰ぎ見て言った。
「でも、ご迷惑じゃ……」
 奈美恵は、なんとも決めかねるといったふうに早苗と遥香と真澄の顔を順番に見回して言葉を濁した。
「だって、ママ、お隣のおばちゃんのお店、お手伝いするんでしょ? ママとおばちゃんがそんなお話をしてるの、トイレへ行く前に、遥香、聞いたもん。だから、遥香、早苗ちゃんと一緒にいる」
 遥香は重ねて訴えかける。
「さっきも言ったように、迷惑だなんて、そんなことちっともありません。早苗ちゃんのお世話を手伝ってもらって大助かりしているんですから」
 真澄は遥香の肩に手を載せて言った。しかし、それは、遥香の心情を慮ってのことでは決してない。うまく遥香を利用すれば自分たちの企みをまた一歩押し進められそうだと直感してのことだった。
「そう? だったら、お願いしようかしら。この子が言う通り、お隣の奥さんがフリマに出しているお店が忙しくて、手伝ってもらえないかって頼まれちゃったの。引っ越してきたばかりだから少しでも御近所さんとは顔馴染みになっておきたくてつい引き受けちゃったけど、その間、遥香をどうしようか考えていたところなのよ。――勝手な言い方になっちゃうけど、お店を手伝っている間、遥香のことお願いしても構わない?」
 奈美恵は少し考えてから、申し訳なさそうに言った。
「よかった、遥香ちゃんと一緒にいられて早苗ちゃんも喜びます。――じゃ、私の電話番号とメールアドレスを赤外線で送りますね」
 思惑通り事が運びそうな成り行きに胸の中でひそかに笑みを浮かべ、真澄はポケットから携帯電話を取り出した。
「あ、いいわよ。――はい、登録完了。じゃ、今度は私から送るわね」
「はい、こっちもちゃんと届きました。それじゃ、遥香ちゃんをお預かりします」
「ごめんなさい、勝手なお願いをしちゃって。遥香が迷惑をかけたり、みんなが不快になるようなことを言ったりしたら遠慮なく叱ってやってね。小さいうちにちゃんと叱ってもらった方がこの子の将来のためになるし、そのために、躾に厳しいS女子大の附属に行かせているんだから、本当に遠慮なんてしないでちょうだい」
 奈美恵は携帯電話をウエストポーチにしまいながら言った。
「わかりました。小っちゃい子は、甘やかすばかりじゃなくて叱る時はきちんと叱ってあげた方が、結局はその子のためになるんですよね。はい、そうします」
 真澄は奈美恵に向かって大きく頷いた後、
「そうね、叱る時はちゃんと叱ってあげないとね」
と繰り返し呟きながら、早苗の顔を見おろした。




「――私たちが持ってきたお弁当を一緒に食べるから、お昼は大丈夫です。え? いいえ、母がちょっと多めに作り過ぎちゃって、遥香ちゃんに食べてもらって丁度いいくらいなんです。ええ、はい、そうです。それに、遥香ちゃん、とってもお行儀良くしているから、その点も安心してください。ええ、今だって、きちんと正座しておとなしくしています。やっぱり、躾に厳しい附属に通っているだけのことはありますね。だから心配しないで、お手伝いの方を頑張ってください。――はい、それじゃ、失礼します」
と言って携帯電話を切った真澄は、レジャーシートの上に輪になって座っている京子、美咲、良美の三人に、大きな手提げ袋から取り出したランチボックスを一つずつ手渡した後、残った二つを早苗と自分の目の前にそれぞれ置いて、遥香に言った。
「お母さん、お手伝いが忙しくて、まだ迎えに来られないんだって。だから一緒にお弁当を食べようね。うちのお母さんのサンドイッチ、京子ちゃんたちにも評判がいいから、遥香ちゃんも気に入ってくれると思うよ。もうお昼を大分過ぎたから、お腹ぺこぺこでしょ?」
 かかってきた電話は奈美恵からだった。どうやら、午前中だけという約束で手伝うことにした店が予想外に盛況で昼を過ぎても手を離せないらしい。それで遥香を真澄たちに何時間も預けたままになっていることを詫び、遥香の様子を気遣って電話をかけてきたというわけだ。
 けれど、奈美恵の心配とは裏腹に、少しでも長く遥香を早苗のそばに置いておけるのだから真澄にとっては却って好都合だった。それに、他校への異動が決まった先生との『お別れの会』を明日学校で開くことになっているからどうしても今日のうちに首飾りを仕上げてしまいたいという京子たちのために摩耶がサンドイッチをたくさん作って持たせてくれたから、昼食に困ることもない。
「さ、どうぞ。好きなのを食べていいよ」
 真澄は遥香の目の前でランチボックスの蓋を開けた。
「うわ、おいしそう。んと、どれにしようかな」
 遥香はランチボックスを覗き込んで顔を輝かせたが、隣に座っている早苗のランチボックスの蓋がまだ閉まったままなことに気がつくと、
「ね、早苗ちゃんも一緒に食べようよ。ほら、とってもおいしそうだよ」
と、弾む声で言った。
 けれど、早苗の方は少し躊躇いがちに
「……あまり欲しくないの。よかったら、遥香ちゃん……遥香お姉ちゃんが食べて」
と応じて、自分のランチボックスを遥香の方に押しやった。
 確かに、傍目にも早苗の表情は沈みがちで、食欲があるようにはとても見えない。もっとも、公園へ連れて来られてからこれまで何度も真澄にトイレへ連れて行ってもらったのだが、間に合ったことは一度もなく、繰り返し紙おむつを汚してしまっていたのだから、食欲がないのも当然のことだろう。
 けれど、度重なる粗相も、実は早苗自身に責任があるのではなく、そうなるように真澄が仕向けたせいだった。朝食のスープに混入した利尿剤が持続的に効き目を発揮して早苗は何度も尿意を覚え、そのたび真澄にトイレへ連れて行ってくれるようせがんだのだが、真澄は、蚊が鳴くように弱々しく訴えかける早苗の声を聞こえない振りをして無視してみたり、勘違いを装って、トイレの順番待ちの列ではなく遊具の順番を待っている子供たちの列の最後尾に早苗を並ばせたり、人混みのせいで真っ直ぐ歩くのもままならないフリマ会場を通り抜けたりと、早苗がトイレに間に合わないようわざと仕向けていたのだった。
 そして、今も。
「あ、待って。お母さんはサンドイッチを何種類も作って、みんなの好き嫌いに合わせてわざわざ一人分ずつお弁当箱に入れてくれたのよ。例えば、京子ちゃんはハムサンドとか、良美ちゃんはポテトサラダのサンドイッチとか。早苗ちゃんは玉子料理が好きでしょ? だから、ふわふわオムレツのサンドイッチなのよ。せっかく作り分けてくれたのに早苗ちゃんに食べてもらえないなんて、あーあ、お母さん、寂しがるだろうな」
 真澄はわざと大げさな溜息をつきながらそう言って早苗のランチボックスを押し戻した。
 だが、真澄がそうしたのには、裏に隠れたもう一つの理由があった。
 摩耶がサンドイッチをまとめて詰め合わせずにわざわざ一人分ずつ小分けにしたのは、早苗のサンドイッチの具材に利尿剤を混ぜておいたからだ。そして真澄は、摩耶が用意した利尿剤入りのサンドイッチを早苗以外の誰かが誤って口にしてしまわないように監視する役目を与えられていた。そんな事情があるからこそ、真澄は、少女たちの好き嫌いに応じてサンドイッチを作り分けた母親の苦心を口実に、ランチボックスを早苗に押し返したのだった。
「で、でも……」
 再びランチボックスを押しつけられた早苗だったが、やはり食欲は湧かない。
 すると、事の成り行きをじっと見守っていた遥香が
「遥香が食べさせてあげる。年長さんがシスターペアの年少さんにおやつを食べさせてあげるの、見たことがあるんだ。おいしそうにプリンを食べさせてもらってる年少さんの顔、とっても可愛かったよ。遥香、年長さんだもん、早苗ちゃんにサンドイッチ食べさせてあげる」
と弾んだ声で言い、早苗のランチボックスに手を伸ばした。
「そう、それがいいわね。遥香お姉ちゃんに食べさせてもらったら早苗ちゃんも喜んで食べるに決まってるよ」
 遥香がサンドイッチをつかみ上げる様子を眺めながら真澄は言い、早苗の耳元に口を寄せて囁きかけた。
「まさか、小っちゃい子の好意を無駄にするわけないよね、早苗お・ね・え・ち・ゃ・ん。そんな聞き分けの悪い駄々っ子なわけないよね、おばあちゃんちで会うたびに私の面倒をみてくれていた早苗お姉ちゃんが。お昼ご飯を食べたくなくて駄々をこねる困った子なんかじゃないよね、私の大好きな早苗お姉ちゃんが。――おもらし癖が治ったら『早苗ちゃん』から『早苗お姉ちゃん』に戻してあげるつもりだったけど、もしも遥香ちゃんにお昼ご飯を食べさせてもらうのを嫌がったり、ご飯の間お行儀良くできないような駄々っ子だったら、ずっと『早苗ちゃん』のままいてもらわなきゃいけないわね。早苗ちゃんのお父さんとお母さんが外国にいる二年間ずっと」
 そういう真澄の囁き声が終わるか終わらないかのうちに、ふわふわのオムレツをはさんだサンドイッチを遥香が早苗の目の前に差し出した。
「はい、あーんして」
 一瞬だけ迷ってから、京子たちが見守る中、早苗はおずおずと口を開いた。




「あ……!?」
 早苗が力ない呻き声をあげ、腰をぶるっと震わせたのは、ランチボックスが半分ほど空になった頃のことだった。
 それを見逃す真澄ではない。
(うふふ。昨日みたいに、またちびっちゃったんだ、早苗ちゃん。昨日はパンツだったけど、今日は紙おむつに)
 真澄は胸の中で呟いたが、それ以上は何もしない。行動を起こすのはもう少ししてからだ。
 一方、早苗は胸の中で悲鳴をあげていた。
(や、やだ、どうして……!?)
 昨日は公園からの帰り道でつい油断した隙にショーツを濡らしてしまったが、今日はそんなことがないよう、一刻たりとも気を緩めたことはない。なのに、尿意を覚えるのと殆ど同時に、我慢しなきゃと思う間もなくおしっこが何滴か溢れ出てしまったのだ。吸収材がすぐにおしっこをゼリーみたいに固めてくれたから湿っぽい感触は弱いが、却ってそのせいで、自分の下腹部を包んでいるのが木綿のショーツではなく紙おむつだということを改めて思い知らされる。
 早苗が昼食の最中にちびってしまったのは、朝食のスープに混入していた遅効性の利尿剤の効き目がまだ切れていないところへ、サンドイッチの具材に混入した即効性の利尿剤の効果が相まって、それまでの尿意とは比べようもない激しい尿意を突発的に誘発したからだった。だが、早苗がその事実を知る由もない。
(ど、どうしよう。早く真澄ちゃんにトイレへ連れて行ってくれるよう頼まないと、このままじゃ。……あ、やだったら……)
 両脚の腿をもじもじと擦り合わせる早苗の口から再び呻き声が漏れた。
(だ、駄目。間に合わない。今からトイレへ行ったって、もう間に合いっこない)
 遥香にサンドイッチを食べさせてもらっている間にも限りなく強まる尿意に、早苗の息が荒くなる。
 そして。
 尿意を覚えてから殆ど時間が経っていないのに、あっという間に我慢が利かなくなって、早苗の下腹部の緊張がすっと解けてしまう。
(わ、私、こんな所でおもらししちゃってる。トイレの順番待ちの列に並ぶこともできないまま、お昼ご飯を食べてるみんなの目の前で……)
 下腹部が痺れるような激しい尿意から解放されて一瞬とろんとした目をする早苗だったが、股間がじわっと温かくなってゆく感触にはっと我に返り、真澄の顔を上目遣いにおそるおそる窺った。
 と、真澄の方も早苗の様子を窺っていたらしく、目と目が合ってしまう。
「なんだかもじもじしているみたいだけど、ひょっとして、また、おしっこがしたくなってきたんじゃないの?」
 真澄はわざとさりげなく言った。
「う、ううん。お、お昼ご飯の最中なのに、そんな……」
 図星を指された早苗はどう答えていいかわからず、言葉を濁してしまう。
「そう? だったらいいんだけど。でも、ま、そうよね。ついさっきおむつを取り替えてあげたばかりだし、それに、いくらなんでもお昼ご飯の最中におしっこだなんて、そんなお行儀の悪いことなんてするわけないよね」
 真澄はすっと目を細めて言った。
「そ、そうよ、そんなの、まさか……」
 温かい液体がとめどなく股間に広がってゆく感触に今にも泣き出しそうになりながら、早苗は、『お行儀の悪い粗相』を真澄に知られたくない一心でしらをきった。ショーツを汚してしまったせいで自分よりも四つ年下の真澄のことを『お姉ちゃん』と呼ばされているというのに、昼食の途中におむつを汚してしまったことを知られたら、今度はどんな扱いを受けるか知れたものではない。
 しかし体は正直なもので、自分でも意識しないまま早苗の両脚が少しずつ開いて、膝と踵をきちんと揃えた正座から、知らず知らずのうちに、両脚の爪先どうしがそっぽを向いた鳶座りに変わってゆく。正座をしている状態だと紙おむつの吸収材が圧迫されて、立ったり寝そべったりしている状態に比べて吸い取ることのできるおしっこの量が限られるため、股ぐりのギャザーからおしっこが横漏れして、漏れ出たおしっこがドロワースを濡らし、更には、お尻に触れるふくらはぎのあたりを濡らすため、その不快感から逃れようとして無意識のうちに両脚を開く(お尻をレジャーシートにぺたんとつける)座り方に変わってゆくのだった。
「そうだよね。でも、おしっこをしたくなったらすぐに知らせなきゃ駄目よ。昨日も今日も失敗ばかりなんだから、ちょっとでもおしっこをしたくなったら迷わないで知らせること。いいわね?」
 真澄は、早苗の座り方が次第に変わってゆく様子をちらちら横目で窺いつつ、わざとそのことには気がついていない振りをして念を押した。
「……う、うん……」
 早苗には、短くそう返事をするのが精一杯だった。

 それから少し経ち、レジャーシートの上で早苗のお尻がぶるっと震えるのを見て取った真澄は、飲み物を注ぐ振りをして水筒の蓋をわざと落とし、更に手を滑らせた振りをして、落ちた蓋を、後ろ向きに開いた早苗の両脚の間へ転がした。
 と、真澄の思惑通り、遥香が
「あ、遥香が取ってあげる。真澄お姉さんは水筒をこぼさないようにしっかり持っていてね」
と言ってぱっと立ち上がり、早苗の背後にまわりこんだ。
 そのあとレジャーシートに膝をついて蓋を拾い上げようとした遥香だったが、視線の先にある早苗のドロワースが濡れていることに気がついて、困ったような表情を浮かべ、おそるおそるといった感じで真澄に話しかけた。
「あ、あのね、真澄お姉さん。あのね、あれって……」
「なになに、どうしたの、遥香ちゃん? ――やだ、どうしちゃったのよ、早苗ちゃんてば! ほら、立ってごらん」
 遥香が指差す先を覗き込んだ真澄は大げさに驚いてみせ、わざと慌てた様子で早苗の背後から脇の下に手を差し入れて、強引にその場に立たせた。
 と、紙おむつのギャザーから横漏れしたおしっこが一雫、ドロワースの股ぐりから沁み出して脚の内側を伝い落ちる。
「いい? 今からとっても大事なことを訊くから正直に答えるのよ。絶対に嘘なんてついちゃ駄目。いいわね?」
 真澄は早苗の正面に移動し、伝い落ちるおしっこの雫と早苗の顔を見比べて硬い声で言った。
「……」
 何を訊かれるのかおよその察しはついているが、早苗は何も言えない。
「だんまりじゃわからないでしょ!? お返事はどうしたの!」
 真澄は早苗の目を正面から覗き込んで語気を強めた。
「う、うん……あ、は、はい……」
 気圧されて早苗が力なく返事をする。
「それでいいわ。じゃ、訊くわね。さっき私がおしっこをしたいんじゃないのって尋ねた時、早苗ちゃんは、ううんって言ったよね。あれって、私を騙してたの?」
 真澄は強い語気のまま言った。
「そんな……真澄お姉ちゃんを騙すだなんて、私、そんな……」
 はいとは答えられず、かといって、いいえと答えることもできず、早苗は言葉を濁すしかなかった。
「でも、しちゃったよね。遥香お姉ちゃんにサンドイッチを食べさせてもらいながら、おしっこしちゃったよね。なのに、そのことも私には何も言わなかったよね。 ――おしっこが出ちゃったことにも気がつかなかったの? それもわからなかったの? それとも、やっぱり、嘘をついてたの?」
 真澄は重ねて訊いた。
「や、やだ、嘘だなんて……わ、私、そんなこと……」
 しくじってしまったのを隠し通そうとしていたことを今更打ち明けられるわけがない。とにかく今は、しらをきるしかなかった。
「じゃ、気がつかなかったのね? おしっこが出そうだってことも、実際におしっこが出ちゃったことも、早苗ちゃんは気がつかなかったのね!?」
 真澄は念を押すように繰り返し訊いた。
「……う、うん……」
 そう答えることしか今の早苗にはできなかった。
 すると、それまでの険しい顔つきが一変、真澄は柔和な表情を浮かべ、穏やかな声で言った。
「そう、気がつかなかったの。うん、わかった。だったら仕方ないわね。そうよね、素直ないい子の早苗ちゃんがお姉ちゃんを騙したりするわけないよね。なのに、嘘をついてるんじゃないかって疑ったりしてごめんね。怖かった?」
「……ちょっとだけ……」
 真澄がそれ以上は問い詰める気がなさそうだとわかって、早苗は胸の中で安堵の溜息をついた。
「本当にごめんね、怖がらせたりして。でも、これからは優しくしてあげる。本当におしっこが出ちゃったことに気がつかなかったのに、お姉ちゃんに嘘をついたんじゃないのなんて疑ったお詫びに、うんと優しくしてあげる」
 真澄は早苗の体をぐいっと抱き寄せて、これ以上はないくらい優しい声で言った。
「……」
 確かに、真澄の声は優しいし、早苗の体を抱き寄せる手つきも優しい。しかし早苗は、却ってそのことに、なんともいいしれぬ不安を感じずにはいられなかった。




「さ、気をつけておりるのよ」
 昼食を終えて数時間後、京子たちからプレゼントされた首飾りを首にさげて公園から帰ってきた真澄は上がり框に後ろ向けに腰をおろし、背中におんぶしていた早苗を廊下におろした。
「あら、早苗ちゃんの分も作ってもらったのね。よくお似合いよ」
 真澄が早苗を背中からおろすのを手伝ってやりながら、摩耶は、早苗のポニーテールを結わえているのがリボンではなく小花の髪飾りに替わっていることに気づいて相好を崩したが、すぐに不思議そうな顔つきになって真澄に尋ねた。
「それにしても、どうして今日も早苗ちゃんをおんぶして帰ってきたの? 昨日は急いで帰らないと途中で失敗しちゃいそうだったからおんぶしてあげたんだったわよね? でも、今日はおむつなんだし、急ぐ必要はなかったと思うんだけど」
「それがね、首飾りができあがって帰る準備を始めた時に、早苗ちゃんたら、またおもらししちゃったのよ。それでおむつを取り替えてあげたんだけど、それまでに何回も失敗しちゃってて、それが最後のおむつだったの。なのに、帰ってくる最中、早苗ちゃんたら何も言わないで急に立ち止まっちゃってね。でも、私や京子ちゃんがどうしたのって訊いても何も答えてくれなくて、それで、ひょっとしたらと思ってお尻に手を当ててみたら、おむつがぷっくり膨らんでるのがわかったの。うん、そう。帰り道の途中で最後のおむつまで汚しちゃったのよ、早苗ちゃんたら。でも、もう替えのおむつはないでしょう? かといって、おしっこを吸ったおむつが膨らんで歩きにくそうにしていているのを無理矢理歩かせるのも可哀想かなと思っておんぶしてあげたの。――ほら、見てよ、その袋。たくさん入ってるでしょ?」
 真澄はくるりと振り向いて経緯を説明し、早苗に持たせた『お土産』のビニール袋を指差した。
 真澄の言う通り、早苗が持っている透明のビニール袋には、おしっこのシミがついたドロワースと、テープで丸めた使用済みの紙おむつが何枚も入っていた。
「あらあら、本当。昨日に比べて今日は大きなお土産だこと。念のために手提げ袋には多めにおむつを入れておいたんだけど、まさか全部使っちゃうなんてね。このぶんだと、京子ちゃんのお母さんから譲ってもらった紙おむつなんてすぐになくなっちゃいそうね」
 摩耶は、それが自分の仕組んだことだとはおくびにも出さず、呆れたように肩をすくめて言った。
「何回もおむつの交換を手伝ってもらって、京子ちゃんたちに悪いことしちゃった。お母さんに作ってもらったサンドイッチだけじゃ埋め合わせにならないから、今度、お小遣いで可愛い小物でも買ってこようかな」
 真澄も摩耶を真似て呆れ顔になって言い、早苗がおどおどと目をそらす様子をおかしそうに眺めながら続けた。
「それに、詳しいことはメールで知らせたけど、お昼ご飯の時なんて、おしっこが出そうだってことも、出ちゃったこともわからないままおむつを汚しちゃったのよ。帰り道でも、急に歩かなくなったと思ったら何も言わないで最後のおむつを汚しちゃうし。これから先ずっとこんなだと、どうやって早苗ちゃんの面倒をみてあげればいいのか困っちゃうわ」
「確かにね。メールを貰った時からそのことは私も気になっていたのよ。ま、ちょっと考えがあるから、それは私にまかせておけばいいわ」
 摩耶は小首をかしげ、言葉を探すようにして応じた。
 その何やら含むところのありそうな口調に、早苗は、なぜとはなしに嫌な予感を覚える。
 その不安めいたは予感は、
「それはいいとして、早く早苗ちゃんをお風呂場へ連れて行って綺麗にしてあげなさい。おむつを取り替えるたびに何度もお尻を丸出しにして寒がっているかもしれないと思ってお風呂を沸かしておいたから、ちゃんと温まらせてあげるのよ」
と摩耶に言われた真澄が早苗の手を引いて浴室に向かって歩き出したせいですぐに脳裏から消え去った。
 しかし、その予感が現実のものになる瞬間はすぐ目の前に迫っているのだった。




「そろそろ上がるけど、いい?」
 昨夕と同じように浴室で早苗の体を後ろから抱え上げておしっこをさせ、入念に早苗の下腹部を洗ってやってから、真澄は脱衣場に向かって声をかけた。
「もう湯上がりの準備はできているから、いつでもいいわよ」
 ガラス戸越しに摩耶の声が返ってくる。
「じゃ、上がりましょう。温かくて気持ちよかったね」
 摩耶の返事を聞いた真澄は浴槽を出ると、自分だけ体にバスタオルを巻き付け、先に湯船から上げておいた早苗の手を引いて浴室をあとにした。

「言いつけ通りゆっくり温まったみたいね。そのおかげで私も念入りに湯上がりの準備をすることができて助かったわ。――さ、こっちへいらっしゃい、早苗ちゃん。ほら、ここにお尻をおろすのよ」
 ほこほこと湯気を立てて脱衣場に姿を現した早苗に向かって摩耶は手招きをし、脱衣場の床に広げたバスタオルを軽くぽんぽんと掌で叩いた。
「……!」
 だが、摩耶が用意した『湯上がりの準備』を目にした途端、早苗は両目を大きく見開いてその場に立ちすくんでしまう。
「どうしたの、早苗ちゃん? いつまでも裸ん坊じゃ風邪をひいちゃうわよ。ほら、ここにお尻を載せてねんねするのよ」
 摩耶はすっと目を細めて言い、もういちどバスタオルを優しく叩いた。
 いや、正確に言うと、摩耶が何度も掌で叩いているのはバスタオルではなく、その上に敷き広げた何枚もの水玉模様の布地だった。
「ほら、早苗ちゃん」
 脱衣場の隅に立ち尽くす早苗の手を真澄が強引に引っ張った。
 けれど、早苗はお尻を後ろに突き出すようにして両脚を踏ん張り、頑としてその場を動こうとしない。
「やれやれ、困った駄々っ子ちゃんだこと。風邪をひいてもいいの?」
 摩耶はわざとのような呆れ声で言った。
 途端に早苗が
「いや! お、おむつなんて、そんなの、そんなの、いやぁ!」
と喚いて、幼児がいやいやをするように激しく首を振る。
 早苗の言う通り、摩耶がバスタオルの上に敷き広げておいたのは、おむつだった。それも、京子の従妹のお下がりにもらったような紙おむつではなく、水玉模様の布おむつだ。
「いくら嫌がっても駄目よ。だって、公園にいる間だけでも何枚も紙おむつを汚しちゃったんでしょう? しかも、紙おむつから横漏れしたおしっこでドロワースまで汚しちゃって。そんな子がパンツに戻れるわけないじゃない。ほら、いつまでも駄々をこねないの」
 頑なに摩耶の言葉を拒む早苗に向かって真澄はあやすように言うと、手を引っ張るのをやめ、早苗の背中とお尻にまわして、そのまま横抱きに抱き上げた。
「や、やだ、離して。手を離してったら!」
 真澄に抱き上げられながらも早苗は手足をばたつかせたが、こうなってしまっては、もう抵抗のしようがない。
「早苗ちゃんは公園にいる間、何度もおもらしで紙おむつを汚しちゃったのよね。それでも最初のうちは、おしっこをしたくなるたびに真澄にトイレへ連れて行ってもらったんだっけ。だったら、お利口さんにしていたのね、その時は。トイレの順番を待っている列にお行儀良く並んで、でも最後は間に合わなかったとしても、ちゃんとトイレを教えられたんだから、お利口さんだったのよ。でも、お昼ご飯の最中に失敗しちゃった時は、おしっこが出そうだってことも、出ちゃったってことも、真澄に知らせなかったんだそうね? それに、公園からの帰り道でも、何も言わないで最後の紙おむつを汚しちゃって。そんなだと、もう、いい子だって誉めてあげられないわよね。だけど、最初のうちはいい子だった早苗ちゃんが段々いい子じゃなくなっちゃったのはどうしてなのかしら。――いろいろ考えてみたんだけど、早苗ちゃん、何回も失敗を繰り返しているうちに、おしもの感覚が鈍くなっちゃったのかもしれないわね。最初のうちは、おしっこが出そうになっても少しは我慢できていたのが、段々我慢ができなくなってきて、とうとう、おしっこがしたいと思った時にはもう失敗しちゃってるっていう感じになっているんじゃないかしら。だから、お昼ご飯の時も帰り道も、おしっこが出そうだってことを真澄に教えられなくて、あっと思った時にはもうおむつを汚しちゃってたんじゃないのかな」
 摩耶は、真澄に横抱きにされた早苗にこれまでの失敗を思い出させ、バスタオルの上の布おむつをもういちどぽんと叩いて続けた。
「それと、お昼ご飯の最中におむつを汚した時、真澄に訊かれてもおしっこが出ちゃってることを教えられなかったのは、何度もおむつを汚しているうちに、濡れたおむつの感覚に慣れちゃったからじゃないかしら。紙おむつは、吸い取ったおしっこをゼリーみたいに固めて、お尻があまり気持ち悪くならないような仕組みになっているから、そうだとしても不思議じゃないわよね。紙おむつで育った赤ちゃんのおむつ離れが遅くなるのも、そういう理由があるからだって言われているみたいだし。――だから、布おむつを使ってみることにしたのよ。布おむつなら濡れた感触がはっきりわかって、早苗ちゃんのおもらし癖が治るきっかけになるかもしれないと思って」
「確かに、そうかもね。着け心地のいい紙おむつだとおもらししても平気になって失敗を繰り返しちゃうけど、濡れてお尻が気持ち悪くなる布おむつなら、失敗しちゃいけないって体で覚えるから、早めにおしっこを教えてくれるかも。――じゃ、おむつをあててもらおうね。おしっこが出ちゃったことがはっきりわかる布おむつを」
 真澄は摩耶の説明に相槌を打って、床に広げたバスタオルのそばに膝をついた。
 その瞬間、早苗が
「いやっ!」
と叫んで真澄の首にすがりつく。
「あらあら、随分甘えん坊さんになっちゃったのね、早苗ちゃんたら。すっかり真澄になついちゃって」
 大慌てで真澄の首筋にしがみつく早苗の様子に摩耶がくすくす笑う。
「そうなのよ。パンツを穿き替えさせてあげたり何度もおむつを取り替えてあげたりしているうちに、どんどん甘えん坊さんになってきちゃって。ほんと、可愛いったらないんだから」
 真澄もくすっと笑って、早苗の体を抱えている手を少しおろした。
「やだ、手を離しちゃやだってば!」
 手を離してよ!とさっきは喚いていたのが嘘のように、早苗は激しく首を振りながら尚も真澄の首筋にすがりつく。
 早苗が真澄から離れようとしないのは、甘えたいからでは決してない。布おむつをあてられるのを嫌がってのことだ。摩耶も真澄もそのことは充分に承知している。承知していながら早苗を甘えん坊扱いして存分に楽しんでいる二人だった。
「いいわよ、そんなにお姉ちゃんに甘えたいんだったら、いくらでも抱っこしてあげる。うんと優しく抱っこして可愛がってあげる。でも、それは、おむつをあててもらってからよ。さ、おむつをあててもらおうね。おむつをあててもらったたら、思いきり優しく抱っこしてあげる」
 真澄は、早苗のお尻に添えている左手をバスタオルの上におろした。
「あ……」
 お尻の下に広がる柔らかな布地の感触に、早苗は無意識のうちに喘ぎ声を漏らしてしまう。
「柔らかくて気持ちいいでしょう? 最近は紙おむつも着け心地のいい素材を使っているらしいけど、でも、布おむつの方がふかふかで柔らかでしょう? 特に、何回も洗濯をした布おむつは」
 早苗の頬にさっと朱が差す様子を眺めながら、摩耶は甘ったるい声で言った。
「はい、おとなしくねんねするのよ」
 真澄は、布おむつの柔らかな感触に思わず力を抜いてしまった早苗の体をバスタオルの上に横たえさせた。
「それでいいわ。あとは、早苗ちゃんが暴れないように肩を押さえていてね。でも、あまり強くは駄目よ。早苗ちゃんが痛がらないよう、そっと優しくね。――布おむつは元々赤ちゃんの肌に優しい生地でできているんだけど、何回も洗濯をしているうちに、どんどんふかふかで柔らかくなってくるのよ。この布おむつはね、真澄が赤ちゃんの時に使っていたおむつなの。おむつ離れするまでの三年近くずっと使っていて何回も洗濯したおむつだから、とっても柔らかくなっているのよ。さ、あててあげるわね、真澄のお下がりのおむつを早苗ちゃんに」
 摩耶はねっとり絡みつくような声で言い、早苗の両方の足首を左手で一つにまとめてつかんだ。
(あ、あんなこと言わなきゃよかった。おしっこが出ちゃったのに気がつかなかっただなんて言っちゃったせいで、家の中でも、おしっこを教えられない赤ちゃんみたいにおむつをあてられちゃうんだ。嘘をついたせいで、年少クラスの小っちゃい子みたいにおむつをあてられちゃうんだ。それも、真澄ちゃんのお下がりのおむつを)
 早苗は唇を震わせ、胸の中で悔いた。
 けれど、今になって悔いてみたところで、それでどうにかなるわけでもないことを一番よく知っているのもまた早苗自身だった。



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