暖かな日差しの中で



  13 新しい制服


 沈黙は長くは続かなかった。
 不意に早苗が下腹部をぶるっと震わせ、弱々しい呻き声をあげた。
「どうしたの、早苗ちゃん?」
 早苗がどんな状況にあるのかすっかりお見通しのくせに、真澄はわざと訝しげな声で尋ねた。
「……お、おしっこ……」
 初対面の佳子の耳に恥ずかしい言葉が届かないよう、早苗はよく注意していないと聞き逃してしまいそうな小さな声で言った。
「出ちゃったの? それとも、出ちゃいそうなの?」
「……出ちゃいそうなの」
 重ねて訊く真澄に、早苗は救いを求めるような目で答えた。
「じゃ、急いでトイレへ行かなきゃね。廊下にトイレがあったでしょう? お姉ちゃんが連れて行ってあげるから少しだけ我慢するのよ」
 真澄は、園舎の入口でスリッパに履き替えて園長室へ歩いてくるまでの途中にトイレがあったことを思い出し、早苗の手を引いて歩き出した。
 だが、それを、両脚を踏ん張って早苗が拒む。
「何をしているのよ、早苗ちゃんたら。急がないと失敗しちゃうのに」
 手も脚も思うように力の入らない早苗を強引にトイレへ連れて行くのは簡単なことだ。しかし真澄はわざとそうせず、いかにも早苗の我儘ぶりに困り果てたかのような口ぶりで言った。
「……だって……」
 早苗はすがるような目で真澄の顔を見上げ、これ以上はないくらい弱々しく首を振った。
「本当にどうしちゃったの、早苗ちゃん? ちゃんとおしっこを教えられてお利口さんねって誉めてあげようと思ったのに、ぐずってちゃ駄目じゃない」
 今にもしくじりそうになっているくせに、それでもトイレへ行くことを拒む早苗に向かって摩耶が呆れたように言った。
「だって、だって……」
 摩耶からそんなふうに言われても早苗は両脚を踏ん張ったまま尚も弱々しく首を振るばかりだ。
 しかし、いつまでもそんなことを続けていられる筈がない。
 下腹部がさっきよりも大きくぶるんと震えたかと思うと、
「あ、あ……い、いや、いやぁ!」
という悲鳴が早苗の口を衝いて出た。
 トイレへ行くのを拒んでいるうちにしくじってしまったのは明かだ。
「だから、トイレへ連れて行ってあげるって言ったのに。でも、仕方ないかな。そのためのおむつなんだし。自分でトイレへ行けるようなお利口さんだったらとっくにおむつ離れできてる筈だもんね」
 真澄は左手を早苗の背中にまわし、右手で紙おむつの表面を撫でさすりながら言った。
「う……う、うぅ……ぅう、うわ〜ん」
 真澄の手で撫でられるたび、おしっこを吸ってぷっくり膨らんだ吸収帯が股間にじっとり擦り付けられる。その惨めな感触に、早苗は涙をぼろぼろこぼし、佳子の視線から逃れるため真澄の胸に顔を埋めて泣きじゃくった。
「精神退行の度合いは思っていた以上のようですね。本当は高校生なんだから、幼稚園に入ってもらうにしても年長クラスでいいかとも思っていたのですが、この様子だと、やはり年少クラスできちんとお世話をしてあげないといけないようです」
 自分よりも年下の真澄の胸に顔を埋めてわんわん泣きじゃくる早苗の姿をしげしげ眺めながら、佳子が摩耶に向かって苦笑交じりに言った。
「申し訳ありません、手のかかる子で」
 摩耶はさも恐縮しきりという態で応じたが、その実、胸の中では薄笑いを浮かべていた。

 早苗が目を覚ましてから、もうかれこれ二時間近くになる。今日は朝から一度も利尿剤を服用させていないが、そろそろ尿意を覚えていい頃だ。もっとも、それは、利尿剤によって惹き起こされたのではない自然な尿意だから、短時間のうちに急激に高まることはない。しかし、目の前の早苗は、利尿剤を服用させられた時と同様、尿意を訴えた直後、殆ど我慢することなくしくじってしまった。
 そんな早苗の痴態に、摩耶はますます計画の成功を確信していた。
 この十日間、早苗は知らず知らずのうちに利尿剤を服用させられ、異様に高まる尿意に耐えかねて何度もしくじってしまっていた。それも、ちゃんとしたトイレでの排泄ではなく、ショーツやおむつを汚し、そのぐっしょり濡れた感触に下腹部を包み込まれる屈辱きわまりないおもらしだった。そんなことが繰り返されているうちに、その異様な排泄行為が通常の排泄習慣とすり替わって脳裏に強く深く刻み込まれ、早苗の身体は、尿意を覚えた瞬間に膀胱の筋肉を緩めるよう条件付けされてしまったのだ。しかも、利尿剤による不自然で強烈な尿意を何度も経験している間に膀胱の機能を司る神経も影響を受け、本来なら少しでも膀胱におしっこが溜まればそのことを脳に伝える仕組みになっている筈が、膀胱がほぼ満杯になるまで神経伝達パルスが発生しないほどに働きが鈍くなってしまっていた。
 要するに、摩耶に乞われて闇医者が手配した薬剤によって、今や早苗の下腹部からは正常な排泄機能がすっかり失われてしまっているというわけだ。
 それに加えて、おままごとの間中、尿意を訴える早苗をトイレの近くまで連れて行きながらも結局はトイレを使わせず、便座を目の前にして繰り返しおむつを汚させるという仕打ちを摩耶と真澄が繰り返し行ったせいで、今の早苗は精神状態もいささか不安定な状態にある。
 尿意を訴えるたび、早苗はトイレの近くまで連れて行かれ、これでおむつを汚さずにすむという儚い期待を抱くのだが、実際には目の前にある便器を使わせてもらえず、おむつへの排泄を余儀なくされて、表現しようのない絶望感を繰り返し味わった。そんなことが幾度となく続くうちに「こんなに惨めな目に遭うくらいなら、もうトイレなんて行きたくない。淡い期待を抱いて、それが裏切られる反動で却って絶望が深くなるなら、もう二度とトイレへなんか近づかない」という思いが早苗の胸の内を占めるようになり、その結果、尿意を覚えつつも無意識のうちにトイレへ行くことを拒むという奇妙な精神状態に陥ってしまっているのだ。
 全ては摩耶の企み通りの結果だった。
 摩耶にしてみれば、いつまでも利尿剤と睡眠導入剤を用いておもらしやおねしょを強要し続ける気などなかった。こちらが強要せずとも恥ずかしい粗相を繰り返す『生きたミルク飲み人形』に早苗を変貌させることこそが、摩耶が胸にひめた究極の目的なのだから。
 そして今日、もうそろそろいい頃だと判断し、わざと早苗に利尿剤を服用させずに佳子との面談に連れ出したのだが、摩耶の思惑通り、佳子の目の前で早苗は紙おむつを汚してしまった。その事実は、もはや早苗が、利尿剤を服用させなくてもおむつを手放せない体になってしまった事実をありありと示しているのだった。




「もういいようですね? それでは、担任の阪口先生をお呼びします。紹介がてら、おむつは阪口先生に取り替えていただくことにしましょう」
 ぷっくり膨れた吸収帯に掌を押し当てて紙おむつの様子を探っていた真澄が小さく頷くのを待って佳子は受話器を手に取り、職員室につながる内線番号を押した。

 待つほどもなく園長室と職員室との間にあるドアが開いて、三十歳前後の落ち着いた雰囲気の女性教諭が姿を現した。
「お手間を取らせて申し訳ありません、先生」
 既に顔見知りなのだろう、女性教諭に向かって摩耶が慣れ親しんだ様子で会釈した。
「いえ、入園の前に新入園児一人一人と会っておくのが当園の方針ですし、私としてもどんな子を受け持つことになるのか前もって知っておいた方が心強いですから、手間だなんて滅相もありません。こちらこそ、お母様には何度も園に足を運んでいただいて恐縮です」
 女性教諭は摩耶に会釈を返し、真澄の方に向き直って言った。
「年少クラスのたんぽぽ組を受け持つ阪口加世子です。今日は妹さんの付き添い、ご苦労様」
「初めまして、河野真澄です。妹はちょっと駄々っ子で先生にもいろいろご迷惑をかけると思いますけど、よろしくお願いします」
 真澄はぺこりと頭を下げて挨拶を返した。 交わす言葉から、二人とも早苗のことをすっかり妹扱いしている様子がありありと見て取れる。
「でも、小っちゃい子は少し駄々をこねるようなくらいの方が元気があっていいのよ」
 加世子は真澄に向かってにこりと微笑みかけると、執務机とソファとの間の床にバスタオルを敷き、佳子が机の上に並べたおむつカバーとおむつを手際よくバスタオルの上に敷き重ねて、早苗の肩にそっと手を置いた。
「おしっこ出ちゃったみたいだから、おむつを取り替えようね。先生が取り替えてあげるから、さ、いらっしゃい」
「いや! こんな所でおむつの交換なんて、いや!」
 早苗は真澄の胸にますます強く顔を押し当てて肩を震わせた。
「ほら、そんなに聞き分けの悪いことじゃ先生に嫌われちゃうわよ。お利口さんにして、先生におむつを取り替えてもらおうね」
 真澄は早苗の二の腕をつかんで体を後ろに押しやった。
 だが、早苗は真澄にすがりついて離れようとしない。
 と、そこへ、軽やかな音色がからころ響き渡り、
「先生を困らせちゃ駄目でしょ、早苗ちゃん。お姉ちゃんがいい子いい子してあげるから、その間におむつを取り替えてもらおうね」
という声が聞こえた。
 声の主は、加世子と同じドアから姿を現し、手に持ったガラガラを打ち鳴らす遥香だった。
 そして、遥香の後ろには奈美恵の姿。
「おはよう、遥香ちゃん。幼稚園でも早苗ちゃんのこと、よろしくね」
 思いがけない二人の出現にもかかわらず、真澄が驚く様子はまるでない。
「うん、いいよ。遥香、みんなの代表で入園式でご挨拶するんだよ。それで、ご挨拶のお稽古をしに幼稚園へ来てたの。みんなの代表でご挨拶できるんだもん、早苗ちゃんのお世話くらい、簡単だよ」
 遥香はいささか誇らしげな表情で答えた。
「ごめんなさいね、奈美恵さん。シスターペアの組み合わせの最終確認や遥香ちゃんのことでいろいろ忙しい日に私たちまで押しかけちゃって」
 ソファから立ち上がった摩耶が軽く会釈をして奈美恵に言った。
 そんな摩耶と真澄の様子から、奈美恵たちが用事で幼稚園へやって来る日をわざわざ選んで佳子との面談の日取りを決めたことは明らかだ。
「いいえ、そんなこと気になさらないでください。遥香だって早苗ちゃんと会えない日が一日でもあると寂しがりますから、こうして幼稚園ででも顔を合わせることができてなによりです」
 奈美恵は穏やかな表情で応じ、にこりと微笑んで続けた。
「それに、ついさっきシスターペアの組み合わせが正式に決まったんですけど、早苗ちゃんと遥香でシスターペアを組ませることになりました。遥香は大喜びですし、そのことをそちらにも早くお知らせしたかったから、こうしてお会いできてよかったですわ」
「あ、遥香ちゃんと早苗ちゃんの組み合わせに決まったんだ、シスターペア。じゃ、正式に、遥香ちゃんがエルダーシスターで、早苗ちゃんがリトルシスターってことね」
 早苗と遥香とをシスターペアにしてほしいという要望を摩耶と真澄が奈美恵や佳子たちに予め伝えていただろうことは想像に難くない。
 しかし、そんな経緯など知る由もない遥香は 
「うん、そうだよ。それでね、遥香と早苗ちゃんがシスターペアになるって決まっていろいろお話してた時、園長先生から電話がかかってきて阪口先生がドアを開けたんだけど、そしたら、誰か泣いてるのが聞こえて、それから、おむつの交換なんていやっていう声が聞こえたの。遥香、おむつを汚して泣いてるのが早苗ちゃんだってすぐにわかったよ」
と、微塵の邪気もない笑みを浮かべて声を弾ませ、真澄と早苗のもとに近づいて早苗のお腹を優しくぽんぽんと叩き、左手でガラガラを振りながら、それこそ自分よりもずっと年下の幼児をあやすかのような口調で
「いつまでもぐずってちゃ駄目だよ、早苗ちゃん。お姉ちゃんが一緒にいてあげるから先生におむつを取り替えてもらおうね。早苗ちゃんはお利口さんだもん、おとなしくしてられるよね」
と言った。
 すると、それまでわんわん泣きじゃくっていた早苗が、いつしかしゃくり上げるような泣き方に変わり、ぼろぼろ涙を流していた目が次第にとろんとしてきて、真澄の体にすがりついていた両腕の力が次第に緩んでくる。
 実は、早苗がそのような状態になったのは、知らぬまに服用させられ続けた睡眠導入剤のせいだった。
 河野家にやってきて以来ずっと、夕食に混入した睡眠導入剤によって強引に眠らされる日が続く早苗だったが、そのたびに真澄は早苗のお腹をぽんぽんと優しく叩いて寝かしつけていた。それに加え、おままごとが始まってからは昼食代わりのミルクにも睡眠導入剤が混ぜられるようになり、その効果で早苗がうとうとし始めると、遥香がガラガラを振りながら早苗のお腹をぽんぽんと叩いて昼寝をさせるのが日々の習慣になっていた。
 そんな日が続いて、いつしか早苗は、それが習い性になり、ガラガラの音色を聞かされてお腹を優しく叩かれると妙に気持ちが落ち着き、体の動きが緩慢になって、思考力や判断力といったものが鈍くなるよう条件付けられてしまっていたのだ。そのせいで、今も遥香に優しくお腹を叩いてもらい、ガラガラのかろやかな音色であやしてもらううち、泣き喚く声が小さくなって、真澄の体にしがみつく力が弱まってしまうのだった。

「ありがとう、遥香ちゃん。おかげで早苗ちゃんもすっかりおとなしくなったわ」
 真澄は力の抜けた早苗の腕を振りほどくと、すっと腰をかがめ、遥香と目の高さを合わせて言った。
「どういたしまして。遥香も真澄お姉さんの役に立てて嬉しいよ。それに、ガラガラを持って来てよかった。今日、幼稚園で早苗ちゃんと会えるのがわかってたからママにお願いして持って来てもらったんだよ」
 ちょっぴり照れくさそうに遥香は応じた。
「そんなところまで気がつくなんて、すっかりお姉ちゃんで、すっかり早苗ちゃんのエルダーシスターだね、遥香ちゃんは」
 真澄は目を細めて言った後、
「それにしても、早苗ちゃんの方はいつになったらお姉ちゃんになれるのかしらね。ひょっとしたらいつまでもおむつ離れできなくて、このままずっと年少さんのままかもしれないね」
と、冗談とも本気ともつかぬ口調で付け加えた。
 そうして真澄は、早苗の下腹部を包み込んでいる紙おむつのサイドステッチを手際よく破る。
 一瞬はっとした顔つきになる早苗だったが、遥香が再びガラガラを振ってお腹を叩くと、再びとろんとした瞳に戻ってしまう。
 その間に真澄は早苗の紙おむつを外し、あらわになった下腹部にお尻拭きを押し当てて、肌に付着しているおしっこの雫を綺麗に拭い去ってから、早苗の体を横抱きに抱き上げ、加世子が広げたバスタオルに歩み寄った。




「これじゃ、遥香ちゃんがお姉さんぶるのも当然ね。自分よりもずっと体の大きな早苗ちゃんを上手にあやしてすっかりおとなしくさせちゃうんだから」
 おむつの上にお尻を載せてバスタオルに横たわる早苗の顔と、早苗の耳元でガラガラを振る遥香の横顔とを見比べて、半ば感心し半ば呆れた様子で加世子が真澄に話しかけた。
「そうなんです。遥香ちゃん、家でもすっかり早苗ちゃんのお姉ちゃんなんですよ。この調子だと、幼稚園が始まってもうまくいきそうですね」
 真澄はくすっと笑って言った。
 その途端、それまで虚ろな目をしていた早苗が瞼をぴくぴく震わせ、両手の拳をぎゅっと握りしめて
「いや! おむつなんて、いやなんだから!」
と金切り声で叫び、体を起こそうとして脚をばたつかせた。
 どうやら、おしりに触れる布おむつの感触や聞き慣れない加世子の声が刺激になって、ふと我に返ったようだ。
 けれど、今更の抵抗は虚しいだけだ。
 実際の園児と比べれば随分と体の大きい早苗だが、暴れる子供の扱いに慣れている加世子の手にかかればなにほどのこともない。
 加世子はいとも簡単に早苗の左右の足首を一つにまとめてつかみ持ち、そのまま高々と差し上げて、無毛の下腹部にベビーパウダーで薄化粧を施した後、股あてのおむつを早苗の両脚の間に通した。
「いや! いやだってば!」
 内腿を擦る布おむつの柔らかな感触に早苗は身をよじり、声を限りに叫んだ。
 しかし早苗の叫び声などまるで意に介するふうもなく加世子は手慣れた様子で横あてのおむつを股あてに重ね、おへそのすぐ下でおむつカバーの左右の横羽根どうしをマジックテープで固定し、おむつカバーの前当てのスナップボタンを手早く留めてしまう。そうしておいて、おむつカバーの腰紐をきゅっと結わえ、おむつカバーの股ぐりからはみ出しているおむつをおむつカバーの中に押し入れておしまいだ。
「いや……おむつなんていや……」
 早苗は尚もバスタオルの上で弱々しく首を振り続ける。
 けれど、いくら拒んでみても、早苗のお尻はもうすっかりおむつに包まれてしまっている。それも、河野家の養子になったことを示す『こうのさなえ』という名前を書いた、真澄のお下がりのおむつに。
 早苗の逃げ道は最早どこにもない。
 それを認めたくなくて弱々しく首を振るしかない早苗だった。




「じゃ、お手々を上げて、そのままおとなしくしているのよ。――はい、いいわ」
 おむつを取り替えた後、加世子は早苗の体を引き起こして両手を上げさせ、紙箱から取り出した制服を頭の上からすっぽりかぶせて、さっと裾を引きおろした。

「結構です、サイズは丁度いいようですね」
「ええ、窮屈そうでもないし、ルーズでもないし、ぴったりです」
「よく似合ってるわよ、早苗ちゃん。これで入園式もばっちりね」
「すっごく可愛いよ、早苗ちゃん。年少さんの中で一番可愛いよ、きっと」
 六人に囲まれて立ちすくむ早苗の姿は、みなが口々に言い交わす通り、実は高校生だということがまるで信じられぬほど幼稚園の制服であるセーラースーツが似合っていた。
「こ、こんな恰好……どうして私がこんな恰好をしなきゃいけないの!?」
 早苗は屈辱のあまり肩を震わせながら摩耶の顔を睨みつけた。
 しかし、幼稚園の制服に身を包んで髪をツインテールに結わえた早苗がいくら怖い顔をしても、聞き分けのよくない幼児が拗ねているようにしか見えない。
「どうしてこんな恰好をしなきゃいけないのですって? それは、早苗ちゃんが附属幼稚園の園児だからに決まってるじゃない。――確か園の規則では、お休みの日でも、登園する時は制服を着てこなきゃいけないという決まりになっているんですよね?」
 摩耶はこともなげに言って佳子に確認を求めた。
「ええ、その通りです。今日みたいなお休みの日の登園であっても、私的な要件の登園であっても、登園に際しては例外なく制服の着用が義務付けられています。それと、よそへ出かける時も、絶対にというわけではありませんが、制服の着用を推奨しています」
 佳子は摩耶に向かって事務的な口調で応じた後、早苗の顔に視線を転じ、がらりと口調を変えて言った。
「でも、年少さんの早苗ちゃんは、規則や義務なんて難しい言葉、わからなくていいのよ。難しいことは考えずに、幼稚園に来る時は制服を着なきゃいけないんだってことだけ憶えておけばいいわ。あと、いろいろ決まり事があるんだけど、それはお母様とお姉ちゃまに説明しておくから、早苗ちゃんはお母様やお姉ちゃまや先生の言いつけを守っていればそれでいいの。わかったわね?」
「で、でも……こんなに短いスカートなんて……」
 完全な幼稚園児扱い、それも、自分では何もできない年少さん扱いをされる屈辱に言葉を失いながらも、早苗は浅い呼吸を何度も繰り返して、震える声を絞り出した。
 遥香の制服と比べて、早苗が着せられたセーラースーツは、体を動かさずに両脚を揃えてきちんと立っていてもおむつカバーが見えてしまいそうなほどスカート丈が短めに仕立ててあった。
 けれど、それに対しても佳子は、さもそれが当然と言わんばかりの様子で説明する。
「幼稚園に入ったばかりの年少さんは、まだあんよが上手じゃない子も多いのよ。それで、あんよの邪魔にならないよう、スカートを短くしてくれるよう業者さんにお願いしているの。スカートがまとわりついてころんしちゃったら可哀想だものね。だから、早苗ちゃんの制服もそれでいいのよ」
「……だけど、でも、これじゃ、おむつが……」
 自分で口にした『おむつ』という言葉に思わず頬を赤く染めながら、早苗は蚊の鳴くような声で言い募った。
「それでいいのよ。最近はなかなかおむつ離れできない子が増えてきているそうで、今度うちの幼稚園に入る子でも、四分の一ほどはまだおむつが外れてないのよ。だから、恥ずかしがらなくていいの。おむつなのは早苗ちゃんだけじゃないんだから」
 佳子は実際の幼児をあやす時そのままの口調で早苗を宥めすかし、更に、優しく教え諭すような口調でこんなふうに付け加えた。
「それに、うちの幼稚園に入った子は誰でも夏休みまでにはおむつが外れるから、早苗ちゃんも安心していいのよ。おむつの子が一日でも早くパンツのお姉ちゃんになれるよう幼稚園の先生と大学の先生が力を合わせて助けてくれるから、早苗ちゃんも頑張ろうね。パンツのお姉ちゃんになって、あんよも上手になった後、年長さんの遥香お姉さんみたいにスカートを長めに仕立て直してもらえばいいんだから」
「そんな、そんな……」
 こわばった顔で何やら言い返そうとする早苗だが、ここまで追い詰められてしまっては返す言葉などあるわけがなく、ただわなわなと唇を震わせるばかりだ。
「はい、名札を付けるわよ。さくら組とばら組が年長さんで、ゆり組とちゅうりっぷ組が年中さん、すみれ組とたんぽぽ組が年少さんなんだけど、早苗ちゃんは、私が受け持つたんぽぽ組に入ってもらうわね。だから、ほら、名札もたんぽぽの形になっているのよ」
 早苗が言葉を失っている隙に加世子がすっと近づき、たんぽぽの形を模した名札を制服の胸元にピンで留める。
 名札には『ねんしょうクラス・こうのさなえ』という文字が書いてあった。
 『こうのさなえ』という名前を書いたおむつでお尻を包まれ、同じ名前を書いた名札を真新しい幼稚園の制服の胸元に付けられたこの瞬間こそが、学業優秀な高校生である島田早苗が、まだおむつも外れない年少クラスの幼稚園児である河野早苗に変貌した瞬間であり、摩耶と真澄が、自分たちの思い通りに弄ぶことのできる生きたミルク飲み人形を掌中に収めた瞬間でもあった。

「ほら、これで早苗ちゃんと遥香、シスターペアだよ」
 遥香が早苗の目の前に歩み寄り、自分の制服の名札を指差した。
 遥香の名札は桜の花びらを模した形をしていて、『年長クラス・えんどうはるか』という名前が書いてあり、そのすぐ下に一回り小さな字で『さくら組・こうのさなえ』という文字が並んでいた。早苗の名札にも、自分の名前の下に、やはり少し小さな字で『さくら組・えんどうはるか』と記してある。
 どうやら、下段の小さな文字は互いのシスターペアの名前が書いてあるようだ。とすれば、遥香の言う通り、その名札を胸に付けた早苗は、正式に遥香のシスターペアとして扱われることになるわけだ。それも、世話をする立場であるエルダーシスターではなく、本当は一回りも年下の遥香に面倒をみてもらわなければ自分では何もできない年少のリトルシスターとして。




 制服の後は体操服の試着が待っていた。
 附属幼稚園の体操服は、純白の生地に、首回りと袖口にピンクのラインをあしらった半袖の上衣と、上衣のラインと同じ色合いのショートツパンツとの組み合わせになっている。
 しかし、体操服の上衣を早苗に着せた後、加世子は
「うん、体操服の大きさも丁度いいみたいね」
と満足そうに言うばかりで、なかなかショートパンツを穿かせようとはしなかった。
「あ、あの、下の方は……」
 上衣は腰骨に届くか届かないかの丈しかないため、そのままではおむつカバーが半分ほどしか隠れない。早苗は上衣の裾を何度も両手で引っ張りおろしつつ、涙声で言った。
「え? 下の方って何のことかな? 体操服はそれだけなんだけど?」
 加世子は、体操服が入っていた紙箱を早苗の目の前でひっくり返し、箱にはもう何も残っていないことを示して言った。
「……でも、ショートパンツと組み合わせになっている筈です。……私が幼稚園に通っていた時はそうでした」
 早苗は遠い記憶をたぐり寄せ、今にも消え入りそうな声で抗弁した。
「あら、十年以上前のことを憶えているなんて、とってもお利口さんなのね、早苗ちゃんは」
 加世子は園児に対するのと同じように早苗の頭を撫でて褒めそやし、続けて言った。
「だったら、早苗ちゃんが前に幼稚園に通っていた時にも体操服の上衣しか着ていない子がいたことも憶えているんじゃないかな? 上衣を着てショートパンツを穿いたお友達と一緒に、上衣だけの子が駈けっこしていたでしょう? そのことは忘れちゃったかな?」
 加世子にそう言われて、十年以上前の光景が早苗の脳裏にうっすら甦る。
 加世子の言う通り、早苗が本当の幼稚園児だった時も、体操服の上衣の下にショートパンツを穿かず、おむつカバーをあらわにして園庭を駆けまわる年少クラスの園児はいた。
「おむつカバーの上にショートパンツなんて、窮屈で穿いてられないわよね? だから、おむつが外れていない子は上衣とおむつカバーだけなの。わかるでしょ? 早苗ちゃんみたいなおむつの子にはまだショートパンツは早いのよ」
 加世子はおむつカバーの上から早苗のお尻を二度三度ぽんぽんと叩いて言った。
 もう早苗には返す言葉などない。
 早苗が幼稚園に入園した頃は今と比べて幼児のおむつ離れが早く、附属幼稚園の年少クラスでもおむつが外れていない園児は数人しかいなかったのだが、そんな中でも早苗は同年代の子供と比べておむつ離れが早い方で、二歳になるまでにはトイレトレーニングを済ませていたものだから、制服のスカートの裾からおむつカバーを見え隠れさせて通園し、体操服の上衣とおむつカバー姿で園庭を走りまわる同い年の園児を奇異な目で見ていたものだ。
 それが、今度は自分がその立場に置かれるなんて。それも、実際の園児に比べればずっと体も大きく、ずっと年上のくせして。
「でも、先生。おむつが外れたら、早苗ちゃんだってショートパンツを穿けるようになるんですよね?」
 押し黙ってしまった早苗の傍らで真澄が加世子に言った。
「ええ、勿論です。もうパンツでも大丈夫だと担任が判断すれば、体操服の上衣の下にショートパンツを穿かせてあげますよ」
「じゃ、頑張らなきゃね。一日でも早くおむつとさよならできるように頑張って、パンツのお姉ちゃんになろうね。担任の先生と大学の偉い先生が手伝ってくれるから大丈夫だよ。きっと、夏休みまでにパンツのお姉ちゃんになれるよ。だから、頑張ろうね」
 加世子の返答に、いかにも早苗を励ますふうを装って真澄が言った。その言葉に早苗は恥辱の念をますます掻き立てられるのだが、それもまた真澄の狙いの内にあることはいうまでもない。




「はい、次はこれを着てみようね」
 体操服のサイズ確認の後、そう言って加世子が更に別の紙箱の蓋を開けて取り出したのは、体操服のラインと同じ色合いの生地でできた長袖のスモックだった。

「うん、これも丁度いいみたいね。窮屈で体を動かしにくいこともないし、袖口もぴったりだからお絵描きする時にクレヨンで中に着ている物を汚す心配もなさそうだし」
 真澄の協力を得て体操服の上にスモックを重ね着させた加世子は不具合がないかひとしきり確かめた後、早苗と目の高さを合わせて言った。
「通園の時は制服だけど、幼稚園に来たら制服から体操服に着替えて、駈けっこや砂場遊びをするのよ。そうしないと制服が汚れちゃうからね。でも、お弁当を食べる時やお絵描きをする時は、体操服を汚さないよう、このスモックを着るの。――年少さんの早苗ちゃんにはちょっとややこしいかな? でも、大丈夫。困った時はシスターペアのお姉さんを呼べばいいわ。どんな時にどんな物を着ればいいのかわからない時や、一人でお着替えできない時はシスターペアのお姉さんが助けてくれるから心配しなくていいのよ」
「そうだよ、早苗ちゃん。ちょっとでも困ったことがあったら、すぐ遥香を呼べばいいんだよ。それか、近くの先生や年中さんとか年長さんとかに自分の名札を見せて『早苗のお姉ちゃんを呼んで』って頼めばいいんだよ。そしたら、遥香、いつでも早苗ちゃんを助けてあげるからね」
 加世子に続いて、早苗の名札の下段を指でつつきながら、いかにも年長のお姉さんが入園前の年少さんを教え諭すといった口調で遥香が言う。
 だが、それに対して早苗は無言のままだった。
 すると、わざときつい口調で
「駄目でしょ、早苗ちゃん。先生と遥香お姉ちゃんが優しく説明してくれているのにお礼も言えないなんて、もう赤ちゃんじゃないのに、いつまでもそんなじゃ困るわね」
と摩耶が早苗を叱責した。
「お母様のお気持ちもわかりますけど、早苗ちゃんのことはあまり叱らずに、ここは私どもにおまかせください。当園は基本的な躾を家庭に代わって行うことでお子さんとお母様方のお役に立ちたいと願っております。躾の中には、きちんとお礼を言ったり、悪いことをした時にはちゃんと謝るという習慣を身に付けさせるための教育も含まれています。おむつ離れと同様、夏休みまでには見違えるほどいい子になっていることをお約束しますから、今日のところはあまり叱らずにいてあげてください」
 びくんと体を震わせる早苗に優しい眼差しを向けて、佳子が執務机の向こうから取りなす。
「私も早苗ちゃんが憎くて叱っているわけではありません。早苗ちゃんのためを思ってのことですから、園長先生がそうおっしゃるなら、今のところはこのくらいにしておきましょう。――よかったわね、早苗ちゃん。優しい先生ばかりの幼稚園にもういちど入園できることになって」
 摩耶は佳子に向かって鷹揚に頷いた後、早苗の方に向き直り、『もういちど入園』という部分を強調して言った。
 スモックの丈は体操服の上衣の丈よりも僅かに長いだけだから、スモックを着てもおむつカバーは半分ほどしか隠れない。おむつカバーの股ぐりから突き出た両脚を小刻みに震わせながら、弱々しく首を振ることも忘れて、早苗は茫然と立ち尽くすばかりだった。



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