CETI 〜宇宙鯨の声が聞こえる〜



「じゃ、説明しますぅ」
 舌っ足らずな喋り方でミウが言った。
「ちょっと待った。あんたに説明させると、いつになったら終わるかわかったもんじゃないわ。それに、まともに説明できるかどうかもあやしいし。特別バージョンに関して、何か資料は無いの? オンラインヘルプみたいなのでもいいけど」
 にへらと笑って説明を始めようとするミウを慌てて押しとどめてヨーコは言った。
「あ、ひどいんだ、ヨーコお姉ちゃまったら。ミウのこと、全っ然信用してくれないんだから」
 ミウは上目遣いでヨーコの顔を睨みつけて唇から舌を突き出した。
「ええい、艦長に向かってそんな生意気なことを言うのはこの口だね! いいから、さっさと資料を出しなさい!」
 べっと突き出した舌をぐいっと掴むと、そのまま手前に引っ張って、葉子はミウの顔に自分の顔を押しつけるようにして怒鳴りつけるみたいに言った。これまでに何かがヨーコの胸の中に溜まり続けていたのだろう。
「はぁ、はぁかりまひた。はぁかったから、手を離ひてくらはい」
 たまらず、両目を白黒させながら懇願するミウ。
「わかればいいのよ、わかれば。っんとに、ちょっと甘い顔をするとつけあがるんだから」
 ようやくヨーコは手を離した。
 突然、ミウが、一度は引っ込めた舌を再びべっと突き出してヨーコの頬を嘗め始める。
「ひぇっ。な、何すんのよ、あんたは」
 思わず後ろへ跳びすさって、ヨーコは自分の頬に掌を押し当てた。
「だって、甘い顔って言うから、お姉ちゃまの顔、どれくらい甘いのかと思ってぇ」
 何を怒られているのかてんでわからないって顔をして、ミウはしれっと言った。
「あ、あんたっ子は――ううん、もういい。怒ってもこっちが疲れるだけだ。いいから、早く資料を出してください。お願いします」
 とうとう根負けしてしまうヨーコだった。
「わぁい、ヨーコお姉ちゃまからお願いされちゃったです〜。じゃ、資料を見せてあげるです。ASIMOを特別バージョンに書き換えた人からのメッセージを預かっているから、それを見せてあげるです〜」
 嬉しそうに言って、ミウは無造作に横髪を掻き上げた。それから、有機高分子材料でできた耳朶の中に指を突っ込んで、耳の中から細いケーブルを引っ張り出す。
「私に特別バージョンをインストールしてくれた人、すっごい優秀な人なんですよぉ。なんたって、あっという間にOSを書き換えちゃうんだから」
 ミウは、お姉ちゃまだけに教えてあげるんだからねというふうに声をひそめて言って、ケーブルの先端を、通信装置のすぐ横にあるコンソールの接続端子に差し込んだ。
「あっという間にOSを書き換えるだなんて、ひょっとすると、その人、コーディネーターなのかな?」
 何か思い当たる節があるのか、ヨーコは人差し指の先を顎に押し当てて呟いた。
「あ、そうですよ。コーディネーターだって言ってました〜」
 ぼそっと呟いたヨーコの小声を、10Hzの超低周波から400KHzの超音波までの可聴範囲を誇るミウの耳が聞き逃すわけがない。
「やっぱりコーディネーターか。じゃ、名前はキラ・ヤマトかな」
 ヨーコはミウに訊き返した。
「ううん、そんな16歳のガキンチョじゃないです〜。もっとかっこいい素敵なお兄様なんだからぁ」
 ミウの指先がコンソールのスイッチに触れた。
 一瞬、3Dディスプレイが虹色に輝いたかと思うと、輝きの後に若い男性の立体画像が現れた。
『や、元気かい、ヨーコちゃん。いやいや、ここはちゃんとキャプテン・ヨーコと呼ばなきゃいけないかな』
 3Dディスプレイの立体映像が馴れ馴れしい口調でヨーコに呼びかけた。もちろん、映像がヨーコの姿を認識しているわけではない。立体映像は、ヨーコが見ることを前提にしてミウに内蔵されている。だから、再生が始まったとすれば、そこにヨーコがいるのが当然という、それだけのことだ。
 しかし、立体映像を見た瞬間、そんな簡単なことも思いつかなくなってしまったかのように、ヨーコは映像を指さして喚いていた。
「奈緒! あんた、奈緒ね! どうしてあんたがこんな所にいるのよ!」
 立体映像の主の名前は鸚鵡奈緒。SSDOの宇宙技術者養成学校でヨーコと同期だった青年だ。基礎コースの時は同じクラスだったし、専門コースでヨーコがミッションクルー養成コースに、奈緒が応用技術開発コースにと別れた後も合コンで一緒になったりして、知らない仲ではない。ちなみに、『鸚鵡』というのは珍しい名字だが、日本を代表する名峰であるマウント・フジの山麓地域ではこの名字が多いと聞く。日本では昔からフジ山麓には(いろんな意味で)オウムがつきものらしい。
「ね、かっこいいお兄様でしょ?」
 どこかうっとりした目で立体映像の奈緒を見つめながら、同意を求めるようにミウが言った。
 確かに、しゅっとした美男子ではある。美男子ではあるのだが、その性格は普通ではない。はっきり言って、歪みまくった性格の持ち主が奈緒なのだ。そのことをよーく知っているから、思わず奈緒の(立体映像の)出現にうろたえてしまったヨーコだった。
「あんたは奈緒の本当のところを知らないからそんなことを言っていられるのよ」
 ヨーコはミウに向かって盛大な溜め息をついてみせた。そうして、これでもかってくらい不安そうな表情で立体映像に目を向ける。
「ミウのASIMOを書き換えたのが奈緒だとしたら、とても面倒なことになりそうね」
 若いくせに早くも人生の悲哀というものを漂わせる弱々しい声でヨーコは呟いた。



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