CETI 〜宇宙鯨の声が聞こえる〜



『愛しのキャプテン・ヨーコが僕の立体映像を見てくれていることにまずお礼を言っておくよ、マイハニー』
 ヨーコの不安など知らぬげに(いや、知らないのが当たり前なんだけど)奈緒の立体映像はヨーコに向かってウィンクしてみせた。唇に薔薇の小枝を咥えていないのが不思議なくらいだ。
『でも、今の僕には君に愛の言葉を囁いている時間は無いんだ。いつまでもミウのメモリーに映像データを置いておくわけにはいかないからね。わかってくれるだろう、マイスゥィートハート』
 立体映像はくるりと身体を廻すと、右足の爪先でとんとステップを踏んでみせた。
『だから、もうそろそろ君のOMUに搭載したミウにインストールしたASIMOについて説明することにするよ、マイベェベ。――おっと、その前に、君のOMU−1が他のOMUとは違った機能を持っていることを説明しておかなきゃいけないんだぜ、マイシュガー』
 奈緒の立体映像がそう言うのを耳にしたヨーコは顔色を失った。奈緒の言葉が本当なら、ミウだけではなく、自分たちが搭乗している電波観測宇宙船OMU−1にまでなんらかの改造が加えられていることになる。
 ごくりと唾を飲み込んで、ヨーコは無言で奈緒の言葉の続きを待った。
 さて、しかし、奈緒の言葉をいちいち台詞通りに書き写していては、とてもではないが話がなかなか前に進まない。だいいち、それは、作者にとっても極めて辛い作業になってしまう。そこで、奈緒の立体映像が語る内容を要約して書いておくことにする。これを「手抜きだ」などとは決して言わないようくれぐれも固くお願いしておくので、読んでいる人もそのつもりでいてほしい。
 で、奈緒の説明は、つまり次のようなことだった。

 今回のミッションであるOMORASIの目的は、36隻の電波観測宇宙船を1光日の半径を持つ人工惑星軌道に乗せた上で巨大なパラボラアンテナを展開し、宇宙空間を飛び交う様々な電磁波を解析し、そのデータを月面基地に送信することにある。
 だが、実は、ミッションの目的はそれだけではない。36隻のOMUに搭乗するクルー達は、これまでどの宇宙飛行士も経験したことのないような長期間に渡って宇宙船の中という閉鎖空間で生活することになる。原則として軌道に乗るまでは人工冬眠に入ることになっているが、観測が始まれば、次の要員交替までの二年間を通して宇宙船の中が生活の場になる。物資倉庫も居住空間も決して広くはない宇宙船の中で生命活動を維持するるためには、人間が呼吸するたびに発生する二酸化炭素から酸素を合成し、あるいは、汗や尿として排泄された水を再び飲料水として使えるように濾過処置を施すといったような、徹底的なリサイクル・リユース措置が必要になる。実はOMUは、そういった様々なリサイクル技術を確立するための実験室でもあるのだ。考えられる限りの最新技術と制御アルゴリズムを投入し、そのシステムが実際の宇宙船で効果的な結果をしめすのか否か、それを確認するための実験材料だと言ってもいい。ただし、36隻のOMUが全て同じシステムを採用するわけではない。1隻のOMUごとに専属のチームが割り当てられて、一つのチームがそのチーム独自に採用したシステムを担当のOMUに実装して結果を得るという方式になっている。こうすることで、たった一つのシステムの有効性を確認するのではなく、様々なシステムを同時に比較検証することができる。ただし、このことはOMUのクルー達には知らされていない。前もって知っていたら、誰も出発前に逃げ出してしまうのは火を見るより明らかなのだから。
 そして、(ヨーコはそのことも知らなかったのだが)ヨーコが搭乗するOMU−1を担当する技術チームのリーダーこそが奈緒だった。いや、正確に言うと、奈緒は技術チームのリーダーというわけではない。他のOMUについては10人程度の技術者がチームを組んでシステムの開発・実装に当たったものの、OMU−1に関しては、奈緒が一人で全てを手がけたのだ。しかし、なぜ奈緒がたった一人で全ての作業を行ったのか? はっきり言って、他の技術者が奈緒と一緒に仕事をするのを嫌がったという、たったそれだけの事実がその理由だった。奈緒の歪みまくった性格、奈緒が提唱する独特のシステム概念、そういったものについていける人間が、SSDOの数多い技術者の中に一人もいなかったという、それだけのことだ。けれど、一人で作業を進めなければならない状況を奈緒は却って嬉しがったものだ。なんといっても、OMU−1に対して「独自の仕様に基づいた改造」を誰に遠慮することもなく、これでもかってくらい加えることができたのだから。
 そうして奈緒が完成させたシステム。
 それは、宇宙船内の食料・水・搭乗員の健康管理を、アシストロボであるミウに集中管理させるというシステムだった。アシストロボは、搭乗員たちが人工冬眠中は船内機器のメンテナンスくらいしかすることがないが、目的の軌道に乗って搭乗員たちが本来の活動を始めた後は、搭乗員の食事の用意までを含む広範囲の役割を担うことになる。ただ、食事の用意はあくまでも用意(フリーズドライの宇宙食に水分を加えて食用に還元したり、簡易栽培ポッドの生鮮野菜の面倒をみたり)するだけで、食事の量などは搭乗員が好きに決める。宇宙船内では貴重な水にしても、船内環境に対する意識の低いクルーだったら、ちょっと喉が渇いたといっては遠慮無しに飲んでしまうだろう。もちろん、搭乗員の体から発散する水蒸気まで集めてリサイクルするようにはなっているが、そのための機器を作動させるのに余分なエネルギーが必要になる。観測とデータ送信の装置に少しでも多くのエネルギーをまわしたい中、それは無駄でしかない。
 そのあたりの事情を考慮に入れて奈緒が作り上げたのが、食料も水も搭乗員たちには自由にさせないためのシステム、つまり、ミウの判断による『配給』システムだった。搭乗員たちの身体パラメーターを常にミウに監視させ、それぞれの体調に応じた食料や水量をミウが決めて与える、そんなシステムだ。そのために、本来なら船内に幾つか設置してある筈の給水コックと食料供給シュートさえ固く封印してしまった奈緒だった。「このシステムは、徹底的に無駄を省くと同時に、一人一人の搭乗員の体調に合わせた食料を与えることで健康管理の一環としても機能するんだ」と奈緒は言った。
 けれど、ヨーコが納得する筈がない。
 あのミウに全てを握られてしまうなんて、そんなシステムをヨーコが認めるわけがない。
 わけがないのだが、そのシステムを停止する手段をヨーコが持っていないのも事実だった。

「なんてことなんのよ、奈緒! こ、こんなバカロボットに管理されるなんて、私は絶対に嫌だからね!」
 ヨーコが奈緒の立体映像に指を突きつけて喚いた。
「バカロボットだなんて、お姉ちゃま、ひどいですぅ。そんなひどいこと言うようなお姉ちゃまには絶対にごはんもお水もあげないんだから」
 ヨーコの喚き声を耳にした途端、ミウがつんと横を向いた。
 はっとした表情になってヨーコが自分の口を押さえた。
 ミウの言葉が何を意味するのか、それを考えれば顔色もなくなるってもんだ。へたにミウを拗ねさせれば、それだけで飢えて絶命するという恐れさえあるのだ。
 けれど、急に何かを思いついたように両手をぽんと打つと、余裕しゃくしゃくの表情でヨーコはミウに言った。
「ロボット工学三原則の第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。――あんた、わかってるの? あんたが私に食料も水も渡さないってことは、この条項に違反するのよ。明らかに餓死の恐れがあるんだからね」
 うりうりとヨーコはミウの脇腹を肘でつついた。
 そこへ、奈緒の声が割り込む。
『あ、それは三原則に違反しないよ』
 まるで立体映像がヨーコの言葉を聞いていたような間合いだ。
「どうして、こんなにタイミング良くそんなことを言うのよ、あんたは。あんた、本っ当に立体映像なの? まさか、立体映像のふりして密航してるんじゃないでしょうね? もしもそんなことをしてごらん。お馴染みの『冷たい方程式』になっちゃうんだからね。でも、そうなっても、私はちっとも悩まないんだからね。嬉しそうに笑いながら密航者をエアロックから宇宙にほっぽり出しちゃうからね」
 うそんくさそうに立体映像を睨みつけて、ヨーコは腰に手を当てて言った。
『密航だなんて、とんでもない。ご覧の通り僕はしがない立体映像さ。ただ、ヨーコの性格を解析して、このへんでこんなことを言うだろうなと予測した上で録画しただけだよ。ま、言ってみれば、昔からよくある《こんなこともあるかと思って》機能だと言ってもいいかな。ヨーコのことを憎からず思っている僕だからこそ使える隠し技なんだよ、マイハニー』
 立体映像はちっちっちっと人差し指を目の前で振ってみせた。
「ああ言えばこう言う。んとに本人そのまんまの立体映像ね。――ま、いいわ。じゃ説明してもらおうじゃないの。ミウが拗ねて食料も水も私に渡さないっていう行動が三原則に違反していないっていう理由を」
 怒りを抑えるようにわざと平板な声でヨーコは言った。
『理由は簡単だよ。つまり、「そういう行動を三原則に違反していると解釈しないよう」にOSのカーネルを僕が書き換えた、それだけのことさ。それがASIMOの特別バージョンなんだよ、つまり』
 こともなげに立体映像は言った。
 が、ヨーコの方はたちまち凍り付いてしまったような顔になる。
「あんた、それがどういうことかわかってるの? 特別バージョンどころの改竄じゃないわよ、それって。結局、三原則を無視するようにカーネルを改変しちゃったってことでしょ? つまり、私のOMUに乗っているミウは三原則に従わないロボットだってことじゃない。そんなの、命が幾つあっても足りないわよ。なんてことしてくれたのよ、あんたって人は!」
 ヨーコは、化け物を見るような目つきでミウの横顔を窺った。



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