CETI 〜宇宙鯨の声が聞こえる〜



『おっと、誤解しないでほしいな。まったく、キャプテン・ヨーコは早合点なんだから。もっとも、そこが可愛いんだけどね、ベィビ〜』
 たしなめるように言ったかと思うと、立体映像は急に真剣な顔をして言葉を続けた。
『三原則を無視するように書き換えたんじゃなくて、解釈の仕方を変更するように書き換えたんだよ。たとえば、今のミウの行動。これは、ヨーコにバカロボと言われて拗ねたから食料と水を渡さないと言っているんじゃなくて、今のヨーコみたいに興奮したままじゃ体に悪いから早く冷静になるよう促しているんだよ。そのへんをわかってほしいな。ああ、それと、いくらクルーが食料をよこせと言っても渡さない場合もあるよ。クルーの体格やその時々の体調から、明らかに過食だと判断した場合は絶対に渡さないようになっている。でも、これは三原則に違反しないよ。そのまま食料を与える行為そのものが「過食という危険を看過することによって、人間に危害を及ぼす」ことになるからね。それを防ぐために食料を渡さない場合もある。――わかってもらえたかな? つまり、三原則の解釈を、これまでよりずっと総合的に行うように変更したんだよ。これまでのASIMOみたいに、その場その場だけの状況で判断するんじゃなく、もっと幅広い情報に基づいて未来を予測するようにしてね。ただ、その改変が影響したのか、ミウの人格データベースが少し不安定になってしまったようだ。優秀なアシストロボなのに、時々おちゃらけたような態度を取るのはそのせいなんだ。だから、あまりミウを責めないでやってほしいんだけどね』
 これまで一度も見たことのないような真面目な表情ときちんとした説明をする奈緒だった。
「あ、ごめん。最初からそんなふうにちゃんと説明してくれればよかったのよ。じゃ、どっちかっていうと、これまでよりも積極的に三原則に対応しているわけだね?」
 ようやく納得したのか、ヨーコは小さく頷いた。
『そうだね、三原則への積極的な対応と言っていいだろうね。これまでみたいに無闇に人間を守ろうとするんじゃなく、人間が危険な状況に陥らないようにするために、時には厳しい態度も取るということだしね。言ってみれば、ロボットに《母性》を持たせたみたいなもんかな。子供を可愛がるだけじゃなくて、厳しく諫めることも忘れない母親の行動規範を内蔵したようなもんだと思ってもらっていいよ』
「なんとなくわかったような気がするわ」
 これまでとはまるで違う穏やかな表情でヨーコは何度も頷いてみせた。
『わかってもらえて嬉しいよ。じゃ、僕はこれで消えることにするよ。無事にミッションを終えて月に還ってきたら盛大にお祝いしようじゃないか、マイエンジェル』
 にっと笑ってみせた後、奈緒の立体映像が闇に溶け込んだ。
 コンソールに向き直ったミウがケーブルを接続端子から引き抜いて、高分子材料で形成された耳朶の中に戻した。
「ごめんね、ミウ、バカロボなんて言って。本当は最新型のアシストロボだったのね」
 少し照れたような表情でヨーコは小声でミウに言った。
「そんなの、いいですぅ。お姉ちゃまにわかってもらえてミウも嬉しいです〜」
 可憐な花が咲き誇るような笑顔でミウが微笑んだ。
 それから、笑顔のままヨーコに向かって問いかけるように言った。
「ところで、おむつは大丈夫ですか、お姉ちゃま。濡れてお尻が気持ち悪いんじゃないですか?」
「へ? おむつ? それ、何のこと?」
 突然ミウの口から出てきた言葉が何を意味しているのか全くわからずに、ヨーコはぽけっとした顔で訊き返すばかりだ。
「やだぁ、まだ人工冬眠が覚めたばかりで寝ぼけてるんですかぁ。おむつって言ったらおむつです〜。ほら、お姉ちゃまのお尻を優しくくるんでる、このおむつですぅ」
 そう言って、ミウはヨーコのお尻をぽんと叩いた。
 それで、やっとヨーコは気がついた。股間からお尻にかけて、なんとなく湿っぽいことに。お尻の周りが妙に厚ぼったいことに。
 途端にヨーコの顔がかっと赤くなる。
「ど、どうしておむつなんて……あ、赤ちゃんでもないのに」
 自分が赤ん坊みたいにおむつをあてられていることに気がついたヨーコは、真っ赤な頬に両手を押し当てて弱々しく呟いた。
「ミウがあててあげたんです〜。お姉ちゃまが人工冬眠に入ってすぐに。だって、冬眠ポッドをおねしょで汚しちゃったら大変だものぉ」
 あっけらかんとした口調でミウは言った。
 人工冬眠は、冷凍措置による生体保存とは違って、新陳代謝を完全に停止させるわけではない。人工的に体温を下げて生体の活動レベルを低下させるが、昏睡状態程度まで下げるだけだから、普通に眠っているのと同じ程度の新陳代謝は行っている。だから、人工冬眠中も栄養補給は必要だし、排泄物の処理も必要になる。でも、かといって……。
「なにも、お、おむつじゃなくってもいいじゃないよ。もっと別の方法があるでしょうが」
 自分が口にした『おむつ』という言葉にますます頬を赤く染めながら、ヨーコは弱々しい声で抗議した。
「え? じゃ、お姉ちゃまは尿道カテーテルの方が好きだったんですかぁ? それならそうと先に言っておいてくれれば太っとぉいのを用意しておいたのにぃ」
 ミウは人差し指と親指で大きな輪っかをつくってみせた。
「そんなのが入るわけないでしょ! いや、そうじゃなくて、ポッドには排泄物処理装置も内蔵してある筈じゃない。それを使えばいいのよって言ってるの。――さっきは勢いで感心しちゃったけど、あんた、本当に最新型なの? なんか、奈緒に騙されたような気がして仕方ないわ」
 いちど気がつくと、じっとり濡れたおむつの感触が気になって仕方ない。ヨーコは両脚の内腿を摺り合わせ、心ここにあらずといった表情で言った。
「ポッドに内蔵してる排泄物処理装置はまだ試作段階だから効率が良くないんですぅ。省エネ指向に設計してないしぃ、排泄物の回収率もあまり良くないんですぅ。だから、おむつにしたんです〜。布おむつを10枚あてておむつカバーをちゃんとすれば横漏れもなくて、おしっこをちゃんと回収できるんですよぉ。こっちの方がずっとリサイクル指向なんですぅ。――それともお姉ちゃまは貴重な水分を回収しなくてもいいとか思ってるんですか?」
 最後の方は詰問するようなミウの口調だった。
「う、ううん。私だって水がどれだけ貴重なのか、それは知ってるわよ。だけど、回収方法をもう少し考えてほしかったなぁと……」
 いつのまにか、たじたじになってしまうヨーコ。赤ん坊でもないのにおむつをあてられて、そのおむつが濡れているとわかると、ついつい弱気になってしまうものだ。それに、ミウの言うことも理に適ってはいるのだ。
「いいじゃないですか、そんなに恥ずかしがらなくてもぉ。もう何度もおむつを取り替えてあげたんだからぁ」
 ヨーコの恥ずかしがりようが面白いのか、ミウはくすっと笑った。
「おむつを何度も取り替えた……?」
 顔を伏せて、上目遣いにヨーコはミウの言葉を繰り返した。
「だってぇ、出発して24時間後には人工冬眠に入ったんですよぉ。それから今まで37日も経ってるんだものぉ」
 ミウは航法コンピューターのディスプレイを指さした。ディスプレイの片隅に、出発からの経過時間が表示されている。数字は3319700を示して、更に増え続けている。これが出発から現在までの秒数だ。日数に換算すると約38日。新陳代謝を最低レベルまで下げているとしても、1日に1度は排泄行為があるから、これまでヨーコはミウの手で30回以上おむつを取り替えてもらったことになる。
 確かに理屈ではそうなる。
 そうなるのだが、ヨーコの感情はその事実を否定するのに躍起だ。
 けれど、下腹部から伝わってくるじとっとした感触は本当だった。
「あ、おむつだけじゃないんですよぉ、私がお姉ちゃまに着せてあげたのは。資材倉庫の材料を使って私が手縫いで作った可愛いお洋服も着せてあげたんですぅ。だって、おむつに銀色のスペーススーツなんてちっとも似合わないんだからぁ」
 こわばったヨーコの表情をほぐすみたいに明るい口調で言って、ミウは大きな姿見の鏡を運んできた(宇宙船にそんな物を積んでいる必要性があるのかなんて、深く考えてはいけない)。



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