CETI 〜宇宙鯨の声が聞こえる〜



 あまりの羞恥のためか、ヨーコはミウの体にしがみつくみたいにして、乳房に顔を埋めてしまう。
「いいのよ、ヨーコちゃん。たっぷりおむつを濡らしていいのよ。ヨーコちゃんはまだおむつの外れない赤ちゃんなんだから。お姉たまがいないと何もできない小っちゃな妹なんだから」
 ミウはヨーコのお尻を優しくさすり続けた。

 しばらくして、ヨーコの下腹部から絶え間なく続いていた小川のせせらぎのような音が聞こえなくなった。
「出ちゃったのね、ヨーコちゃん?」
 ミウは改めて右手をヨーコのおむつカバーの中に差し入れた。さっきはじっとり湿っていた布おむつが、今はぐっしょり濡れていた。
「ヨーコ、おむつ汚しちゃったんだ……赤ちゃんじゃないのに、ヨーコ、おしっこでおむつ濡らしちゃったんだ……おねむじゃないのに、ちゃんとおっきしてるのに、おもらしでおむつ汚しちゃったんだ……」
 ミウの乳首を口にふくんだまま、ヨーコは、どこか幼児めいた口調で何度も呟いた。唇の端から母乳の雫が滴り落ちる。
「ヨーコちゃんは赤ちゃんなのよ。おっぱいを飲みながらおむつを汚しちゃう子は赤ちゃんなのよ。今からヨーコちゃんは赤ちゃんなのよ」
 ミウは涎掛けの端でヨーコの頬と顎を拭きながら暗示力の強い声であやすように囁いてから、
「さ、今度こそおむつを取り替えようね。このままじゃ風邪をひいちゃうもの」
と言って乳首をヨーコの口から引き離した。
 「や。ぱいぱいがいいの。ヨーコ、お姉たまのぱいぱいがいいの」
 唇がミウの乳首から離れた途端、ヨーコが両手を伸ばしてミウの体にすがりつく。その仕種は幼児そのままだった。
「そうね、ヨーコちゃんはおっぱいがいいのね。でも、もう駄目なの。飲み過ぎると体に良くないから、もうおしまいなのよ」
 ヨーコの手をそっと押さえつけて、ミウは手早くブラを元に戻し、ブラウスのボタンを留めて純白のエプロンを身に着けた。ヨーコの体調を管理する《母性》の厳しさの発露だった。
 それでも、尚もヨーコはミウの乳房を求めて唇を開き、両手を差し伸べる。
「困った子ね、ヨーコちゃんは。じゃ、これを咥えておくといいわ。これならお口がさびしくないでしょう?」
 ミウはエプロンのポケットからオシャブリを取り出してヨーコの口にふくませた。
 早速ヨーコはゴムの乳首を咥えて力いっぱい吸い始める。
「そうよ、それでいいのよ。それならおっぱいの飲み過ぎにならないからずっと吸っていていいわ。それと、お手々がさびしいなら、これを持っているといいわ」
 ミウはもう一つのポケットからプラスチック製のガラガラを取り出してヨーコの手に握らせた。
 ヨーコが手を動かすたびに、宇宙船の乾いた空気に、からころと軽やかな音が鳴り渡る。
「そのままちょっとだけ待っててね。すぐだからね」
 ミウはキャビンの床にヨーコの体を横たえさせて、冬眠ポッドのすぐそばに置いてあるバスケットを手許に引き寄せた。バスケットの中には、新しい布おむつや着替えのベビードレスなどがきちんとたたんで収納してあった。
 ヨーコがおとなしくガラガラで遊び始めたのを確認すると、ミウはロンパースの股間に並んでいるホックを一つずつ丁寧に外し始めた。
 5つのホックを残らず外してお尻を包んでいた生地を大きく開くと、ピンクのおむつカバーが現れる。
 ミウの指がおむつカバーの腰紐に触れたかと思うと、固い結び目を手早く解いてしまう。
 キャビンの中に、マジックテープを剥がす音が響き渡った。
 ミウの手がおむつカバーの前当てと横羽根を開くと、ヨーコのおしっこをたっぷり吸って重そうに濡れた水玉模様の布おむつがあらわになる。まだ殆ど冷えていないおむつからは、ほのかに湯気が立ちのぼっていた。
「あらあら、ぐっしょりだこと。たくさんおしっこ出たのね、ヨーコちゃん」
 言いながらミウはヨーコの両足の足首を揃えて右手で掴むと、そのまま高々と差し上げて、左手で布おむつをヨーコの肌から剥ぎ取り始めた。
 ほどなく、微かなシミになった布おむつがおむつカバーの前当てと横羽根の上に重ねて広げられてしまう。
 ヨーコは、すっかり下腹部をミウの目にさらした格好でキャビンの床に横たわっている。そうして、その下腹部は。
「頭を上げて自分のお股を見てごらん。ヨーコちゃんのここ、赤ちゃんと同じにしておいてあげたのよ。ヨーコちゃんが人工冬眠に入ってすぐ、最初のおむつをあてる前に。効き目の強い脱毛クリームを使ったから、もう二度と生えてこない筈よ。でも、いいわよね? ヨーコちゃんは赤ちゃんになっちゃったんだもの」
 ミウに言われるまま、ヨーコは床に寝転んだまま首を持ち上げた。地球の10分の1しか重力がないから、さほど力も要らない。
 自分の下腹部に目をやった途端、ヨーコの頬に朱が差した。ヨーコの下腹部は無毛だった。ミウが「赤ちゃんと同じにしておいた」と言った言葉そのままに、1本の飾り毛も無い、童女のような下腹部になっていた。幼児退行を始めているヨーコの目にも、それはあまりに羞恥に満ちた光景だった。
「本当にヨーコちゃんのお肌、すべすべのつるつるなのね。本当の赤ちゃんみたいなこのお肌がおむつかぶれで荒れちゃ可哀想だから、ずっとおむつかぶれのお薬を塗ってあげていたのよ。お薬を塗るのにヘアが邪魔になるから前もって処置してあげたんだけど、本当、そうしておいてよかったわ」
 ミウは、ヨーコの内腿につっと指先を走らせた。
 ヨーコの体と腕がびくっと震えて、ガラガラの軽やかな音がキャビンの空気を優しく震わせる。
 頬を赤らめたまま、ヨーコは頭を床の上に戻した。盛んにおしゃぶりを吸うくちゅくちゅいう音がミウの耳に届く。
 その音を聞きながらミウは濡れたおむつを手許にたぐり寄せて、あらかじめ用意しておいたポリバケツに放り込んだ。――ううん、正確に言うと、それはポリバケツなんかじゃない。見た目はどこにもありそうな何の変哲もない安物のポリバケツだけれど、実は、最新のハイテクを凝らして作製されたリサイクル装置なのだ。濡れたおむつを放り込むと、このポリバケツ(に見えるリサイクル装置)はただちに作動して、まず、おむつが吸ったおしっこの成分を分析する。おしっこに含まれる蛋白や糖、様々なミネラル類の含有率を即座に分析して、おしっこを排泄した人間の体調を解析するのだ。次に、瞬間的におむつをフリーズドライして、おむつに吸収されたおしっこの水分だけを回収する。この方法だと、1つのプロセスでおしっこがたちどころに純水に改質されるから、大がかりな濾過装置は不要になる。しかも、その後、汚れの元になる蛋白質や匂いの元になるアンモニアなどを酵素の働きで分解してしまうという、まさに優れ物なのだ。そんな便利なポータブル式ハイテクリサイクル装置なのに、今なら同じ物がもう1つオマケに付いて9800クレジットというお買い得品である。ただし先着500人様に限らせていただきますという限定品なのだが、心配はいらない。1ケ月もすれば、今度は3つセットで9800クレジットという究極のお買い得情報と一緒に再び販売されることだろう。
「本当に助かるわ。奈緒お兄様が『こんなこともあろうかと』言ってこのリサイクルバケツを搭載してくれたおかげで、ヨーコちゃんがどんなにおむつを汚しても干す場所に困らないもの。本当はお日様の光でほこほこに乾かしたいんだけど、OMUにはベランダも物干し場も無いんだものね。今度、SSDOの設計室にお願いしておかなきゃいけないわね」
 ポリバケツ型リサイクル装置が作動し始めたのを確認して、笑顔でミウは頷いた。初めて全自動洗濯機を使った時の主婦のような嬉しそうな笑顔だった。
 それからミウは、バスケットの中から新しい布おむつを掴み上げてヨーコのお尻の下に敷き込んだ。
「あん……」
 新しい布おむつのふかふかした感触に、思わずヨーコの口から喘ぎ声が漏れ出る。
「気持ちいいでしょう、ヨーコちゃん? ヨーコちゃんはもうすっかりおむつが好きになっちゃったのよね?」
 股当てのおむつをヨーコの両脚の間を通してお腹の上に重ねながらミウは言った。
 それに対して、ヨーコは目の下をピンクに染めただけで何も応えられないでいる。これまでのぐっしょり濡れたおむつに比べれば新しいおむつが気持ちいいのは当たり前だけど、それだけが理由ではなかった。おむつをあてていればミウに甘え続けられる。地球から想像を絶する距離に隔てられた虚無の空間で寂しさから逃れられる。そう思うと、おむつが嫌いだとは言えなかった。このまま赤ちゃんになってミウの温かい胸に抱いてもらえるなら……。
「いいわよ。言わなくても、ヨーコちゃんがおむつを好きになっちゃったこと、お姉たまはちゃんと知ってるから。おむつとおっぱいが大好きな赤ちゃんだものね、ヨーコちゃんは」
 新しいおむつをあてる手を止めることなく、ミウはにこっと微笑みかけた。
 恥ずかしそうにしながら、それでもヨーコがこくんと頷いた。何かを試すみたいに、そっと右手を振る。からころという音が小さな波紋になってキャビンの中に広がる。
「さ、できた。これでまたいつおもらししてもいいわよ」
 ガラガラの音が消えるのと、ミウがそう言ってヨーコのお尻をぽんと叩くのとが同時だった。
「さ、立っちしようね」
 ミウがヨーコの両手を引いてその場に立ち上がらせた。けれど、0.1Gという小さな重力しかない中、勢い余ってヨーコの体が一瞬宙に浮いてしまう。慌ててヨーコは足を踏ん張ったものの、おぼつかない足取りになってしまう。
「あらあら、あんよもまだ上手じゃなかったのね、ヨーコちゃんは。でも、そんなヨーコちゃん、本当に可愛いわよ」
 今座はうまく力を調整して、ミウはヨーコの体をきゅっと抱きしめて頬ずりをした。
 ヨーコの顔にも、満更でもなさそうな表情が浮かぶ。

 突然、柄の悪そうな中年男のダミ声が聞こえてきたのはその直後のことだった。
「くぉらくぉら、おんどれら! いつまでワシを待たしたら気がすむんじゃ、くぉら!」
 ミウとヨーコは思わず顔を見合わせた。
 それから、おそるおそる、声のする方を振り返る。
 二人の目の前で、ディスプレイを真っ赤にして通信装置が喚いていた。
「さっきからCETIやCETIや言うて教えたっとんのに、二人でじゃれおうてワシのことを無視するっちゅうのんはどういう了見やねん。ええ加減にせぇよ、おんどれら!」



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