CETI 〜宇宙鯨の声が聞こえる〜



「え〜ん、怖いよぉ、お姉たまぁ」
 咥えていたオシャブリを床に落とし、手に持っていたガラガラを放り出して、今にも泣き出しそうな顔でヨーコがミウの背後に隠れた。
「こらこら。可愛いヨーコちゃんが怖がってるじゃないの。あんた、もうちょっとまともな喋り方ができないの」
 ヨーコを庇うように両手を広げて、ミウは通信装置に向かって気色ばんだ。ミウとヨーコ、いつのまにかすっかり言葉遣いも逆転してしまっている。
「じゃかましわい。ワシはF通の明石工場で生産された通信装置やから関西弁がデフォルトの音声フォントになっとるんじゃ。元々こぉゆぅ喋り方なんじゃい。モンクあるんか、おんどれ」
 通信装置は、ふんと鼻で笑った。
「でも、それにしても、もう少しなんとかなりそうなもんじゃない」
 ミウは通信装置のすぐ前に立つと、ディスプレイに指先を押し当てた。タッチパネルになっているディスプレイにデスクトップが表示された。
 ミウはデスクトップの[マイ通信装置]のアイコンに指を押し当て、[コントロールパネル]から[音声フォント]を選んだ。
「本当に日本語:関西系の音声フォントセットしかインストールされてないのね、この通信装置は。日本語でもいいから、せめてStandardくらいは欲しいのに」
 表示された音声フォントの一覧をざっと眺めて呆れたようにミウは呟いた。
「仕方ない、これで我慢しましょう」
 ミウはリストからNippon:Kansai:Kyoto(female)を選んで[適用]ボタンを押した。
 と、『新しい設定を有効にするには通信装置の再起動が必要です。今すぐ再起動しますか? [はい][いいえ]』というメッセージを表示したダイアログボックスが現れる。ミウは迷わず[はい]を押した。
 画面が一瞬ブラックアウトして、ピポッという電子音が響き、メモリーチェックが始まった。
 そうしてしばらくすると、旗がはためくようなロゴが表示された後、ようやく再びデスクトップが現れる。
「やれやれ、本当にSSDOもいつまでこんなOSを載せた通信装置を使うつもりなんだろう。観測中にブルースクリーンが出たりしたら一番困るのが現場だってこと、偉い人たちは知らないんじゃないかしら」
 誰にともなくどんよりした顔で呟くミウ。今この時、ミウの呟きに共感する者は地球上にも少なくないだろう。
「あれまぁ、可愛らしいお嬢ちゃんが二人、うちのことをじっと見たりして。そない見つめられたら恥ずかしおすえ」
 不意に、新しい音声フォントで通信装置が喋り出した。今度のは関西弁は関西弁でも京都地域の女性のセットだから、これまでのNippon:Kansai:Kawachi(male/middle age)に比べればずっとマシだ。
「ち、ちょっと待ってよ。お嬢ちゃんが二人って……私たちが誰なのか、わかってないの?」
 慌ててミウが訊き返す。
「へ? ひょっとしたら、うちがよぉ知っとうお人どすか? ちょっと待っとおくれやっしゃ」
 そう言って、通信装置はCCDカメラのアームをミウとヨーコに近づけた。
 しばらく考え込む気配。
 そうして、ようやく。
「あ、艦長はんとミウはんどしたんやなぁ。まぁまぁ、うちとしたことがとんだことで。きつうきつう堪忍え」
 しきりに謝る通信装置。
「なんや知らんけど、音声フォントの設定を変更するたんびに、レジストリ領域がちょっとワヤになる時があるんどす。そのせいで、お二人のお顔を思い出すのんに難儀してしもぉて。――いいえぇな、バグやおへんのどすえ。決して、バグなんかやおへん。これは、まぁ、仕様どすなぁ」
 あっけらかんとした言い訳だった。
 人しれず溜め息をつくミウ。
「……ま、いいわ。CETIの話に戻しましょう。CETIらしき信号を受信したのはいつのことなの?」
「へぇ、あれは確か3時間ほど前のことどしたかいな。基地との定時連絡の他にすることもおまへんよって、全部のアンテナから入ってくる電磁波をみんな分析しとったんどす。最初はノイズとかビッグバンの名残の背景輻射しか無かったんどすけど、急に強力な電波が入ってきたんどす。周波数は38.38ギガヘルツで、他のノイズなんか比べもんにならへんような強い電波どす。基地からの定時連絡の電波よりも強力な電波どす」
 OMUの通信装置は、太陽を巡る軌道に乗る前から、機器のチェックも兼ねて、受信する電磁波を残らず解析するようにプログラムされている。ただし、加速中は、加速による応力がかかって破壊の恐れがあるため、本来のパラボラアンテナを展開することはできない。そのせいで、使えるアンテナは、申し訳程度に船外に突き出した、感度が良いとはいえない小型のアンテナだけだ。そんなアンテナで『定時連絡の電波よりも強力な』電磁波を受信したというのだ。それだけでも、ただごとではないのがわかる。
「受信開始からきっちり1時間、うちはその電波の解析を続けたんどす。そぉしたら、解析したらするほど、奇妙なことがわかってきたんどす」
 まるで秘密を打ち明けるみたいに通信装置は声をひそめた。
「奇妙なこと?」
 ミウは先を急がせた。
「1時間に渡って受信を続けとぉ間、ちっとも周波数が変化しまへんのどす。それも、安定しとるだけやなしに、ドップラーシフトも観測されへんかったんどすえ」
「ドップラーシフトが観測されなかったですって? それって、つまり、その電波の発信源とOMUが完全に同じ速度で航行を続けているってことよね。でも、今、このOMUは光速の1パーセント以上の速度を出してるし、その上、まだ加速を続けてるのよ。――加速までシンクロさせてるっていうの、その発信源は」
 ミウの顔に驚きの表情が浮かんだ。
「そういうことどす。しかも、その電波には有意味信号が含まれとぉみたいどす。意図されたとしか思われへんような振幅変調がかかってるんどすえ」
「……わかった。そこまで状況が揃っちゃえばCETIだと判断するしかないわよね」
 ミウは納得したように小さく頷いた。
「そうどす。そやからCETIやいうて教えてあげたのに、二人してじゃれおうてしもてからに。うちがCETIやいうてから、もう2時間も経ってしもとるんどすえ」
 なじるみたいな通信装置の口調だった。
「そ、それで、発信源の位置は特定できてるの?」
 通信装置に叱られたミウは、ばつのわるそうな顔をして慌てて話題をそらした。
「方位は6時の方向、つまり、本船の真後ろどす。けど、距離はわかりまへん。三角測量をしよかいなと思たんどすけど、観測子機の使用には艦長はんの許可が要りまっさかい」
 通信装置はCCDカメラをヨーコの方に向けた。
 つられて、ミウもヨーコの方に振り返る。
 ヨーコは、ミウと通信装置との会話にこれっぽっちの興味もしめさずに、とっても退屈そうにしていた。まるで、大人どうしの井戸端会議に付き合わされて所在なげに立ちすくんでいる幼児みたいに。
 そんなヨーコの頭をミウはそっと撫でて、あやすみたいに言った。
「じゃ、ヨーコちゃん。観測子機を使うよう通信装置さんにお願いしてちょうだい。ヨーコちゃんはいい子だもの、ちゃんとお願いできるよね?」
「うん、ヨーコ、いい子だよ」
 ようやくミウが自分の方を見てくれたことに顔を輝かせて、ヨーコはミウの言葉を真似て言った。
「観測子機を使ってください。お願いします、通信装置たん」
「そうそう、お上手よ、ヨーコちゃん」
 幼い我が子のピアノ発表会を見守る母親みたいにミウが手を叩く。
「へぇへぇ、わかりました。こない可愛らしい艦長はんにお願いされてしもたら断るわけにいきまへんわなぁ。ほな、観測子機を射出しますえ。ちょっと揺れるかもしれまへんけど堪忍しとくれやっしゃ」
 通信装置が言って待つほどもなく、OMU−1の船体が微かに揺れた。電磁カタパルトで観測子機・Maakun(Measuring Asistance Automaticaly Kinetic UNit)を射出した反動だ。
 MaakunはメインのイオンエンジンをふかしてOMU−1と同じ方向に加速を続けつつ、射出の初速をバーニヤで制御しながら、48秒後にOMU−1の右舷100キロメートルの位置につけた。
「観測子機・Maakun、無事に軌道に乗ったみたいどす。ほな、今から本船とMaakunとで三角測量を始めますえ」
 通信装置のディスプレイに、めまぐるしく変化する波のような図形が現れた。その波のピークの幾つかに矢印が重なって表示される。
 振幅変調された電波の幾つかのピークをマーカーとし、そのマーカーがOMU−1に届いた時刻とMaakunに届いた時刻との差を精密に割り出して距離を特定する、古典的だが信頼性の高い測量方法だ。
「発信源と本船との距離は約30万キロメートル。方位は変化してまへん」
 通信装置が測量結果を告げた。
「30万キロメートル。ざっと、地球と月との距離ね」
 何か考え込むような表情でミウが呟いた。
「光学センサーはどうなの? その位置に何か見えない」
「すんまへん。光学系は、たいしたもんを積んでないんどす。今、4インチ高精細CCDを向けてみたんどすけど、輪郭もはっきりしまへんわ。ただ、なんや、妙な屈折光が観測されましたけど」
「妙な屈折光?」
「そうどす。本船の真後ろ、発信源と重なって見える筈の星が、なんや奇妙な感じでぼやけて見えるんどす。どない言うたらええやろ、ええと――ああ、そうそう、重力レンズ効果。これ、確かに、重力レンズ効果で屈折した光像ですわ。間違いおへん」
 通信装置は断言した。
「重力レンズ効果ですって? じゃ、その発信源、よほど大きな質量を持ってるっていうの?」
 どこか信じられない面もちでミウが訊き返した。
「けど、おかしおすなぁ。重力波センサーには異状が見当たりまへん。重力レンズ効果を引き起こすような大質量やったら絶対にひっかかる筈どすのになぁ」
 ミウの問いかけに通信装置が自信なげに応えた。
「あんた、正体不明の電波に有意味信号が含まれてるって言ったわよね。再生できる?」
 ふと思い出してミウが言った。
「へぇ、単純な変調方式ですよって、すぐにできますえ。再生しまひょか?」
「うん、お願い」
「ほな、始めますえ」
 通信装置が言った直後、キャビンの中を大音量が満たした。

 ちゃらら〜らら、ちゃららららぁら〜

 どういうわけか、人間の食欲を増進させるような音色だった。思わずヨーコが物欲しそうにぱくぱくと口を動かしたりしている。
「なんだろう、どこかで聞き憶えのあるような音なんだけど……」
 ミウは首をかしげた。
 通信装置も自分のデータベースを検索し始めたが、結果は虚しかった。
「すんまへん。今回のミッションと直接関係の無い情報はストックしてないみたいどす。堪忍え」
「いいわ、あんたのせいじゃない。でも、これで決心がついた。こうなったら、正体を探るために直接コンタクトを試みることにするわ」
 ミウはキャビンの天井を振り仰いだ。



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