CETI 〜宇宙鯨の声が聞こえる〜



「もちろん、ヨーコちゃんも一緒に行くよね?」
 ミウは勝手に決めつけた。
「お出かけするの?」
 詳しいことはわからないまま、ヨーコはミウの顔を見上げて言った。
「そうよ、お出かけするのよ」
 ミウが笑顔で応える。
「わ〜い、お出かけお出かけ。お姉たまと一緒にお出かけだ〜い」
 嬉しそうに両手を振り上げるヨーコ。けれど、すぐに不安そうな顔になってミウに問いかける。
「やっばり、おやつは500クレジットまでしかダメなの? それとね、バナナはおやつなの、それとも、お弁当箱に入ってればおかずなの? あとね、水筒にジュース入れていってもいい?」
 これ以上はないくらい真剣で不安げな顔つきだった。
「ダメよ、ヨーコちゃん。おやつは一つも持ってっちゃダメだし、バナナもダメだし、ジュースもダメなの」
 母親の厳しい表情で言い聞かせるミウ。
「え〜ん。お姉たまが意地悪だよ〜」
 ヨーコはぷっと頬を膨らませた。
「我慢なさい。でも、ちゃんとお姉たまの言いつけを聞いてくれたらおっぱいをあげる。それならいいでしょう?」
 ミウはヨーコの目の前に胸を突き出してみせた。
「うん。それならヨーコ、おやつ我慢する。ヨーコ、いい子?」
 上目遣いでヨーコは言った。
「いい子よ。ヨーコちゃんはとってもいい子だわ。じゃ、お出かけの用意をしようね」
 もういちどヨーコの頭を撫でてから、ミウは着替えの入ったバスケットから銀色に輝くスペーススーツを掴み上げた。
 けれど、オリジンのままのスペーススーツではない。人工冬眠に入ったヨーコの体から脱がせたスペーススーツを、裁縫が得意なミウが仕立て直したのだ。胸元やお尻にフリフリの飾りレースをあしらったり袖口やヘルメットの付け根をフリルにしたりして、赤ん坊が着るコンビドレスみたいにリフォームしてある。
「はい、お手々を上げて。そうそう、お上手よ、ヨーコちゃん」
 ミウは手早くヨーコにコンビドレス型のスペーススーツを着せて背中のファスナーを引き上げた。スーツの手袋はミトンになっていて、自由に指を動かせない。
「うふふ、お似合いよ、ヨーコちゃん。ロンパースの上にスペーススーツだから少し窮屈だと思うけど我慢してね。あ、そうそう。ヘルメットの中で髪が乱れるといけないからちゃんとしておこうね」
 スペーススーツの具合を確認してから、ミウはヨーコの髪を整えた。いかにも幼児めいたツインテールの髪型だ。テールを結ぶリボンはおむつカバーの生地と同じピンクだった。
「うん、これでいいわ。ヨーコちゃんがいい子だったご褒美に、抱っこしてあげる」
 ミウはヨーコの体を軽々と抱き上げてハッチをくぐった。行く先は、もちろん、緊急連絡艇の格納庫だ。

 SSDOの標準連絡艇であるM1型スペースクルーザーに幾つかの改造を施してパワーアップしたM2型緊急連絡艇の外側ハッチをくぐり、エアロックを抜けて内側ハッチの中に入ると、お世辞にも広いとは言えないキャビンになっている。
 ミウは副操縦士のシートにヨーコを座らせた。
 すっかり幼児退行しながらも本来のアストロノートの血が騒ぐのか、ヨーコが目の前のパネルに触ろうとする。
「ダメよ、ヨーコちゃん。これはオモチャじゃないからヨーコちゃんが触っちゃダメなの。ヨーコちゃんのオモチャはこっちよ」
 ヨーコが放り投げたのを拾ってきたのだろう、ミウはヨーコの手にガラガラを握らせた。指が自由にならないミトンだけれど、両手で抱えるようにして持てば落とすこともない。
 ヨーコが嬉しそうにガラガラを振っている間にミウはヨーコの体をシートベルトで厳重に固定してしまった。加速中に間違ってシートから転げ落ちないようにという配慮もあるが、どちらかというと、ヨーコが勝手に操縦装置に触らないようにするという目的の方が主だ。あの凛々しかったスペーステクノクラートの面影は今のヨーコには微塵も見当たらなかった。今ここにいるのは、母性溢れるアシストロボ・ミウがいないと何もできない幼くて可愛らしいヨーコちゃんだった。
「うん、これでいいかな。OMUに物干し場を増設してくれるよう設計室に申請する時、連絡艇にチャイルドシートを付けてくれるよう一緒にお願いしようかしら」
 シートベルトのハーネスの具合を入念にチェックしながら呟いた後、ミウは主操縦士のシートについた。しかし、パネルに触れるわけではない。ミウがしたのは、耳朶から伸ばしたケーブルの先端をパネルの隅にある接続端子に差し込むことだけだった。
 けれど、これで発進準備は完了していた。人間とは違って、ミウは連絡艇の航法コンピューターと自分自身とを直結することができる。パネルを操作するといった手間をかけることなく、連絡艇を直接コントロールできるのだ。
「発進後、3G加速を350秒持続。その後、慣性航行に移ってから艇を反転。慣性航行の後、3Gで減速。発進から約3600秒後に電波発信源と並走状態に入る。その後、0.1Gの加速を開始、発信源との並走状態を維持しつつOMU−1に追随する」
 誰に聞かせるわけではないが、ミウは律儀に航行スケジュールを声に出して確認した。
 そして、カウントダウンも不要とばかりに
「進路クリア。ヨーコ、ミウ、M2、行っきまーす」
と叫んでM2型緊急連絡艇を発進させる。
 OMUのイオンエンジンとはまるで違う力強い加速が二人の体をシートに押しつけた。ヨーコが握りしめているガラガラが一度だけ音をたてたが、すぐに静寂が戻ってくる。ガラガラの中に入っている玉が加速のために1ケ所に押し付けられたまま動けなくなってしまったためだ。
 M2型連絡艇に搭載されている核融合エンジンは、噴射ノズルの中央に射出したトリチウム・ヘリウム複合ペレットに何本もの高出力レーザーを集中することで一瞬のうちに爆縮し、核融合反応を起こして、その爆発的なエネルギーを噴射ノズルの内側に張り巡らせた電磁シールドで受け止めることによって推進力に転化する仕組みになっている。質量の小さなイオンを電磁力で噴射することで推進力とするイオンエンジンとは比べ物にならない強力なパワーを発生することができるのだ。ただ、核融合反応に伴って発生する中性子から乗務員を保護するための吸収材がかなりの重量と容量になるため、搭載できるペレットの量が制限されて、実用的な加速を保持できる時間が限られてしまうという欠点がある。それでも、30万キロメートル程度の距離なら余裕だ。

 航行スケジュール通り、発進から3600秒後、M2型緊急連絡艇が最後の減速を終え、OMU−1を追尾するための加速に移った。
「データが確かなら、連絡艇は電波発信源と40キロメートルの距離を保って並走している筈。ここからなら何か見えるかもしれないわね」
 ミウは連絡艇のコンピューターに指示を送ってキャビン内のディスプレイに外の光景を映し出させた。連絡艇には窓が無く、外の景色は、キャビンの天井から壁まで全面を覆ったフレキシブルディスプレイに表示するようになっている。
 ミウは、発信源がある筈の右舷のディスプレイに目をやった。
 何かがちかっと光ったような気がする。
 ミウは、そのあたりを中心に光景をズームしていった。
 やがて、明らかに普通の天体ではない物の姿がディスプレイいっぱいに映し出された。
 それは、ラーメンの屋台の形をしていた。
 それも、人間が引っ張って歩く型の屋台ではなく、軽トラックを改造して造った屋台の形だった。
 屋台の屋根には『鯨屋』と書いたカンバンが掲げてあって、ネオンサインみたいにちかちか光っていた。
 屋台のすぐ後ろには、『駐車場あります』と書いた立て看板さえ置いてある。
 ぎょっとしたような顔でミウが目を凝らす中、屋台の暖簾をかき分けて初老の男性が姿を現したかと思うと、おいでおいでというふうに手招きを始めた。



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