ママは同級生



「ち、ちょっと待ってよ、それって……」
 硬い声で茜は言いかけたが、プラスチック製のスプーンで食べ物を口に押しつけられてしまい、それ以上は続けられない。
 それでも茜は何かを訴えようとして首を振った。そのせいで、美也子が支え持つスプーンから食べ物がこぼれ落ち、茜の口の周りと顎を汚してしまう。
「ご飯の時にはおとなしく食べないと駄目でしょ、茜ちゃん。あまりお転婆が続くようだと、めっよ」
 中身が半分ほどこぼれてしまったスプーンを手元に引き寄せながら、美也子はたしなめた。
「だって、それって、赤ちゃんの食器でしょ? スプーンだって小さな子供が使うプラスチックのだし、だいいち、食べ物は離乳食なんじゃないの。そんなの、私、食べられない」
 野菜のペーストだろうか、唇のまわりにべとっとまとわりつく感触に妙な羞恥を覚えながら茜は再び首を振った。
「あら、何を言ってるの、茜ちゃんてば。茜ちゃんは赤ちゃんだから、赤ちゃんの食器で赤ちゃんの離乳食を食べさせてあげてるのよ。それがどうして嫌なのかしら?」
 美也子はわざと不思議そうな顔をして訊き返した。
「赤ちゃんじゃない。私、赤ちゃんなんかじゃ……」
 再び茜の抗弁が途中で遮られた。今度は美也子がガーゼのハンカチを茜の口に押し当てたからだ。
「何を言ってるの。茜ちゃんは赤ちゃんですよ。自分じゃ着替えもできないし、毎晩おむつだし、ほら、せっかくママが食べさせてあげているご飯も上手に食べられなくてお口のまわりをべとべとにしちゃって。こんなに手のかかる、一人じゃ何もできない子が赤ちゃんじゃなくて何だっていうの。――はい、できた。お口の周り、きれいきれいしてあげたから、ちゃんとおとなしくしてご飯を食べましょうね。ほら、スヌーピーの絵が付いた可愛い食器に、キティちゃんのスプーンよ。さっきは野菜のペーストだったけど、次は魚のゼリー寄せがいいわね。上手に食べられるかな、赤ちゃんの茜ちゃんは」
 茜の口の周りを綺麗にぬぐい取ったガーゼのハンカチをもういちどスプーンに持ち替えて、美也子は、可愛らしいイラストの付いた食器から、見るからに柔らかそうな離乳食を掬い取った。
「やめてよ、そんな、本当に赤ちゃんに言うみたいな言い方。私は高校生なんだから!」
 とうとう業を煮やしたのか、茜が語気を荒げた。
 それに対して美也子は落ち着き払った様子で、ジーンズのポケットから携帯電話を取り出すと、茜に画面を見せながらボタンを操作し始めた。
「そんなに言うなら、いい物を見せてあげる。ほら、これでも茜ちゃんは自分が赤ちゃんじゃないって言い張るのかしら。――ほら、これも、それに、こんな写真もあるんだけど」
 美也子がボタンを操作するたびに携帯電話の画面に映し出される何枚もの写真。最初は、茜が美也子から口移しでミルクを飲ませてもらっている写真だった。次は同じシーンで、茜の唇から白いミルクが細い条になって溢れ出し、シーツに小さな滲みをつくっているところがアップになっていた。3枚目は、掛布団が捲り上げてあって、茜の下半身が丸見えになっている写真。4枚目は、ベビードールのボトムを少しずりおろし、ギャザーの隙間から美也子が紙おむつの中に手を差し入れている写真。5枚目は、悪寒から逃れようとして茜が美也子の体にしがみついている写真。美也子が自分で自分の姿も一緒に写し込もうとして撮影した写真だから、どれも少しばかりアングルが不安定だ。けれど、どれもが、顔から火の出るほど羞恥に満ちたシーンの写真ばかりだった。
 そうして6枚目の写真を見せられた時、茜の息が止まった。6枚目の写真に写っているのは、美也子の体にすり寄り、大きく開いたブラウスの胸元に顔を埋めるようにして美也子の乳首を吸っている茜の姿だった。その次に映し出されたのは写真ではなく、動画の映像だった。6枚目の写真と同じシーンで、美也子の乳首を口にふくんだ茜が盛んに唇を動かしている様子が鮮明に記録されていた。大量の汗をかいた後でひどい悪寒に襲われたため、(口移しで飲ませてもらったミルクでは足りなかったのか)喉の渇きを癒すためと人肌のぬくもりを求めて無意識のうちにそんな行動を取ってしまったのだろうが、いくら意識してのことではないといっても、写真と動画映像を見る限りでは、茜の仕種は、母親に甘える赤ん坊そのものと言われても仕方のないものだった。
「どう? これでも茜ちゃんは赤ちゃんじゃないって言い張るつもり?」
 ゆっくりした動作で携帯電話をジーンズのポケットに戻した美也子は、僅かに首をかしげて言った。
 茜は何も言い返せない。
「あらあら、お返事はどうしたのかな? いい子はちゃんとお返事できる筈なんだけどな。ひょっとしたら茜ちゃん、悪い子なのかな。もしも悪い子だったら、パパが帰ってきたら叱ってもらわなきゃいけないわね。パパにこのお写真を見せて、茜ちゃんたらこんなに甘えんぼうさんなのに強情なところがあってママにお返事するのをいやがるのよって報告しなきゃいけないかしら」
 無言の茜に向かって、しれっと澄ました顔で美也子が言った。
 途端に茜の顔がこわばる。けれど、まだ口を閉ざしたままだ。
「パパに叱ってもらって、それから、学校が始まったらクラスのみんなにも写真を見てまらいましょうね。茜ちゃんは高校三年生だけど、お家じゃこんなに甘えんぼうさんなんですよ。ママのおっぱいを吸いながらじゃないとねんねできないんですよって。みんな、茜ちゃんのこと、可愛いって思ってくれるでしょうね」
 たたみかけるように美也子が続けた。
「そんな……そんなのって……」
 茜の口から呻き声が漏れた。
「パパに叱られるのがいやなら、ちゃんとお返事してちょうだい。お返事ができたら、パパには言いつけないであげるから。――茜ちゃんはママの可愛い赤ちゃん。そうよね?」 念を押すように美也子は言った。
「……」
「お返事はどうしたの、茜ちゃん?」
 美也子が容赦なく急きたてる。
「……あ、赤ちゃんです……」
 とうとう茜は今にも泣きだしそうな声で力なく応えた。
「誰が赤ちゃんなのかな?」
 ようやく口にした茜の返答に、尚も美也子は追い打ちをかける。
「……わ、私が……私が赤ちゃんです……」
 茜は震える声で言った。
「そう。茜ちゃんは赤ちゃんなのね? それで、茜ちゃんは誰の赤ちゃんなのかしら?」
 美也子の言葉による責め立ては更に続く。
「……美也子さんの……美也子さんの赤ちゃん……」
 よく注意していないと聞き取れないほど弱々しい声で茜が応える。
「あら、美也子さんじゃないでしょ? 親子なのに名前で呼ぶなんて変よね? もういちど訊くわよ。茜ちゃんは誰の赤ちゃんなのかな?」
 美也子には、茜を責める手を緩める気はまるでなさそうだ。
「……ママです。わ、私、ママの赤ちゃんです……もう許して。もう、これで許して、お願いだから」
 茜は力ない声を絞り出すようにして言った。
「許すも何も、ママは茜ちゃんにお返事の仕方を教えてあげただけよ。苛めてるんじゃないんだから、間違わないでね。ちゃんとお返事できるようになって、茜ちゃんは本当に聞き分けのいい子だわ。そんな素直な赤ちゃんの茜ちゃん、ママは大好きよ。さ、可愛い茜ちゃんにご飯の続きを食べさせてあげましょうね」
 さきほどまえのきつい調子とはうって変わって、美也子は穏やかな声で言い、悪戯めいた笑みを浮かべて続けた。
「でも、せっかくのご飯をこぼしちゃったわよね、さっきは。茜ちゃん、まだ離乳食にも早い小っちゃな赤ちゃんなのね、きっと。そんな小っちゃな赤ちゃんにはこっちの方がいいかしら」
 そう言いながら美也子は、エプロンの下に着ている純白のブラウスの胸元に右手を突っ込んだ。



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