ママは同級生



 美也子は、茜の下腹部を包み込む紙おむつのサイドステッチを両手でぴっと裂くと、茜の背中の下に右手を差し入れ、お尻を僅かに敷布団から浮かせるようにして、内側が黄色く染まった紙おむつを手前に引き寄せた。その手慣れた様子は、あるいは熱にうかされながら、あるいは悪寒に体を震わせながら何度も何度も茜がおむつを濡らすたびに新しいおむつに取り替えていたのだという事実を無言のうちに物語っていた。それから美也子は新しいタオルで茜の下腹部を綺麗に拭き、パフに掬い取ったベビーパウダーをはたいて茜の下腹部をうっすらと白く染めてゆく。
「あ、そうだ。ね、茜ちゃん、紙おむつは整理箪笥の引出に入っていたのでおしまいなのかな? それとも、どこかに他のパッケージが置いてあるの?」
 パフを持つ手を動かしながら、ふと思い出したように美也子が言った。
「え……? あ、あの、紙おむつは引出に入ってるので全部だけど……」
 自分で口にした『紙おむつ』という言葉に頬を赤くしながら、茜は蚊の鳴くような声で応えた。
「そうなの。じゃ、もう紙おむつの残りがないってことになるわけね。引出に残っていた紙おむつ、これが最後のだったのよ。だから、どこか別の所に置いてあるのかなと思ったんだけど」
 美也子はパフを動かす手を休めることなく言った。
「あ……」
 そう言われて、ようやく茜は紙おむつの残りが少なくなっていたことを思い出した。いつもなら新品の大きなパッケージが一つクローゼットに残るよう余裕をもって買い足しているのだが、美也子が家にやって来ることを前もって勇作から聞かされていたため、残りが少なくなっても新しいパッケージを買っていなかったのだ。まさか美也子が茜のおねしょ癖のことを知っているとは思わなかったから、嵩張る大きなパッケージを置いていたら何かの拍子にみつかってあれこれ詮索されるかもしれないと思って、パッケージから取り出して一枚ずつ下着の下に隠しておいた引出の分が少なくなっても買い足さずにいたのだった。
 茜の胸の中に様々な思いが浮かび上がってきては、それぞれに交錯し合った。紙おむつが残ってないなら、もうショーツを穿かせてもらえるかもしれない。あ、でも、そんなことをして夜のうちに布団を汚しちゃったら、今度こそどんなことをされるかわからないじゃない。でも、今から自分で紙おむつを買いに行くなんてできっこないし。じゃ、美也子さんに買ってきてもらうことになっちゃうのかしら。やだ、まさか。
 そんな胸の内を見透かすように美也子はしばらく茜の顔を眺め、ベビーパウダーのパフを容器に戻して蓋をすると、茜が想像もしていなかった言葉を口にした。
「いいわよ、心配しなくても。おじいちゃまとおばあちゃまからのプレゼントの中には、哺乳壜や食器の他に、おむつもあるの。いつも使っている紙おむつがなくなったのなら、ちょうどいいわ。今日から、新しいおむつにしましょう。――ほら、これよ。可愛いでしょ? あ、このおむつ、生地はおじいちゃまとおばあちゃまからのプレゼントだけど、ママが手縫いで仕上げたんだからね。勇作さんから預かった茜ちゃんの写真を見ながら、毎晩毎晩、心をこめて丁寧に縫ったのよ。だから、おじいちゃまとおばあちゃまとママからの、可愛い赤ちゃんの茜ちゃんへのプレゼントなのよ」
 美也子は『手縫い』というところを殊更に強調して言い、バスケットの中から布地を1枚、さっとつかみ上げて茜の顔の前で広げてみせた。長さが80センチちよっとに幅は35センチくらいだろうか、三色の水玉模様の生地を輪になるよう縫い上げたそれは、赤ん坊用に仕立てたものに比べれば幾らか大きいものの、ドビー織りの布おむつに他ならない。
「……そ、そんな……」
 驚きのあまり両目を大きく見開いたまま茜は言葉を失った。
 が、美也子の方は落ち着き払ったものだ。
「おじいちゃまがアパレル関係の会社を経営していることは茜ちゃんも知っているわよね? でも、具体的にどんな物を作って売っているのかはまだ説明してなかったっけ?」
 美也子は一見したところでは何の関係もなさそうな話を始めたが、呆気にとられた顔で茜が頷くのを見ると、悪戯めいた笑みを浮かべて続けた。
「おじいちゃまの会社はね、子供服とかベビーウェア、それにマタニティ関係のお洋服やインナーを作っているのよ。それと、関連会社を通じていろんな育児用品を仕入れて売ったり、おじいちゃまの会社で企画したいろいろな物を余所の工場に作ってもらって売ったりしているの。『アーバンキッズ』っていうブランド、茜ちゃんも何度かは聞いたこともあると思うし、デパートとかに直営店が入ってるのを見たことがあるんじゃないかな?」
 美也子は言葉を途切って茜に同意を求めた。
 茜は思わず頷いた。実際、『アーバンキッズ』といえば、育児とはまるで縁のない茜みたいな年頃の少女でも名前は知ってるくらいに全国的に有名な子供服・ベビーウェアのブランドだ。大手のデパートには間違いなくテナントとして入っているし、全国各地に郊外型大型店舗としても直営店が数多く進出している。美也子がそんな有名な企業グループを統括する経営者の娘だと知って、茜の驚きはいや増すばかりだ。
「だから、プレゼントの哺乳壜や食器は、おじいちゃまの会社のブランドよ。この布おむつの生地も、もちろんね。おばあちゃまが育児には絶対に布おむつがいいんだっていう考えの持ち主で、おじいちゃまの会社のお店でも、おむつは布が主流なの。そんなだから、布おむつ用にいろんな可愛い柄の生地がたくさん揃っているのよ。ほら、こんなに――」
 美也子はバスケットから何枚もの布おむつを次々につかみ上げては茜の目の前で広げてみせた。水玉模様でも最初のとは色違いのもあるし、模様のサイズが大小いろいろ混じっているのもあり、水玉模様の代わりに色とりどりのハート模様をあしらった柄のもあったりするし、動物柄にしても十種類を優に超えるというくらいに豊富な種類だ。
 育児用品売場などでそういった可愛らしい布おむつを選ぶとしたら、それはそれで楽しい時間を過ごすことができるだろう。けれど、美也子が次々に広げてみせるのは、普通の赤ん坊用の布おむつに比べて幅も長さも幾らか大きめに仕立ててあることからもわかる通り、茜が使わされることになる布おむつばかりなのだ。知り合いの出産祝いを選ぶ時のような楽しく華やいだ雰囲気などそこにはなく、茜はただひたすら羞恥と屈辱にまみれるばかりだった。そうして、その羞恥は、美也子が布おむつの次に或る物を広げてみせた時に絶頂を迎えた。
 ピンクのハート模様の布おむつの次に美也子が茜の目の前で広げてみせたのは、今ふうの赤ん坊用のおむつカバーをそのまま大きくしたような股おむつタイプのおむつカバーだった。それも、形だけでなく、前当てに小熊のアップリケがあしらってあるところや、幅の広いピンクのバイアステープで縁取りした二重股といったデザインまで本当に赤ん坊用のと同じになっているおむつカバーだった。
「茜ちゃんがおねしょに備えて紙おむつを使っているってパパから教えてもらった時、ママはすぐに、布おむつを縫ってあげようと思ったのよ。赤ちゃんを育てるのに紙おむつばかり使っているとおしっこが出ちゃった時の気持ち悪さがわからないから布おむつで育った子に比べるとおむつ離れが遅くなるかもしれないって話は茜ちゃんも聞いたことがあるでしょ? ひょっとしたら茜ちゃんがいつまでもおむつ離れできないのは、ずっと紙おむつを使っているせいかもしれないって思ったの。だから、私がママになったら手縫いの布おむつを使わせてあげようって。さっきも言った通りおばあちゃまも布おむつ派だから、縫い方をちゃんと教えてくれたのよ。それに、おじいちゃまが会社からたくさん生地を持って帰ってきてくれたしね」
 美也子いかにも楽しそうにそう語りかけながら、広げたおむつカバーの上に何枚もの布おむつをいそいそと敷き重ねて言った。
「はい、できた。さ、新しいおむつをあてましょうね。ふかふかの布おむつだから気持ちいいわよ。すぐに使えるよう前もって水通しもしておいたから肌触りも最高の筈よ」



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