ママは同級生



「ああ、そうだったわね。妹さん、たしか、この春から小学校だっけ」
 美也子は弥生に向かって軽く頷いた。
「はい、そうです。小学校なんですけど、これまでだと母がなかなか休みを取れなくて、入学式に出られるかどうかもわかりませんでした。それに、授業参観や学校のいろいろな行事に出られるかどうかも。子供をかかえた女の人が働けるところなんて限りがありますから、あまり強いことも言えなくて……でも、私、自分が味わった寂しさを妹には経験させたくなかったんです。だから、このお屋敷で働かせていただけることになって、本当に嬉しいんです。このお屋敷でいただくお給料を仕送りすれば、母もパートの働き先を減らすことができて、入学式や授業参観にも出られるようになりますから。旦那様や奥様、お嬢様には本当に感謝しています。どんな仕事でもさせていただきますから、どしどし言いつけてください」
 大柄な美也子よりも更に頭一つ背の高い弥生が、背中を丸くしてぺこりと頭を下げた。
「何を言っているの、中野さん。こちらも慈善事業であなたを雇ったんじゃないんだから、そんなに恐縮する必要はないのよ。うちに来てもらうことになった時に説明したように、あなたをメイドとして雇ったのは、会社を更に成長させるための先行投資としての意味合いもあるのよ。夫と私は、あなたが会社にとって必要な人材だと判断したから雇うことにした。そして、その対価をお給料として支払う。これはちゃんとしたビジネス上の取引なんだから、さ、頭を上げてちょうだい」
 京子は、哺乳壜が空になったことを確認し、茜に再びオシャブリを咥えさせてから弥生の方に向き直ると、慈母のように優しい顔で言った。
 実は、西村家に住み込みで働いているメイドは四人とも、まだ学生だ。ただし、気軽なアルバイトなどではない。四人が四人とも、それぞれの分野で際立った才能の持ち主なのだが家が貧しいため高等教育への途を諦めざるを得ない境遇に生まれついた者たちだった。あるいは高校を出てすぐ、あるいは中学校を卒業してすぐ、家計を助けるために勤めに出る定めにあった。そこに援助の手を差し伸べたのが美也子の両親だ。西村家では代々、社業を発展させるために必要になりそうな人材の発掘にはかなりの労力を割いていて、全国各地にある支社の人事担当者が毎日のように担当地域の中学校や高校を訪れては、様々な分野で煌めくような才能を持っていそうな学生がいないか目を光らせている。そして目についた学生が、経済的な理由などで進学が難しそうな場合は、いったん西村家の屋敷でメイドとして働かせて社会常識やマナーといったものを身に付けさせると同時に、昼間は上級学校に通わせてその才能を存分に引き出してやってから改めてアーバンキッズに迎え入れるといった手順を取るようになっている。これまでにそうして迎え入れた者たちはみな期待通りの功績をしめし、アーバンキッズの発展を支えている。もちろん、今いる四人のメイドもそうやって西村家のメイドとして雇い入れられた経緯の持ち主で、例えば最年長者は、西村家の家事一切を取り仕切りつつ、経済学のスペシャリストとなるべく大学院の博士課程を履修している最中で、いずれ会社に迎え入れられた後は早くから企画本部の一角に席を占めることを期待されているといった具合だ。
 弥生が西村家に迎え入れられたのは、バスケットボールの才能が見込まれたからだ。弥生が所属する学校のバスケットボールチームが全国優勝を成し遂げ、その中でも中心的な役割を果たした弥生が、会社の広報活動の一環として実業団スポーツに力を入れていく方針を打ち立てたばかりのアーバンキッズの幹部の目についてスカウトされたのだ。そんな経緯があるから、弥生としても西村家に絶対の忠誠を誓うのは、ごく当然のことだ。
「はい、わかりました」
 京子に諭されるようにして顔を上げた弥生は、これ以上はないくらいに真剣な表情を浮かべて言った。
「私、頑張ります。せっかく上の学校に行かせてもらえるんだから、そこでもバスケットボールで優勝します。それで、会社に入ったら、実業団日本一になります。約束します」
「そうよ、その調子で頑張ってちょうだい」
 京子はにこやかな顔で頷いた。そうして、弥生と茜の顔を交互に見比べながら、すっと目を細めて続ける。
「でも、茜ちゃんのお世話もしっかりお願いするわよ。茜ちゃん、普通の赤ちゃんに比べてずっと体が大きくて美也子だけじゃお世話が大変だから、しっかり手伝ってあげてちょうだいね。それにしても、中野さんみたいな体が大きくて力のある人が来てくれることになってよかったわ。他の人だったら、こんなに大きな赤ちゃんのお世話、なかなかお願いできないもの」
「はい、茜ちゃんのお世話も頑張ります」
 弥生は真剣そのものの表情で応えた。けれど、オシャブリを咥えて大きなベビーベッドに横たわる茜と目が合うと、途端に相好を崩してしまう。弥生は少し迷ってから、遠慮がちな声で京子に言った。
「あの、奥様、茜ちゃんを抱っこしてもいいでしょうか? 妹、小学生になるんですけど、茜ちゃんを見ていると妹が赤ちゃんだった頃のことを思い出しちゃって、じっとしていられないんです」
「もちろん、いいわよ。中野さんにはこれからいろいろ茜ちゃんのこと手伝ってもらうんだから、少しでも早く仲良しになっていてもらいたいもの」
 応えたのは、悪戯めいた笑みを浮かべた美也子だった。
「それでは、失礼して。ほら、こっちへいらっしゃい、茜ちゃん。お姉ちゃまが抱っこしてあげるから、いい子にしていてちょうだいね」
 美也子の許しを得、京子が頷くのを見て、弥生は両手を絡ませるようにして茜の体を抱き上げた。本当の赤ん坊を抱くようにはゆかないが、それでも、かなりの体格差がある上にバスケットボールで鍛え上げた弥生だから、茜をベッドから抱え上げて横抱きにするのも難しくはない。
 弥生は、左手の肘を曲げてその上に茜のお尻を載せ、右手で首筋から背中を支えるようにして茜を胸元まで抱き上げた。メイド服を着た弥生と、ベビードレスの茜。そんな二人の姿は、まだ自分では何もできない赤ん坊と、甲斐甲斐しく赤ん坊の面倒をみる優しい乳母といったところだろうか。
「確かに、小さい子の扱いには慣れているみたいね。これなら安心だわ」
 茜の体を横抱きにして優しく揺する弥生に向かって、いかにも感心したというふうに美也子が声をかけた。
「お褒めいただいてありがとうございます」
 弥生は嬉しそうに笑ってみせ、自分の胸元にある茜の顔を正面から見て言った。
「こうして近くで見ると、可愛らしい顔をしてますね、茜ちゃん。ちゅっちゅっ音をたててオシャブリを吸ってるし、あそこは綺麗だし、おむつをおしっこでを汚しちゃうし、本当は茜ちゃんが高校生だなんて、とてもじゃないけど信じられないくらいです」
 その言葉に茜は頬を赤く染め、思わず顔をそむけた。胸元まで抱き上げられていたため、顔を向けた先にあるのは弥生の乳房だった。と、もともと大柄な上に鍛え上げた体の弥生だから、乳房も充分に発育していて、ぷりんと張りがある。ちょうど、その乳房に茜の顔が埋もれるような格好になっしまう。
「あらあら、そんなことをしてもお姉ちゃんのおっぱいからはぱいぱいは出ませんよ」
 弥生はそう言って茜の体をもういちど揺すり上げると、くすぐったそうな顔をして続けた。
「本当に可愛いわね、茜ちゃん。こんなに可愛い茜ちゃんが本当は私より年上だなんて、誰も信じてくれないわよね」
 私より年上――弥生のその言葉に、茜は息を飲んだ。思わず身をよじり、弥生の乳房から顔を離して、すぐそこにある弥生の顔を、はっとしたような表情で見上げる。
「そうよ。弥生お姉ちゃまは三月に中学校を卒業したばかりだから、茜ちゃんより二つ年下なのよ。うふふ、驚いた?」
 驚きのあまり弥生に抱かれたまま身を固くする茜の顔を覗き込んで、美也子が面白そうに笑って言った。



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