ママは同級生



 加えて説明しておくと、晴美が言った『一緒に暮らす妹』というのは弥生のことだ。こちらも、実は弥生が美也子の実家のメイドで美也子を手助けして茜の面倒をみるために佐野家に同居しているという事実をカモフラージュするために、美也子の妹ということにしているわけだ。戸籍上は西村家が弥生を(一時的にだが)養子として迎え入れたことにしたり、できる限り法的にもトラブルの元にならないよう配慮はしているものの、細かいところまで突っ込めばいろいろ問題もあるのだが、西村家から少なくない額の寄付金の提示を受けた上、高等部のバスケット部を全国優勝に導いてくれるかもしれない弥生という優秀な選手を労なく手に入れられるということもあって、学院の理事会においても懸念の声はまるであがらなかったという。
「それでは西村さん、佐野さんの隣の席についてください。佐野さん、西村さんが何か困ったことがあるようなら、従姉妹どうし、よろしくお願いします。他のみんなも、西村さんが少しても早くこの学校に馴染めるよう手伝ってあげてね。じゃ、出席をとります」
 晴美は美也子に茜の右隣の席につくよう指示して教壇からおろし、改めて出席簿を広げた。

 ホームルームが終わるとすぐに、美也子の席の周りに人垣ができた。大半が幼稚舎や初等部から、短い者でも中等部からずっと同じ啓明女学院に通い続けている生徒ばかりだから、他の学校から編入してきた美也子が物珍しくてならない。普通なら編入生や転校生に話しかけるのは少しばかり勇気が要るものだが、その点、美也子は茜の従姉妹(ということになっている)だから声もかけやすいということもあって、いきおい、休憩時にクラスメートたちに取り囲まれるのも仕方ないところだ。
「茜ったら、あの席が西村さんのだって、従姉妹なら最初から知ってたんでしょ? なのに、さっき私が訊いた時、どうして教えてくれなかったのよ」
 美也子が他のクラスメートたちとのお喋りに興じているのを横目に見て、早苗が声をひそめて茜に言った。
「……ごめん……でも、あの……」
 早苗に問い質されても、やはり茜は言葉を濁すばかりだ。もっとも、春休みの間に受けた容赦ない仕打ちのことを考えれば、その張本人である美也子のことを口にするのは苦痛以外の何ものでもないだろう。美也子の名前を思い出すだけで、うららかな太陽の光が射し込むこの教室の穏やかな光景が、どす黒くぐにゃりと歪んで見えるような気さえするほどだ。
「やっぱり、どっか変だよ、茜。ずっとぼんやりしちゃってさ」
 早苗は軽く肩をすくめると、ふっと溜息をついて椅子から立ち上がった。
「ま、でも、そんな日もあるわよね。――それにしても、従姉妹の西村さん、すごい人気だね。背が高くて美人だし、どことなく上品そうだもん。みんな、友達になりたがるわよね、あれじゃ。よし、私も混ざっちゃおっと」
 そう言って席を立った早苗は茜の肩をぽんと叩くと、美也子を取り囲む人垣の中に割って入った。
 しばらくすると、かまびすしく響き渡る生徒たちの黄色い声に混じって早苗と美也子の話す声が茜の耳に届いた。
「――とかでさ、うん、そうそう。それで、西村さんは、つきあってる男の子とかいるの?」
 如才なく初対面の誰とでもすぐ仲良しになる早苗が、もうすっかり友達気分で美也子に訊いていた。
 それに対して、美也子は
「うん、まぁ、つき合ってるって言うのかな、ちょっとね、訳ありだったりしてややこしい間柄の人がいたりするかな」
と苦笑気味に応えている。本当のことを口にするわけにはゆかないが、私は本当は普通の高校生じゃないのよと言って新しいクラスメートを見下してみたいという気持ちがないわけでもない。それに加えて隣で茜が聞き耳を立てているから、つい面白がって、『訳あり』という、何かを仄めかすような言葉が口を衝いて出るのだろう。
「え、なになに? ひょっとして不倫とか? まさか、妻子ありの渋いオジサマなんかとつきあってたりなんかする?」
 美也子の思わせぶりな言葉に、早苗が興味津々といった顔で聞き返した。まさか本気で不倫を疑っているわけではないが、美也子の口調に何かを感じ取ったようだ。
「違うわよ、不倫なんかじゃないって。そんなことして学校にばれたりしたら、編入早々退学になっちゃうじゃない。訳ありは訳ありだけど、世間様から後ろ指をさされるようなことはしてないわよ」
 くすくす笑って美也子は軽く手を振った。
 と、突然、ガタンという大きな音が響き渡った。
 美也子も含め教室中の生徒が音のした方に振り向くと、椅子から立ち上がった茜が机に手をつき、両肩を小刻みに震わせて美也子の顔を睨みつけていた。どうやら、大きな音は、立ち上がる時に勢い余って茜が椅子を後ろに倒して立てたものらしい。
「ちょっと、どうしたの、茜? なによ、怖い顔しちゃって」
 茜の顔を見るなり、早苗が呆れたように声をかけた。
「だって、だって……」
 茜は机に両手をついたまま唇を動かすのだが、美也子と目が合うと、おどおどと視線をそらして途中で言葉を飲み込んでしまった。
「だから、どうしたのよ? はっきり言わなきゃわからないじゃない」
 早苗はますます呆れたような顔で問い質す。
「……いい。もういい……」
 茜は早苗の問いかけに拗ねたような口調で応え、ぷいと顔をそむけた。
 美也子の言葉が茜の耳には、美也子がまるで何の問題もなく勇作の妻の座を手に入れたと言っているように聞こえ、それが無性に腹立たしかった。それに、美也子と早苗との会話がこれ以上続くと、どこまで話してしまうかしれたものではないという不安もあって、思わず立ち上がって美也子を睨みつけた。けれど、春休みの間に与えられたお仕置きや、強引に胸の中に芽生えさせられてしまった美也子への依存心のため、美也子と目を合わせるとまるでその鋭い眼光に射すくめられたようになって、なけなしの気力もすっかり萎えしぼんでしまったのだ。
「本当に今日の茜は変なんだから」
 早苗は、やれやれというような顔で軽く肩をすくめた。が、じきに何か思い当たることがあったようで、ひとり頷くと、からかうように言った。
「あ、わかった。茜、あんた、ヤキモチ妬いてるんじゃない? 編入してきたばかりの従姉妹がクラスのみんなに取り囲まれてちやほやされて、それで妬いてんじゃないの? 茜、ひとりっ子だから、西村さんが一緒に暮らすことになって姉妹ができたみたいに思って、その新しくできたばかりの姉妹がクラスのみんなにとられそうになって、それで拗ねてるんでしょ?」
 くすっと笑って決めつけるみたいにそう言うと、早苗は改めて美也子の方に振り向いて面白そうに言った。
「ね、西村さん。茜って、お家じゃどんな子なの? 茜、生徒会長をするくらいだから成績も優秀でしっかりしてる筈なんだけど、どこか頼りないっていうか、甘えん坊さんなとこがあるのよね。ま、そういうとこがあるから変に偉ぶったりしないで、みんなに好かれてるんだけど、お家でもそんな感じ? それとも、たとえば従姉妹をクラスメートにとられるとか思って拗ねちゃうような我儘っ子とか? まさか、つんと澄ましたタカビー娘じゃないよね?」
「え、茜ちゃん、生徒会長なんてしてるの? ふぅん、そうなんだ。そんなこと、ちっとも知らなかったわよ、私。だって茜ちゃんてば、お家の中じゃすっごい甘えん坊さんで、私が添い寝してあげないと寝つかれないくらいなのよ。そんな甘えん坊さんが生徒会長だなんて、本当はすごいしっかりさんだったのね?」
 美也子はわざと驚いてみせたが、本当のことをいえば、茜が成績も上位で生徒会長をつとめていることも勇作から前もって聞かされている。それでも美也子がそんなこと知らないふりふりをしてみせたのは、『お家ではすっごい甘えん坊さん』というところを殊更に強調するためだ。



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