ママは同級生



 すると、美也子が茜の右手をすっと払いのけて言った。
「それだけじゃわからないでしょ? ママ、いつも言ってるわよね。ちっち出ちゃったらちゃんとお口で教えなさいって」
 春休みの間に薫や京子によって美也子に対する依存心を芽生えさせられた茜は、そんなふうに強い調子で命令されるとまるで反抗できなくなってしまう。
「……ち、ちっち出ちゃった。ママ、茜、ちっちでおむつ汚しちゃったの……」
 茜は周りに誰もいないことを確認してから、今にも消え入りそうな声で言った。目を合わせるのが辛くて、思わず美也子の胸元に顔を埋めてしまう。
「そう、出ちゃったのね。じゃ、次はどうするんだったかな? ちっち出ちゃったら、ママに何かお願いしなきゃいけないんじゃなかったかしら?」
 美也子は左手で茜の背中を撫で、右手を茜の後頭部にまわして言った。
「……で、でも……」
 家の中では、おむつを汚すと、「ママ、茜のおむつ取り替えて」とお願いすることを強要されている。けれど、まさか、こんな所でそんな羞恥に満ちた言葉をことを口にするなんて。
「あら、ちゃんとお願いできないの? ま、いいわ。だったら、時間はたっぷりあるし、茜ちゃんがお願いするまで待ってあげる。でも、その間、どうやって暇を潰そうかな。あ、そうだ。藤崎さんのメールアドレスはわかってるからメールでもしてようっと。携帯に入ってる茜ちゃんの可愛い写真や動画を送ってあげたら藤崎さん喜んでくれるだろうな」
 美也子は独り言みたいに呟いた。けれど、それは茜に聞かせるたに口にした言葉だ。携帯電話に記録してある恥ずかしい画像を早苗に送りつけていいのかなと脅しているのが火を見るより明らかな口調だった。
「いや、駄目! そんなことしゃ駄目だったら」
 美也子が右手を制服のポケットに入れるのを慌てて制止し、茜は美也子の胸元に顔を埋めたまま必死の思いで首を振った。
「そう、メールは駄目なの。じゃ、ママが待たなくてもいいように、すぐにお願いしてくれるのね?」
 美也子はわざとらしく優しげな声で念を押した。
「……あ、茜、ちっちで……お、おむつ汚しちゃったの。……マ、ママ……茜、おむつ取り替えてほしいの……」
 茜は美也子と目を合わさないよう、まるで美也子の胸元にすがりつくみたいにして、蚊の鳴くような声で言った。
「そう、ちっちで濡れたおむつ、取り替えてほしいの。じゃ、すぐに取り替えてあげましょうね。濡れたおむつのままだとおむつかぶれになっちゃうものね」
 美也子は、茜の背中を撫でいた左手をすっと下におろし、スカートの上からおむつカバーをぽんぽんと叩きながら、殊更『すぐに取り替えて』という部分を強調して言った。
 途端に、茜が身を退き、両目を見開いて美也子の顔を見つめる。
「あら、何をそんなに驚いているの? おかしな子ね、茜ちゃんてば」
 慌てて後ずさる茜の様子を面白そうに眺めながら、しれっとした顔で美也子は言った。
「……だ、だって、おむつ取り替えるのはお家に帰ってからでしょ? ママ、すぐに取り替えてあげるって言ったけど、おむつ、ここで取り替えたりしないよね?」
 あからさまに怯えの表情を浮かべた茜が、ごくんと唾を飲み込んで聞き返した。
「何を言ってるの、茜ちゃんたら。おむつは、ここですぐに取り替えてあげるに決まってるじゃない。いつまでも濡れたおむつのままだとおむつかぶれになっちゃうって言ったばかりでしょ? それに、ここからお家まで十五分はかかるのよ。そんなに長いこと濡れたおむつのまま歩いてちゃ、おむつからちっちが滲み出て茜ちゃんの脚を濡らして地面に落ちるようになっちゃうんだから。そしたら茜ちゃん、ちっちの筋をひきながらあんよすることになるのよ。そんなところ、ご近所の誰かに見られたら恥ずかしいでしょ?」
 美也子は右手の甲を自分の腰に押し当て、僅かに首をかしげて言った。
 毅然とした態度でそう言われると、茜は何も言い返せない。教室でおむつを濡らしてしまい、美也子に付き添われて保健室へ行くまでの間でも、たっぷりおしっこを吸ったおむつがだらしなく垂れ下がり、いつおしっこが滲み出してくるかもしれないという不安でいっぱいだった。美也子の言う通り、この公園から家まで十五分間も濡れたおむつのまま歩いたりすれば、おしっこが滲み出して内腿といわず膝の裏側といわずしとどに濡らしながら恥ずかしい条になって滴り落ちるのは間違いないだろう。万一、そうならなかったとしても、おしっこの重みでおむつとおむつカバーが垂れ下がり、スカートの裾から覗いてしまう恐れも充分にある。
「学校でちっちしちゃった時の交換用のおむつは保健室で預かってもらっているけど、通学の途中でしくじっても大丈夫なように、新しいおむつをいつも一組だけは持ち歩くようにしているのよ。だから、すぐに取り替えてあげられるわ」
 美也子は、唇を噛んで黙り込む茜の目の前に自分の通学鞄を差し出して、手早く蓋を開けた。
 今日は春休み明けの始業日だから授業はない。それに、新しい教科書を受け取るのは翌日の入学式が終わってからの予定だから、茜は簡単な手提げ袋しか持ってこなかった。なのに美也子はちゃんとした通学鞄を持っていたため、そのことを茜は不思議に思っていたのだが、それにはそれなりの理由があったのだ。美也子は、替えのおむつを持ち運ぶため、そして、保健室で外した濡れたおむつを家に持ち帰るために、わざわざ通学鞄を持ってきていたのだった。
「でも、明日からどうしょうかな。新しいおむつは一組で足りるでしょうからあまり邪魔にならないけど、六時間目までちゃんと授業が始まったら、その間、茜ちゃん何度もおもらししちゃうに決まってるわよね。そうすると、そんなにたくさんのおむつ、鞄だけじゃ入りきらないかな。どうやって持って帰ろうかな。ママ、困っちゃうな」
 鞄の中を覗き込んで息を飲む茜の顔を見てくすくす笑いながら、美也子は冗談めかして言った。そうして、茜の頬が羞恥のためにほんのりとピンクに染まるのを目にすると、
「ほら、茜ちゃんのほっぺと同じくらい綺麗なピンクの花が咲いてる桜の木の横にベンチがあるわよ。あそこなら日当たりも良さそうだし、あのベンチでおむつを取り替えてあげるわね」
と言って、改めて茜の体に腕を絡ませた。

 美也子の言う通り、ベンチには昼前の太陽の光がさんさんとふり注いでいて、まだ幾らか冷たいそよ風が却って頬に心地よいくらいだ。
「ちょっと待っててね、すぐに準備するから。直接ベンチにお尻をつけたら冷たいから、ちゃんとしとかないとね。それに、公園のベンチを汚しちゃいけないから」
 美也子はベンチの端に腰をおろすと、鞄の中から、保健室にあったのと同じ生地でできたオネショシーツを取り出してベンチの上に敷いた。保健室にあったオネショシーツと比べるとサイズがふたまわりほど小さいのは、持ち運び用だからだろう。それから美也子は鞄から新しい布おむつを取り出すと、自分の膝の上で丁寧に重ね合わせてから、掌でオネショシーツの真ん中あたりをぽんぽんと叩いて
「さ、できた。ほら、ここにねんねしてちょうだい」
と茜を促した。
「……で、でも……」
 茜はベンチの前に立ちすくんで、あたりの様子をおどおどと見まわすばかりだ。
「お昼前だから、小さい子を遊ばせているお母さんたちはご飯の準備をしにお家へ帰っていて一人もいない筈よ。それに、住宅地の中の公園で、外回りのサラリーマンとかの人たちもいないから心配しなくて大丈夫よ。だから、ほら。早くしないと、ちっちが滲み出してきちゃうわよ」
 美也子はもういちどオネショシーツを掌でぽんと叩いた。
 それでも茜は踏ん切りがつかないようで、まだおどおどとベンチの前で身をすくめるばかりだ。



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