ママは同級生



「同じことを何度も言わせないでちょうだい。ほら、ここにねんねするのよ。それとも、藤崎さんに写真を見てもらいたいの?」
 ベンチに腰かけたまま美也子は茜の顔をじろりと見上げ、今度は、有無を言わさぬ調子で言った。
「……は、はい。ごめんなさい、ママ……」
 ようやく茜は力なく頷くと、おずおずとベンチの上にあがって、オネショシーツの上にお尻をおろした。
「そうよ、最初からそんなふうにいい子にしなきゃ駄目よ。いい子にしないと、ママ、茜ちゃんにお仕置きしなきゃいけなくなるのよ。茜ちゃん、お仕置き、いやでしょ? ママだって、可愛い茜ちゃんにお仕置きなんてしたくないんだから、ちゃんと言いつけは守ってちょうだいね。じゃ、スカートを捲り上げなきゃいけないから、お尻を上げて」
 美也子は茜がベンチに横たわるのを待って、オネショシーツと腰との間に左手を差し入れてそっと持ち上げるようにし、茜のお尻を浮かせると、手早くスカートを捲り上げてから、再びお尻をオネショシーツの上に戻した。
「それじゃ、おむつを取り替えようね。茜ちゃんがちっちで濡らしちゃったおむつ、びしょびしょかな」
 美也子は、スカートを捲り上げたため丸見えになったおむつカバーの前当てに指をかけた。
 それから美也子は、それこそ本当に赤ん坊をあやすような言葉を幾つも茜に対して投げかけながら、手際よくおむつを取り替えた。但し、手際がいいとはいっても、まるで急ぐ様子はない。むしろ、普段よりもゆっくり手を動かしておむつを取り替えるのは、これまで経験したことのない野外でのおむつの交換という羞恥を茜にたっぷり味わわせるためだ。

「さ、できた。もういいわよ、茜ちゃん。ほら、おっきして」
 美也子が、おむつの交換を終えた茜の体を引き起こした。
 さんさんとふり注ぐ穏やかな春の光を浴びながら、いつなんどき誰が来るともしれない公園のベンチでおむつを取り替えられるという羞恥きわまりない行為に、茜は、お尻をオネショシーツの上に載せたまま両脚を投げ出し、スカートの乱れを整えることも忘れてベンチの背もたれに上半身を預け、両目を固く閉じ、肩を大きく上下させて荒い呼吸を繰り返すばかりだ。。
 そんな茜の様子を面白そうに横目で見ながら、美也子は通学鞄に右手を突っ込むと、小さく折りたたんだ厚手のポリ袋を取り出し、茜の耳元に近づけて、くしゃくしゃとわざと大きな音をたてて元通りの大きさに広げた。
 その馴染みのない物音に、茜はうっすらと瞼を開き、美也子が手にしたポリ袋におずおずと目を向けた。その透明の袋が何をするものなのか見当がつかず、不安の色を隠せない。
「これは、茜ちゃんが汚しちゃったおむつを入れておく袋よ。普通のビニール袋だとすぐに破けちゃうから、お肉とかカレーとかを入れて冷凍庫にしまっておくための丈夫な袋を持ってきたの。ほら、こうして袋に入れて、こうやってジッパーを閉じると――ね、これならおしっこが漏れ出すこともないのよ」
 茜の顔に浮かんだ不安の色とは対照的に美也子はにこやかな顔でそう説明しながら、ぐっしょり濡れた茜の布おむつをポリ袋に入れて、防水ジッパーになっている口をしっかり留めた。春の太陽の光を浴びて温められたせいだろう、布おむつからうっすらと湯気が立ちのぼって、袋に内側がみるみる曇る。
「この袋なら少しくらい乱暴に扱っても破れる心配はないから、茜ちゃん、たくさんちっちしちゃってもいいのよ」
 美也子はくすりと笑って、おむつで膨れた袋を茜の目の前に突きつけた。
 湿気で曇って半透明になったとはいえ、うすく黄色に染まった布おむつが完全に見えなくなることはない。自分が汚してしまったおむつをそんなふうに正面から見せつけられて、ただでさえ激しく掻きたてられている羞恥が、更にこれでもかと煽られる。茜は慌てて目をそらした。
 と、あちらこちらの木から散って風に舞う桜の花びらをきゃっきゃっとはしゃぎながらおぼつかない足取りで追いかける小さな女の子と、その子の母親らしき若い女性がこちらに近づいてくるのが目にとまった。どうやら、茜たちが座っているベンチのそばに植わっている桜の木を目指して歩いて来ているようだ。
「ママ、それ、早く鞄の中にしまっちゃってよ」
 親子連れが近づいてくるのに気がついた茜としては、美也子がいつまでもおむつを入れた袋を茜の目の前に突きつけているのが気が気ではなく、滅多にないことだが、美也子に対して命令めいた言い方をしてしまった。
 茜のそんな口調に対して美也子が気分を害したのは言うまでもない。
「ふぅん。おむつの取れない赤ちゃんのくせして、ママにそんな口のききかたをしちゃうんだ、茜ちゃんたら」
 ぞくりとするような流し目をくれて、美也子はねっとりした口調で言った。
「え? ……ち、違うの、ママ。違うんだったら……」
 茜は、はっとした表情を浮かべ、慌てて首を振った。けれど、もう手遅れだ。どちらがどちらの支配下にあるのか、それを事あるごとに茜に対して教え込むことに加虐的な悦びを覚える美也子に格好の口実を自分から与えたようなものだ。
 美也子は、茜にはそれ以上は何も言わず、すっと立ち上がると、おむつの入ったポリ袋をベンチに置いて、こちらに近づいてくる親子連れの方に歩み寄った。
「こんにちは、いいお天気ですね」
 美也子は人なつっこい笑みを浮かべると、愛想良く母親に話しかけた。
「本当に。桜も綺麗だし、子供を遊ばせるにはもってこいのお天気で助かるわ」
 急に声をかけられて一瞬は戸惑いの表情を見せた母親だが、話しかけてきたのが地元ではわりと名の知れた啓明女学院の制服に身を包んだ女子高生ということに加え、知らぬうちに人を開放的な気分にさせる季節ということもあって、にこやかな笑顔で頷き返すのに、さほど時間はかからなかった。
「お嬢ちゃん、お年はお幾つなんですか?」
 美也子は、見知らぬ人間が突然近づいてきたため慌てて母親の背後に隠れてしまった女の子の顔をちらと見て、愛想笑いを崩すことなく訊いた。
「今は三歳で、夏が来ると四歳になるのよ。私たちが住んでいるマンションには同い年くらいの子がいないものだから、どうしても私が遊ばせてあげないといけなくて。できればこの春から保育園の年少クラスに入れたかったんだけど、私が専業主婦だから、なかなか福祉事務所の入園許可が貰えなくて。母親が勤めに出ていないて許可が出ないのよね。だから、本当、暖かくなって天気がいいと外で遊ばせられるから助かるわ。それに、この子、お花が大好きで、いつもこの公園へ来たがるものだから尚更ね」
 元来、女親というものは子供のことになると話題が尽きないところにもってきて、もともと話し好きなのか、それとも同じマンションに話し相手が少なくて寂しいのか、初対面の相手だというのに、母親はすっかり打ち解けた様子で応えた。
「あ、三歳なんですか。私、てっきり、もっと大きいのかと思ってました。しっかりしているからそう見えたんでしょうね」
 美也子はしれっとした顔でお世辞を言うと、すっと膝を折って女の子と目の高さを合わせ、
「お嬢ちゃん、お名前はなんていうのかな。お姉ちゃんに教えてくれる?」
と言って、にこっと微笑みかけた。
「あたし、恵美。斉藤恵美っていうの」
 はにかんだ様子で、けれど母親が美也子と話しているうちに緊張が解けてきたのだろう、あまり人見知りする様子もなく、女の子は自分の名前を口にした。
「そう、恵美ちゃんっていうの。お姉ちゃんは西村美也子っていうんだよ。よろしくね。恵美ちゃん、お花が好きなの?」
 美也子はその場にしゃがんだまま恵美の顔を正面から見て言った。
「うん、大好き。お花、綺麗だもん。でもね、時々だけど、虫さんがいるの。恵美、お花、大好きだけど、虫さん怖いから、ママにめっしてもらうの」
 それまで母親のスカートの裾をぎゅっと握りしめて離さなかった恵美だが、自分の好きな花の話題になると顔を輝かせて前に出てきた。



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