ママは同級生



「そう、虫さんは怖いけど、お花は大好きなんだ、恵美ちゃん。じゃ、あそこのベンチに座ってお花を見ようか。もしも虫さんが出てきたら美也子お姉ちゃんが虫さんにめっしてあげる。ほら、ベンチのすぐそばに大きな桜の木があるんだよ。恵美ちゃん、あの桜の木のところへ行きたかったんでしょう?」
 美也子は、母親の後ろから出てきた恵美の小さな掌をそっと握ると、恵美の歩幅に合わせてゆっくり歩き出した。
「でも、いいの? もうすぐお昼だけど、あなたたち、まだお家に帰らなくていいの? いつも私としか遊んでいないから、たまに他の人と遊べて恵美は嬉しいと思うけど、あなたたちは大丈夫なの?」
 恵美と手をつないでベンチの方へ歩き出した美也子に、母親が気遣わしげに尋ねた。
「あ、それは大丈夫です。もともと、ちょっと公園を散歩してから帰るって家を出る時に言っておきましたから。それより、恵美ちゃんの方は大丈夫ですか? ひょっとして恵美ちゃんこそお昼ご飯がまだなのに、私が無理矢理つき合わせちゃってるとか、そういうの、ありませんか?」
 母親の問いかけに美也子は鷹揚に頷き、今度はこちらからちらと恵美の顔を見て尋ね返した。
「ええ、それなら、こちらも大丈夫よ。公園で遊ぶのは午後からって決めてるんだけど、恵美ったらなかなか言うことをきかなくて、仕方なしにお昼ご飯を早めに済ませてきたから」
 母親は、美也子と自分との間に恵美が来るような位置に立ってゆっくり歩きながら、にこやかな笑顔で頷いた。
「だったら、あまり遅くなるわけにはいかないけど、ちょっとくらいなら恵美ちゃんと一緒に遊んじゃおっと。恵美ちゃん、美也子お姉ちゃんたちと一緒に桜のお花を見ようね」
 美也子は母親に頷き返した後、腰をかがめて恵美の顔を覗き込むようにして言った。
「うん、お花、一緒に見ようね」
 恵美は嬉しそうに美也子の顔を見上げて言い、一人ベンチに残された茜の方に目をやってから、再び美也子の顔を見上げた。
「ね、ね、あのお姉ちゃん、美也子お姉ちゃんのお友達? あのお姉ちゃんも恵美と遊んでくれるかな?」
「あのお姉ちゃんは美也子お姉ちゃんの従姉妹なの。同じお家で一緒に住んでるのよ。名前は茜ちゃんていうの」
 美也子は恵美に茜の名前と、学校でそうしているのと同じ便宜上の間柄を教えた。

 ほどなく、三人が茜のすぐ目の前までやって来た。
「ごめんね、茜さん。美也子さんと従姉妹どうし二人でお花見している所に私たちがお邪魔しちゃって。……あら、それは?」
 母親は、一人ぽつんとベンチに腰かけている茜に申し訳なさそうに言ったが、ベンチの上に置いたままになっているポリ袋に気がつくと、怪訝そうな表情を浮かべた。
「あ、これ……な、なんでもないんです、これは、なんでも……」
 茜は、濡れたおむつの入ったポリ袋が母親の目に留まったことにうろたえてしまい、慌てて美也子の通学鞄をベンチの下から持ち上げて蓋を開け、自分のすぐそばにあるポリ袋に手を伸ばした。が、気持ちが動転しているせいと、たっぷりおしっこを吸ったおむつが予想外に重いのとで、一度つかみ上げかけた袋をベンチの上に取り落としてしまう。
「……それって、おむつよね?」
 ベンチのすぐ前に立って茜の行動を見ていた母親は、茜の手から離れた袋にじっと目を凝して確認するように言った。
「……え、ええと……その……そうです、お、おむつです……」
 さっきまでは中の湿気のせいで半透明だった袋が、ベンチの上に放置されている間に中と外の温度差がなくなってきて、また元通りの透明な袋に戻っていた。袋の素材を通してはっきり見える薄黄色に染まった水玉模様や動物柄の布地を布おむつ以外の何かに偽ることは到底できない。しかも、小さな子供をかかえて育児の真っ最中にある若い母親を相手に、その目をごまかせるわけがない。茜は袋に入っているのがおむつだと認めざるを得なかった。けれど、まさかそれが自分で汚したおむつだということまで知られるわけにはゆかない。
「……あの、あの……今日、学校で近所の保育園と、こ、交流会があって……ね、年少さんの子供が、その、おむつを汚しちゃって、そ、それで、あの……家庭科の保育実習……の一環として、濡れたお、おむつを洗濯して、それで、えと、保育園に返すことになって……」
 茜はしどろもどろになりながらも、咄嗟に作り上げた偽りの説明を口にした。
「そう、交流会だったの。だったら、おむつのことはそれでいいんだけど……」
 茜の説明を耳にした母親は、半信半疑といった顔つきで頷きながらも、ベンチの茜がお尻をおろしているあたりを遠慮がちに指差して重ねて訊いた。
「……あの、それじゃ、そのオネショシーツも保育園との交流会で使った物かしら。その、茜さんのお尻の下に敷いてあるの、それってオネショシーツよね?」
 言われて、茜は、はっとした顔で自分のお尻の下を見た。恵美たち親子連れが近づいてくるのに慌てて、おむつを入れた袋と同様、ベンチの上に敷いたオネショシーツをしまうところまで気がまわらなかったのだ。
「……う、うん……こ、子供たちのお、おむつを取り替える時……お、お尻が冷たかったら可哀想って……それで、あ、あの、これもおしっこで濡れちゃったから……だから、このベンチでお日様に当てて、それから、あの、お家で洗濯して……」
 茜は嘘を重ねるしかなかった。
 が、そのぎこちない説明を聞くにつけ、母親はますます怪訝そうな表情が浮かべてさかんに首をかしげる。
「……お、お家で洗濯して、それで、乾かして、あの、だから……」
 茜は説明にならない説明を口の中で続けながら、慌ててベンチから腰をあげてオネショシーツを手元にたぐり寄せ、ちゃんと折りたたみもしないで美也子の通学鞄の中に押し込んだ。
 そうして、改めてポリ袋に手を伸ばした時、この季節にはよくあることだが、一陣の突風が吹き抜けて、地面に散っていた桜の花びらを、まるでピンクの霧がかかったかと思うほどに勢いよく舞い上がらせた。
「きゃっ!」
「いやっ!」
「あーん、ママ〜」
「恵美、大丈夫!?」
 思いがけない突風と砂埃に四人は口々に悲鳴を上げて掌で顔を覆った。
 もちろん、茜にしても、おむつの入った袋を鞄にしまっている余裕はない。砂埃が目に入らないよう固く瞼を閉じ、一度は腰を上げたベンチに再び座り込んで、小さな竜巻みたいな突風が通り過ぎるのを息をひそめてやり過ごすしかない。

 しばらくして公園に静けさが戻り、茜が、それまで顔を覆っていた両手を自分の胸に押し当ててほっと安堵の溜息を漏らした時、
「あっ、茜お姉ちゃん、恵美と同じだ!」
という恵美の甲高い叫び声が耳に飛び込んできた。
 急にそんなことを言われても何がどう同じなのかわからず、茜は、突風を避けるために母親の後ろに隠れていたのがひょっこり姿を現してびっくりしたような表情でこちらを指差している恵美の顔を見つめた。
「どうしたのよ、恵美。何が茜お姉ちゃんと恵美が同じなの?」
 母親もわけがわからないようで、茜の方を指差して何度も「同じだ、同じだ」と嬉しそうに繰り返し言う恵美に困ったような顔で尋ねた。
「だって、茜お姉ちゃんと恵美、同じだよ。ほら、これ」
 母親から尋ねられて、恵美はそれまで茜を指差していた手で自分のスカートの裾をぱっと持ち上げた。
 その直後、茜の目が、スカートの下からあらわになった恵美の下着に釘付けになった。
 下着とはいっても、恵美がスカートの下に着けていたのは女児用のショーツなどではなく、キルティング生地でできたおむつカバーだった。それも、パステルピンクのキルティング生地にアニメキャラの刺繍をあしらった、まさに茜の下腹部を包み込んでいるのとまるで同じデザインの可愛らしいおむつカバーだ。



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