ママは同級生



「ほら、同じでしょ?」
 恵美は自分のおむつカバーを母親に見せてから、再び茜の方を指差した。指差す先は、茜の顔や胸元などではなく下腹部だ。
「い、いや〜!」
 恵美の叫び声の代わりに、今度は茜の悲鳴が、静けさの戻った公園の穏やかな空気を震わせた。さっきの突風でスカートの裾が舞い上がり太腿のあたりまで捲れ上がったままになっていることにようやく気がついたのだ。
 悲鳴をあげながら茜は慌ててスカートの裾を引っ張ったが、その時にはもう恵美の母親の目にも、自分の小さな娘が着けているのとそっくりなおむつカバーがくっきりと焼きついていた。
「ね、同じでしょ、ママ?」
 驚きのあまり唇に掌を押し当てて黙り込んでしまった母親に対して、恵美が繰り返し同意を求める。
「……あ、あのね、恵美。ちょっとの間だけでいいからお口を閉じていてちょうだい」
 母親は口元に押し当てた手をのろのろとおろすと、見てはいけないものを見てしまったような困惑の色を浮かべた目で恵美の顔を見おろして、少しばかり口ごもり気味に言った。
「え? 茜お姉ちゃんと恵美、同じおむつカバーだって言っちゃ駄目なの? どうして? ね、どうして駄目なの?」
 突風のせいで大きく捲れ上がってしまったスカートの下からあらわになったおむつカバーを目にして、恵美の母親は、茜が慌てて通学鞄に隠そうとしていた袋に入っているおむつが保育園児の使ったものではなく、茜自身が汚してしまったものだと直感した。そうして、ベンチの上に敷いてあるオネショシーツから判断して、ついさっきこの場所でおむつを取り替えられたばかりなのだろうということも。そう直感した母親は、まさか、誰かの企みのせいでおむつを手放せない体になってしまったなどたとは想像することもできず、茜がなにかの病気のせいでおむつをあてて通学せざるを得ない事情にあるのだと考えた。保育園児や幼稚園児などではなく、高校生にもなっておむつのお世話にならなければならないとしたら、それはどんなに苦痛に満ちた生活だろう。おむつの入った袋やオネショシーツのことを必死になって隠そうとしていた茜の様子を思い出すまでもなく、その恥ずかしさは想像に難くない。ましてや、恵美のような小さな子供の口からでも、その事実をあからさまに何度も指摘されたりしたら、精神的な痛手はいかばかりのものだろうか。咄嗟にそう判断した母親は茜を気遣って恵美が何度もおむつのことを口にするのをやめさせようとするのだが、まだ幼い恵美がそこまで考えられるわけがない。恵美にしてみれば、自分と同じおむつカバーを着けた人物が現れたことに驚き、同時に、幾らか嬉しくなって声を張り上げているだけで、それが何故いけないのかまるでわからない。
「だって、恵美、茜お姉ちゃんの……」
「あ、おむつのことなら気になさらないでください。茜ちゃん、ずっとおむつだったから今は慣れっこになっちゃって、本人は意外と気にしていないんですよ」
 恵美をたしなめる母親の言葉を途中で遮って美也子が軽く首を振った。
 けれど、母親にしてみれば美也子の言葉をおいそれと真に受けるわけにもゆかない。ひょっとしたら小さな子供の頃からずっとおむつをあてての生活を続けてきたのかもしれない。でも、もしもそうだとしても、高校生にもなっておむつを手放せない生活を余儀なくされて、それを苦痛に感じないわけがない。母親に限らず、そう思うのが普通だ。
「で、でも、美也子さん……」
「いえ、本当にいいんです。本当に気になさらないでください」
 美也子は再び母親の言葉を遮ると、ひょいと腰をかがめて恵美に話しかけた。
「恵美ちゃん、お年は三つだったよね。三つでおむつの子って多いのかな」
 突然そう訊かれて、恵美は顔を赤くした。恵美たちが住んでいるマンションには同年代の子供はいないが、母親に連れられて公園にやって来ると、同じような年齢の子供が砂場や滑り台で何人も遊んでいる。だから恵美はマンションでじっとしているより公園へ来るのが好きなのだが、少し前から一つだけ気になることがあった。恵美は最初の誕生日を迎える前に公園デビューをしてからこちら、大半の子供たちとは顔見知りで大の仲良しも大勢いるのだが、今ではかなりの子供たちがトイレトレーニングを済ませて、おむつ離れしていた。。恵美よりも年下の子供たちはまだ大半がおむつだが、恵美と同い年くらいの友だちの下着は殆ど、この半年くらいの間におむつからパンツに替わっていた。しかも、その子たちは一人の例外もなく、おむつからパンツになったことを自慢し、これみよがしに自分のスカートを捲ったりズボンをおろしたりして、真新しいショーツやブリーフを恵美に見せつけていた。それが、夜のおねしょだけでなく昼間のおもらしもまだ終わらずなかなかおむつ離れできないでいる恵美には羨ましくて悔しくて恥ずかしくてたまらなかった。だから、美也子の問いかけに、思わず顔を赤く染めてしまう恵美だった。
「あ、ごめんね、恵美ちゃん。美也子お姉ちゃん、変なこと訊いちゃったね。本当にごめんね」
 恵美が顔を赤くしてうつむくのを目にして、このくらいの年代では既におむつ離れしている子供の方がかなり多いんだなと判断した美也子は、恵美の肩に掌を載せて優しく言った。
「あの、いいのよ、美也子さん。ちょっときつい言い方になるけど、おむつ離れできないことを恵美自身が少しくらいは恥ずかしがってくれた方がいいの。そのために紙おむつじゃなくて布おむつにしたんだから」
 今度は、母親が軽く首を振って美也子の言葉をやんわりと遮る番だった。母親は穏やかな口調でそう言って恵美の体を抱き上げると、丈の短いスカートをそっと捲り上げ、パステルピンクのおむつカバーの上から恵美のお尻を優しく叩いて続けた。
「恵美、もともとは紙おむつだったんだけど、他の子供たちと比べてちょっとおむつ離れが遅いかなと思って布おむつに替えたのよ。紙おむつだとおしっこで濡れた感覚がわかりにくいから布おむつの方がおむつ離れが早くなるって育児の本とかに書いてあったのを思い出してね。だから、おむつが濡れる感覚をしっかり経験して、それが恥ずかしいことなんだよってわかってもらった方がいいかなって思ってるの。もっとも、小児科のお医者様に相談して、おむつ離れの時期も子供によってばらばらだから一つの個性だと思って気にしないでくださいって言われてからは、あまりあせる気持ちもないんだけど。実際、いろいろ聞いてみると、保育園でも年少クラスだとおむつ離れしていない子も何人かいるのが普通らしいし」
 そう説明しながら母親が再びスカートを捲り上げると、恵美が頬をぷっと膨らませてスカートの裾を引きおろした。さっきは茜のおむつカバーに気がついて驚くと同時に嬉しそうに自分のおむつカバーを披露していたのが、少し落ち着くと急に恥ずかしくなってきたのかもしれない。
「ね、恵美ちゃん。また変なこと訊くけど、怒らないでね。――恵美ちゃん、おむつ恥ずかしい?」
 拗ねたように頬を膨らませながらも母親の首筋にかじりつくみたいにして甘える恵美の背中をとんとんと叩いて、美也子が言った。
「……うん、恥ずかしいよ。さっちゃんも、ふみやくんも、けいこちゃんも、みんなパンツなのに、恵美だけおむつだもん、とっても恥ずかしいよ」
 母親に甘えながら、再び顔をほのかに赤くして恵美はこくんと頷いた。
「じゃ、もう一つだけ教えてね。おむつ恥ずかしいのに、さっき、恵美ちゃんは自分のおむつカバーをママに見せてたでしょ? その時、茜お姉ちゃんと同じだよって言ってたけど、とっても嬉しそうな声だったよ。恥ずかしいのに、どうして嬉しかったのかな?」
 美也子は重ねて訊き、テレビで幼児番組の司会をつとめる若い女性がそうするようにおおげさに首をかしげてみせた。
「……あのね、公園で遊ぶ時、よしみちゃんが一緒だと、おむつ恥ずかしくないの。お友達で、よしみちゃんと恵美だけ、まだおむつなの。それで、恵美ひとりだと恥ずかしいけど、よしみちゃんがいてくれたら恥ずかしくないの。今、よしみちゃんいないけど、茜お姉ちゃんもおむつだってわかったでしょ? おむつなの恵美だけじゃないから恥ずかしくなくて、だから嬉しかったの」
 三歳の幼児にとっては随分と難しい質問の筈だが、考え考えしながら恵美は、しっかり応えた。おむつ離れは少し遅いものの、お世辞は抜きにしてとても利発な子に違いない。



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