ママは同級生



 茜は慌ててスカートを押さえようとするが、そこへ美也子が恵美の母親に聞こえないよう声をひそめて
「駄目よ、ちゃんとスカートを広げて恵美ちゃんと競争しなきゃ。ほら、恵美ちゃんを見てごらんなさい。あんなに嬉しそうな顔をして桜の花びらを集めてるでしょ? 茜ちゃんも負けずに楽しそうに花びらを集めるのよ。きゃっきゃ笑いながら競争を続けないと、お仕置きだからね」
と囁きかけ、茜に恵美との競争を始めるよう強要して冷たく笑う。
 美也子に命じられて、茜は一旦おろしかけた両手を改めて斜め前方に伸ばし、風に吹かれて舞い散るピンクの花びらをスカートで受け止めるために体を左右に揺らし始めた。それも、内心は今にも泣きだしそうなのに、美也子に強要されるまま顔には笑みを浮かべて。さすがに、幼児のようにきゃっきゃと声を出して笑うことはできないし、よく目を凝らせば笑顔がひきつっているのもわかるけれど、傍目には、恵美と同じように茜もそのゲームを楽しんでいるように映るだろう。
「そうそう、それでいいのよ、茜ちゃん。ほら、恵美ちゃん、茜お姉ちゃんもたくさん集め出したから、もっと頑張らないと負けちゃうよ」
 自分の命じた通り(無理に無理を重ねた作り笑いではあっても)笑顔で花びらをスカートに受け止める茜の様子を満足そうに眺めながら、美也子は二人に対して交互に応援の声をかけた。
 その横で、初めの頃こそ茜のことを気遣って少し難しい表情を浮かべていた恵美の母親も、屈託のない笑顔で花びらを追う愛娘の姿を見守っているうちに次第に晴れ晴れした表情に変わってゆく。
「ほら、二人ともこんなに楽しそうにしてる。茜ちゃんも本当は恵美ちゃんみたいなお友達が欲しかったんですよ」
 実は自分が脅して強要した茜の笑顔のくせして、そんなことはまるで知らぬげに、美也子はしれっとした顔で恵美の母親に話しかけた。
「ええ、まぁ、そうかもしれないわね。実際は年がだいぶ離れているけど、どこか惹き合うところがあるのかもしれないわね。こんなふうに仲よく遊んでいるところなんて、まるで年の近い姉妹みたいに見えちゃうし」
 まさか茜が美也子に脅されて楽しそうなふりをしているとは想像もできない母親は胸の前で腕を組むと、納得顔で頷いた。
 声をひそめて交わしているわけではない二人のそんな会話は、もちろん、茜の耳にも届いていた。
(そんなことない、私は恵美ちゃんとは違うのよ。小さな恵美ちゃんと違って、おむつが恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないのよ。本当は今すぐでもここから逃げ出したいの。でも、そんなことをしたら、後で美也子さんからどんな仕打ちを受けるかわからなくて、無理に楽しそうにしているだけなのよ。お願いだから、恵美ちゃんと私が同じだなんて思わないで)恵美の母親を言葉巧みに美也子が自分の味方につけてゆく様子を目の当たりにして、茜は今にも叫び出しそうになった。けれど、美也子から受ける折檻が怖くて、実際には叫び出すどころか、ひきつった笑顔で仲よく恵美と遊ぶ演技を続けるしかない茜だった。
 そんなふうに茜が二人の会話に気を取られていた時、突風とまではいかないものの、そよ風と呼ぶのは躊躇われるくらいの風がさっと吹き渡った。
 茜のスカートが再び風をふくんでふわっと膨れ、それまでに集めていた花びらが一枚残らず吹き飛ばされてしまう。
 一方、恵美は巧みに体をくねらせ、風で飛びそうになる花びらを体全体で受け止めると、風がやむのを待ってスカートの上に戻した。さすがに全ての花びらを飛ばされずにすんだわけではなかったものの、どうやら半分くらいは無事のようだ。
 なのに、茜のスカートに桜の花びらが一枚も残っていないことに気がついた恵美は、せっかく苦労して残した自分の花びらを、まるで躊躇うそぶりもみせずに両手でぱっぱっとスカートから払い落としてしまった。
「え……?」
 風をふくんで膨らんだスカートを慌てて両手で押さえつけた茜は、恵美の予想外の行動にきょとんとした顔になる。
「これ、茜ちゃんにあげる。それで、これが恵美の分。どっちも一枚ずつだから、おあいこだよ、茜ちゃん。茜ちゃん、負けたんじゃないから、しょげちゃ駄目だよ」
 それだけはスカートから払い落とさなかったのだろう、恵美は掌の中にそっと包み込んで持っていた二枚の花びらのうち一枚を茜に手渡し、もう一枚を自分が握りしめて、にっと笑った。しかも、いつのまにか『茜お姉ちゃん』ではなく『茜ちゃん』と呼び方を変えている。
「あらあら、恵美ったら、すっかりお姉さんぶっちゃって」
 それを見ていた母親が苦笑交じりに呟き、傍らに立つ美也子の方に顔を向けて言った。
「恵美、まだおむつが取れないから、お友達から赤ちゃん扱いされることが多いの。それで、その反動だと思うんだけど、よしみちゃんが一緒の時は、同じおむつっ子なんだけど、よしみちゃんの方が一ヶ月だけお誕生日が遅いこともあって、恵美がよしみちゃんのことを妹扱いしているのよ。よしみちゃんがキャンデーを落としちゃったら自分の分をあげたり、よしみちゃんが他のお友達からおむつのことをからかわれたら、自分もおむつのくせしてよしみちゃんを庇ったり。ひょっとしたら恵美、二人で遊んでいるうちに、茜ちゃんに対してもお姉さんぶってみたくなってきたのかもしれないわね。――あ、やだ、恵美につられて私まで『茜さん』のことを『茜ちゃん』だなんて呼んじゃった」
「いいんですよ、その方が親しみを持ってもらえるから『茜ちゃん』で。だから、恵美ちゃんがそう呼んでも叱らないであげてくださいね。茜ちゃんもそれでいいよね?」
 母親の言葉に美也子は軽く首を振って応え、茜に同意を求めた。
「……う、うん……」
 茜にとって美也子から同意を求められるということは命令されるというのと同じ意味合いを持っている。茜にできるのは、力なく頷くことだけだ。
「じゃ、これで、恵美ちゃんと茜ちゃんは仲よしさんのお友達どうしね。恵美ちゃん、茜ちゃんのこと、よしみちゃんと同じくらい可愛がってあげてね」
 美也子は恵美に顔を近づけて笑顔で言った。
「うん、仲よくしてあげる。恵美ね、砂場でよしみちゃんにお山の作り方を教えてあげてるの。それとね、遊んでる間によしみちゃんがおしっこしちゃってもじもじしてたら、そのこと、よしみちゃんのママに教えてあげてるんだよ。そしたら、よしみちゃんのママが恵美にありがとうって言ってくれるの」
 恵美は満面の笑みを浮かべて声を弾ませた。
「そうなの、よしみちゃんがおもらししちゃったら恵美ちゃんがよしみちゃんのママに教えてあげてるの。じゃ、茜ちゃんがおしっこしちゃったら美也子お姉ちゃんに教えてね。茜ちゃんのおむつを取り替えてあげてって教えてちょうだい」
 羞恥に耐えかねて顔を伏せる茜の様子を横目で見ながら、美也子は恵美に言った。
「うん、わかった。茜ちゃんがもじもじしてたら美也子お姉ちゃんに教えてあげる。だって、茜ちゃんと恵美、仲よしさんだもん。よしみちゃんに負けないくらい仲よしさんだもん」
 恵美は元気いっぱい何度も頷きながら言ってから、すぐ横で首をうなだれる茜の方に振り向いた。
「どうしたの、茜ちゃん。どうして、そんなにしょんぼりしてるの? さっきの競争、茜ちゃんの負けじゃないよ、おあいこだよ。だから、元気を出してよ」
 茜が顔を伏せているのは自分よりずっと年下の恵美からまるで同年代の友達みたいな扱いを受けた羞恥のためなのだが、幼い恵美の思いがそこまで及ぶわけもない。
「あ、恵美が美也子お姉ちゃんとばかりお喋りしてるから寂しくなっちゃったのかな、茜ちゃん。よしみちゃんも、恵美が他のお友達とばかり遊んでると寂しそうにして元気なくなるもん。でも、大丈夫だよ。恵美、茜ちゃんと遊んであげるから寂しくないよ。そうだ、さっきはおあいこだったから、あの競争もういちどやろうよ。ほら、茜ちゃんもスカートを広げて。今からもういちど競争するから、号令かけてよ、美也子お姉ちゃん」
 慰めの言葉をかけてもなかなか顔を上げない茜を心配そうに見ていた恵美は、幼いなりにいろいろと考えを巡らせてその原因らしきことに思い当たると、茜の元気を取り戻すため、自分なりに精一杯の励ましの声をかけた。



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