ママは同級生



 美也子はそう言って、ようやくオーディオプレイヤーの電源をオフにした。
 不意にしんと静まりかえった浴室の空気を、ぴちゃんという水音が微かに震わせる。もうすっかり膀胱は空になってしまった茜だけれど、内腿にはまだおしっこの雫が幾つか残っていて、その内の一つが浴室の床に落ちた恥ずかしい音だった。
「じゃ、弥生、あとはまかせるわ。茜ちゃんのあそこ、ちゃんと洗ってあげてね。いつもいつもおもらしでずっと濡れちゃってる茜ちゃんのあそこ、綺麗に洗ってあげないと、すぐおむつかぶれになっちゃうから」
 首をうなだれる茜の様子をもういちどだけちらと見てから、美也子はすっと立ち上がると、なにごともなかったかのような顔で弥生に言って、くるりと背を向けた。
「うん、わかった。赤ちゃんのデリケートなお肌を傷つけないよう優しく洗ってあげてからお風呂をあがるね」
 とびきりの笑顔でそう言って美也子の後ろ姿を見送る弥生。
「いいわ、そうしてあげて。その間に、私は茜ちゃんの湯上がりの用意をしておくわ。弥生が抱っこしておしっこさせてあげたけど、またいつおもらししちゃうかわからないからすぐにおむつをあててあげないといけないわね。それに、おねむの時に寝相が悪くてお腹が出ちゃわないようにパジャマの代わりに着せるロンパースもバスケットから出して広げておかなきゃいけないし、うふふ、なんて手間のかかる子かしら。でも、仕方ないわね。茜ちゃんはまだ赤ちゃんだもの。まだちっちも教えられなくて、まんまも上手に食べられないような小っちゃな赤ちゃんだもの。それに、自分から赤ちゃんになりたいって言いだすくらいだから、当分の間おむつは外れそうにないわね。うん、このぶんじゃ、パパが帰ってきた後もおむつが要るわね。赤ちゃん返りしちゃった茜ちゃんのこと、きっとパパも可愛がってくれるでしょうね」
 美也子がそう独り言めかして言い残し、脱衣場に姿を消して、ぴしゃんとガラス戸を閉じると、浴室に再び静寂が戻ってきた。
「……あ、茜……茜は……」
 それまで首をうなだれていた茜がおずおずと顔を上げて、救いを求めるような目で弥生の顔を振り仰いだ。
「いいのよ、茜ちゃん。今は何も言わなくていいの。赤ちゃんになりたいって言ったことをママに聞かれてびっくりした? でも、ママは、茜ちゃんのお世話はお姉ちゃまにまかせてくれるって言ってくれたでしょ? だから、何も心配することはないのよ。何も心配しないで、お姉ちゃまに甘えていればいいの。さ、ちっち出ちゃったみたいだから、きれいきれいしてからお風呂に入ろうね。体が冷えてるとちっち近くなって、おねしょの回数が増えちゃうもんね」
 弥生は、それまで後ろから抱いていた茜の体を横向きに抱き直して再び乳首をふくませた。
「ちっちで汚れちゃった茜ちゃんのあそこ、きれいきれいしようね。それから、お腹と脇の下と首筋も。その間、茜ちゃんはお姉ちゃまのおっぱいを吸っていていいわよ。約束通り、茜ちゃんをお姉ちゃまの赤ちゃんにしてあげる」
 茜は一瞬だけ何か言いたそうな顔をしたが、結局、言われるままおずおずと唇を開いて弥生の乳首を咥えた。
「そうよ、それでいいのよ。急にママが入ってきてびっくりしたよね? おしっこさせてあげている最中だったから余計びっくりしたよね? でも、もういいのよ。あとは全部お姉ちゃまがちゃんとしてあげるから、茜ちゃんはおっぱいを吸っていればいいの。あとのことはみんな、お姉ちゃまにまかせておけばいいからね」
 弥生は二度三度と茜の髪をそっと撫でつけてから、ベビーソープを滲み込ませた柔らかなスポンジを茜の幼児と見紛うばかりにすべすべした無毛の下腹部に押し当てた。と、茜が弥生の乳首を口にふくんだまま、おどおどした様子で、よく注意して見ていないとわからないほど小さく頷く。
 それは、茜自身の口から「赤ちゃんになりたい」と言わせるために美也子が仕組んだ企みが成就した瞬間だった。
 これまで美也子は容赦ない『お仕置き』や強引な『躾け』で茜を赤ん坊に変貌させてきたが、それには限度がある。茜を更に徹底的に無力な存在に仕立てるためには、精神的に自分の支配下に置く必要がある。そのために薫や京子と協力して茜の胸の内に美也子に対する依存心を植えつけてきたのだが、その仕上げこそが、弥生を使った心理的な追い込みだった。ただ、『追い込み』とはいっても、精神的に強引に責めたてるわけではない。むしろその逆で、弥生が持っている母性という特徴を徹底的に活用して、茜の心をとろとろに溶かしてしまうのが狙いだった。茜が、美也子に対する依存心と同時に、強い怯えを心の中に抱いているのは、当の美也子にはありありとわかっていた。ひょっとすると、怯えというよりも、恐怖に近い感情かもしれない。そんな茜に、それこそ母性の塊のような弥生が接近すれば、茜が弥生に頼りきるようになるのは火を見るより明らかだった。とはいえ、美也子は弥生に対して、茜を母性の虜にするよう命じたわけではない。そんことを命じたとしても、まだ十五歳という若さの弥生が、自分よりも二つ年上の茜を母性の罠に陥れる手練手管を持っているわけがない。だから、へんに命令するよりも、美也子は、弥生が自然に母性を発露させるような状況を作り出すよう努めることを最優先した。美也子は、弥生が故郷にいる妹のことを思い出すよう仕向け、茜がおむつ離れもしていない幼児めいた存在であることを弥生に印象付けることで、弥生が無意識のうちに茜を赤ん坊扱いし、甲斐甲斐しく世話をやくような状況を展開することで、最終的に茜が弥生に対して(美也子に対するのとは違った形の)依存心を抱くように仕向けていったのだった。
 その結果、遂に茜が弥生に向かって「お姉ちゃまの赤ちゃんになりたい」と告白したところをみると、美也子の目論見が上々の成果をあげたのは間違いないようだ。




 翌朝、茜が目を覚ましたのは、いつも通り大きなベビーベッドの上だった。寝かしつけられる時にはくるくる廻りながらかろやかなメロディーを奏でていた天井のサークルメリーも、今は静かだ。
「おはよう、茜ちゃん。気持ちよさそうにねんねしてたわね」
 茜が目を覚ます時間はだいたい決まっている。その頃を見計らってだろう、カチャリとノブをまわす音がして、開いたドアから弥生が部屋に入ってきた。
「……お、おはよう、弥生お姉ちゃま……」
 昨夜の浴室でのできごとを思い出して思わず頬を赤らめながら、茜は、掛布団からちょこんと顔だけを出してベビーベッドのサイドレール越しに弥生の顔を見上げ、小さな声でおずおずと言った。
「はい、おはよう。ちゃんとご挨拶できて、茜ちゃんは本当にお利口さんね。あ、でも、今から赤ちゃんのお洋服を脱ぎ脱ぎして高校生のお姉ちゃんになるんだもの、そりゃ、ご挨拶くらいできるわよね。じゃ、おっきしようか」
 弥生がくすっと笑って言い、ベビーベッドのサイドレールを丁寧に倒して、いかにも幼児向けといった可愛らしい柄のカバーのかかった掛布団を手早くどけると、赤ん坊そのままの装いに身を包まれた茜の姿があらわになった。吸水性の良さそうな生地でできた薄手のトレーナーの上に着せられたロンパースのボトムは、たっぷりあてられたおむつのせいでぷっくり膨れ、ロンパースの胸元を覆うよだれかけは、入浴時と食事時以外には就寝時も例外なく咥えさせられているオシャブリのせいでこぼれ出るよだれでうっすらとシミになっている。それに、ぐっすり眠って力が抜け、ベッドに入った時には口にふくんでいたオシャブリが今は枕の横に転がっていて、茜の唇の端から頬、枕カバーにかけて、よだれの跡がくっきりついているといった具合で、一見したところでは、それこそ、ようやく立っちができるくらいの月齢の赤ん坊そのままの姿だ。



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