ママは同級生



「はい、じゃ、よだれかけからね。あらあら、おむつだけじゃなく、すっかりよだれかけも濡らしちゃって。でも、ずっとオシャブリだもの、仕方ないわよね」
 弥生は茜が咥えているオシャブリを人差指と親指でつまみ取ってから、よだれかけの紐を手早くほどいて、部屋に持ってきておいた洗濯篭に投げ入れた。それから、幅の広いリボンふうの肩紐を留めているボタンを外してロンパースを茜の足元に引きおろし、両手を差し上げさせてトレーナーも脱がせると、茜が身に着けているのは、おむつのせいでぷっくりしたおむつカバーだけになってしまう。あまり発育していないとはいえそれなりに膨らんだ乳房に、やや丸みを帯びた腰まわりと、きゅっと締まったくびれ。決して幼児のものなどではない身体に、けれど、実際の年齢にはまるでふさわしくない赤ん坊の装いであるおむつカバーの組み合わせ。その奇妙な対比は、どこかなまめかしさを漂わせて見える。
「さ、最初はシャツよ。おねむの時はこれは要らなかったけど、おっきして学校へ行く時は着ておかなきゃね」
 おむつカバーだけを残して茜をすっかり丸裸に剥いた弥生がベッドの隅から最初に持ち上げたのは、胸元に可愛らしい小花の刺繍をあしらったスリップシャツだった。すべすべした純白のシルクでできたそのスリップシャツは全体のラインは幼児向けといった仕上がりだが、刺繍の胸元だけは、幼児用のものとは違って、ブラのカップとしての機能を持たせるために立体的な裁断がしてあった。これを着用せずに肌の上に直接ブラウスを着たりしたら乳首が擦れて最後には痛みさえ伴うことになる。それを防ぐために美也子が茜に対してかけてやった申し訳ほどの慈悲の表れがこのスリップシャツだ。
「 はい、次はブラウスとスカート。これを着たら、赤ちゃんから高校生のお姉ちゃんになれるからね」
 弥生はスリップシャツに続いてブラウスを着せて手際よくボタンを留めてから、次にスカートを穿かせた。
 が、弥生がスカートのサイドホックを留めると同時に茜が困ったような声を出す。
「お、お姉ちゃま……スカート、昨日より短いみたいなんだけど……」
 茜の言う通り、制服のスカートの丈が昨日に比べると幾らか短くなっていた。これまでより多めにおむつをあてられたためにおむつカバーの膨らみが増し、そのせいでスカートが余計にたくし上げられてしまうのは仕方ないけれど、それだけでは説明できないほどに短くなっている。
「あ、それは、美也子ママの言いつけで、お姉ちゃまが仕立て直してあげたからよ。お洗濯で縮んだとかそんなじゃないから、心配することはないわ」
 スカートの裾を整え、ネクタイを結びながら、弥生が平然と応えた。
「ど、どうして、そんな……こんなに短いと、ちょっと油断したらおむつカバーが見えちゃうかもしれないのに……」
 自分で口にした『おむつカバー』という言葉にうっすらと頬を赤らめながら、茜はしきりにスカートの裾を引っ張る。
「だって、茜ちゃんはまだあんよが上手じゃないでしょう? 丈が長いとスカートの裾がまとわりついて、余計にあんよが上手じゃなくなっちゃうのよ。それでころんしたら可哀想だからって、美也子ママが言ってたの」
 弥生は、結び終えたネクタイの曲がり具合を直しながら説明した。
 確かに、美也子の手で強引に赤ちゃん返りさせられてからこちら茜が自分の足で歩く時間は殆どなかった。そのせいで筋肉が衰えてしまい、通学路でも校内でも、足取りはまるでおぼつかない。そのおぼつかない足取りの邪魔にならないよう美也子がスカートの丈を短くさせたという弥生の説明には一理ある。しかし、実のところ、美也子が弥生にそうするよう命じたのは、茜のことを気遣ってのことなどでは決してない。美也子の本当の狙いが茜の羞恥を煽るためなのは言うまでもないことだ。うっかり大きく腰をかがめたり大股で歩いたりしようものならおむつカバーが見えてしまいそうなほどに短い丈のスカートを身に着けた茜がバスの中や学校でどんなふうに恥ずかしがるか、それを見て楽しむために美也子は弥生に命じてスカートを仕立て直させたのだった。
「……」
 弥生の説明を耳にしつつ、けれど茜は美也子の狙いが何なのか直感していた。直感していたけれど、かといって、それに対して抵抗できる筈もない。今や茜はすっかり美也子の言いなりだった。言いなりで、その惨めさの裏返しで弥生に甘えるしかない茜だった。
「さ、できた。はい、これで赤ちゃんから高校生のお姉ちゃんになれたわね、茜ちゃん。お姉ちゃまも新入生の席からしっかり応援してあげるから、生徒会長のご挨拶、しっかり頑張るのよ」
 茜がもじもじとスカートの裾を引っ張り続けている間に手早くブレザーを着せ、皺を伸ばして弥生は言った。
 弥生は今日、啓明女学院高等部の入学式を迎える新入生。一方の茜はその啓明の三年生で、在校生を代表して生徒会長として挨拶をする立場だ。なのに、弥生はまるで緊張するふうもなく、本来なら尊敬すべき先輩である筈の茜に対して、まるで保育園か幼稚園の入園式で新入園児を代表して『ご挨拶』をすることになった幼い妹を勇気づけるしっかり者の姉めかして振る舞っている。
 そんな弥生の励ましの言葉に、茜は気恥ずかしそうに、けれど満更でもなさそうな顔でこくんと頷いた。
 それを見た弥生は優しく微笑むと、制服姿の茜の体を(赤ん坊の格好をした時とまるで変わりなく)さっと横抱きに抱き上げ
「じゃ、元気よくご挨拶できるように、まんまにしましょうね。しっかり食べて、大きな声でしっかりご挨拶するのよ」
と話しかけながら廊下に足を踏み出した。
 実際の年齢にふさわしい高校の制服に身を包まれた茜が赤ん坊のように横抱きにされている姿はいささか奇妙な光景だが、これも美也子が弥生に命じてそうさせているのだった。 春休みの間、茜はずっと赤ん坊としての生活を強要されて、自分の足で歩く時間はほんの僅かしかなかった。西村の屋敷では通学に差し障りのない程度には筋力を戻すよう『あんよのお稽古』をさせられたものの、走ったり跳んだりできるほどに回復したわけではない。学校の中ではおぼつかない足取りで廊下に歩を進め、揺れるバスの中では美也子に支えてもらって倒れずに立っているのが精一杯といったところだ。それでもこれから普通の生活を送りさえすれば次第に筋力も戻ってきて自由に走り回ることもできるようになるのだろうが、そうなるのを手をこまねいて眺めている美也子である筈がなかった。茜が自分の支配下から逃れる術を手に入れることは絶対に許さない美也子にしてみれば、茜の脚の筋力が回復することなど到底認められるわけがない。完全に寝たきりのままだと通学にも支障が出るから或る程度は歩けるような状態になってもらわないと美也子自身も困るものの、それ以上の回復は決して許さない腹づもりだった。そのために、家の中ではいつも茜を歩行器に閉じ込め、階段を上り下りする必要がある時には弥生が抱いて移動するよう命じていたのだ。実は、保健室で怜子が口にした「体育の授業で実技を免除してくれるよう体育の先生に私から正式に文書でお願いしてあげる」といった言葉さえもが美也子のそんな企みの内にあった。その言葉は、体操服に着替えるたび級友たちにおむつカバーを見られることになる茜に向かって救いの手を差し伸べてのことのように聞こえるかもしれない。しかし、本当のところは茜を気遣ってのことなどではなく、茜の脚の筋力が回復するのを妨げるために茜に体育の授業を受けさせないよう企む美也子が怜子に依頼してのことだった。筋力が回復する機会をそれほど徹底的に奪われ、最低限の行動しか許されない状態に置かれた茜は、これからもずっとおぼつかない足取りで、時には美也子や弥生に手を引いてもらいながらでないとちゃんと歩くこともできないままだろう。今や茜は、美也子の元を逃れて家を飛び出すこともかなわない身にされてしまっているのだ。目に見えない首輪と透明な鎖につながれた哀れな小動物めいた存在に貶められしまったと表現しても過言ではないかもしれない。
「ほら、階段をおりるから、お姉ちゃまにしっかりつかまっているのよ」
 茜を横抱きにしたまま二階の廊下の端まで歩みを進めた弥生は、改めて茜の体をしっかり抱き直してから階段に足をかけた。

 階段をおり、ダイニングルームに入ると、先に朝食を済ませた美也子が待っていた。
「あら、すっかり高校生のお姉ちゃんになっちゃって。でも、弥生お姉ちゃまに抱っこしてもらって甘えているところは赤ちゃんのままね」
 美也子は、制服姿で弥生に横抱きにされている茜の様子を見てくすりと笑うと、傍らに用意した歩行器をすっと前に押し出した。
「高校生のお姉ちゃんの格好をしている時は椅子に腰かけてご飯を食べさせてあげてもいいかなと思っていたんだけど、そんなふうに甘えてばかりの赤ちゃんには、やっぱり、こっちの方がお似合いね。もう、これからずっと、歩行器が茜ちゃんのテーブルと椅子に決まりね。まんまを食べる時もそうだし、学校の宿題も歩行器に座ってするのよ」



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