ママは同級生



「じゃ、まだ十六歳にはなってないわけか。十五歳でその自信っぷり、なかなか見所があるじゃない。ひょっとしたら本当に地区優勝しちゃうかもね」
 早苗は、さも感心したように言った。そうして、前の席の窓側に座っている茜に向かって肩越しに話しかける。
「茜、たしか四月の十三日が誕生日だったから、もう一週間もしないうちに十八歳になるんだよね? ほら、従姉妹でまだ十五歳の弥生ちゃんがこんなにしっかりしてるんだから、茜も少し自信を持って行動しなきゃ駄目だよ。茜、成績はいいし、生徒会長にもなるくらいなんだから人望もあるのよ。なのに、どこか優柔不断で、線が細いっていうか……今も入学式の挨拶のことでびびってるんじゃないの? 茜、ちゃんとすれば何だってできる子なんだから、自信たっぷりに胸を張っていればいいのよ。わかったわね?」
 それは、こわばった顔でスカートの裾をぎゅっと握りしめてバスの座席に座っている茜の様子を見て、早苗が、気の弱いところのある級友が緊張と不安に苛まれているのだろうと気遣って投げかけた励ましの言葉だった。けれど、実のところ、茜の顔がこわばっているのは、高校生にもなってショーツの代わりにおむつでお尻を包みこまれていることを周囲に気づかれないかという怯えのせいだし、スカートの裾をぎゅっと握りしめ、太股の上に通学鞄を置いているのは、間違ってスカートが捲り上がっておむつカバーを人目にさらさないようにするためだった。しかし、そんな事実を早苗に打ち明けられる筈もない。
「う、うん……」
 茜は、おずおずと頷いて気のない返事をするのが精一杯だった。
「ほら、もっと元気な声を出さなきゃ駄目だって言ってるのに、本当に困った子なんだから」
 早苗は溜息交じりに言って、場を和ませようとしてか、今度は美也子に向かって明るい声で言った。
「そういえば、西村さんの誕生日はいつなの? 私、星占いなんかも大好きで、クラスのみんなの誕生日をメモったりしてるんだ」
「あ、私は三月二十日。早生まれなのよ」
 早苗の問いかけに、美也子は意味ありげな笑みを浮かべて応えた。
 美也子の返事を耳にした瞬間、茜は、あっという声を出しそうになった。落ち着き払った様子の美也子がまさか早生まれだとは思ってもいなかったのだ。初めて会った時には自分よりも年上だと思っていた美也子が実は自分と同じ高校生だと聞かされた時に勝るとも劣らないほどの衝撃だった。
「へーえ、早生まれなんだ、西村さん。でも、とってもそうは見えないよね。弥生ちゃんほどじゃないにしても背も高い方だし、大人びた雰囲気だし」
 早苗は、さも感心したように言った。そうして、茜の横顔と美也子の横顔を見比べて、くすくす笑って続ける。
「それにしても、不思議なものね。同じ学年だけど、茜と西村さんとじゃ丸一年ほども誕生日が離れていて、先に生まれた茜の方が子供っほくて、反対に、茜よりも一年ほど遅く生まれた西村さんの方がずっと大人びてるんだもの。それに、昨日、茜ったらお家で西村さんに甘えてばかりいるって言ってたっけ。本当、小さい頃はともかく、私たちのくらいの年齢になると、少しくらい誕生日が早くても遅くてもあまり関係なくなっちゃうのね」
 早苗の言葉に他意がないのは茜にもわかっている。それは充分にわかっているのだが、早苗が口にする一言一言が茜の胸に鋭い錐のように突き刺さるのもまた事実だった。自分よりも年下の弥生を『お姉ちゃま』と呼び、自分と同じ学年の美也子を『ママ』と呼ぶよう強要され、二人の手で赤ん坊扱いされる屈辱と羞恥。もうそれ以上の羞恥と屈辱などあるわけがないと思っていたのに、なのに、実は美也子が自分よりも実質的には一つ年下だと知らされた今、早苗が何気なく口にする言葉が「茜は、自分よりも年下の子を『ママ』って呼んでおむつを取り替えてもらったり、おっぱいを吸わせてもらったりしているのよね」と言っているようで、それこそ、いてもたってもいられなくなってくるほどの屈辱に身悶えせんばかりだ。
「あ、どうしたの、茜ちゃん? 顔色が良くないみたいだけど大丈夫?」
 美也子が実は自分よりも丸一年近くも年下だという事実を知らされ心の動揺を隠せないでいる茜に、弥生が気遣わしげな声をかけた。弥生は、茜がなぜ顔色を失ったのか、その本当の理由に思い至ったわけではない。入学式での挨拶のことを考えて緊張しているのか、それともバスに乗り物酔いして気分が悪くなったのかと心配して声をかけてみたのだ。
 が、弥生のそんな言葉に茜の心はますます動揺してしまう。
(や、やだ、弥生お姉ちゃまったら、茜のこと『茜ちゃん』だなんて呼んでる。早苗や他のお客さんの前で、茜、年下の弥生お姉ちゃまから『茜ちゃん』って呼ばれちゃった。どうしよう、そんな呼び方されたら、お家で赤ちゃんになってるのを知られちゃう。赤ちゃんになって弥生お姉ちゃまに甘えてるのを早苗や他のお客さんに知られちゃうよ)
 そんな茜の動揺は本当のところは杞憂に過ぎない。早苗にしてみれば、従姉妹どうし(ということになっている)だから弥生が茜の名前を『ちゃん』付けで呼んでもちっとも変に思わないし、バスに乗り合わせた他の乗客にしてみれば、茜と弥生の間柄も年齢も知らないから互いにどう呼ぼうが関心がなく、そもそも四人の会話が他の乗客に聞こえているかどうかさえはっきりしない。
 けれど、思いもしてみなかった事実を告げられて心の動揺を抑えられないでいる茜が、都合の悪い方に悪い方にと自分の気持ちを追い詰めてしまっているのだった。そうして、その隣には、自らを追い込んでゆく茜の狼狽ぶりを醒めた笑顔で眺めている美也子がいた。




 新入生は、校舎前の掲示板に貼り出してあるクラス分け表に従って校庭に並んで入学式の始まりを待つことになっている。
 自分がどのクラスになるのか一刻も早く知りたいのだろう早足で掲示板の方に向かう弥生と別れて、三人は自分たちの教室に向かうために校舎に入り、廊下を歩き出した。
 と、美也子と並んで歩く茜の背中越しに、二人の後ろを歩いていた早苗が興味深げな、そして少しばかり訝しげな顔つきで話しかけた。
「昨日は気がつかなかったけど、茜、ひょっとして春休みの間にちょっと太ったんじゃない? なんだか、お尻が丸くなってるみたいだよ。それに、随分スカートの丈を短くしたんだね。それって校則ぎりぎりじゃない? ひょっとして、新入生の子たちに『お洒落なお姉さま』って思わせようとして気合い入れちゃったとか?」
 今朝からおむつの枚数が増えておむつカバーがぷっくり膨らんでいるのに加えて、丈が短くなったものだからスカートのラインが余計に強調されて、後ろを歩く早苗には、茜のお尻がいつもよりふっくらして見えるのだ。早苗は、まさか高校生の茜がスカートの下におむつをあてているとは想像もしていないから、ふっくらしたお尻に気づいて茜がちょっと太ったのかなとしか思わない。
 だが、当の茜にしてみれば、まるでスカートの中を見透かされでもしたかのように思われて、慌てふためいてしまうのも無理はない。早苗の言葉に、茜は、はっとしたような顔になって急に歩みを止め、スカートの裾を引っ張り始めた。
 けれど、それがいけなかった。前を歩く茜が急に立ち止まったものだから早苗も慌てて歩みを止めようとしたのだが、もう間に合わず、そのまま勢い余って茜の体にぶつかってしまう。
「きゃっ」
「いやっ」
 二人の悲鳴が交錯して、小柄な上に両脚の筋力が弱っている茜が弾きとばされた。。
 そこへ美也子の手がすっと伸びて茜の体を支える。そのおかげで茜はなんとか倒れずにすんだものの、体が大きくよろけたせいでスカートの裾がふわっと舞い上がった。ぷっくり膨らんだおむつカバーのせいでスカートが幾らかたくし上げられるような感じになっているのに加えて丈も短く仕立て直してあったせいで、さほど大きく捲れ上がったわけではないけれど、茜のお尻を包み込んでいるピンクのおむつカバーが、ほんの僅かだが見えてしまう。
「や、だめっ」
 かろうじて両足を踏ん張った茜は、自分の下半身に向けられる早苗の視線に気づくと、慌ててスカートを押さえ、何度も何度も裾を引っ張った。



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