ママは同級生



 だが、実は早苗は、スカートの裾からちらと見えたピンクの生地がおむつカバーだとは気づいていなかった。そう思ってよく目を凝らせば茜の下腹部を包み込んでいるのがおむつカバーだとわかるけれど、まさか病気でもない高校生がおむつをあてているとは想像もしないから、普通のショーツとは違う少し厚手の可愛らしいキャンデー柄の生地を目にしても、それが本当はおむつカバーだとは思い至らない。
「茜ったら、春休みの間に何かあったの? いつも真っ白の地味なショーツしか穿かなかったのに、ピンクの生地にいろんな色の水玉模様だなんて、今日は随分と可愛らしいパンツじゃない。それに、ちょっと厚手の生地みたいだけど、ひょっとして、見せパンかな? バスの中じゃ緊張してるように見えたけど、スカートを短くしてみたり可愛い見せパンを穿いてきたり、本当は気合い入りまくりだったりするんじゃないの? ――でも、そうよ、その意気でいいのよ。そのノリノリの気分でなんでもやっちゃえばいいのよ。その勢いで入学式の挨拶も元気にすませちゃおうね」
「え……?」
 おむつカバーを見られたと思い込み、もじもじとスカートの裾を引っ張り続ける茜は、しばらくの間、早苗が何を言っているのかわからなかった。
 が、ようようのこと、どうやら早苗がおむつカバーのことを普通にパンツだと思っているらしいことに気がつくと、
「あ……う、うん、頑張る。私、ちゃんと挨拶ができるように頑張るからね」
と、少しばかりしどろもどろになりながらもそう応えて、おずおずと頷いてみせた。
「そうそう、その調子よ。新学期になったんだから、これまでの気弱な茜からしっかり者の茜にイメージチェンジしなきゃね。さ、いつまでも廊下の真ん中に立ち止まってちゃみんなの邪魔になるから、ほら、教室へ行こう」
 本当のことも茜の胸の内も知る由のない早苗は、自分たちのせいで人の流れが滞っていることに気づくと、茜の手を引いて廊下の端に移動し、急きたてるようにスカートの上から茜のお尻をぽんと叩いた。
 と、たくさんあてられた布おむつの厚ぼったい感触がスカートの生地越しに掌に伝わってきて、早苗は不思議そうな表情を顔に浮かべる。それが布おむつの感触だとは早苗は気づいていないけれど、ショーツやブルマやオーバーパンツといった馴染みのある普通の下着の感触などでないことだけは明らかだった。それまではてっきり厚手の見せパンだと思っていたのが、茜がスカートの下に本当は何を身に着けているのかわからなくなってきて、早苗は思わず自分の掌と茜のお尻とを何度も見比べてしまった。




 教室でホームルームを終えた在校生たちは揃って体育館に移動し、クラスごとに指定されたパイプ椅子に腰かけて入学式の始まりを待った。
 まだ誰も座っていない前の方の列は新入生の席で、その後ろに在校生の席があり、通路を挟んで更に後方が父兄席という配置になっている。しかし、茜が腰かけているのは美也子や早苗たちと同じ在校生の列ではなく、ステージの上で、生徒たちから向かって演壇の左側に設けられた教職員席の一角だった。生徒会長として挨拶をするということで、他の生徒たちから離れて、この晴れがましい席に座らされているのだ。それも、校長や教頭と一緒に最前列の席だ。
 茜は身を固くし、両脚の膝頭を触れ合わせるようにして座っていた。ちょっとでも気を抜くと左右の脚が開き気味になって、丈の短いスカートの裾からおむつカバーが見えてしまうかもしれないという不安で胸が押し潰されそうになる。
 そんな茜をステージの下から特別な思いで見つめる二人の目があった。一人は、スカートの中をさらすまいと頑なにステージの上で身を固くする茜の様子を面白そうに胸の中でうすら笑いを浮かべて眺めている美也子。もう一人は、廊下でスカート越しに触れた下着の不思議な感触のことがまだ忘れられず、無意識のうちに茜のスカートの中を覗き込まんばかりに目を凝らしている早苗だった。
「あまり緊張しちゃいけませんよ、佐野さん。肩の力を抜いて、深呼吸してごらんなさい」
 茜が身を固くしているのを緊張のためだと思い込んでいる校長が気遣わしげに囁きかけた。
 それに対して茜は曖昧な返答をして、膝頭の上に置いた拳をますます固くぎゅっと握りしめるばかりだ。

 そうこうしているうちに壁に掛かった時計の針が九時を指し、進行役を務める教頭がマイクを握った。
『ただいまより、第××回・啓明女学院高等部の入学式を挙行いたします。新入生が入場いたしますので、保護者の方々、在校生のみなさんは拍手で迎えてください』
 マイクを通した教頭の声が体育館中に凛として響き渡ると、躍動感溢れるマーチに合わせて、新入生たちが整然とした列をつくって入場してきた。
 おそらく在校生を含めても学院の生徒の中では一番背が高いに違いない弥生は、新入生の列の中でも異様に目立つ存在だった。弥生が横を通り過ぎるたびに、父兄席や在校生席のあちらこちらから(遠慮がちながらも)思わず感嘆の声があがった。けれど、そんなことはすっかり慣れっこになっている弥生は、まっすぐステージの上にいる茜の姿だけを見据えて自分の席に向かって歩いた。
 新入生の入場に続いて国歌斉唱、校長の挨拶、来賓の祝辞、コーラス部による校歌の披露があって、式次第は、いよいよ生徒会長の挨拶の番になった。
『在校生を代表して、生徒会長・佐野茜』
 マイクを通して教頭に名を呼ばれ、茜は席を立った。が、勢いよくは立てない。スカートの裾が空気を含んで舞い上がらないよう慎重な身のこなしにならざるを得ない。
 茜は先ず二歩前進してから軽く体を捻るようにして教職員席に向かって会釈をし、続いて、演壇を挟んで向かい側に設けられた来賓席に向かって頭を下げると、演壇と教職員席との間までゆっくり進んで、ステージの後方に掲揚してある国旗に向かってお辞儀をするために体の向きを変えた。
 茜の不安が絶頂に達した。国旗に向かい合って立つと、生徒や父兄に対しては背中とお尻を向けることになる。しかも、生徒や父兄はステージの下から茜の姿を斜めに見上げる格好になるわけだ。美也子の指示で弥生が丈を短く仕立て直したスカートは、大きく膨らんだおむつカバーのせいで丸みを帯び、少しばかりたくし上げられるような感じになっている。茜は、そんなスカートの裾からおむつカバーが見えてしまわないかと、気が気ではない。
 しかも、こうして立っているだけでも心ここにあらずといった状態なのに、続いて国旗に向かってお辞儀をしなければならないのだから、たまったものではない。ほんの僅かしか頭を下げなければスカートが今以上たくし上げられることはないから安心かもしれないが、それではちゃんとしたお辞儀にはならないし、かといって、あまり大きく頭を下げると、それに合わせて背中と腰も大きく傾ける必要があって、どうしてもスカートが引っ張り上げられて、それこそおむつカバーが丸見えになってしまうに違いない。茜は胸の中で唇を噛みしめながらおそるおそる頭を下げ、しばらくして直立不動の姿勢に戻ると、全身で背後の雰囲気を窺った。――が、生徒席も父兄席もしんと静かで、訝しげな声も、驚きの声もあがらない。どうやら、おむつカバーを大勢の目にさらすことは免れたらしい。
 思わず安堵の溜息をつく茜。
 だが、油断するのは早かったようだ。ふっと気を緩めた瞬間、尿意を覚えて、茜は顔色を失った。
 尿意を覚えて十分間も我慢できなくなってしまった身で入学式が終わるまでおしっこを辛抱できるわけがないのは、自分でも痛いほどわかっている。けれど、かといって、この場を逃げ出すこともかなわない。入学式の最中に生徒会長としての務めを放棄して体育館から逃げ出したりしたら、どうしてそんなことをしたのか詰問されて、おむつのことが学院中に知れ渡ることになりかねない。
 茜はぎゅっと目を閉じ、浅い呼吸を何度か繰り返すと、演壇に向かってのろのろと歩き出した。



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