「そうやって……なんのつもり?」
「なんのつもりも何もあらへんよ。サクランボの食器を買いにきただけやんか」
「そんなこと言うたかて、ここにあるんはどれも赤ちゃん用のんばっかりやんか」
「そやから、それでええんやん。可愛いいサクランボにお似合いの食器やで。昼間からおむつを濡らしてしまうサクランボにお似合いの、な」
 そんなん、まるで赤ちゃん扱いやんか――マンションの部屋の中で叫んでしまいそうになった言葉が頭の中に甦ってきた。まさか……。
「さ、どれがええの? サクランボの好きなんを選んでええねんで。サクランボが使うんやもんな」
 桃子の声が耳にねっとり絡みついてくる。千恵里はその声を振り払うようにぶんぶんと首を振った。
 千恵里が高校二年生の時、一年前に嫁いだ一番上の姉が出産準備のためにベビー用品専門店へ行くのにつき合ったことがある。その時には、ずらりと棚に並んだプラスチック製の食器を目にして随分と可愛らしく思ったものだった。だけど、それと同じ物を、まさか大学生にもなった自分のために選びなさいと言われるなんて。
「早いことしてよ、サクランボ。買わなあかんもんはまだぎょうさんあるねんから」
 僅かに笑いを含んだ声で桃子が言った。
「……いやや。こんなん、いやや。なんで私がこんな赤ちゃんみたいな食器を使わなあかんのよ」
 千恵里はそう言って後ずさりした。
 どん。
 はっとして振り返ると、後ろに倫子の体があった。
「赤ちゃんが赤ちゃんの食器を使うのが、なんでそない不思議なん?」
 倫子は千恵里の体を抱えこむようにして、ぽんとお尻を叩いた。
 奇妙な音がして、千恵里がスカートの下に着けているのが普通の下着ではないことをあらためて教える。
 千恵里はびくっと肩を震わせて、おずおずと顔を伏せた。顔を伏せて、蚊の鳴くような声で言う。
「私、赤ちゃんなんかやない」
 途端に、クスクス笑う声が聞こえた。
 おそるおそる顔を上げた千恵里を取り囲むようにして立っている桃子と倫子がおかしそうに笑っていた。
「な、なにがおかしいのん」
 千恵里は今にも消え入りそうな声を出した。自分よりも頭一つ以上も背の高い二人に囲まれて声を合わせて笑われたりすると、精一杯の虚勢を張ることも簡単じゃない。
「ふーん。サクランボ、赤ちゃんやないのん。へーえ」
 ひとしきり笑ってから、桃子はわざと感心したような口調で言った。
「小さい子はみんな、たいがいそんな言い方をするらしいで。三歳くらいの子のおねしょが続くからいうてお母さんがおむつをあてようとしても、もう赤ちゃんやないもんとか言うて嫌がるらしいねん。うふふ、小っちゃい子のそういうとこ、はたから見とったらめっちゃ可愛いいけどな」
 桃子は、まるでそんな子供と一緒やねと言いたげに千恵里の顔を覗きこんだ。
「そんな……」
 千恵里は思わず、ぷいと横を向いた。
「そうそう。そんで、自分の気に入らへんことがあったらじきに拗ねて、ほっぺを膨らませたり横を向いたりするねん。な?」
 倫子が桃子に同意してみせた。
 その声が千恵里に向けられているのは明らかだった。じきに拗ねて横を向いてしまうサクランボに。
「そないいうたら、そういう困った子も多いらしいね。けど、サクランボはええ子やもん、そんな拗ね方してうちらを困らせたりせぇへんよね?」
 桃子は真っ直ぐ揃えた両脚の膝の上に手をつくと、少し腰をかがめて千恵里の目を正面から見た。それはちょうど、母親が幼い子供に何か話しかける時のような姿だった。
 千恵里はなんとなく気恥ずかしくなって、慌てて目をそらしてしまう。
「聞き分けのない子やな、サクランボも。しゃあない、うちが選んだげよか」
 ふっと息をついて、桃子は腰を伸ばした。そうして、あらためてベビー食器が並んだ棚と向かい合う。
 桃子は目の前の皿や茶碗、カップなんかを一つずつそっと手に取ってはしげしげと眺めまわして棚に戻すといったことを繰り返した。どれも、白いプラスチックの素材に可愛らしいアニメキャラクターが描かれた小さな食器だった。
 そんな桃子の様子をちらちらと見ていた千恵里が、とうとう我慢できなくなったように手を伸ばして桃子のブラウスの袖をつかんで言った。
「な、もうやめようよ。こんな冗談、もうええやん」
「冗談やて?」
 千恵里にブラウスの袖をつかまれて振り向いた桃子が、すっと目を細めた。いつもより僅かに低い声が、妙な迫力を感じさせる。
「え……」
 たじ。思わず顔を引きつらせて、千恵里は体を退いてしまう。
 どん。
 後ずさったところに立っていたのは、(ほとんどお約束状態になった)倫子だった。
「ところが、これが冗談なんかやないんやで、サクランボ」
 倫子は長い腕を千恵里の体に巻きつけるみたいにして、他の客の注意を惹かないように小声で言った。
「冗談やない? そやかて、大学生の私に赤ちゃん用の食器を選んであげる言うのが冗談やのうて、なんやいうのん?」
 千恵里の声は、次第に金切り声みたいにきんきん響くようになってきた。
「そんな声を出してもええのん? ほら、みんなしてこっちを見とるで」
 倫子はクスクス笑いながら千恵里の耳元で囁いた。
 その言葉に千恵里が周りに視線を走らせてみると、何かあったのかしらと好奇の色を浮かべてこちらの様子を窺っている幾つもの目があった。
 千恵里はかっと顔を熱くして、しょげかえるように口を閉ざした。
「なぁ、これなんかどない?」
 千恵里が黙りこむと、それを待っていたように桃子が、手にした皿を差し出した。一枚の皿の中でおかずを入れるところとご飯をいれるところが分かれた、千恵里も何度か目にしたことがあるアニメキャラクターが原色で描かれた浅い皿だった。白いプラスチックのフォークとスプーンがセットになっている。
「へーえ、わりと可愛いいやん。これでええんちゃうかな。サクランボはどない?」
「……」
 倫子が訊いても、千恵里は押し黙ったままだった。何か言えばさっきみたいな金切り声になってしまうのはわかっている。
「あらら、サクランボはお口がなくなってしもたんかな?」
 ちょっと小首をかしげて、桃子が冗談めかして言った。それから、そっと倫子に目配せをする。
 倫子は小さく頷くと、千恵里の体を抱えている方とは別の腕をそろりと伸ばした。
 千恵里が気配を察して振り返った時にはもう、倫子の手は千恵里のスカートの裾をつかんでいた。
 そして千恵里が身をよじる前に、スカートの裾をつかんだまま、その手をさっと腰の高さまで振り上げる。
 突然のことに、千恵里は拳を握りしめて大きく口を開いた。今にも金切り声で叫び出しそうになる。
 その口を抑えたのは桃子の掌だった。
「ほらほら、こないしたらちゃんとお口が開くんやんか。けど、今はそない大声で叫ばへんかってもええねんで。ただ、この食器が気に入ったかどうか教えてくれたらそれでええねんから」
 千恵里の唇をさりげなく塞ぎながら、桃子はにこにこ笑って言った。
 桃子のにこやかな笑い顔や倫子の悪戯っぽい表情のために、はた目には三人がふざけ合っているようにしか見えないかもしれない。だから、店員も他の客も、さほど三人には注意を払わないでいる。それが、ここで千恵里が叫び出せば、否応なく三人は注目を集めてしまうだろう。そうなって困るのは、スカートの下から恥ずかしい下着を覗かせている千恵里自身だった。
 千恵里は桃子の手に塞がれた唇をのろのろと閉じて、倫子が持ち上げているスカートの裾を引っ張った。倫子が意外にあっさりと手を離したために、プリーツがたっぷりあしらわれたスカートは再びおむつカバーを覆い隠してしまう。もっとも、それが奇妙な曲線を描いて膨らんでいるのはどうしてみても隠せないままだったけれど。
「どない、これでええのん?」
 スカートの乱れををささっと両手で整える千恵里の目の前に、桃子は手に持ったままの白い皿を突きつけた。
 千恵里は下唇を前歯できゅっと噛んで、小さくこくりと頷いた。いいも悪いもないけど、このまま何も応えずにいれば、さっきみたいにスカートを捲り上げられてしまうかもしれない。
「……もう、桃子の好きなようにしたらええやんか」
 頷いて、桃子はぼそりと言った。
「よっしゃ、よお言うた。それでこそ、うちらのサクランボや。ほな、買い物は全部、うちらにまかせるんやな? けど、言うとくで。うちらが買う物はみんな、サクランボがほしがるから買うんやからな。あとで、うちらが強引に押しつけたやなんて言わんといてや。ええな?」
 にへらと笑って、桃子は千恵里の肩をぽんと叩いた(桃子さん、上機嫌)。
 一方、ぽんぽん肩を叩かれる千恵里の方は、もうなにがどうでもよくなりかけていた。寮の玄関で荷物を待っていたのが気がつけば桃子と倫子のマンションへ連れて行かれて、あっと思った時には紙おむつをあてられて、しかもその紙おむつを濡らしてしまって、今度はドラッグストアの更衣室で布おむつを汚す羽目になって、今はスカートの下に新しいおむつをあてられたまま買い物につきあわされて、そこで桃子が買おうとしているのが赤ちゃん用の食器で、その上その食器は千恵里の物だという。
 こんな状況、まともに考えれば考えるほどわけがわからなくなって当然だった。自慢じゃないけど、受験のプレッシャーに耐えかねておねしょなんてことになっちゃった千恵里だ、こんなことにいつまでも正面から向き合えるほど図太い神経を持っている筈がない。
「もう、好きなようにしたらええやん」
千恵里は疲れたような顔でもう一度呟いた。
「あ、そう。ほな、お皿はこれにしょうな」
 桃子は、持っていた皿を、店員から渡されたのとは別の黄色い買物カゴに放りこんだ。
 それから、どこまでも続くように見える棚に沿ってゆっくり脚を動かしながら、小さな茶碗やストローと蓋の付いたコップ、スープ用の少し深い皿といった物を次々に買物カゴへ入れていく。
 そして、棚の端近くでふと立ち止まった。
「なぁ、サクランボ。あんた、牛乳は好きなん?」
 立ち止まった桃子は、顔を伏せ気味にして後ろからついてくる千恵里に訊いた。
「え? うん、まあ。朝ごはんはたいがいトーストと牛乳やけど」
 千恵里は桃子から少し離れた所に立ち止まってぽつりと言った。
「ほな、これも要るね」
 桃子の笑い声が聞こえた。
のろのろと顔を上げた千恵里の目に映ったのは、桃子が手に持って振ってみせる哺乳壜だった。
「な……」
 千恵里の顔が一瞬で真っ赤になった。
「牛乳、飲むんやろ? そしたら、これも要るやんか。ジュースとかは太めのストローでコップから飲む方が詰まらへんからええけど、牛乳はこの方がお似合いやもんな」
「あ、あほなこと言わんといてよ。赤ちゃんでもないのに、誰が哺乳壜なんか……」
「あれ、まだそんなこと言うとんの? ほな、ここのお客さんに見てもらおか? 赤ちゃんでもないのにおむつをあててるんは誰やったかいな」
 桃子の言葉と一緒に、倫子の腕が伸びてくる気配があった。
 千恵里は慌ててスカートを押さえて、ふるふると首を振った。
「買うで、ええな?」
 桃子は念を押すように言った。
 千恵里にできるのは、ただ力なく頷くことだけだった。
 けれど、桃子はそれだけでは満足しない。
「買うてほしいんやったら、ちゃんと買うてくださいってお願いしてもらおかな。うちがムリヤリ買うんやのうて、サクランボがほしいから買うんやもん」
 桃子は、手に持っている哺乳壜と千恵里の顔とをちらちらと見比べて言った。
「……」
「ほら、どないしたん? 哺乳壜ほしいんとちゃうのん? それとも、おむつ姿をみんなに見てもらいたいのん?」
「……ほ……」
「ほ?」
「……ほ、哺乳壜を買うてください」
「誰が使うのん?」
「……」
「黙っとったらわからへんやん。誰が使う哺乳壜なんか、ちゃんと言うてもらわんと」
「……私です」
「ほな、サクランボが使うから哺乳壜を買うてほしいんやね?」
「……」
「しゃあないなぁ。可愛いいサクランボがそないほしがるんやったら買うてあげな可哀相やもんなぁ。そしたら、このピンクのイラストがついとる哺乳壜、買うたげるわね」
 勝ち誇ったような表情で、でも声だけはわざと優しく桃子が言った。
 考えられないほどの羞恥と屈辱にまみれて、千恵里は力なく肩を落とした。
 だけど、それで済んだわけじゃない。羞恥と屈辱はまだまだ続くのだった(なんか、書き始めの頃と雰囲気が変わってきたな、この小説)。
「それやったら、あれも要るんとちがう? 牛乳を哺乳壜で飲むんやったら、飲んでない間は口が寂しいやろし」
 なにか面白いことを思いついたように目を『へ』の字の形にして(ドクタースランプの則巻博士がみどり先生の入浴シーンを想像している時の目といえばわかってもらえるかな)、倫子が、食器の並んでいる棚と反対側にある棚を指差した。
 そこには、ベビー用の小さなオモチャの類が並んでいた。もちろん、ゴムでできたおしゃぶりも。
「あ、ほんまほんま。よぉ気がついたやん、倫子。――サクランボもほしいやろ?」
 桃子はぽんと手を打った(うう、今どき、ぽんと手を打つ若い子がいるかなぁ。書いてて自信がない)。
「そんなん、いらんわ〜い」
 そう言うのは簡単だった。それでも、そんなことを言ってしまえば二人からどんな仕打ちを受けるかわからない。スカートの下におむつカバーという恥ずかしい格好をしている間は、千恵里は目に見えない鎖につながれているのと同じだった。少しでも二人に逆らえば、たちまち恥ずかしい目に遇わされるのは明らかだ。
 千恵里は少しだけ迷ってから弱々しく頷いた。寮の玄関で二人に出会ってからのほんの短い間に、そうするしかないことを、もうたっぷり体にしみて教えこまれてしまった千恵里だった。
「うんうん、サクランボもほしがってることやし、これも買うとこな」
 みんな千恵里のせいにして、桃子はおしゃぶりも買物カゴに放りこんだ。それから、そのすぐ横に並べてある小さなオモチャ。
「あ、ついでやから、これも。寝かしつける時に便利やんな?」
 桃子が手に取ったのはプラスチック製のガラガラだった。桃子が軽く振ってみせると、からころと軽やかな音がこぼれ出る。
「よかったな、サクランボ。こないいっぱい買うてもろて。嬉しいやろ?」
 そんな物を買ってもらって嬉しいわけがない。ただただ惨めで恥ずかしいだけだ。
 その後も、哺乳壜を洗うブラシや食器用の洗剤、おむつに使う柔軟剤といった小物で新しい買物カゴを半分以上も埋めてから、桃子たちはレジに向かって歩き出した。

 哺乳壜やおしゃぶりの入ったカゴと店員から受け取ったカゴとを別々にレジに出すのなら、千恵里もこんなには恥ずかしくなかっただろう。哺乳壜や洗剤の入ったカゴだけなら、(少し若いかもしれないけど)出産準備くらいに思ってもらえるかもしれない。おむつカバーと布おむつのカゴにしたって、それだけなら、家族の介護用品を買いにきたのだろうとしか思われないにちがいない。
 なのに、桃子と倫子は、二つの買物カゴを並べてレジに渡したのだ。
 レジの若い男性はさすがに驚いた顔になって、商品にバーコードリーダーを押し当てながら三人の顔をちらちらと見比べたものだった。そうして、千恵里のスカートが不自然に膨れているのに気がついて、なんともいえない表情を浮かべるのだった。笑い出すわけにもいかず、事情を訊くわけにもいかず、あからさまにびっくるするわけにもいかず。そんな、なにもかもがない混ぜになったような表情だった。
 ひたすら顔を伏せ、大きく膨らんだスカートを揺らしながら店を出て行く千恵里の後ろ姿を、レジの男性は、次の客が並んでいることも忘れてずっと見送っていた。



「ほな、次のお店へ行くで」
 スカートの膨らみをしきりに気にする千恵里の背中を押して半ば強引に歩かせながら、桃子は笑顔で言った。
「……まだ、どこか行くのん?」
 さほど多くないとはいえ、ちらちらと好奇の目を千恵里のスカートに向ける通行人もいなくもない。そんな人たちと目を合わせるのが怖くて顔を伏せたまま、千恵里は惨めな思いで訊き返した。
「あったりまえやんか。食器は買うたけど、着替えはまだやもん。可愛いいサクランボにジーンズやジャージばっかり着せるやなんて、そんな不憫なこと、うちにはとてもやないけどでけへん。な、倫子?」
 桃子は、千恵里を間に置いて並んで歩く倫子に向かって同意を求めた。
「そうそう。せっかく私らと一緒に暮らすことになったんやもん、思いきり可愛いい格好させたげるで、サクランボ。私らからのプレゼントや」
 当然、倫子もうんうんと頷く。
「……どこ行くのん?」
 これまでさんざ桃子の好きなように扱われ、抵抗する気力さえ失いがちになりかけている千恵里は、さも当然のことというふうな口調で二人から同じようなことを言われて、力なく渋々のようにうなだれるだけだった。
「ん、すぐそこや」
 不承不承ながら自分に抵抗する気配をみせなくなった千恵里の様子に満足げに頷いて、桃子はにこやかな声で応えた。

 すぐそこ。
 桃子が千恵里の体を抱えるようにして入って行ったのは、子供服専門のチェーン店だった。子供服専門とはいっても、ベビー用品からマタニティーグッズまで揃えている、わりあい有名な店だった。
「ここは……?」
 自分がひどく場違いな所へ連れてこられたような気がして、千恵里は目をぱちくりさせて店内を見わたした。
「こっちや。さ、おいで」
 千恵里の胸の内を知ってか知らずか、桃子は先に立ってさっさと歩き出した。
 桃子に続いて歩き出した倫子がぽんとお尻を叩いたのをきっかけに、千恵里もつられて、とっと足を踏み出す。
 三人が脚を進めたのは、店の入り口から向かって右側にある、売り場の中でもかなりの面積を占める子供服コーナー、その中でひときわ華やいだ色合いが目立つ女児服の売り場だった。
「はい、どれがええ?」
 桃子は、華やかな女児服の中にあっても尚いっそうキュートな、飾りレースやフリルがたっぷりあしらわれた外出着のコーナーに千恵里を引っ張って行った。
「……」
 そんな可愛らしい洋服を見るのにふさわしくない、まるで絶望的な目で色とりどりの子供用の外出着を虚ろに見やって、千恵里はそっと首を振った。
「あれ、どないしたん? 気に入ったんがないのん?」
 桃子は、ハンガーにかかったサンドレスふうの外出着を手に取ると、サイズを確認するみたいに千恵里の体に押し当てて言った。
「これなんかどない? サクランボ、歳のわりに小柄やもん、ほら、この160サイズやったら余裕で着られるで。――150サイズでも充分ちゃうかな」
「あ、ほんま。よお似合うやん、サクランボ。とりあえず、一着はそれで決まりやな。ほな、私も桃子に負けへんように可愛いいのんを探さなあかんな」
 サンドレスふうの洋服を押し当てられた千恵里の姿を少し腰をかがめて正面から眺めていた倫子が、にっと笑って親指を立ててみせた。
「そやろ? こういう子供らしいのんが似合うんやて、サクランボには。それに、どない考えても、おむつにジーパンは穿かれへんしな」
 桃子は、後ろに立った倫子の方に振り向いて笑った。
「あ、そうやったな。スカートを選ぶにしても、スレンダーなんやのうて、ふわっとしたやつでないとあかんねんな。なんせ、おむつの上に着るんやもん」
 倫子は体の前に軽く手を伸ばすと、千恵里のスカートの膨らみをなぞるようなジェスチャーをしてクスッと笑った。
「そういうこと。ほな、うちはサクランボと一緒にフィッティングルームに入ってるから、倫子はその間に別の服を選んどいてな」
 桃子は倫子にそう言って、千恵里の体に押し当てていた洋服を腕にかけて試着室の方へ歩き出した。もちろん、千恵里の手を引っ張って。
「冗談やろ? な、冗談やんな? 私に、そんな子供の服やなんて」
 無理矢理引っ張って行こうとする桃子に、腰を落としぎみにして脚を踏ん張って千恵里はかぶりを振った。そんな格好をすると、おむつをあてられたお尻を後ろへ突き出すような感じになって、スカートの膨らみがますます目立ってしまう。
「何しとんの、サクランボ。せっかく桃子が買うてくれる言うとんやから、ちゃっちゃとサイズ合わせをしておいで」
 あらためて売り場の様子を見まわして歩きかけていた倫子が、ぐっと後ろに突き出した千恵里のお尻をぽーんと叩いた。
 べしょっという情けない音がして、その弾みに千恵里の腰が伸びてしまった。もうそうなると、脚を踏ん張っていることもできなくなる。
 桃子に手を引っ張られて、千恵里の姿は試着室のカーテンの奥に消えて行った。

 試着室に足を踏み入れた途端、桃子は有無を言わさず千恵里のプリーツスカートを剥ぎ取りにかかった。
「あん、何すんのよ。そない乱暴にしたらスカートが破れてしまうやんか」
 スカートのサイドファスナーを力まかせに引きさげようとする手を押さえながら、周りに聞かれないように声をひそめて千恵里は桃子を睨みつけた。
「そんなん、かまわへんよ。どうせ、うちのスカートやもん」
 桃子の返事は簡単明瞭だった。
 言われてみれば(言われなくても)、たしかにそのスカートは桃子が千恵里に貸してやった物だった。
「そら、そうかもしれへんけど……」
 それ以上は言い返せなくておたおたしてしまう千恵里。
「わかったら脱いでもらおか。それとも、うちに脱がせてほしいんかな?」
 中年のおっちゃんのような目で、桃子は千恵里の体をねめつけた。
「どっちもいやや!!」
 千恵里は言い切った(きっぱり)。
「へっへっへっ。その生意気なところがたまんね〜ぜ。ええい、おとなしくしねぇかい、娘っ子」
 唇から溢れる涎を手の甲で拭って、桃子は千恵里の帯に指をかけると、両手でぐいと引いた。
「あ〜れ〜」
 千恵里の体が独楽のようにくるくると回って、その場にへなへなと倒れこむ。
「よいではないか、よいではないか」
 桃子は千恵里の上にのしかかった。
「お許しください、お許しください。私には、故郷に好い人が……」
 着物の袖を噛んで、よよと泣き崩れる千恵里であった。
 ――もとい。
 抵抗する千恵里の手を軽くいなして、桃子はスカートのサイドファスナーをぐいっと引きさげた。ついでに、勢いあまってスカートの生地をびりびりと破ってしまう。
 それまでスカートだった物が一枚のボロ切れになって試着室の床に広がり、千恵里のお尻を包みこむクリーム色のおむつカバーが丸見えになった。
「お客様、大丈夫ですか?」
 千恵里が思わずおむつカバーを隠そうとして両手で押さえてすぐ、カーテンの向う側から店員らしい女性の声が飛んできた。
 仕事がら、試着室の中で商品を破損させられてはいけないと、何かが破れる音には敏感になっているのだ。だから、桃子が自分のスカートを破ってしまった音を聞き逃すことなく試着室の前へやってきて心配そうに声をかけたにちがいない。
「あ、すみません。ちょっとスカートを……いえ、お店のじゃありません。試着しようと思って持ってきたのは大丈夫ですから。――ほら、この通り」
 桃子は少しだけカーテンを開けて、その隙間から、試着室に持ちこんだ洋服を差し出した。
「あ、いえ、申し訳ございません。ただ、何かあったのかと思ってまいりましただけですので」
 それを見て、店員は恐縮したように頭を下げてそそくさと持ち場に戻って行った。
 ほっとしたように大きな溜め息をついたのは千恵里だった。あのまま店員がカーテンを開けていれば、恥ずかしいおむつ姿をまともに見られてしまったにちがいない。
「わかったやろ? こんな狭い所で騒いだりしたら、じきにまた店員さんが来るねんで。そんなことになったら、今度こそ見られてしまうかもしれへんな」
 桃子は、一枚の布切れになってしまったスカートを拾い上げると、それを試着室の壁に付いているフックに引っかけた後、くいっと腰に手の甲を置き、僅かに胸を反らせて見おろすように言った。それから、そのままの姿勢でちょっと腰を曲げて、つんと千恵里の頬を人差し指でつつく。
「ま、サクランボがおとなしゅうしとったらそんなことにはならへんわ。ええね?」
「……」
 スカートを取りあげられてしまい(たとえ取り返したとしても、ファスナーが壊れ、生地も大きく避けてしまったスカートでは、恥ずかしいおむつカバーを隠せるとは思えなかった)、試着室から逃げ出すことができない千恵里には、桃子の言葉に従うしかなかった。
「わかったらええんよ、わかったら。さ、その埃っぽいトレーナーを脱がせたげるから両手を上げてみ」
「……」
「両手を上げなさいって言うとんのよ」
「……」
「ええかげんにしなさい。いつまでうじうじしとんの」
 店員に聞こえないように低い声で、けれどそのぶん却って迫力のある口調で、桃子は叱りつけるみたいに言った。
「それとも、うちの選んだ洋服がお気に召さへんのん? ええよ、それやったらそれで。今のままの格好がええんやったら、そのままここから出てもええんやで。さ、売り場に戻ろか」
 桃子は洋服を抱え直してカーテンに手をかけた。
「ちょ、ちょっと待って。このままここから出るやなんて……」
 千恵里は慌てて桃子の前に立ち塞がった。
 大きく膨れたおむつカバーがカーテンに触れて、厚手のカーテンがゆらりと揺れた。
「うちが選んだ洋服、ちゃんと試着するんやな?」
 念を押すみたいに、桃子がおごそかな声で言った。
「……うん」
「んまに、優柔不断なんやから。さっきのドラッグストアでもそうやったけど、『はい』って言うんやったら最初から言うたらええのに。ま、小っちゃい子は誰でもそうらしいけど」
「……」
「なんや、またダンマリかいな。ほんま、じきに拗ねるんやな、サクランボ。けど、そこがまた可愛いいとこかいな。――ほら、手を上げて」
 目の前に立ち塞がる千恵里を試着室の奥へ押し戻して、桃子は手首をつかんでバンザイさせた。
 千恵里は遂に観念したように大きく息を吸い込んで、自分からおずおずと両手を上げた。ほっそりした指先が小刻みに震えている様子に目を留める桃子が加虐的な悦びを覚えたとしても、それはそれで仕方のないことかもしれない。
 桃子の手が厚手のトレーナーの裾をつかんで、高く両手を上げている千恵里の体から顔を通って、すぽんと脱がせてしまう。そうして、裏返しになったトレーナーを元に戻してから、今度はコットンシャツのボタンを外し始める。厚い生地のシャツに縫い付けられたボタンは思っていたよりも固く留まっていて、器用な桃子でも少しばかり手こずってからやっとのこと外すことができた。もともと、一番上の、顎先のすぐ下のボタンは留まっていなかったから、これで残りは四つだ。コツをのみこんだ桃子の指が、二つめは割合すんなりと外してしまう。シャツの胸元がはだけて、グレイのニットふうの生地でできたブラが見えた(ブラというよりも、ショートタンクトップといった方が正確かな)。あと、ボタンは三つ。もう手こずることもなく、ひょいと腰をかがめた桃子の、繊細な絵画を描くにふさわしい細く長い指が、次々に外してゆく。
 コットンシャツが前から二つに割れて、肉づきが良いとはいえないものの、かといって決して貧相なこともない若々しい千恵里の体が現われた。
「ええよ、手をおろして。――あ、ちゃうちゃう。そないおろしてしまわんと、肩くらいの高さで、そうや、そのまま、ちょっと肘を曲げてみ」
 桃子は千恵里の肘を指示した高さで支えてから、コットンシャツの襟元よりも少し下のあたりを持って、さっと後ろに引いた。
 軽く肘を曲げた両腕をすり抜けるようにシャツが脱げてしまった後、千恵里は、上半身はスポーツブラみたいにも見えるショートタンクトップに、下半身はおむつカバーと白いソックスだけという姿で桃子の前に立ちすくんでいた。
 幼女と成人の女性が奇妙に混ざり合った、これまで桃子が目にしたことのない、あどけないなまめかしさを全身にたたえた、まるでこの世に存在しているのが不思議なことのようにさえ思えるほどに儚い存在だった。その姿を目にした途端、桃子の乳首がきゅっと固くなった。
 この子は、うちのもんや。誰がなんと言おうと、絶対うちのもんにするんや。
 すっと細くなった桃子の瞳が、妖しい欲望に充たされて淡い光を放った。その光が射貫いた千恵里の真っ白い肌に、千恵里自身の目にも見えない、しかし決して消えることもない刻印が焼き付けられた。その細っこい頼りなげな体が桃子の所有になるものだと宣言する、誰の目にも映らない鮮やかな刻印だった。
 第三ステージもクリアやな。
 誰にも聞かれることのない声が桃子の胸の中でこだました。

 桃子が選んだ外出着は、思いのほか千恵里に似合って華やかに映えた。サンドレスふうとはいっても、まだ夏物というわけでもなく、丸っこい三分袖のインナーシャツと組み合わせるノースリーブの春物だったけれど、パステル系の色合いと軽快なデザインとがうまくマッチしていて、少女らしい爽やかさとスポーティな感じが混ざり合っていい感じになっていた。
「へーえ、思ったよりもよお似合うてるやん。めっちゃ可愛いいで、サクランボ」
 子供用の外出着に身を包まれた千恵里の姿を、それこそ頭のてっぺんから爪先まで舐めるように視線を走らせて、桃子が何度も頷いた。
 桃子に見つめられて、千恵里の方は顔を横に向けたまま、拳をぶるぶる震わせている。子供服が似合うと言われても、そんなの嬉しいわけがない。ただ恥ずかしくて情けないだけだ。
「よっしゃ。とにかく、これは買いやな。あと、倫子がどんなんを選んでくるか楽しみに待ってよか」
 試着室の鏡を見ようともしない千恵里ににんまり笑いかけて、桃子はカーテンの隙間から外を覗いた。
 そこへ、何着もの洋服を手に持って倫子がいそいそと駈け寄ってくる。
「また、えらいぎょうさん持ってきたもんやな。たったあれだけの時間で、よおまあそないに選んでこれたな」
 近づいてくる倫子に手招きしながら、桃子は呆れたように言った。
「そうやねん。可愛いいサクランボが着るんやなぁと思たらどれここれも欲しなって、手当たり次第に持ってきてしもてん」
 倫子は不器用にウインクしてみせると、桃子が選んだ服は似合うてるんかいなと呟きながら試着室に入ってきた。
「へーえ、お似合いやんか」
 狭い試着室に大人が三人、それに、倫子が持ってきた洋服の山。足の踏み場もなかったけれど、拗ねたような表情で子供服を着て立っている千恵里の姿を見るなり、倫子は歓声をあげてぱちぱちと拍手をした。
「そうやろ? うちの見立てに間違いはないねんから」
 思わず胸を張る桃子(鼻、たっかだか)。
「うん、ほんまほんま。さすが桃子やわ。それに、サクランボのヘアスタイルがまた可愛いいやん」
 倫子はおだてるのも上手だ。なんたって、ちょっと短気なところがあって、すぐにぶんむくれするような『恋人』を持っていると、そういうことが自然と身に付く。
 もっとも、いつのまにそんなことをしたのか、左右に大きく分けて飾りゴムで二つの束にした(ツインポニーとかいうんだね)千恵里のヘアスタイルがとても新鮮で可愛らしいというのは、おだてでも何でもない。素直に見たままの感想だった。
「やんな? 倫子を待つ間、ちょっと退屈やからサクランボの髪をいじって遊んどってんけど、よお似合うやんな? 倫子に褒めてもろて嬉しいわ。――なんでかしらんけどサクランボ、このヘアスタイルあんまり気に入らへんみたいやねんけどな」
 そりゃ、気に入らないだろう。大学生にもなって、そんな幼い髪型にされて喜ぶ筈がない。はっきり言って、子供服を着せられてそんなヘアスタイルをされてしまった千恵里、小柄な上にもともと化粧っ気もないこともあって、どうみても中学生か、へたをすれば小学生にさえ見えなくもない。それも、まだおむつの外れない困った小学生だ。
「ほい、そのヘアスタイルに負けへんくらい可愛いい服を選んできてあげたからな、さ、今度は私のを着てみよな」
 大きな鏡に映る自分の恥ずかしい姿を見まいとして千恵里が顔をそむけたまま一言も応えないでいると、いつのまにか倫子が千恵里の後ろにまわりこんで、背中のファスナーをおろし始めていた。
 狭い試着室がラッシュ時の通勤電車みたいになっていた。それでも倫子はそんなことおかまいなしに背中のファスナーを引きおろしてしまうと、千恵里の両腕を強引に上げさせて、桃子が着せた洋服を体から引き抜くみたいにして脱がせてしまった。そのあとへ自分が持ってきたフリルいっぱいのドレスみたいなワンピースを着せて、うんうんと頷いてみせる。
 倫子が千恵里に着せたのは、淡いピンクの生地でできた長袖のワンピで、胸元から袖口、スカートの裾と、ありとあらゆるところがフリルになっていて、特にスカートなんて三段仕立てになっているんだけど、その段ごとに飾りレースがあしらってあるという念の入れようだった。はっきり言って、こんなフリフリ誰が着るんだモードの、子供服というよりも、人形の衣装をそのまま大きくしたみたいな洋服だった。
「うわ、お人形さんみたい。ええやん、サクランボ」
 うっとりした目で、桃子は見たままの感想を口にした。けれど、じきに倫子の方に向き直ると、僅かに首をかしげて言った。
「けど、ちょっと小さいんとちゃう? 窮屈なこともないやろけど、もうちょっとふんわりしとってもええんとちゃうの?」
「うん、私もそう思う。けど、サイズがこれしかないねんて。店員さんに確かめてもろてんけど、これより大きいサイズ、売り切れらしいねん」
「ああ、そうやったん。それやったら仕方ないな。これでも充分着られるんやし、これでええにしょうか」
「そういうことやね」
「ほな、ついでやから、このまま着せとこか。どうせスカートも破けてしもたし、着せたままレジで先にお金を払たらええやんな?」
「そうやね。他の洋服も似たようなサイズやから、わざわざ試着することもないやろし」 二人は頷き合った。
 一人、頷けないでいるのが千恵里だった。
「いやや」
 ちらと一度だけ鏡に目をやって慌てて顔を伏せた千恵里は、蚊の鳴くような声で一言だけ言った。
「いや? 何がいややのん?」
 もちろん、倫子は千恵里の言葉を聞き咎めた。
「そやかて、そやかて……」
 言いかけて、千恵里は口をつぐんだ。
「そやから、何がいややのんよ?」
 訊くというよりも叱責するような倫子の声が千恵里の胸に突き刺さる。
「そやかて、おむつカバーが……」
 耳たぶの先まで真っ赤にして、ようやくのこと千恵里はそれだけを言った。
「おむつカバー?」
 今度は桃子が訊き返した。
「……スカートが短いせいで、そやから、その、おむつカバーが見えそうで……」
 やっと、千恵里の言葉が文章になった。自分で口にした『おむつカバーが見えそうで』という言葉に、ますます顔が赤くなる。
「ああ、スカートの裾からおむつカバーが見えてしまいそうなんが気になるのん?」
 桃子が確認するように言った。
 だけど、そんなこと、いちいち確認しなくても桃子と倫子にはとっくにわかっていた。わかっていたけど、千恵里がどんな反応をするかが楽しみで、わざわざ自分の口で言わせるように仕向けたのだ。
「そうやなぁ。もともとがスカートの丈が短いデザインやし、ほんのちょっとサイズも小さいから、おむつカバーが見えそうになってしまうんやな。それに、おしっこが洩れへんようにおむつを多めにあててるさかい、おむつカバーがかなり膨れてしもとるやろ。それもあって、どうしてもスカートが捲れ上がるみたいになってしまうんやろな。――けど、ま、このサイズしかないんやからしゃあないな」
 倫子はこともなげに言った。
「そんな……」
 思わず、恨めしそうな声が千恵里の唇をついて出る。
 こんな目立つ格好で人混みの中を歩いたりしたら、いやでも人目を惹いてしまうにちがいない。そんな大勢の目が見つめる中を、スカートの下のおむつカバーが見えやしないかとびくびくしながら歩く勇気は千恵里にはなかった。
 だけど、千恵里の胸の内なんてはなっから無視して、桃子がきっぱり言った。
「さ、出るで。いつまでもフィッティングルームを占領しとったら、他のお客さんの迷惑になるからな」
「いやや、待って、そんな、ちょって待ってぇな……」
「そやな、桃子の言う通りやな。あ、そうそう。新しい服に似合いそうな靴も用意しといたから、それを履いたらええわ」
 用意周到な倫子だった。
 千恵里が逃げ込めそうな場所は、もうどこにも残っていなかった。



 商品札の付いたワンピ(というか、フリフリドレスというか)を着た上に、これもまた商品札が付いたままの、小学生くらいの女の子がちょっとお洒落をしてお出かけする時に似合いそうな、甲のところが幅の広いベルトみたいになった革靴を履いて、桃子に手を引っ張られた千恵里がレジの前におずおずと歩いてきた。
「すみません、試着したままなんですけど、このまま着せて帰りたいと思うんです。レジをお願いできます?」
 千恵里のすぐ横に立った桃子が、先ほど試着室の様子を見にきていた店員に言った。
「はい、けっこうです。――失礼いたします」
 言われた店員はにこやかに応えると、レジスターに付属しているバーコードリーダーのケーブルを長く伸ばして、カウンターの向こうからこちらへやってきた。そうして、身を固くしている千恵里が着ているドレスの商品札にバーコードリーダーを押し当てる。
 ピッと音がして、商品名と金額が表示された。
 続いて店員は、腰をかがめて赤い革靴の商品札を読み取った。同じようにピッという音が桃子の耳に届いて、すぐに金額が表示される。
「まだ買う物はあるんですけど、先にこれだけ支払いを済ませておきますね」
 桃子はそう言ってバッグから財布を取り出した。
「はい、ありがとうござ……」
 革靴に付いている商品札の紐をハサミで切り取ってから店員は立ち上ろうとして顔を上げた。
 そこに、千恵里のスカートがあった。
 スカートの中をすぐ下から覗きこむ格好になった店員の目に、千恵里のお尻を包みこんでいるおむつカバーがとびこんだ。ただでさえ、ちょっとしたことで捲れ上がっておむつカバーが見えてしまいそうなほどに短いスカートだ。そんな位置から見上げたりしたら、おむつカバーが丸見えになってしまう。
 店員はぎょっとしたように大きく見開いた両目を閉じることも忘れてしまったみたいに、口にしかけていた言葉を飲み込んで体を固くしたまま、まるで助けを求めるように桃子の顔を振り仰いだ。
「何でしょうか?」
 桃子の方はわざと平然とした顔で、いったい何があったんですかと訊き返すみたいに小首をかしげた。
「……え? あの、いえ……」
 面と向かうと千恵里のおむつカバーのことを口にもできず、言葉を濁してそそくさと立ち上がる店員だった。
 けれど、たったいま目にしたばかりの光景は店員の目にくっきり焼き付いてしまっている。子供用の服を着せられた上に子供じみた髪型にされて、いくら千恵里が実際の年齢よりも幼く見えるとはいっても、せいぜいが中学生くらいだ。まさか、まだおむつが外れないほどに幼く見えるわけがない。そんな千恵里がスカートの中におむつをあてているのだから、店員にしてみれば、興味というよりも好奇の念にかられるばかりだ。
 店員はワンピの背中に付いている商品札も切り離そうとして千恵里の後ろに立ったものの、どうしても好奇心を抑えきれなくなって、わざと手を滑らせたようなフリをして掌を広げると、フリルたっぷりのスカートの上から千恵里のお尻にさっと触れてみた。スカートを通して、明らかに普通の下着とは違う、ぷっくり膨れた感触が伝わってきた。
 うわ、この子、本当におむつあててるんだ。まさか、まだおむつの外れない歳でもないでしょうに。病気か何かなのかしら。
 掌に伝わってきた感触を何度も何度も確認するように反芻してから、店員は千恵里の横顔をちらちら覗き見ながら商品札を切り離した。たっぷり厚くあてられたおむつのせいで千恵里は、(店員がよほど注意深く千恵里のお尻に触れたこともあって)店員の手の動きには気がついていないみたいだった。
 けれど、桃子は見逃さなかった。革靴の商品札を外すためにしゃがみこんだ店員が千恵里のおむつカバーを目にしたことを知りながら、その後の反応が楽しみでわざとそのことに気がついていないフリをして店員の動きを見守っていたのだから。
 桃子は何くわぬ顔で支払いを済ませ、レシートを受け取ってから、わざとゆっくりした口調でその店員に言った。
「すみません、布おむつの売り場はどこでしょう?」
 途端に、千恵里がぎくりとしたように体を固くした。
 同時に店員の方も、自分のことでもないのに、まるで自分自身の恥ずかしい秘密を指摘されでもしたような真っ赤な顔になって、おろおろした声で訊き返した。
「あの、布おむつ……ですか」
「ええ。そうですけど?」
 桃子は平然とした顔で逆に訊き返す。
「いえ、その……当店には赤ちゃん用の布おむつしかございませんけど?」
 しどろもどろになりながら、店員は言わずもがなのことを口走ってしまった。
「知っています。ここは子供服とベビー用品の専門店ですものね?」
 桃子は少し意地の悪い応え方をした。
「あ、ああ、ええ、そうです。そんなこと、ご存じですよね」
 自分よりも年下の桃子にからかわれているとも気づかずに、店員はおろおろとうろたえていた。
「ええ、もちろん。――で、誰が使うおむつを買うと思ったんですか?」
 桃子のさりげない言いように店員は思わず
「ですから、こちらのお嬢様の……」
と言いかけて、はっとしたように慌てて口をつぐんだ。
「いいんですよ。その通りなんだから」
 桃子の方は澄ましたものだった。店員の慌てぶりをおかしそうにクスッと笑って、ごく当たり前のことを説明するみたいな口調で言った。
「実はさっき、ここへ来る前に薬局でこの子が使うおむつも買ったんですけど、とりあえず必要な数しか買ってないんです。だから、ここでまとめて買っておこうと思って」
「で、でも……お嬢様に合うかどうか。なんといっても赤ちゃん用のおむつですし」
 店員は困ったような顔で言葉を探しながら言った。
「それは大丈夫だと思います。薬局の更衣室でおむつを取り替えてきたばかりなんですけど、大人用のおむつだと端を折り返して丁度だったんです。だから、赤ちゃん用のが少し短くても、それで充分使えると思います」
「あ、ああ、そうなんですか……」
 店員はそれ以上何も言えなくなって、恥ずかしそうに顔を伏せている千恵里のスカートに目をやった。ついさっき取り替えてきたばかりだといった桃子の言葉に、千恵里がどんな顔で赤ん坊のようにおむつを取り替えられていたのか、妙に胸をどきどきなせながら想像してしまう。


戻る 目次に戻る 本棚に戻る ホームに戻る 続き