「聞こえとったもなにも、あない楽しそうにやっとったら、聞こえへん方がおかしいくらいやわ。サクランボ、めっちゃええ声を出しとったやんか」
 桃子はねちねち言った。
「まだ赤ちゃんの娘に手を出してまうんやもんな、んまに困ったお父ちゃんや。やっぱり、あれなん? 嫁に出すくらいやったらワシがやってしもたるっていう、父親特有のやーらしい行動なわけ? そやのに、なに、奥さんとはでけへんて言うのん?」
「……」
 返す言葉もない。
「さ、来てちょうだい」
 桃子は、カモーンと指を折った。
 それでも倫子が来ないとみると、ブラウスの外側へどーどーととび出している乳房をわっしとつかみ上げて、挑発するみたいに振ってみせる。
「あちゃ……」
 めげそうになりながら、そこまでして誘惑してくる桃子のことが、たまらないほどいとおしく思える倫子だった。ばかばかしいけど、そこまでされると、いっそ爽やかだ。
「まだ来てくれへんのん?」
 ちょっと物哀しげな流し目で睨みつけられたりすると、もういけない。
「やれやれ。娘とだけして奥さんとせえへんのは、どない考えても不公平ゆうもんやな。――いくで、桃子」
 倫子は、桃子が待つベッドに飛びこんだ。
 公序良俗に抵触する恐れがあるため、その後のことは書けない。ただ、いつまた千恵里に見られるかもしれないと思うと、それがたいそうな刺激になって、いたく良かったと後日になって証言してくれた二人だった。もう一つ付け加えておくと、その夜、倫子はナマで行為を行なったらしい。「ナマ」というのは、つまり、擬い物のペニスバンドに頼るのではなく、倫子自身の肉体で桃子を責めたということである。そうしたのは、もちろん、バスルームでの千恵里とのことが刺激になったからだ。久しぶりのナマも想像以上に良かったと、これまた桃子は証言している。
 とまれ、奇妙な新しい家族が固い絆をかためた記念すべき一日はこうして暮れてゆくのだった。
 枕さん枕さん、いい夢を見させてくださいな。



 まばゆいほどに光の粒が飛びまわっている中、千恵里の瞼がそろそろと開いた。
 自分がどこにいるのか、すぐには思い出せない。それもそうかもしれない。故郷を遠く離れた土地で初めて迎える朝、しかも昨日には、あんな信じられないような出来事があって身も心もくたくたになってしまっているのだから。
 体にかけられた布団をどけるのも物憂くて、体を起こす気になれない。
 なのに、下腹部から伝わってくるじっとりした感覚だけが、ぼんやりした意識の中で妙に生々しい。それも、朝になるたびにいつも感じているのとは少し違う感触だった。
 じっとり湿っているのは同じだけど、もっとべっとりと絡みついてくるみたいな、湿っているというよりも濡れているといった方が正確な――紙おむつを使い始めるまでの、ショーツもパジャマもびしょびしょにしてしまっていた頃に近い感覚。ううん、それよりももっとぐっしょりした、他のどんな物とも比べようのない感じ。
 ようやく、千恵里ははっとしたような表情になって、そろりそろりと右手を伸ばしてみた。もちろん、自分の下半身へ。
 指先が、すべすべした丸いボタンに触れた。両方の脚と脚の間。普通、そんな所にボタンが付いているようなパジャマはない。
 千恵里の顔がこわばった。固いボタンの感触が、昨夜のことが夢なんかじゃないってことを無言で教えている。お尻の所にボタンが並んだ恥ずかしいパジャマを着せられて哺乳壜でミルクを飲まされて、そのまま眠りこんでしまった昨夜。あれはみんな本当のこと。
 だとしたら、ボタンの付いたブルマーを内側からふっくら膨らませているおむつも本当? ぐっしょり濡れて下腹部にべっとり貼り付いてるこの感触もほんまもんやのん?
 千恵里は、おそるおそる上半身を起こした。純白の薄いレースのカーテンを通して眩しい光が差しこんでいる。広い寝室の窓際にあるフルサイズのダブルベッドの上に千恵里一人だった。
 ふんわりした掛布団がはらりと滑り落ちて、風呂あがりに着せられたレモン色のパジャマが見えた。パジャマの裾からは、おむつで膨れたブルマーが半分ほど見えている。
 朝の白々した、というよりも、もう朝も遅い眩しい光の中で見るベビー服は、風呂あがりの蛍光灯の柔らかい光の中で見るのとはまるでちがった印象だった。色合いが少しちがっているとかいうことだけじゃなく、自分がそんな物を着せられていることそのものが信じられないような思いにとらわれる。あの時、桃子と倫子に手取り足取り、まるで操り人形みたいに着せられた時には、恥ずかしくはあっても、なぜだか、それを着るのも、なんとなくとりあえずは仕方なくといった気にもなっていた。なのに、こうして朝の光の中では、魔法が解けた後のシンデレラみたいな、どうして自分がそんなことになっているのかさえわからない、白々しくて訳のわからない、自分がここにいることも不思議なような気がしてくる。
 なのに、ブルマーの中のおむつの感触だけが、そんなことおかまいなしに妙に生々しく伝わってくる。
 どうしていいのかわからなくて、千恵里は上目遣いにそっと天井を見上げた。

 チャッと小さな金属音が聞こえて、寝室の分厚いドアが外へ開いた。
 はっとして振り向いた千恵里に向かって微笑んでみせる桃子は、いかにも若奥様って感じを意識したのが見え見えの、花柄の生地にレースふりふりのエプロン姿だった。一方、倫子の方は、ざっくりした感じの白いブラウスシャツにコットンパンツという組み合わせに少しタイトな薄手のベストを着こんでたりして、それが彫りの深い顔によく似合って、ちょっと凛々しい雰囲気さえ漂わせている。ハンサムなパパふうに千恵里が選んだに決まっている。
 ただ、せっかく凛々しく決めた倫子なのに、手に提げたバスケットが少し場違いだった。籐の太編みになっていて、取っ手の所にはピンクの水玉模様のハンカチみたいなのがきゅっと結んである、とっても可愛らしいバスケットだ。
「よぉ寝とったな、サクランボ。1999年の8月になっても目を醒まさへんかもしれへんくらい、よお寝とったやん」
 寝室に入ってくるなり、桃子はそう言って呆れ顔をしてみせた。もちろん、自分がミルクに混ぜた薬のせいで千恵里がそんなに眠っていたんだということは、おくびにも出さない。
「そない寝とったら、夜中に目を醒ましてトイレへ行くなんちゅうことはでけへんやろね、やっぱり」
 『やっぱり』というところを強調して言う桃子だった。
 だけど、それに反論できずにいる千恵里。風呂あがりに脱衣場であてられたおむつが目を醒ましてみればぐっしょりでは、桃子に逆らえる筈がない。
「あ、気にせんでもええんよ。サクランボは赤ちゃんやもん、おねしょしてしもてもしゃあないねんで。もうちょっとおねえちゃんになってもおねしょが癒らへんかったら恥ずかしいかもしれへんけど、赤ちゃんやったらしゃあない。な、倫子?」
 桃子は優しそうな声を出しながら、それとは裏腹に、うりうりと千恵里の羞恥をくすぐるようなことを言って笑顔で倫子に同意を求めた。
「ま、そういうことやな。おむつを取り替えられてることにも気がつかんとあないすやすや寝てるんやもん、サクランボはやっぱり赤ちゃんやで」
 倫子は大げさに頷いてみせた。迷いはふっ切れた。今はもう、桃子のいじらしいほどの願いを叶えてやるためにできるだけのことをしてあげようと固く心に決める倫子だった。
 千恵里の顔がこわばった。おむつを取り替えられてることにも気がつかんと――やて? なに? それ、どういうことやのん?
「うふふ、倫子が何を言うとんのか、わからへん?」
 千恵里の表情を読み取ったみたいに、桃子がおかしそうに笑って言った。
 なぜとはなしに不安な気持ちにおそわれる千恵里。
「ま、じきにわかるわ。今からおむつを取り替えてあげるから、ほんま、じきにわかる筈やで」
 反射的にベッドの上で身を退く千恵里の足首をつかんで、桃子は謎かけを楽しむように言った。
 びくんと身をすくめる千恵里の顔をもう一度ちらと見てから、桃子はベッドのすぐ側に近づいて、腕をさっと持ち上げた。その拍子に千恵里の体がころんと仰向けにひっくり返ってしまう。
「あ……」
 言葉をなくした千恵里は、高く持ち上げられた足首の向うに見える桃子の顔に、すがるような目を向けた。
 けれど桃子の方は、そんなことにはおかまいなしに千恵里の両脚をますます高く、腰が直角を通りこしてエビのように曲がるほどに差し上げてしまう。
「倫子、お願い」
 ようやくのこと手を止めた桃子は、ぐいと高く持ち上げた千恵里の足首を倫子に渡して、それまで倫子が提げていた藤製のバスケットを代わりに受け取った。バスケットの中に入っているのは、タオルと新しい布おむつ、それに、ベビーパウダーと塗り薬のチューブだった。
 受け取ったバスケットを千恵里のお尻の近くに置いて、桃子はタオルを広げた。パイル生地の大きなバスタオルだ。
「これを敷いとかへんかったら、びしょびしょのおむつがシーツを濡らしてまうかもしれへんもんな」
 両手でさっと広げたタオルを千恵里のお尻の下に敷きこみながら桃子は、ひとり言みたいに呟いた。だけど、千恵里の耳にもちゃんと届くように、ひとり言にしてははっきりした声。
 倫子に足首をつかまれているせいで体が自由にならない千恵里は、おどおどと顔をそむけて、恥ずかしさを我慢するために拳を握りしめるだけ。
「ん、これでよし、と。ほな、始めるで。――倫子、ちゃんと持っといてな」
 そう言うと、桃子は千恵里のブルマーのボタンに指をかけた。腰がぐいと曲げられているために、ブルマーの股のあたりに並んでいるボタンが目の前に来て、少し腰をかがめるだけで指が届く。
 五つ並んだボタンが外れて前と後ろに大きく二つに開いたブルマーをそっとお腹の方へたくし上げると、もともとは介護用だったのに、桃子がアップリケとレースのバイアステープで赤ちゃん用と見間違うほどに可愛らしく仕立て直したおむつカバーが出てくる。
「ほらほら、可愛いいやろ? なんせ、サクランボのためにうちが腕によりをかけてリフォームしたったんやもん」
 桃子が底抜けに明るい声で言った。
 顔をそむけた千恵里も、その声につられて、ちらと目をやってしまう。
 あれ?
 なんとなく妙な感じがして、千恵里はもう一度、自分の下腹部を包みこんでいる恥ずかしいおむつカバーに目を向けた。
 なんだか、何かがとても変だった。そりゃ、大学生にもなった千恵里がおむつをあてているのがもともと変なんだけど、そんなことじゃなくて、なんだか妙なところがあるんだ。でも、何がどんなふうに変なのかはっきりしなくて、もどかしくなってくる。
「うふふ、そないじっと見て。気に入ったみたいやな」
 わざとなのか、千恵里がおむつカバーを見つめている理由を取り違えて、桃子は目を細くして、にっと笑った。そうして、随分と手慣れた様子でおむつカバーのマジックテープとスナップボタンをさっさと外していく。
 おむつカバーの中から、ぐっしょり濡れた布おむつが現れた。
「まだ、濡れてからあんまり経ってないみたいやな」
 濡れそぼったおむつを見るなり、桃子は言った。確かに桃子の言う通り、濡れたおむつは固くなったりよれたりしていない。それに、千恵里の体温で温められていたせいもあるのかもしれないけれど、まださほど冷えきってもいないみたいだ。
「ま、それもそうやわね。夜中と明け方、合わせて二回もおむつを取り替えてあげた後やねんから。――今、十時前やろ。ほな、九時ごろのおねしょかな。けど、朝の九時ごろのおねしょやなんて、そんなん、おねしょなんかな? どっちかいうたら、おもらしと同じやんか。な、サクランボ?」
 枕元の時計にちらと目をやって、桃子はこともなげに言った。
 おむつを二回も……? 千恵里は信じられない思いで力なく首を振った。そんなん、嘘や。桃子がまた冗談言うてるんやわ。なんぼなんでも、そんなん……。
「ほら、これ」
 けれど、桃子がそっと差し出した布おむつを目にした瞬間、千恵里の顔がこわばってしまう。
 桃子が千恵里のお尻の下から持ち上げたおむつには、千恵里もよく知っているキャラクターが淡いパステルブルーでプリントしてあった。だけど、昨夜、脱衣場であてられたおむつにプリントしてあったキャラクターは確かにパステルピンクだった筈だ。見間違いでもないし、憶え違いでもない。あんなに恥ずかしい光景を簡単に忘れられるもんじゃない。
 だから、それは、つまり、千恵里の知らないうちに桃子と倫子がおむつを取り替えたということだ。
 なんぼ夜中やいうても、そんなことにも気がつかへんやなんて。『おむつを取り替えられてることにも気がつかんとあないすやすや寝てるんやもん、サクランボはやっぱり赤ちゃんやで』。倫子の言葉が、まるで耳元で囁いているみたいに鮮やかに甦ってきた。
 そうして突然、ついさっき、おむつカバーを目にした時に覚えた違和感が何だったのか思いつく。――脱衣場であてられたおむつカバーのアップリケはピンクの子ウサギだった。なのに、今、ブルマーの中から出てきたおむつカバーに付いているのは、同じ子ウサギでも、色がイエローに変わっていた。ということは、おむつカバーも……。
「わかった? 夜中におむつを取り替えたげて、もうこれで大丈夫やろと思とってんけど、念のためにと思て明け方におむつカバーの中に手を入れてみたらびしょびしょやったんや。それで慌てて取り替えたげたんやけど、おむつカバーからも滲み出しそうになるほどの大洪水やってん。ま、パジャマは大丈夫やったけど、それで、おむつカバーも取り替えることにしたんや。――ほんまに、ぜんぜん気がつかへんねんな、サクランボ。うちがおむつの様子を調べてる時も、すやすや寝息をたてとったもん」
 汚れたおむつをポリバケツに投げ入れて、桃子は、おむつカバーの中の様子を調べた時の手つきを千恵里の目の前で再現してみせた。なんだか、ねっとり絡みつくような指先の動きだった。
「……」
 桃子のその指がどんなふうにおむつの様子を探っていたのか少しだけ想像してみて、でも、すぐに耐えられなくなって、頭の中に浮かんだ生々しいイメージを強引に振り払って、千恵里は唇を噛みしめた。
 けれど、そのすぐ後、千恵里は体をびくっと震わせて唇を半開きにしてしまう。桃子のひんやりした指先が股間をまさぐる感触が伝わってきたからだ。
「おむつかぶれの薬や。サクランボの荷物の中に入っとったんとはちゃうで。これからはサクランボ、昼間もおむつが外れへんから、昨日の薬局で効き目の強い薬を選んでもろといてん。せっかくの白い柔らかいお肌が赤くなってしもたら可哀相やもんな。これからは気候も暖かなって汗もかきやすいから、こまめにケアしとかんとな」
 慌てて桃子の顔を見上げる千恵里に向かって軽く首をかしげ、桃子は手の動きを止めることなく言った。
 千恵里は、自宅でも確かにおむつかぶれの薬は使っていた。夜の間だけとはいっても、毎晩のように通気性の悪い蒸れやすい紙おむつのお世話になっていたから、それはそれで仕方ないと渋々諦めて。だけど、昨日もそうだったけど、こんなふうに人の手でおむつかぶれの薬を塗られると、これまで感じたこともないほどに情けなくなってくる。いくら桃子や倫子に甘えたいと無意識のうちに思っているといっても、千恵里自身はまだ自分の内なる願いに気づいていないのだから。

「ま、こんなもんかな」
 千恵里の気のせいかもしれないけれど、秘部の近くばかり入念に指を滑らせてから桃子は言って、なんとなく名残惜しそうに千恵里の下腹部からゆっくり手を離した。
 だけど、千恵里がほっとしたのも束の間。
 今度は、ベビーパウダーの柔らかいパフがそこここと動き出す。パフは恥ずかしい部分ばかりを責めることなく下腹部をくまなく滑っていったけれど、甘い匂いのするベビーパウダーのさらさらした感触が、それはそれでとても恥ずかしい。とはいえ、郷愁を誘う優しい香りに包まれていると、その恥ずかしささえどうでもよくなって、なんとなくぽやっとしてしまうのも事実だったけれど。
 それから、新しいおむつがお尻の下に敷きこまれる感触。さっきまでのぐっしょり濡れたおむつと比べると、ふんわりした柔らかい布地がそっとお尻を包みこんでくるようで、お風呂あがりにおむつをあてられた時とはまたちがう、なんともいえないさらりとした感触だった。
 ほんのりと頬をピンクに染めながら、思わずそっと瞼を閉じてしまう千恵里だった。それは、決しておむつの恥ずかしさのためばかりではない。桃子はそんな千恵里の胸の内を見透かすように、すっと目を細めて意味ありげな笑顔をみせた。



 おむつカバーのマジックテープを留めて、ブルマーのボタンもしっかり留め終えると、桃子は突然、千恵里の両手をぐいと引っ張った。その弾みに、千恵里の上半身がベッドのひょこんと起き上がった。
「え……?」
 きょとんとした顔で、千恵里は桃子の顔を見た。
「ほら、起っきして。ええとこへ連れて行ったげるから」
 言いながら、桃子はまだぐいぐいと千恵里の手を引っ張り続ける。
「ええとこ?」
 訳がわからずに、千恵里は小声で訊き返した。
「そうや、サクランボのために二人で用意しといたんやで」
 桃子は倫子と顔を見合わせて応えた。
 そうして、ベッドから床におり立った千恵里の手を引きながら寝室をあとにするのだった。

 桃子が千恵里を連れて行ったのは、廊下を挾んで寝室の向かいにある室だった。
 もともとは桃子も倫子も使っていない、ちょっとした物置にしていた室だ。とはいっても、ゆうに六畳はあって、決して狭い室ではない。
 その室に、実に様々な物が置いてあった。
 明るい色調の真新しい壁紙が貼ってある壁に寄り添うみたいにして置いてある白いベビータンスに、大小様々なオモチャを詰めこんだ木製のオモチャ箱。天井には、かろやかな音をたてるサークルメリーまで吊ってある。
「ここがサクランボの室やで。ねんねの時はパパやママと一緒にベッドやけど、お目々が醒めたらこの室で遊ぶんや」
 室の様子を見るなり思わず足を止めてしまった千恵里を強引に引き入れて、桃子はきらきらと目を輝かせた。
 微かに金属的な音が聞こえて、はっとしたように千恵里が振り返ると、倫子がドアの鍵穴から金色の鍵を引き抜くところだった。
「どない、素敵な室やろ? サクランボが気に入ってくれたら倫子もうちもめっちゃ嬉しいねんけどな。なんせ、サクランボをうちらの赤ちゃんにしてしまおって決めた時から念入りに用意してきたんやから。――サクランボが喜んでくれる顔を想像しながらな」
 桃子は、二日前から倫子と一緒に揃えた家具やオモチャ、新しい壁紙といったものを満足そうに見まわして言った。
「……嘘やろ? なんぼなんでも、こんな赤ちゃんの室みたいなとこ……冗談やろ?」
 信じられない思いで、千恵里は入り口のすぐ側に立ちすくんだまま言った。
「赤ちゃんの室みたいなとこやのおて、赤ちゃんの室そのままやで。なんせ、サクランボが使う室やねんもん」
 おかしそうに、桃子はちらと千恵里の横顔を窺って応えた。
「私、赤ちゃんなんかやない……」
 千恵里は、壁際のベビータンスを睨みつけて細い声を絞り出した。
「まだ、そんなこと言うとんの? ええかげんにしいや、サクランボ。眠っとぉ間に二回も三回もおむつを濡らしてしもて、しかも、うちがおむつを取り替えたげても、それにも気がつかんとすやすや寝とぉような子が赤ちゃんやないて? おむつで膨れたブルマーのお尻を振りながらよちよち歩くような子が赤ちゃんやないて? 聞こえへんな、そんなこと」
 わざとのような呆れ声の桃子。
「ちゃう。そんなん、ちゃう……」
 千恵里は、引きつったような顔で首を振った。
「何が『ちゃう』のんよ。ほんまに強情なんやから」
 桃子は大げさに溜め息をついてみせた。そして、そのすぐあとで、唇の端をちょっと吊り上げるような笑い顔になって言う。
「ま、ええわ。そない言うんやったら、あんたが赤ちゃんやないこと、うちらの目の前で証明してもらおかな。それができたら、サクランボがちゃんとした大人やて、うちらも認めたげる」
「証明……?」
 少し不安げな顔で千恵里は訊き返した。
「そや、証明や。――倫子、用意はええ?」
 桃子は、いつのまにか千恵里の目の前に立った倫子に声をかけた。
「ええよ。始めよか」
 倫子は短く応えると、コットンパンツをさっと引きおろした。
 はっとして思わずそちらに顔を向けた千恵里の目に、股間のあたりが不自然に膨れた青いストライプのショーツがとびこんだ。
「え……?」
 倫子のショーツの股間の膨らみに目を奪われて、千恵里はますます不安を募らせるような顔になっていく。
 千恵里が魅せられたようにじっと見つめる中、倫子はショーツも脱ぎ捨てた。
「ふう、窮屈やった。普段は、こんなもん付けたままショーツを穿くことなんかないもんな」
 ほっとしたような表情で、倫子は千恵里に向かって軽く笑ってみせた。
 その股間には禍々しいほどに黒光りする硬質ゴムのペニスバンドが、千恵里を睨みつけるようにいきり立っていた。
「な、なんやのん? 何するつもりなんよ、いったい?」
 思わず後ずさりしかけるのを桃子に押しとどめられて、不安というよりも明らかな恐怖の表情を浮かべた千恵里が声を震わせた。
「そやから、証明やんか。サクランボが赤ちゃんやのおて、ちゃんとした大人なんやいうことを証明するんやん」
 こちらへすっと足を踏み出して、倫子がにんまり笑った。
「そんなん――それを証明するんに、なんでそんな物がいるんよ!?」
 頭一つ背の高い桃子に肩を押さえつけられて、その場から一歩もさがれないまま千恵里は、何かに引き寄せられるみたいに人造のペニスを見つめて金切り声をあげた。
「あれ、わからへんのん? えらい簡単なことやのに」
 クスクス笑いながら、倫子はもう一歩近づいた。
「いやや、来たらいやや。……そ、その気味のわるいもん、さっさとしもてちょうだいよぉ」
 千恵里は体を固くして叫んだ。
「なに言うとんよ。私がそっちへ行かへんかったら、サクランボが大人やていう証明もでけへんねんで。それでもええのん?」
 倫子はひょいと腰を上げて、作り物のペニスをこれみよがしに突き出してみせた。
「来んといて。なぁ、こっちへ来んといてよ。お願いやから……怖いから……」
 確かに、千恵里の体はぶるぶると震え出していた。
 けれど、もう倫子は目の前に迫っている。
 千恵里はぎゅっと体をすくめて、助けを求めるみたいに、後ろから肩を押さえつけている桃子の顔を見上げた。
 そこへ、すぐそこまで近づいてきた倫子の右脚がすっと伸びてくる。
 あっと思った時にはもう、千恵里の視界がぐるんとまわっていた。桃子の顔を見上げた隙に倫子に足を払われて、まるで無防備に仰向けに倒れてしまったのだ。
 そのまま倒れそうになるところを桃子が受け止めて、頭を床に打ちつけることもなく、ふわりと床の上に横たわる千恵里。
 慌てて起き上がろうとするところを、桃子の手が再び肩にのしかかって、そのまま押さえつけてしまう。
 そこへ、鈍く光るペニスバンドをぶらぶらさせながら倫子が膝をついて、ベビー服の裾からあらわになったブルマーのボタンに指をかけた。
「な、何する気なん?」
 肩を床に押しつけられて起き上がることもできない千恵里が、体をのけぞらせて怯えた声で言った。
「何をするもなにも、おむつを外したげるんやんか。サクランボ、赤ちゃんやないんやろ?」
 もぞもぞと動きまわる千恵里の膝をぐっと押さえつけて、倫子は笑い声で応えた。
 そうして言葉通り、鮮やかなレモン色のブルマーの股間に並んだボタンを一つずつゆっくりゆっくり、わざとみたいに丁寧に外し始める。
「い、いやや。やめて、お願いやから、そんなことやめてぇな」
 倫子の股間で揺れている擬い物のペニスからどうしても目を離せずに、千恵里はぜいぜいと荒い息を吐きながら懇願した。
「何を言うとんよ。ほんま、おかしな子やな。赤ちゃんやないからて、おむつを嫌がったんは誰やったんかいな。――それとも、自分がまだおむつの外れへん赤ちゃんやて、やっとわかったんかな?」
「ちゃう、そんなんやない。そんなんやないけど、倫子が腰に付けてるもんが……」
 千恵里は怖じけづいたようにぶるぶると首を振った。
「あん、これのこと?」
 倫子は黒光りのする硬質ゴムのペニスをぐっとつかむと、ほれほれと千恵里の顔に向かって持ち上げた。
「けど、これがなかったら、サクランボが大人やて証明でけへんねんで。それでもええのん?」
「そ、そやから……そんなもん、何に使うつもりなんよ」
 倫子がそれで何をしようとしているのか、千恵里も薄々は気がついている。気がついているからこそ、こんなに怯えているんだ。
「じきにわかるわ。ほんま、じきにな」
 倫子はわざと言葉を濁すと、手にしていたペニスを元に戻して、最後に一つだけ残っていたボタンを外した。それから、今度は、おむつカバーのスナップボタンとマジックテープをさっさと外してしまう。
 ついさっき桃子が取り替えたばかりの新しいおむつなのに、早くも微かに湿っているようだった。早春とはいえ、通気性の良くないおむつカバーの中はすぐに蒸れてしまうにちがいない。だから、千恵里のおむつがもう湿り気味でも仕方ないといえば仕方ないかもしれない。しれないんだけど、でも、本当のところ、おむつが湿っているのは、そんなことのせいばかりでもないみたいだった。
 千恵里の下腹部を包みこんでいるおむつを外した倫子は(そして、千恵里の肩を押さえつけている桃子も)はっきり見たのだ。千恵里の無毛の秘部が僅かに濡れているのを。それは、どう見ても、おしっこで濡れているのとはちがった、もっといやらしい、ぬめぬめした濡れ方だった。
「へ〜え。サクランボ、あんた、確かにもう大人なんかもしれへんな」
 倫子は、猫みたいに光る目を千恵里の股間に向けて、笑いをこらえるように言った。
「……」
 倫子が何を言っているのかわからないようで、千恵里は不思議そうな顔をして無言で訊き返した。
「わからへん?」
 おかしそうに、倫子がもう一度言った。
「そやから、何が……?」
 千恵里はおどおどした声で訊いた。自分が恥ずかしい部分を濡らしてしまっていることに、本当に気がついていないようだった(もっとも、心の奥深いところでは気づいているものの、それを認めるのが恥ずかしくてつらくて、無意識のうちに気がつかないふりをしているだけかもしれないけれど)。
「うふふ、わからへんか。ほな、しゃあないな。ちゃんと教えたげよか」
 言うが早いか、倫子は、お尻の下におむつを敷きこんだまま床に横たわっている千恵里の体の上にのしかかった。
 思わず倫子を撥ねのけようとして体をのけぞらせたものの、体格の差がもろにでて、そのまま下敷きになってしまう千恵里。そんな千恵里の秘部に、肉体のぬくもりをまるで感じさせない無機質なごりごりした感触がちょんと触れた。
「あ……」
 千恵里の唇から、喘ぎ声とも聞こえる悲鳴が洩れ出た。股間に触れたのが何なのか、目で見なくても千恵里にもわかったらしい。
 千恵里は慌てて倫子の体を押しのけようとするが、それがとうていかなわぬことは、ついさっきからわかっている。それでも千恵里は両腕を突き上げ、体をくねらせて、倫子の抱擁から逃げ出ようともがき続ける。
「そない動きまわってもムダやで、サクランボ。それよりも、ちょっとの間だけおとなししとったらええねん。ほんまにちょっとの間や。その間に、サクランボを大人の体にしたげるから」
 倫子は右手で千恵里の腰をがっしり抱えこんで、左手に持った作り物のペニスを何度も何度も何度も意地わるく、ちょんちょんと千恵里の感じやすい部分に押し当てては、すぐ下にいる千恵里の表情を楽しむように覗きこんでみる。
「いやや、堪忍や。なぁ、ほんまに堪忍してぇな」
 倫子の体の下で、まだ諦めきれずに体をもぞもぞさせている千恵里が息も絶え絶えの細い声を絞り出した。
「なにが堪忍やのんよ。ほれ、じっとしときなさい。今から大人にしたげるんやから。これがちゃんと終わったら、もう誰もサクランボのこと、おむつの外れへん赤ちゃんやなんて言わへんから」
 倫子は右手に力を入れて、千恵里の腰をおむつの上から少し抱え上げた。
「ちょっと痛いやろけど辛抱するねんで。お風呂場でしたみたいな子供のお遊びとはちがうけど、ほんまに大人になるためやもん、辛抱できるよね? ――ほら、体の力を抜いて。サクランボのあそこはとっくに受入れ準備おっけーやねんから、あとは緊張せんとじっとしとったらええねん」
 倫子は、ゴムのペニスに添えた左手をそろりと千恵里の股間に当てがった。
「いややぁ……」
 千恵里は喚いた。
 けれど、その甲高い叫び声が途中で消えてしまう。
 倫子が自分の唇を、覆いかぶせるように千恵里の口に重ねたせいだ。
 しかも、くねくねと蠢く真っ赤な舌を強引に突っ込んでくる。
 千恵里は右に左に首を振っては、倫子の唇を振り払おうともがき続ける。けれど倫子の方も、無理矢理に差し入れた舌を抜こうともせず、千恵里の自由を奪いさろうとさえするほどに、じっとり湿った唇を力いっぱい押しつけてくる。
 ――不意に倫子の呻き声が聞こえた。
「つっ」
 人の声とも物音とも判然としない声を洩らして、倫子が、はねおきるように体をのけぞらせた。
 細い細い蜘蛛の糸のように細い涎の条が、僅かに開いた倫子の唇から千恵里の下唇よりも少し顎よりのところにつっと延びた。
 それは、微かに赤い色をしていた。
 いましめから逃げようとするあまり、千恵里が倫子の舌を噛んでしまったらしい。
 うっすらと赤く染まった涎の条に、千恵里の方が顔色を失って体を固くした。却って、倫子の方が平然としたものだ。
「ほ〜お、まだ、そんな元気が残っとってんな。もうそろそろおとなしなるかと思とったんやけど、意外におてんばやったわけやな、私らの赤ちゃんは」
 先の方に細い傷(といっても、ざくっと切れたわけでもなく、もう血も流れ出ていない、ちょっと色が変わったようにしか見えない、微かな痕跡でしかないのだけれど)がついた舌でぺろりと唇を嘗め、滴り落ちた涎の条も拭い取って、何がおかしいのか、いまにも笑い出しそうな顔になって、倫子が感心したように言った。
「ご、ごめん。そんなつもりやなかってん。そやけど、つい……」
 こわばった表情で、千恵里はおそるおそる言った。
「ええよ、気にせんでも。ちょっとやんちゃな赤ちゃんやったら、このくらいのこと、いつでもしてるやろし」
 倫子は、ぞくぞくするような笑顔で言った。
「それより、用意はええんかな? 体の力を抜いてゆっくりしてみ」
 笑顔のままなのが却って怖いのに、その上、これでもかってくらい優しい声で倫子がそう言うものだから、千恵里としては体の震えが止まらなくなってしまう。
「……いやや。倫子の舌を噛んだんは謝る。謝るから、それだけは許して」
 体だけじゃなく声まで震わせて、訴えかけるように千恵里は言った。
「そないイヤなん?」
 もう一度のしかかろうとしていたのを止めて、千恵里の顔色を窺うみたいにして倫子は言った。いつのまにか、笑顔が消えている。
「いやや」
「そ。サクランボがそない嫌がるんやったらやめたげる」
 倫子は両腕に力を入れて、体をゆっくり起こしながら言った。
「ほんま……?」
 ついさっきまであんなにしつこく迫ってきていたのが嘘だったみたいな倫子の言葉にちょっと拍子抜けしながら、なんとなく疑わしそうな表情で千恵里は訊いた。
「ほんまや。私の言うこと、そない信用でけへんのん? ただ……」
 膝立ちになった倫子は、シワになったおむつの上にお尻を載せたままの千恵里を見おろして言った。
「ただ?」
 千恵里は、こわごわ訊き返した。
 おどおどした目で見上げる千恵里に、倫子が少し憐れむような声で応えた。
「サクランボはもう大人になられへんねんで。桃子も私も、このおちんちんを受け入れられたらサクランボのこと、ちゃんと大人扱いするつもりやった。けど、サクランボ、あんた自身が嫌がったんやで。せっかくの大人になれるチャンスをな。――あんたが自分で選んだことやで。このままずっと赤ちゃんのままでええねんな」
「そんなん……それとこれとは別やんか、な、そんな話……」
 大きく見開いた目を倫子の顔に向けて、千恵里は早口で言った。
 桃子と倫子が、申し合わせたように同時に首を振った。
「そんな話……そんな無茶な話あらへん。そんなん、そんなん、嘘やろ……」
「しつこい子やな、サクランボも。ええわ、ほな、もう一回だけチャンスをあげる。――おむつとおちんちん、どっちにするのん?」
 倫子は、自分の股間でぶらぶら揺れているペニスと、千恵里の両脚の間に広がっている布おむつの端を同時に持ち上げた。
「いやや。どっちもいややぁ」
 迷いもせずに、千恵里は泣き叫ぶみたいに言った。
「どっちもいややて? そういう我儘を言うとこなんか、まんま子供やな。大人やったら、しゃあなしにでもどっちかを選ぶもんや。――ま、ええわ。それやったらそれで私が選んだげる」
 倫子は少し顎を引くと千恵里の下腹部をじっと見つめて、やおら体を倒した。
「途中でやめるんもなんやし、このままサクランボをおいしくいただくことにするわ。待っときや、じきに大人の仲間入りさせたげるから」
 倫子は、いただきま〜すと千恵里の上に覆いかぶさった。
 そのすぐ後、千恵里の秘部に人造ペニスの先っぽが当たる感触。
「や……」
 思わず千恵里は体をすくめた。
「ほれ、じっとしときや。サクランボはなーんもせんでええねんから。――ほら、サクランボの大事なとこ、こない濡れとぉやん。ほんまは私のおちんちん待っとったんやろ」
 倫子は左手の中指を少しだけ千恵里の谷間に沈ませて、首筋に赤い舌を這わせた。千恵里が噛んだ時についた小さな傷跡が、ほのかなピンクに染まった肌をざらりとくすぐる。
 さすが毎晩のように桃子のお相手をしているだけのことはある。まだ男性経験のない固い蕾のような千恵里の秘部なのに、倫子は作り物のペニスの先を、僅かに濡れた肉の谷間にそろりと挿し入れてゆく。
「あかん。あかん、て。なぁ、倫子……」
 ごりごりする感触を下腹部に感じながら、白い台紙に銀色のピンで留められた可憐な蝶のように体を固くして、千恵里は悲痛な声をあげた。
「もうちょっとや。ちゃんとおちんちんを受け入れることができたら、サクランボは恥ずかしいおむつを外してもらえるんやで」
 千恵里の体のすぐ横に右手をついてのしかかっている倫子は、千恵里の秘部にペニスを導く左手をそっと振って甘く囁いた。
「いやや、やめて言うとんのに――」
 下腹部に鈍い痛みを覚えて、千恵里は両手をぎゅっと握りしめた。そうして、はっと気がついたように、自分の肩を床に押しつけている桃子の顔を見上げた。
「――やめさせて。お願いやから桃子、倫子をやめさせて」
「けど、ええのん? そんなことしたら、また、おむつに逆戻りやで。いっそ、倫子に大人にしてもろた方が楽かもしれへんで」
 千恵里の泣き声とはまるで正反対の、あっけらかんとした桃子の明るい声だった。
 けれど千恵里の方は、逆立ちしたって、桃子みたいにはなれない。
 ――千恵里が小学六年生だった夏の或る夜、あまりの寝苦しさに、冷たい麦茶を飲もうとして自分の室から廊下に足を踏み出した途端、両親の寝室から聞こえてくる奇妙な物音に気がついた。何かがぎしぎし揺れているような音と、耳を澄ませば、誰かが喘いでいるような途切れ途切れの声が聞こえる。咄嗟に母親が病気になったのかもしれないと思いついた千恵里は、慌てて寝室のドアを開けてみた。そして、そこで見たのは、愛の営みを交わしている最中の両親の姿だった。小学校でもきちんとした性教育のカリキュラムもあって、おおよそのことは知らないでもない千恵里だったけれど、知識としての行為と、目の前でまぐわっている両親の行為とはまるで別の物だった。それがたとえ神聖な愛の行為だと教えられても、実際に目の前で自分の両親が繰り広げている行為は、ひどく獣じみたものとして千恵里の目に映っていた。日ごろから大好きな両親がまさかそんなことを(そういった行為があったからこそ自分がこの世に生を受けたのだと思ってみても)しているなんて信じられずに、千恵里はがくがくと膝を震わせながら急いでドアを閉めた。両親が愛の営みに夢中だったこともあるし、枕元がドアと反対側にあったこともあって(それに、予期せぬ光景を目にしながらも、どういうわけか気を遣うように千恵里がそっとドアを閉めたこともあって)、千恵里が二人の行為を覗きこんでしまったことには気づかれずにすんだ。
 だけど翌日から、千恵里は両親の顔をまともに見ることもできずに、勉強にも身が入らず、誰かに何かを言われても上の空で、心ここにあらずといった悶々とする日を送ることになった。まさか愛の営みを目撃されたとも知らない両親は、そんな千恵里に何かと気遣うように優しい言葉をかけてみたりプレゼントを買い与えたり、時には叱責してみたりと、なんとか千恵里を元の明るい娘に戻そうと手を尽くしたのだが、却ってそれが千恵里にとっては心の負担になってますます塞ぎこむようにさえなってしまった。それが悪いことでないのは千恵里にも充分にわかっていたし、両親が愛し合っているからこそそんな行為を交わしたのだということも理解している。なのに、理解することと、自分の両親がそんな獣じみたことをしているのを許すこととは別だった。
 それでも、結局、数週間後には千恵里が両親と普段通りに話すことができるようになったのは、性行為というものの存在そのものを忘れるよう努めたからだった。そんなものがこの世に有る筈がないと思い込み、だから両親がそんなことをするわけもないと自分に言い聞かせ、じたばたと暴れまわる心をねじ伏せて、ようやっとのこと、(見かけ上は)平静を取り戻したのだった。
 だからこそ、倫子を相手に女性どうしとはいえ、自分がそんな行為に巻きこまれることにはどうしても耐えられない千恵里だった。それが、性行為を明るくあっけらかんと楽しむことのできる桃子と千恵里との一番大きな違いだった――。
 そういった詳しい事情まで知っているわけでもないだろうに、千恵里が性行為を嫌悪していることを直感したのは、人の心を見透かす桃子の勘の良さのためだった。そうして、そのことに気づいた桃子は、千恵里が絶対に受け入れないことを承知の上で倫子に千恵里を襲わせるように仕組んだのだった。千恵里に恐れと屈服感を存分に味わわせるために。
「いやや、倫子をやめさせて。桃子の言うこと、おとなしゅう聞く。聞くから倫子をやめさせて。なぁ、お願いやから」
 じわりじわりと侵入してくる異物の感触と鈍痛に恐怖を抱き、はからずも鮮やかに甦ってきた小学生の時に目撃した獣じみた両親の姿に耐えかねて、千恵里は桃子に懇願した。
「うちのこと、『ママ』て呼んでくれる?」
 すっかり顔色をなくしかけている千恵里の顔を真上から見おろして、千恵里は真面目な表情で言った。
「ママ……?」
 今更ながらのように千恵里は訊いた。
「そうや。これまでにも何回も言うたやろ、うちがママで倫子がパパやて。そやのに、サクランボがそれを嫌がるもんやから、こないして倫子は、あんたを大人にしてくれてるんやんか。それをまた嫌がるんやったら、うちのことをママ、倫子のことはパパってきちんと呼んでくれなあかんわ」
「そんな……」
 千恵里は答えにつまった。
 だけど、そうしている間にも倫子が腰に力を入れて、今はまだ先だけを押し込んでいるペニスをずぶりと突っ込もうとする。
「いやや、待って。ちょっと待って、倫子」
 恐怖のとりこになってしまったかのように、千恵里はかっと目を見開いて悲鳴をあげた。
「いつまで待たせたら気がすむん?」
 千恵里の言葉なんか無視するみたいに、倫子はぐいっと腰を捻った。
 千恵里の下腹部が疼痛に疼く。
「わかった。わかったからやめて。わかったから倫子をやめさせて、な、桃子」
 迷っている余裕もなくなって、千恵里は悲痛な声で叫んだ。
「ママやろ?」
 クスッと笑って、千恵里に言い直させようとする桃子。
「やめさせて……」
 千恵里は少し口ごもってから
「……ママ」
と、それこそ今にも消え入りそうな声で付け加えた。
 それを耳にした桃子はちょっとだけ首をかしげると、
「で、誰をやめさせたらええのん?」
と、悪戯っぽい声で念を押すように訊いた。
「わかっとんやろ? わかっとんのに、そんな……」
 恨みがましい顔で応える千恵里。
「さあ? ちゃんと言うてもらわな全然わからへんわ。どないしたらええんやろ?」
 千恵里の表情とは対照的に、すっとぼけた顔の桃子だった。
 倫子がひょいと腰を振った。
「言う。言うからやめさせて……」
 とうとう観念したのか、千恵里は堅く細い声で言った。
「お願いやから、倫子を――パパをやめさせて。な、……ママ」
「そうや、それでええんや。サクランボがちゃんと呼んでくれるんやったら、うちらも無茶はせえへんで。――ほら、パパ。可愛いいサクランボが嫌がっとんやで。もう、そのへんにしといたげたらどない」
 掌を返したように、桃子は倫子に言った。
「ちぇ、せっかくここまできたのにかいな」
 倫子は僅かに顎を突き出して不満そうな顔で言った。
「しゃあないやん? サクランボが自分で自分のこと赤ちゃんやて認めたんやから。いつまでもおむつの外れへん可愛いいサクランボがうちらのことママ、パパて呼んでくれたんやから」
 桃子の顔が、倫子にしても年に何度もお目にかかれないほどほころんでいた。
「途中でやめたら欲求不満になってまうかもしれへんけど、それは後でうちが満足させたげる。そやから、ほら、娘とそんなや〜らしいことせえへんの」
「ふん、ま、しゃあないか。サクランボが自分で選んだことやしな」
 倫子は、『自分で』というところを強調して千恵里の顔を覗きこんだ。
「……」
 千恵里には返す言葉がなかった。
 それは、もちろん、千恵里が進んで選んだことではなかった。桃子と倫子に追いこまれて、それ以外に逃げ道がなくなって嫌々選んだことだ。なのに、そんなふうに言い返すことができない千恵里だった。
 言い返せないのは、二人の目に見つめられているからではない。二人に怯えてというのじゃなく、小学生の時の自分がどんなふうにして自分の見た光景を意識の上から消し去ったのか、それをはっきり思い出したために、桃子と倫子に「自分で選んだんとちゃう」と否定できなくなってしまったのだった。


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