偽りの幼稚園児





               【十】

「ペニス……タック?」
 聞き慣れない言葉を耳にして、おそるおそる瞼を開き、きょとんした表情で葉月が聞き返す。
「そう、ペニスタックよ。ペニスっていうのは、男の子のおちんちんのこと。タックっていうのは、折り曲げるっていう意味の英語。うふふ。これを見てごらんなさい」
 薫は、小振りの手鏡を葉月の下腹部のすぐ前にかざして、鏡面を葉月の顔に向けた。
「え……?」
 葉月は短い声を出したきり、押し黙ってしまう。   
 鏡に写っているのが自分の下腹部だとは、どうしても信じられなかった。
 さっきまでそこに力なく垂れ下がっていた包茎のペニスはなく、一条のうっすらした筋があるだけだった。葉月の股間は、無毛の股間にうっすらした筋が刻まれているだけの、まだ年端もゆかぬ童女の股間に変貌してしまっているのだった。
「よかったわね、綺麗に治って。これがペニスタックっていう治療法なのよ。これで、幼稚園でお友達と一緒にお着替えしても、からかわれる心配なんてないわよ。明後日からの幼稚園がますます楽しみになってきたわね」
 薫は、まるで髪の寝癖を梳かし直してあげたくらいのあっけらかんとした口調で言った。
 が、葉月はまるで要領を得ない顔だ。
「いいよ、あんたにもわかるように簡単に説明して上げる」
 葉月の体から手を離し、パパ役ではなく姉の口調に戻った皐月が、すっと目を細めて言った。
「寒い時なんかは、男の人の睾丸、股間にある鼠径管っていう部位に収まってるんだってさ。で、普通の温度の時でも、わざとそんなふうにしようと思えばできるんだそうよ。で、睾丸を鼠径管にしまいこんじゃって、まわりに余計な物がなくなった状態で、ペニスをお尻の方に折り曲げて、股間に収めてしまうのがペニスタックっていう技法でね、男の人が女装する時に女性もののショーツを綺麗に穿きたい時に使うことがあるんだって。ただ、そのままだとペニスは元に戻ろうとするし、睾丸も鼠径管から押し出されちゃうから、ある程度の時間ペニスタックを続けるには、テーピングとかで固定しなきゃいけないのよ」
 皐月は反応を確かめるように、葉月の顔をちらと見た。
「でも、テーピングだといろいろ不便でね、それで、園長先生がお医者様時代の知り合いの有名な先生に相談してくださって、先生の病院の付属研究施設で試作に成功したばかりの人体用の接着剤を試供していただけることになったの。田坂先生があんたのペニスをいじってた時、最後の方で、股間が冷たくなったでしょう? あの時、試作の人体用の接着剤をペニスや睾丸に塗ったのよ」
 葉月が押し黙ったままなことを気にするふうもなく、皐月は説明を続ける。
「もともとは、手術時の傷口を綺麗に接合するために開発していた接着剤なんだってさ。ほら、手術の時って、傷口を糸で縫合するから、どうしてもその痕が残っちゃうじゃない? それを防ぐために開発したんだそうよ。でも、単に人体組織を強力に接着するだけじゃなく、安全面も考慮してあって、接合する部位じゃないところに誤って塗布した場合はすぐに剥離できるように、温度が十度から五十度の間じゃないと効果がなくなるとか、炭素成分を主とする有機体どうしじゃないと接合しないような分子構造になっているとか、いろいろと手は打ってあるらしいわ。だから、普段は冷蔵庫の冷凍室に保管してあるの。それに、田坂先生、薄い手袋をしてたでしょ? あれはゴム制なんだけど、炭素化合物の普通のゴムじゃなくシリコンゴムでできた手袋なのよ。だから、あの手袋を着けていれば、誤って接着剤をこぼしちゃっても、手がどこかにくっついちゃうようなことは防げるってわけ」
 おちんちんではなく、ペニス。たまたまではなく、睾丸。お股ではなく、股間。そんなふうにわざと事務的な言い回しをするのは、葉月に対して、自分の置かれた状況を、より冷徹に告げるためか。
「どうして、こんなことをするかわかる? それはね、あんたに女の子になりきってもらうためよ。いくら女の子の格好で着飾ってみても、それだけじゃ、女の子になりきれるわけがない。ましてや、男の子と女の子の身体の違いなんてわかる筈がない。たとえば、おしっこをする時だって、そう。男の子なら立ったままおしっこをして、あとはペニスの先に付いている雫を振り落とすだけ。でも、女の子は、いちいち便器に座って、おしっこをしたあと、トイレットペーパーで綺麗に拭かなきゃいけない。それも、無造作に拭くんじゃなく、大事な敏感な部位に雑菌が付着しないように、ペーバーで拭く向きにも気をつける必要がある。それに、男の子はペニスの先から勢いよく出しちゃえばいいけど、女の子は、お尻のまわりがおしっこで濡れちゃうこともある。そんな、あんたが普段なら気にもかけていない小っちゃなことを身をもって知ってもらうために、こんなことをしたの。これであんたも、(ペニスが後ろを向いているんだから)おしっこをした時にお尻のまわりが濡れてどんな気持ちになるか、よぉくわかる筈よ。――いいよ、ママ。葉月に新しいパンツを穿かせてあげて。明後日から幼稚園に通う葉月にお似合いの、うんと可愛いパンツをね」
 葉月への説明を終えた皐月は、再びパパ役の口調に戻って、薫の方に向き直った。
 タック措置を始める前に空けておいた箪笥の引き出しを覗き込んで、薫がいそいそと品定めを始める。

 実はこの時、皐月は全てを葉月に説明したわけではなかった。
 ペニスタックの概略は説明したものの、それ以外の、わざと説明しなかった事柄も少なくはない。
 園長が相談を持ちかけた相手である医師時代の知己で高名な先生というのは、全国に数多くの総合病院を展開する医療法人『慈恵会』の若き当主・笹野美雪なのだが、この美雪が実権を握ってからの慈恵会は、学術論文に掲載されるような斬新な治療法を数多く確立したり、付属の研究施設では画期的な新薬を次々に発表したりと、今や医学界では世界的に名を馳せる存在としての地位を確固たるものにしていた。
 現在の医学界においてそれほどの重鎮たる笹野美雪が、いくら学生時代から医局時代を通しての同期とはいえ、宮地紗江子に対して、まだ試作の段階である特殊な人体用接着剤を快く提供するほどの仲であるには、それなりの理由が存在する。実は、美雪は学生時代、彼女の家柄と才能を妬んだ二学年上の数人の医学生による集団レイプの被害を受けていた。だが美雪は、自分の進む道をそのようなことで見失う人ではなかった。持ち前の精神力と克己心の発露により、その厄災を却って自らを励ます原動力へと転化して、自分が理想と掲げる医療改革への道を邁進した。そんな美雪だからこそ、わけあって医学会から初等教育の世界へと身を転じた紗江子から、どこか自分と同じような匂いを嗅ぎ取り、限りないシンパシーをおぼえ、できうる限りの協力を惜しまないと申し出たのだった。
 ついさきほど、葉月のペニスタックを薫はいとも簡単にやってのけた。だが、さほどの苦痛もなくペニスタック措置を施すには、それなりの知識と慣れが不可欠だ。それを苦もなく成功させたのは、美雪が人体用接着剤を提供するだけでにとどまらず、薫と皐月に対して、タック措置を施す際に必要になる技能を身に付けさせる指導の場を提供したからに他ならない。パソコンの画面を通してのシミュレーションや人体模型を使っての練習のみならず、若い男性職員を対象にした実技訓練まで経験させて、ペニスタックに必要な技能を身に付けさせていたのだ。
 加えて言うなら、美雪が皐月と薫に(そして、二人を通じて紗江子に)提供したのは、タックに関するものだけではなかった。
 葉月の下腹部の恥毛が消え失せ、ペニスが勃起不全になってただ力なく股間に垂れ下がるだけの情けない肉棒になりさがってしまったのは前述の通りだが、それも、美雪が紗江子に提供した試作薬剤の効能の結果だった。その試作薬剤は様々な合成ホルモンを研究する過程で生成されたもので、人が自然に分泌する女性ホルモンが内包する働きを全て備え持っている上、人体の女性ホルモン受容体の働きを劇的に高めると同時に男性ホルモン受容体の働きを阻害する特殊な触媒様成分を併せ持っていて、それを服用した者は、自然分泌のホルモンなど比較対象にすらならないほど強烈な女性ホルモンのシャワーを浴び続けるのと同様の身体的特徴をしめすことになる。具体的には、(発生学的に男性毛である)恥毛や脇毛など体毛の著しい減少、(保水性の高いみずみずしい)肌質への変化、ペニスや睾丸の矮小化ならびに無力化、乳房の豊満化、(筋肉質から脂肪質への変化に伴う)体型の全体的な変化といったところなのだが、ここまで読んでいただいた方はもうお気づきの通り、ここ最近になって葉月の身に起きた身体上の変化は、全て、美雪が提供した合成女性ホルモン様化合物たる試作薬剤に起因していた。
 しかも美雪は、そのような合成女性ホルモン様化合物と共に、こちらも合成に成功したばかりの選択性筋弛緩剤とも称すべき薬剤をも紗江子に提供していた。一般的な筋弛緩剤は、麻酔導入時の気管内挿管等に用いられ、神経の終末と筋肉の接合部位でその刺激伝達を遮断することで筋肉の動きを弱体化させる働きを有するが、随意筋にも不随意筋にも同等に作用するため、用法を誤れば肺や心臓の機能に致命的なダメージを与える恐れがある。それに対し、美雪が率いる慈恵会の研究施設が試作合成した筋弛緩剤は、肺や心臓など内臓を構成する不随意筋には作用せず、手や足の筋肉といった、自分の意思で動かすことができる随意筋にのみ作用するといった特徴を有している。
 さきほども葉月は皐月に抗えず、自由を奪われていた。それは、二人の体格差という理由もあったが、葉月が知らず知らずのうちに服用させられていたこの選択性筋弛緩剤のせいで筋肉が弱体化させられていたことも、決して見逃すことのできない要因だった。
 知らず知らずのうちに服用させられていた――そう、葉月は、皐月に誘われるままアルバイトの面接に臨む以前から、合成女性ホルモン様化合物と選択性筋弛緩剤とを継続的に服用させられていた。
 服用させていたのは、紗江子の指示を受けた皐月だ。自分の仕事がいくら忙しくて残務整理のため帰宅が遅くなっても、夕食を作ることは絶対に欠かさなかった皐月。皐月がそうしていたのは、美雪が紗江子に提供し、紗江子が皐月に手渡した薬剤を食事に混入して日々欠かさず葉月に服用させるために他ならなかった。
 男性応募者をふるい落とすための課題は、自分が幼稚園児、それも女児になりきって、自身の無力さを思い知り、無力な自分の目に教諭たちがどれほど絶対的な存在として映るかを身をもって痛感することを被験者に求めている。しかし、若く屈強な男性応募者を本当の意味で無力な園児になりきらせることなどできるわけがない。あくまでも、そういうふりをして、そのように演じるだけに終わってしまう。それでは、課題は意味をなさない。そこで紗江子が美雪に助けを求め、二人で案を講じ、美雪が紗江子に提供を申し出たのが、ペニスタックを施すに必要な技能を薫と皐月に習得させるための指導、ペニスタックに転用可能な人体用の接着剤、被験者の股間を童女のそれに変貌させるための合成女性ホルモン様化合物、選択性筋弛緩剤の四点だった。
 ただ、薬剤の類はまだどれも試作段階にすぎず、投与量と効能の具体的な相関性などといった細かなデータはまとまっていない。
 そこで紗江子が目をつけたのが、皐月の弟である葉月だった。
 課題制作のアシスト。聞こえはいいが、要するに、葉月に与えられた役割は、新薬の被験体というわけだ。
 ただ、それにしても疑問は残る。いくら紗江子の発案であったとしても、実の弟を新薬の被験体としてそう簡単に皐月が差し出すことなどあり得るだろうか?
 実は、詳しいことは後述するが、皐月には皐月なりの目論見があった。加えて、薫にも薫なりの思惑があった。そして、二人の目論見と思惑は、紗江子の計画に決して相反するものではなかった。
 こうして、いくつかの思いが様々に絡み合う中、葉月は、年少クラスの女児としての生活を送ることを余儀なくされつつあるのだった。
 むろん、その事実を皐月は葉月に告げる気などさらさらない。

「やっぱり、これかな。葉月ちゃんが初めての幼稚園に穿いてく記念のパンツは」
 自らの胸に渦巻く思惑などまるで知らぬげに、薫は、箪笥の引き出しからつかみ上げたパンツを葉月の目の前でぱっと広げてみせた。
 お腹が冷えないよう股上を深く仕立て、クロッチを厚めにした、アニメキャラのバックプリントが目立つそのパンツは、いかにも小さな女の子向けといったデザインの厚手のコットン製のショーツだった。




戻る 目次に戻る 本棚に戻る ホームに戻る 続き