偽りの幼稚園児





               【十二】

「パンツはママが穿かせてあげたけど、制服はどうかな? せっかくの新しい制服だもの、自分で着てみたいよね?」
 薫はこともなげに言って、前リボンと縦に五つ並んでいるボタンを全て外して前開きにしたセーラーワンピースを葉月に手渡そうとする。
 が、葉月は頑として受け取ろうとしない。
 ショーツやキャミソールといった女児用の下着を身に着けさせられた上に保育園に通う女の子の制服を身に着けなさいと(しかも、自ら進んで自分の手で身に着けてごらんと)促されて、おいそれとそれに従えるわけがない。
 けれど、薫は葉月が制服を受け取ろうとしない理由を充分に承知していながら、わざと
「葉月ちゃん、制服も自分じゃ無理なのかな。ひばり幼稚園のお友達、年長さんも年中さんもみんな自分で着られるのよ。一人で着られないのは、年少さんのお友達の半分だけなのに、葉月ちゃんたら、体が大きいのに自分で着られないんだ。ああ、そうだった。葉月ちゃん、体は大きいけど、本当は年少さんだものね。それに、何度もころんしちゃいそうになってパパに助けてもらっていたから、まだあんよも上手じゃなかったっけ。だったら一人で着られなくても仕方ないわね。まだあんよも上手じゃない年少さんだもん、自分で制服を着られないのも無理ないわよね」
とからかい気味に言うと、いったんは葉月に手渡そうとした制服を改めて自分の両手で広げ持ち、襟元のリボンタイを葉月の目の前で揺らしてみせながら続けた。
「ひばり幼稚園には年長さんのクラスと年中さんのクラスと年少さんのクラスがあって、年長さんクラスには大きな鳥の名前の『はと組』と『きじ組』、年中さんクラスには年長さんよりもちょっと小さな鳥の名前の『むくどり組』と『ひよどり組』、年少さんクラスには小さな鳥の『すずめ組』と『つばめ組』があるの。それで、年長さんが着る制服のリボンの色はブルーで、年中さんの制服にはイエローのリボンが付いてて、年少さんのリボンは薄いピンクになっているのよ。――さ、葉月ちゃんの制服に付いているリボンは何色かな?」
「……ピンク……」
 リボンが年長・年中・年少の発育別クラスを示しているという事実を初めて教えられ、自分のために用意したという真新しいセーラーワンピースの襟元を飾るリボンの色を改めて確認した葉月は、屈辱に唇を震わせながら、よく注意していないと聞こえないほど小さな声で応じた。
「そうね、ピンクね。でも、葉月ちゃんの制服に付いているリボン、制服の色よりも濃いピンクでしょ? 他の年少さんの制服に付いているリボンは、葉月ちゃんの制服の色と同じくらい薄いピンクなのよ。なのに、葉月ちゃんのは濃いピンク。どうして違うか、葉月ちゃん、わかるかな?」
「……」
「わからない? じゃ、教えてあげる。――年少さんのすずめ組とつばめ組は薄いピンク。でも、葉月ちゃんは、年少さんは年少さんでも、ちょっと違う年少さんなのよ。だから、すずめ組やつばめ組とは違う、濃いピンクなの。だって、葉月ちゃんが入るのは、特別年少クラスの『ひよこ組』だもの」
 年少クラスの『すずめ』という名前よりもまだ更に小さな鳥を意味する『ひよこ』という名前に、葉月は、なんともいえない嫌な予感を覚ずにはいられなかった。
「特別年少クラスというのは、年少クラスの園児たちにできることがまだできない子を預かるクラスなの。年少クラスのお友達は四月から幼稚園に通っていて、大抵のことは一人でできるようになっているの。でも、葉月ちゃんは明後日から幼稚園に通い始めるから、幼稚園のことをまるで知らないし、慣れるのに少し時間がかかるよね? それに、男の子から女の子になったばかりで、ついついお転婆なこともしちゃうだろうし。そんな葉月ちゃんが少しでも早く幼稚園に慣れるように、他の年少クラスの子供たちに少しでも早く追いつけるようにしてあげるための特別なクラスなの。だから、年長さんや年中さんだけじゃなく、他の年少さんの子供たちも、葉月ちゃんにとっては、しっかり者のお兄ちゃんとお姉ちゃんなのよ。それで、葉月ちゃんの制服の色は他の子供たちと違っているの。この子はまだ何もできない『ひよこ』さんだから、みんな、優しくしてあげなきゃいけないんだよってことが他の園児たちにすぐわかるように」
 薫はそう言って葉月の背後にまわり、両手で制服の袖を広げてそっと背中に押し当てた。
 葉月はびくんと体を震わせ、背中に羽織らされたセーラーワンピースを振り払おうとして両手をばたつかせる。
「じっとしてなきゃ駄目だよ、葉月。せっかくママが制服を着せてくれるんだから、おとなしくしてなきゃ。特別年少クラスの葉月でも、そのくらいのことはわかるよね? もしもそんなこともわからないんだったら、年少クラスのお兄ちゃんとお姉ちゃんに笑われちゃうよ。そんなの、いやだよね?――本当は大学生のお兄ちゃんが保育園の子供たちに笑われちゃうだなんて、そんなの、いやだよね?」
 制服を拒む葉月の肘をつかみ、両手を強引に後ろへ伸ばさせながら、もうすっかり葉月のことを年端もゆかぬ特別年少クラスの園児だと決めてかかり、皐月はわざと優しく、そして皮肉たっぷりに言って聞かせた。

 本当は十八歳の男の子なのに。本当は大学生のお兄ちゃんなのに。薫と皐月が繰り返し口にする言葉が葉月の羞恥を煽りたてる。
 太腿をきゅっと締めつける女児用ショーツと胸元を圧迫するカップ付キャミソールの緊縛感に加えて、背中に羽織わされ強引に袖を通されて体中を包み込まれてゆく夏用の制服のさらさらした肌触り。そのどれもが、「これから葉月ちゃんは幼稚園の特別年少クラスに入れられちゃうんだよ。幼稚園に通う特別年少さんの可愛い女の子になるよう葉月ちゃんは躾け直されちゃうんだよ」と無言で囁き続ける。
(ぼ、僕、幼稚園に通う子供になっちゃうんだ。それも、半ズボンで元気に走りまわる男の子じゃなくて、ちょっとでもお転婆なことをしたら叱られちゃう年少さんよりもまだ下の女の子に。幼稚園の先生になるための資格を取って、できれば大学院へ行きたいと思ってる僕が、先生になるどころか、逆に、特製のピンクのセーラーワンピを着せられて、腕白な男の子にスカートめくりをされちゃわないようどきどきし続けなきゃいけない女の子の幼稚園児にさせられちゃうんだ)
 改めてそう実感するにつれ、なんとも表現しようのない、どこか甘美でさえある倒錯感が胸を満たしてゆく。女物の(というか、女児用の)下着を着けさせられた上に更に女の子の制服まで着せられたが最後、もう二度と引き返すことのかなわぬ道に足を踏み入れることになりそうな予感が脳裏をかすめる。
 えもいわれぬ倒錯感と被虐感にふと心を奪われて、葉月がどこか遠くを見るような目になっている間に、薫と皐月は葉月にパステルピンクの制服をを手早く着せてしまっていた。

「それにしても、制服の色がピンクなのも理由の一つなんでしょうけど、うちの園の他の女の子たちと比べても、なんだか葉月ちゃんの方が幼い感じさえするのよね。一番上の年長さんよりも本当は葉月ちゃんの方が一回り以上も年は上なのに」
「ああ、それは、色のせいもあるけど、他の女の子が着ている制服と比べて、葉月の制服は少しデザインも変えているからだと思うよ」
 制服姿の葉月を満足げに眺めながらふと口にした薫の言葉に対して、少しだけ考えて皐月がが頷き応えた。
「デザインも変えてある……?」
「うん。業者に発注する時、園長先生と私で相談して、よく見ないとわからないような細かなところなんだけど、変えてもらっている部分があるんだ。本当は大学生の葉月に、子供用の制服をそのままサイズだけ大きくして着せたりしたら、どうしてもおかしなことになっちゃうからね。今は子供用の制服が手元にないから実際に見比べることはできなくて言葉だけの説明になるけど、いいかな?」
 皐月は目だけを動かして薫の横顔を見てから、もういちど葉月の姿に視線を投げかけて続けた。
「一番わかりやすいのはウエストのラインかな。小さな子供の体格というのは、大人をそのまま縮めただけじゃなく、頭身の比率そのものが違っているんだ。大人の場合はモデルさんとかだと八頭身の人もいるし、さほどスタイルがいいってわけじゃない人でも六頭身ってところだよね。だけど、幼稚園児くらいの子供だと五頭身とかが普通だったりするんだよ。それが、ま、幼児体型って言い方になるんだけどね。そんな小っちゃな子供の体にあわせて洋服をつくる場合、ウエストラインを下げ気味に仕立てても、なんだか上の方にあるように見えるんだ。それをそのままサイズだけ大人用につくり変えたりしたら、実際の腰まわりよりもウエストラインが下になって、全体が変なラインになっちゃう。それを補正した上で、子供っぽい可愛らしさを強調するために、葉月に着せた制服は、葉月の本当の腰まわりよりも上にウエストラインがくるように仕立ててあるんだよ。あと、幼児体型の特徴っていうと、お腹がぽっこり出てるとこだよね。その感じを出すために、葉月の制服は、ウエストの部分をあまり絞り込まないようゆったりしたラインにして、そんな幼児特有の体型を再現してもらうようにしてあるんだ。他の部分も含めて、そんなふうに、実際の子供よりも子供らしさを強調するようデザインに手を加えてもらったから、幼い感じが強まっているんだと思う」
「じゃ、スカートの丈が短めに仕立ててあるのも、同じ理由で業者さんに指示したの?」
 皐月が説明を終えると同時に、薫が、目の前に立ちすくむ葉月の姿をじっと見つめて意味ありげに尋ねた。
「うん、その通り。園長先生と私が縫製業者さんに、スカートはなるべく短めに仕立てるようお願いしたんだ。スカート丈が短い方が、幼い感じを強調できるから」
「そういうことか。制服を着た葉月ちゃんが他の女の子たちよりも幼く見える理由をいろい考えていたんだけど、私が真っ先に思いついたのはスカート丈の短さだったの。園で預かっている女の子の制服のスカートの丈は膝頭が隠れるか隠れないかくらいの長さなのに、葉月ちゃんの制服のスカートは膝上十センチくらいかな。太腿がちらちら見えちゃって、それが、いつもじっとしていない活動的な子供らしさと、まだ恥ずかしさなんて感じない幼児のあどけなさを強調しているのかなって思って。パパ――御崎先生の説明を聞いて、ウエストラインの高さとかウエストの絞り込みとか細かなところまで工夫しているんだなってこともわかったけど、そういうのとスカート丈の短さとが相まって、とっても可愛らしくて幼い印象になっているわけね」
 薫は思案げにそこまで言ってから、皐月にというよりも葉月に向かって、こんなふうに付け加えた。
「でも、スカートを短めに仕立てるよう業者さんに指示したのは、そんな見た目の可愛らしさを強調するためという目的もあるとは思うけど、それだけじゃないようにも思えるの。なんていうか、もっと実用的な意味があるんじゃないかなと思うんだけど、どうなのかな?」
 そんなふうに重ね訊く薫に対して、皐月はすっと目を細めて軽く頷いた。
「いい勘をしているね、ママ――田坂先生は。そうだよ、スカートを短めに仕立ててもらったのには実用的な意味合いもあるよ。スカートを穿き慣れていない葉月がスカートに足を取られて歩きにくくなっちゃ可哀想だから、そうなることを防ぐためという立派な意味合いがね」
 何度か繰り返される質問と返答。実は、それは、前もって皐月と薫とが口裏を合わせ、葉月の目の前で、いかにも薫が疑問に思ったことを皐月に尋ねるといった態をとって演じているに過ぎなかった。その目的は、葉月がとても幼く見えること、女の子の制服が葉月にひどく似合っていること、そうして、葉月が今どんな装いに身を包まれているかといったことを葉月自身にこれでもかと思い知らせるところにあった。
「うふふ。やっぱり、そんな意味合いがあったのね。そうよね、これまでスカートなんて穿いたことがない葉月ちゃんだもの、スカート丈が長いと裾がまとわりついて、ますますあんよが上手じゃなくなっちゃう。あんよのたびに転んじゃって、そのたびにスカートが捲れ上がってパンツを男の子に見られちゃうなんてことになったら可哀想だものね」
 薫は、丈の短いスカートの裾から見える葉月の白い腿をちらと見て、わざとらしく大げさに納得げに頷いてみせた。
 その間に、皐月が、葉月の後ろにすっと立つ。




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