偽りの幼稚園児





               【二四】

「そう、そんなことがあったんだ。よかったね、葉月ちゃん。パパに抱っこしてもらっておしっこさせてもらって、本当によかったね」
 薫は、皐月と繋いだままになっている葉月の手を優しく離させ、葉月の体をその場でぐるりと向きを変えさせて拭い忘れがないことを確認しながら言った。
「だから、今度のお風呂もパパにおしっこさせてもらうの」
 あけっぴろげの笑顔で天真爛漫に声を弾ませる葉月。
 葉月の精神の変容はいよいよ確実だった。
 それが、薫が無意識のうちに発揮している人との距離感の特別な詰め方にかかわる能力のせいなのか、知らぬ間に服用させられている様々な薬剤が複合的に葉月の精神にまで作用したためなのか、プロジェクトを成功させるべく薫との仲をより深くしようとする葉月が意識的にそうしているからなのか、その理由は判然としない。しかし、葉月の精神の在りようが十八歳の男子大学生のそれでなくなってきているのは明らかだった。
「うふふ、二人がそんなに仲良しさんだなんて、ママ、ちょっぴり妬けちゃうな」
 薫は相好を崩して言い、衣装籠から別のバスタオルを取り出して脱衣場の床に敷いて、その上に、これもやはり衣装籠に入れて持ってきた大きなおむつカバーを広げた。
「お、おむつ、恥ずかしい。恥ずかしいから、おむつ、いや」
 それまでの笑顔から一転、薫がバスタオルの上に用意したおむつカバーを目にするなり、葉月は耳たぶの先まで真っ赤にしてぶんぶんと首を振った。その仕草がこれまでよりもずっと幼児めいていて、可愛らしさが増して見える。
「駄目じゃないか、そんな我儘いっちゃ。葉月、お風呂でパパと約束しただろ。うんとママと仲良くなりたい。もっともっとママと仲良くなれるように頑張るって。なのにおむつをいやがってママを困らせるなんて、パパとの約束を破っちゃうのかい?」
 下着こそ女性用のものだが、その上に男物のパジャマを手早く着終えた皐月が葉月の言葉を聞き咎める。「だって、私、明後日から幼稚園なんだよ。赤ちゃんじゃないのに、幼稚園のお姉さんなのに、なのに、おむつなんて……」
「でも、葉月はお昼寝でおむつを汚しちゃったよね? お昼寝でおむつを汚しちゃうような子が夜のねんねの時にパンツで平気なわけないよね? それに、ほら、ママと約束したよね、今夜おむつを汚さなかったら明日はパンツでいいよって。ママと仲良しになりたいんだったら、ママとの約束を守らなきゃいけないよね?」
「へーえ、そうなんだ。葉月ちゃん、もっとママと仲良くなれるように頑張るってパパと約束してくれてたんだ。ママ、とつても嬉しいな。嬉しいから、ママが葉月ちゃんにご褒美をあげちゃおうかな。――あのね、ちゃんとおむつをあてさせてくれたら、今夜のねんねの時、ママが添い寝してあげる。添い寝して、おっぱいをあげながら、お腹をとんとんしてねんねさせてあげる。これで、どう?」
 皐月のあとを、にこにこ笑って薫が言葉を継ぐ。
「ごほうび、ママのおっぱいなの? だったら、でも、ううん、だって……う、ううう……う、うん、いいよ。ご褒美がママのおっぱいだったら、私、おむつでもい。すごく恥ずかしいけど、おむつでもいいよ」
 葉月は考え考えしながら、ようやく決心して頷いた。
 やはり、顔色は耳たぶの先まで真っ赤だ。
「聞き分けがよくて、本当にお利口さんね、葉月ちゃんは。やっぱり、ママの自慢の娘だわ。じゃ、すぐに準備するから、そのままそこで待っていてね」
 薫はいそいそとおむつの準備を始めた。
「最初は、横あてのおむつね。これは、お尻とお股を横からくるむおむつなのよ。普通は一枚でいいんだけど、葉月ちゃんは普通の赤ちゃんと比べると体が大きくて一枚じゃ届かないから、こうして、端をずらして二枚を重ねて、と」
 薫は衣装籠から動物柄の布おむつを二枚取り出し、横あてのおむつとして、バスタオルの上に広げたおむつカバーの横羽根の上に重ね敷いた。
「次が、股あてのおむつ。これは、両脚の間を通して、背中からおへそのすぐ下までをくるむおむつね。普通だったら二枚〜三枚くらいでいいんだけど、葉月ちゃんは普通の赤ちゃんよりも体が大きくておしっこの量が多いから、ちゃんと吸い取れるように多めにして、七枚にしておこうかな」
 薫は衣装籠から取り出した七枚の布おむつを、さっきの横あてのおむつとは直角の向きで、おむつカバーの前当ての上に重ね敷いた。
 葉月の大きな瞳がきょときょとしながら、薫の手の動きを追いかける。
「あ、いけない。普通の赤ちゃんだったら股あてのおむつを折り返して、おしつこが出るところを厚めにするんだけど、葉月ちゃんの股あては長さの都合で折り返してないから、別のおむつを使って、おしっこが出るところを厚くしとかなきゃいけなかったんだわ」
 葉月の視線を意識しながらわざとゆっくり薫は更に一枚おむつを取り出し、それを二つに折り重ねて、さきほど敷いた股あてのおむつの下の、ちょうどペニスの先端が触れるとおぼしきあたりに敷いた。
「さ、できた。いいわよ、ここにお尻を載せてごろんしてちょうだい」
 薫は掌を広げ、横あてのおむつと股あてのおむつが重なっているあたりをぽんぽんと叩いてみせた。
「ほら、いつまたおしっこが出ちゃうかわからないんだから、早くママの言う通りにしなさい」
 皐月が背後から皐月を促す。
「で、でも……」
 いくら幼い女の子になりきろうとしても、おむつの恥ずかしさはまた別だ。
 たとえ葉月が本当に三歳の女児だったとしても、おむつを恥ずかしがるのは当然のことだろう。
「いつまでもぐずぐずしてちゃ風邪をひいちゃうよ。ほら、こうして」
 皐月が葉月の体に手を伸ばし、後ろ抱きでおしっこをさせたのと同じ姿勢を取らせて体を抱き上げ、おむつの上にお尻を載せさせた。
 皐月に抱え上げられた時は
「や、やだ、恥ずかしい。おむつ、恥ずかしい」
と何度も首を横に振っていた葉月だが、お尻がおむつに触れた途端、下腹部が大きくびくっと震えて、一瞬とはいえ息が止まり、言葉を失ってしまう。
 想像を絶する恥ずかしさに、それまでも熱く火照っていた葉月の顔がますます赤くなる。
 布おむつがこんなに柔らかなものだなんて、葉月は思ってもみなかった。お昼寝の目がさめておむつが濡れてないかどうか調べられた時は、突然の事態に、おむつの感触なんてわからずにいた。それが今は、下腹部の肌に触れる布地の例えようのない柔らかな感触が、心の安らぎよりも、むしろ、限りない羞恥のざわめきを掻きたてるものだと思い知らされる。
「はい、そのまま動いちゃ駄目よ」
 薫は短く言って葉月の上半身をバスタオルの上に優しく押し倒し、左右の足首をまとめて掴んで、そのまま高々と差し上げた。
 それはまさしく、赤ん坊がおむつを取り替えられる時の姿勢そのままだった。
「恥ずかしい。やだ、恥ずかしいの、やだ。おむつ、やなの」
 回数ばかり多くてちゃんと息ができているのかどうかわからない浅い呼吸を繰り返す葉月の、(薬剤の影響で)僅かに膨らんだ胸が弱々しく上下する。
「だって、葉月はママと約束したろう? ママがくれるご褒美のことだけ考えて、おとなしくしてようね。ほら、パパがお手々を握っていてあげるから」
 皐月が葉月の手をぎゅっと握る。
 その間に薫は右手で葉月の足首を差し上げまま、左手だけで衣装籠からベビーパウダーの容器をたぐり寄せ、親指で蓋を外して、容器から真っ白のパフを取り出した。
 どこか懐かしさを感じさせる甘い香りが鼻をくすぐる。
「さ、おむつかぶれにならないように、ほら、ぱたぱたしておこうね」
 薫は葉月の下腹部にベビーパウダーのパフをぽんぽんと優しく押し当て、無毛の股間からお尻にかけて、うっすらと白化粧を施してゆく。
「これくらいでいいかな、ぱたぱたは。じゃ、おむつをあてようね」
 ベビーパウダーを使った恥ずかしい化粧を葉月の下腹部に施した薫は、それから、葉月のお尻の下に敷いてある股あてのおむつの先を左手で掴み上げ、そのまま両脚の間を通して、端がおへそにかかるかかからないかのところになるよう調節した。
 太股の内側を撫でる柔らかな感触に、葉月の顔がとめどなく赤くなる。
 葉月は今、恋心を抱いている相手の手で、しかも実の姉の目の前でおむつをあてられているのだった。
 当の相手である薫は手を止めることなく、高々と差し上げていた葉月の足首をバスタオルの上におろして、左右の脚をいくぶん開き気味にさせたまま、軽く膝を立てさせた。
 そうしておいて、葉月のお尻の下から左右両側に広がっている横あてのおむつの端を持ち上げて股あてのおむつに重ね合わせた後、おむつカバーの横羽根を持ち上げて、おへそのすぐ下のところで横羽根の左右の端どうしをマジックテープで留めておむつがずれないようにする。それから、おむつカバーの前当てを、股あてのおむつと同じように両脚の間を通しておへその下までもっていって横羽根に重ねてマジックテープで固定し、左右両方の股ぐりの前の方に付いているスナップボタンをぷちっと留め、幅の広い腰紐をきゅっと結わえた後、おむつカバーの裾からはみ出ているおむつを、二重になっている股ぐりの内側にしっかり押し入れてやって、それで、ようやくおしまいだ。

「最初は恥ずかしくていやいやしてたけど、パパにお手々をぎゅっしてもらってからはおとなしくしてて、葉月ちゃんは本当にお利口さんだったわよ」
 薫は、たくさんあてた布おむつのせいでぷっくり丸く膨らんだおむつカバーの上から葉月のお尻をぽんぽんと優しく叩いてやる。
「うん、お利口さんだったよ、葉月は。幼稚園でも、そんなふうにおとなしくおむつを取り替えてもらうんだよ。おむつはいやだ〜って先生を困らせないようにね」
 皐月が手を引いて葉月をその場に立たせ、そっと頭を撫でながら、悪戯っぽい口調で言った。
「お、おむつ、夜のねんねの時だけだもん。幼稚園はおむつじゃなくてパンツだもん。私、本当はパンツのお姉さんだもん。今日はちょっと調子がわるくておむつだけど、明日になったらパンツだもん。そんな意地悪いうパパなんて大嫌い」
 どこまでが演技なのかわからないほど自然な幼児言葉で言って葉月はぷんと頬を膨らませながら、少し心配そうな表情を浮かべ、薫の顔をおそるおそる見た。
「ね、幼稚園はパンツでしょう? おむつは夜のねんねの時だけなんでしょう?、ね、そうだよね、ママ?」
「それは、どうかしら。パンツなのか、おむつなのか、それは葉月ちゃんの頑張り次第だから、ママは約束できないわね。でも、おむつでもいいじゃない。葉月ちゃんは手のかかる特別年少クラスだけど、それよりもお兄ちゃんやお姉ちゃんの年少クラスだって、まだ昼間のおむつが取れない子もいるのよ。だったら、葉月ちゃんもおむつでいいんじゃないかしら?」
 薫は、面白そうに、曖昧に答えるだけだった。
「さ、そんなことよりも、このままだと体が冷えちゃうからネグリジェを着ちゃいましょう。お昼寝の時のは汗を吸って洗濯しなきゃいけないから、新しいのにしましょうね。お昼寝の時のと同じデザインだけど、今度のは、おむつカバーに合わせてレモン色よ。ほら、この色も可愛いでしょ?」
 葉月の問いかけをはぐらかして、薫は、衣装籠から取り出したショートネグリジェの肩口を両手で広げ持ち、前と背中が見えるようにくるっとまわしてみせた。
「はい、葉月ちゃん、両手を上げてちょうだい。ほら、ばんざーい」
 薫が言うのを合図に皐月が葉月の両手を上げさせ、そこへ薫がネグリジェを頭からすっぽりかぶせ、裾を引っ張って手早く乱れを整える。
 葉月の下腹部を包み込んでいるおむつカバーは少し濃いレモン色の生地でできていて、部屋に置いてある調度品と同じアニメキャラのアップリケを前当てにあしらった、見るからに可愛らしいデザインに仕立ててある。
 一方、ショートネグリジェは、薄いレモン色の生地でできていて、昼寝の時に着せられていたのと同じミニ丈だから、おむつカバーを完全に覆い隠すことはできず、おむつカバーは三分の一ほど人目にふれてしまう。特に、ぷっくり膨らんだおむつカバーがネグリジェの裾をたくし上げるような状態になるから、後ろからだと半分ほどがあらわになってしまうのは避けられない。
 丈の短い淡いレモン色のショートネグリジェの裾から少し濃いレモン色の丸く膨らんだおむつカバーをのぞかせ、恥ずかしさで両脚を頼りなげにぷるぷる震わせる葉月の姿は、おむつ離れできるかできないかの年頃のまだ幼い女の子そのものだった。それが実は十八歳の男子大学生だと教えられても信じる者などいる筈のない、幼女以外の何者でもなかった。それも、可愛らしいネグりシェの胸元を僅かに膨らませた、妖しく倒錯的な女の子。
「これでいいわね。これで、葉月ちゃんは約束通り赤ちゃんに戻ってくれたわね」
 まだドライヤーとブラシで整えていない少し乱れた髪が、無邪気な幼児めいた雰囲気を強くしている。
 薫は葉月の体を、頭のてっぺんから爪先まで舐めるように眺めまわし、満足そうな笑顔になった。
 そこへ、葉月がおそるおそる声をかける。
「あ、あの、かぼちゃみたいなパンツは? お昼寝の時のと同じだったら、かぼちゃみたいなパンツもあるんでしょ? お昼寝の時、かぼちゃみたいなパンツで、お、おむつが隠れてたよね。おむつカバーが見えてるなんて、恥ずかしい。私、おむつカバーの上にパンツを穿きたい」
「ああ、ナイティのセットのかぼちゃ型ドロワースのことね? 確かにこのネグリジェにも同じ色のセットのドロワースはあるけど、穿かなくてもいいんじゃないかしら? お昼寝の時は初めてのことだったからお目々をさまして急におむつカバーを見てびっくりしないようにおむつカバーの上にドロワースを穿かせてあげたけど、もう葉月ちゃんもおむつに慣れたみたいだから、ドロワースは要らないんじゃないかな? それに、こんなに可愛いおむつカバーをドロワースで隠しちゃうなんて勿体ないわよ」
 薫は、再びおむつカバーの上から葉月のお尻をぽんと叩きながら、あやすように言った。
「で、でも……」
 おむつカバーをあらわにした羞恥きわまりない自分の姿に胸の中で身悶えしつつも、それ以上はどう言えばいいのかわからず、言葉を失ってしまう葉月。
 そこへ助け船を出したのは皐月だった。とはいえ、単なる助け船というには怪しげな、なにやら含むところのありそうな口調で皐月はこう言った。
「せっかく可愛い葉月がこんなにお願いしているんだから、ちょっと考え直してあげてもいいんじゃないかな、ママ。たとえば、これまでにないくらい可愛らしく葉月がおねだりしてくれたらドロワースを穿かせてあげてもいいとかさ。だって、ママも、葉月の可愛いおねだり姿を楽しみたいだろ?」
 皐月は薫にそう言ってから、次に葉月の顔を見おろして、こんなふうに言う。
「あのね、葉月。葉月は自分のことを『私』って言ってるよね。ついさっきもママに、『私、おむつカバーの上にパンツ穿きたいの』ってお願いしてたよね。女の子が自分のことを『私』って呼ぶのは普通だけど、それって、小学生くらいのお姉ちゃんになってからの方がお似合いなんじゃないかな。うん、幼稚園くらいの小っちゃい女の子は自分のことを名前で呼ぶ方が可愛いんだよ。たとえば、『葉月、おむつカバーの上にパンツ穿きたいの』ってね。こんなふうに可愛らしくおねだりしたら、きっとママも葉月のお願いをきいてくれると思うよ」
 幼い女の子そのまま自分のことを名前呼びするよう強要されているのだと理解した葉月の顔が更に赤くなる。
「で、でも、自分のことは『私』って呼ぶように園長先生と約束したし、だから……」
「そのことはパパが園長先生に話してお許しをもらってあげるよ。なんたってパパはプロジェクトのリーターなんだから、きっと園長先生も許してくださるさ。だから、ほら」
 優しく、けれど有無を言わさぬ口調で皐月は葉月に言い、次に薫の顔に視線を移して続けた。
「ついでと言うのも変だけど、これをきっかけに、ママも葉月のことを『葉月ちゃん』って呼ぶのを改めてみちゃどうかな。家の中じゃ赤ちゃんだとしても、明後日から幼稚園なんだから、『葉月』つて呼ぶ方がいいんじゃないかな。幼稚園の先生たちが『葉月ちゃん』って呼ぶのは、他の子供たちにもそうしているからいいんだけど、家族どうしで『ちゃん』付けは、そろそろ改めた方がいいんじゃないかな」
 皐月にそう言われて、薫は複雑な顔になった。
「え? でも、いいの? そりゃ、私もその方が嬉しいけど……でも、これは家族ごっこなのよ。パパと葉月ちゃんは本当の家族だけど、私は役目だけの家族、ごっこのママなのよ。なのに、呼び捨てにするなんて……」
 薫は、困惑の表情を浮かべ、少し寂しげな口調で曖昧に応える。
 それに対して皐月が、葉月に何やら耳打ちした後、葉月の背中をとんと叩いて薫のすぐ目の前に押しやった。
 葉月はすっと息を吸い込み、唇を舌で湿らせ、ごくりと唾を飲み込んでから薫に言った。
「ね、ママ。は、葉月、ママに『葉月ちゃん』じゃなくて『葉月』って呼んでほしい。他のお友達も、幼稚園に上がるくらいの年になったら『ちゃん』付けじゃなくなるんでしょ? なのに葉月だけ『葉月ちゃん』だったら、葉月、恥ずかしいもん。だから、ね、『葉月』って呼んでちょうだい。葉月、パンツの前に、それをおねだりすることにしたの。葉月、おねだりする。うんと可愛くおねだりするから、『葉月』って呼んでよ、ね、ママ?」
 葉月の『おねだり』を聞いている薫の目がみるみるうちに潤んでくる。
 いつしか息も荒くなってきて、肩が盛んに上下し始める。
「ね、葉月のおねだりきいてくれるよね、ママ?」
 それが最後の一押しになった。
 薫は葉月の体を力まかせに抱き寄せ、大きな瞳を涙に濡らし、
「ああ、葉月ちゃ……ううん、葉月。なんて、なんて優しい子なの、葉月は。なんて可愛い子なの、葉月は。そうよ、私がママ。私が葉月のママよ。こんなに優しくて可愛い葉月はママだけの娘。何があっても絶対に守ってあげる。絶対に誰にも渡したりしない。ああ、葉月。私の葉月」
と、狂おしいほどに何度も『葉月』の名を呼びながら、頬を擦り合わせた。
「痛いよ、ママ。そんなに強く抱いたら痛いってば」
 痛いよと言いながらも、離してよとは決して口にせず、泣き笑いの顔で葉月も薫に抱きつく。
「葉月。ああ、私の可愛い葉月。どこにも行っちゃ駄目よ。どこにも行かせないわよ、私の、私だけの可愛い葉月」
「どこにも行かないよ。こんなに優しいママをおいて、葉月がどこか行っちゃうわけないでしょ。私だけのママを残してどこかへ行っちゃうなんて、そんなの、あるわけないでしょ。ありがとう、ママ。葉月のおねだりきいてくれて、本当にありがとう、だから、もういい、もう一つのおねだりは、もう、どうでもよくなっちゃった。ママが葉月のこと『葉月』って呼んでくれたから、おむつカバーの上にパンツを穿きたいのなんて、どうでもよくなっちゃった。だって、ママがあててくれたおむつだもん。優しいママがあててくれたおむつを優しく包んでくれるおむつカバーだもん、ママの言う通り、パンツで隠しちゃうなんて勿体ないよね。だから、もういいの」
 互いに互いを抱き寄せながら交わす二人の言葉は涙声だった。
「ああ、葉月。私の可愛い娘。ああ、葉月。私の優しい娘。ずっと一緒よ。ママと葉月はずっと一緒にいるのよ」
 薫は葉月の髪を手櫛で梳かし整えながら、何度も繰り返した。




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