偽りの幼稚園児





               【二八】

「はい、いいわ。おむつはこれでいいから、さ、お次はお着替えね。ご飯を食べたらお出かけするから、いつまでもネグリジェのままじゃ駄目よ」
 薫は、おむつカバーの股ぐりからはみ出ているおむつをおむつカバーの中に押し入れ、おかしなところがないことを確認してから、ぷっと膨れた頬を人差指でつんとつつくと、葉月の手を取ってベッドからおり立たせた。
「お出かけ……?」
 不安そうな声で葉月が聞き返す。
「うん、ちょっとお買い物にね。明日は葉月が幼稚園に通い始める特別な日だから、ママもおめかしして幼稚園へ行きたいってパパに相談したら、新しいお洋服を買ってもらえることになったの。だから、お出かけよ」
「そ、そうなんだ。よかったね、ママ。じゃ、パパと仲良くお買い物してきてね」
 さりげないふうを装いつつも、ぎこちなく葉月は応じた。
「何を言ってるのよ、葉月ってば。小学生くらいのお姉ちゃんならお留守番をお願いできるでしょうけど、おむつも外れていない赤ちゃんの葉月を一人でお家に残しておけるわけがないでしょう? 葉月も一緒に連れて行ってあげるから心配しなくていいのよ」
 薫はくすっと笑って言った。
「でも、でも……」
 葉月は顔を伏せ、困ったような上目遣いで何か言おうとするのだが、言葉にならない。
「さ、ネグリジェを脱ぐわよ。はい、ばんざーい」
 葉月が何を言いたいのか、薫にはわかっている。わかっているけれど、そんなことまるで知らぬげに言う。
 薫の声に合わせて皐月が葉月の両手を上げさせた。
「そのままおとなしくしているのよ。葉月はお利口さんだから、我慢できるわよね」
 薫はあやすように言い聞かせ、ミニ丈のネグリジェを脱がせて、代わりに、いかにも夏らしいアクアブルーのサンドレスを着せた。
 薫が葉月にサンドレスを着せるのを待って、皐月が手を離す。
 薫が葉月に着せたサンドレスは、左右のストラップを首の後ろで大きなリボンふうに結ぶホルターネックになっていて、この結び目の大きさを加減することでストラップの長さを変え、全体の丈を調整できるようになっていた。大人用のホルターネックワンピースが、背中を大きく開けることでセクシーさを強調するのとは対照的に、葉月が着せられたサンドレスは、薄い胸板を覆って首の後ろに向かう生地のラインが小さな女の子らしいあどけなさを引き立たせているのと同時に、大きく開いた背中は、セクシーさというよりも、むしろ、少しくらい肌をあらわにしても気にしない幼児特有の無邪気さを強調したデザインになっており、(知らずに服用させられている合成女性ホルモン様化合品の作用で)丸みを帯びすっかり幼児めいてしまった葉月の体型と相まって、いかにも女児用といった感じの可愛らしい仕上がりになっていた。
「ホルターネックのリボンはこれくらいの大きさにして、うん、これなら丈もちょうどいい感じだし。あとは、髪をちゃんとしてあげれば――」
 ホルターネックの結び目の大きさを変えて丈を調整しては再び結び目の大きさを変えるといったことを何度か繰り返してから薫は満足そうな笑みを見せ、昨日の昼間と同様、葉月の髪をキャラゴムでツインテールに結わえた。
「――はい、できた。これで、いつでもお出かけできるわね」
 薫が少し離れた所に立ち、葉月の全身を眺め回してから軽く頷くと、それを合図に、皐月が玩具の鏡台の覆いをすっと外した。
 鏡に映ったのは、夏らしい色合いの可愛らしいサンドレスを着て、さらさらの髪をツインテールにまとめた幼女だ。サンドレスは膝上十数センチくらいのミニ丈で、普通なら、かろうじてではあるもののショーツを隠すことができるだろう。しかし、鏡の中の幼女はまだ昼間もおむつ離れができていないのか、その下腹部を覆っているのはショーツではなくレモン色のおむつカバーだった。中にたっぷりの布おむつをあてられているのだろう、おむつカバーは丸くぷっくり膨らんでいて、その膨らみがスカートの裾をたくし上げるようになっているものだから、ちょっと体を屈めたり少し強い風が吹いたりしたら、おむつカバーが見えてしまうかもしれない。
 鏡に映る自分の姿を見てそのことに気づいた幼女は、ぱっと顔を赤らめ、傍らに立つ母親らしき女性の顔を気弱げに窺い見る。
「ま、ママ、これでお出かけなんて、恥ずかしいよ。スカートの長さ、もうちょっと、本当にもうちょっとでいいから、なんとかならないの……」
 母親の機嫌を損ねるのを怖れているのがありありの様子で、幼女=葉月は、おそるおそる訴えかけた。
「いいのよ、これで。赤ちゃんの葉月はあんよが上手じゃないんだから、長いスカートだとちゃんと歩けないでしょ? だから、これでいいの。それに、おとなしく歩けばおむつカバーが見えることもないわよ。お転婆だと幼稚園のお友達に嫌われちゃうから、女の子らしくおとなしい歩き方ができるようになるための練習だと思えばいいわ」
 葉月の懇願を、薫はにべもなく撥ねつける。
 だが、何か思うところがあるのか、くすっと笑って、こんなふうに付け加えて言った。
「でも、どうしてもこのままじゃいやだって葉月が言うなら、何か考えてあげなきゃいけないわね。可愛い娘がぐずるのを放っておいちゃ母親失格だもの。じゃ、そうね、スモックの寸法合わせをした時のオーバーパンツをおむつカバーの上に穿いてみる? そしたら、おむつカバーが隠れちゃうでしょ。でも、真夏だから、ただでさえおむつの中は蒸れやすいのに、その上にオーバーパンツなんて穿いたら、もっと暑くなって、おむつの中は大変なことにになっちゃうかもしれないわよ。それでもいいのかな、葉月は?」
「いい。葉月、暑くても我慢する。我慢するから、オーバーパンツ穿きたい」
 葉月は一瞬の迷いもなく答えた。
「そう。葉月がそう言うんだったら、穿かせてあげる。でも、せっかく穿かせてあげるんだから、途中でやっぱりいやだなんて言わないでね」
 薫はすっと目を細め、箪笥の引き出しから昨日のオーバーパンツを取り出すと、両手でウエスト部分を広げ持って、葉月の目の前で膝立ちになった。
「いいわよ、ママの肩に手を置いて、そうよ、それから、右足を上げて――」
 足を上げおろしするたびにペニスの先端がおむつにこすれて今にもイってしまいそうになるのをかろうじて堪え、薫に言われるままぎこちなく体を動かして、葉月はようやくおむつカバーの上にオーバーパンツを穿かせてもらった。
 いや、『穿かせてもらった』というよりも『穿かされてしまった』と表現した方が実は正しいのだが、葉月がそのことを知るのは、まだ後のことだった。
 葉月が穿かされたオーバーパンツは、もともと、ショーツの上に穿くことを前提にして仕立ててあるから、丸く膨れたおむつカバーの上に穿くと、どうしても窮屈だ。そのせいで股間がぴっちり締めつけられて、ただでさえ感じやすくなっている我慢汁まみれのペニスの先端がますます強く布おむつに撫でさすられ、しかしどこにも行き場がなくて、ひくひくと身悶えする。
 そんなことまで薫にはすっかりお見通しだった。
「葉月はお利口さんだから我慢できるわよね? ママの言うことがきけない我儘な困った子なんかじゃないわよね?」
 薫は、オーバーパンツとおむつカバー越しに、葉月のお尻の谷間の下のあたりを右手の中指でまさぐった。
「や、やだ……」
 思わず葉月は、本当ならそこにペニスがある筈のあたりに両手の掌を押し当て、身をよじる。
 それは、幼い女の子が、今にも出てしまいそうなおしっこを我慢する姿そのままだった。
「うふふ。可愛いわよ、葉月。とっても可愛い仕草をするのね、私の可愛い葉月は」
 薫は葉月の顎先を左手の指でくいっと持ち上げた。
 そこへ、皐月がぱんぱんと手を打ち鳴らして割って入った。
「ほら、ママ、もうそのくらいでいいだろう? 葉月をからかってばかりじゃ、いつまで経っても出かけられないよ」
 くすくす笑いながら皐月は薫をたしなめる。
「あら、そうね。ちょっとからかいすぎちゃったかな」
 薫もくすっと笑って応じた。
 本当は、からかっていたわけではない。
 薫は無自覚のまま、精神的な強共鳴の度合いを深めるため、葉月に向けた保護欲と独占欲と支配欲を発露させていたのだ。
 薄々そのことを察した皐月が、葉月の心理的な負担を考慮して、薫の無自覚の行為をそれとなく中断させたのだった。これ以上続けて、薫の過去を追体験したばかりの不安定きわまりない状態にある葉月の精神が変調をきたさぬように。だだでさえ強共鳴の影響によって十八歳の男子大学生としての心のありようから明らかな変容を遂げている葉月の精神がこれ以上の変質を起こさぬように。

               *

 母乳と特殊な粉ミルクの朝食を与えられた後、葉月が車で連れて来られたのは、周辺では最も大きな規模の郊外型ショッピングモールだった。もっとも、郊外型とは言っても、駅前の再開発に伴って建造されたショッピングモールだから、葉月たちが住んでいる街のほぼ真ん中に位置していて、公共交通機関で行くにせよ、車で行くにせよ、交通の便はすこぶるいい。
「さ、着いたよ。おりておいで」
 駐車場の一角に停めたミニバンの後部座席のドアを外側から開けて、皐月が葉月に声をかけた。
 しかし葉月は、固く握りしめた拳を膝の上に置き、顔を伏せたまま一言も発せない。
 ミニ丈のサンドレスを着せられ、髪をキャラゴムでツインテールに結わえられ、幅の広い甲のベルトにアニメキャラの飾りが付いたサンダルを履かされた幼い女の子の装いで、しかも、下半身はぷっくり膨れたおむつカバーとお尻のところに三段フリルをあしらったオーバーパンツという姿で、大勢の目がある所へ、そう簡単におりて行けるわけがない。
「駄目よ、パパを困らせちゃ。ほら、早くしなさい」
 なかなか車からおりようとしない葉月に向かって、皐月の後ろから薫が言った。決して高圧的ではない、むしろ穏やかな口調なのだが、薫の声を耳にした途端、葉月の表情が変化する。
「う、うん……」
 一瞬だけ逡巡して、葉月が弱々しく返事をした。
 意図せぬ家族ごっこが始まった当初は実の姉である皐月の指示に渋々従っていた葉月だが、今や、薫の言葉の方が絶対になっていた。
「さ、いらっしゃい」
 薫が手を差し伸べた。
 その手をおそるおそるといった様子で掴み、葉月が車からおりてくる。
 慣れないサンドレスに加え、その下に身に着けている童女の下着を他人の目にさらさないようにするので精一杯で、ぎこちない身のこなしになってしまうのは仕方がない。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。葉月はどこからどう見ても可愛い女の子。ほら、そんなにしょげ返ってないで、胸を張って歩きなさい。葉月より可愛い子なんて、どこにもいないわよ」
 ようやく車からおり立った葉月のサンドレスの乱れを整えてやりながら、薫がはっきり通る声で言った。
 葉月は無言で小さくこくりと頷き、隣に停まっている車の表面に映る自分の姿におそるおそる目を向けた。広大な屋外駐車場、ぴかぴかに磨き上げた車の表面に、夏の日差しを浴びて葉月の姿がくっきり映っているが、おむつカバーの上に穿いたオーバーパンツはサンドレスの裾にかろうじて隠れており、一見したところでは、おかしなところはなさそうだった。




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