偽りの幼稚園児





               【二九】

 ショッピングモールのエントランスに足を踏み入れる際にも、左右に開く直前のガラス製の自動ドアに映る自分の姿を急いで確認した葉月だったが、その時も、これといつて妙なところは見当たらないように思えた(十八歳の男子大学生が幼い女の子そのままの格好をしていること自体が本当は「妙なところ」なのだが、そのことには敢えて触れまい)。
 少しだけ、ほんの少しだけ安心して、葉月は胸の中で小さく安堵の溜息をつきながら、布製の大きなバッグを肩に掛けた薫に手を繋がれて通路を進んだ。
 と、すぐ後ろから、若い女性どうしの話し声が聞こえてくる。目だけ動かしてちらと見た印象と声や話し方から判断するに、高校の同級生か部活のチームメイトどうしといったところだろうか、その年代に特有の、周りのことなどあまり気にするふうもない、やや無遠慮で開けっぴろげな話し方の、いかにも親密そうな二人組の女の子だった。
「ね、ね、前の三人さ、どういう関係なんだろうね」
 何事にも興味津々といった感じで、一方の女の子が、もう片方の女の子に話しかけている。
「うーん。三人姉妹かな、それとも、従姉妹どうしとか? 三人とも年がばらばらみたいで、よくわかんないよね」
 片方の女の子が考え考え応じた。
 二人の話題にのぼっているのが自分たちのことだというのは、葉月にもすぐ察しがついた。
 他人のことをあれこれ詮索するのは褒められた行為ではないが、二人組の女の子が、前を歩く葉月たち三人のことを話題にしてしまうのも、実は無理からぬところだった。というのも、本人たちは意識していないかもしれないが、葉月たち三人は、ショッピングモールの通路を行き交う人々の中でも少なからず衆目を集める存在なのだから。
 まず、先頭を歩く皐月。皐月は女性としてはかなり背が高い上に、合気道の有段者ということもあって、引き締まった体躯の持ち主だ。それに加えて顔も典型的なクールビューティーの、いわゆる『ハンサムな美女』という部類に入る。そして、皐月の後に続く薫。薫は背が高いわけではなく、美人とも言い難いものの、とある女性アイドルの若い頃を彷彿とさせる可愛らしい顔つきをしているところにもってきて、着衣の上からもわかるほど豊満な乳房の持ち主だ。最後に、薫に手を繋いでもらって不安げな様子でおずおずと歩を進める葉月。実は十八歳の男子大学生である葉月だが、それを知っているのは皐月と薫だけで、他の人々は、可愛らしいサンドレスを着て髪をツインテールにまとめた女の子としか思っていない。ただ、成人男性としては小柄な葉月も、そのサンドレスや髪型にふさわしい年齢の少女としては随分と背が高く、しかも、ホルターネックのサンドレスに覆われた胸元には僅かながら膨らみがみとめられる上、もともと普段から女の子と間違えられていた顔は合成女性ホルモン様化合物の影響によってよりいっそう愛くるしくなっており、今では、『美少女』と呼んでもまるで違和感がないほどだ。
 そんな三人が一緒にいるのだから、周りの注目を集めない筈がなかった。
「三人姉妹だとしたら、前を歩いている人が上のお姉さんだよね、やっぱり。背も高いし、時々振り返って後ろの二人に話しかける時の顔も凜々しくて、宝塚にいても変じゃないほど素敵じゃない?」
 一方の女の子が声を弾ませた。
「あんた、そういうの好きだもんね。ま、でも、素敵っていうのは確かね。私もそう思う。で、後ろの二人のうち、ちょっとぽっちゃり気味の人が下のお姉さんかな。とっても面倒見がよさそうで優しそうな感じの人だね」
 片方の女の子が相槌を打つ。
「ただ、なんていうか、もう一人の子がちょっとわかりにくいんだよね。着ている物とかサンダルとかを見ると小学校の低学年か、それよりも小っちゃい女の子みたいなんだけど、でも、それにしちゃ背が高くてさ、ぱっと見、あの子の身長、私らと同じくらいありそうじゃない?」
「けど、前を歩いてる上のお姉さん?の妹だったら、不思議じゃないかもよ。この前、小学校の五年生だったか六年生だったかで、身長が一メートル六十センチ以上あって、同級生の男の子と並ぶとお母さんと子供みたいに見える女の子がテレビに出てたし、お姉さんの血筋だったら、あの子もそんなかもよ。それにしても、年齢はわかりにくいけど、可っ愛いわよね、あの子。隣のお姉さんと話す時の横顔だけ見ても、とびきりの美少女だもん。それに、こう、ちょっと気弱なとこがあるのかな、はにかんだ表情で伏し目がちに話す様子なんて、うちの生意気な妹とはまるで真逆だわ。あーあ、取っ替えられないかな、あの子と妹」
「あ、わかるわかる。私は一人っ子だけど、もしも兄弟か姉妹ができるとしたら、あんな妹がいいな。そんなことになったら、朝から晩まで猫っ可愛がりだよ、絶対」
「でもさ、可愛がるのはいいけど、実際に今から妹が生まれたとしても、きちんとお世話しなきゃいけないとなると、大変だろうね。たとえば、ほら、あの子の……」
 それまではどちらかというと無遠慮な話し方だった二人だが、葉月たちに続いて昇りのエスカレーターに乗ってしばらくすると、急に声をひそめる話し方に変わった。
 ただ、時おり葉月の後ろ姿、特にお尻の方を指差す気配が伝わってきて、どうやら自分のことを話しているらしいことは葉月自身にもそれとなく察せられる。
 けれど、そこから先は、会話の内容が気になっていくら聞き耳を立てても、「スカートが……」とか「お尻……くない?」とか「……むつとか?」「まさか……っとしたら、でも……」とかいう途切れ途切れの言葉が届くだけだで、何を話しているのかまるでわからなくなってしまうのだった。

「後ろのお姉さんたちに褒めてもらえてよかったわね、葉月。妹にしたいくらい可愛いいんだって、葉月のこと」
 二人組の会話が聞こえなくなってしばらくしてから、薫はくすくす笑いながら葉月に耳打ちした。
 後ろにいる二人組は、おそらく高校生だろう。本当なら葉月の方が年上なのだが、今の葉月は、明日から幼稚園に通うことになったばかりの幼女でしかない。そのことを改めて思い知らされて、葉月は伏し目がちに顔を赤らめることしかできない。けれど、本当は男の子、それも十八歳の男子大学生だとは気づかれていないことに、ほっと安堵の胸を撫でおろしているのも事実だった。

               *

 ショッピングモールの衣料専門店フロアのほぼ中央に、鈴本服飾商店という、いささか古めかしい名前のショップがある。
 もともとは、現在の店主の曾祖父にあたる人物が駅前商店街の一角に設立したこじんまり洋服店だったのだが、地元の自治体主導で進められた駅前再開発事業の一環として大型ショッピングモールが誘致された際、将来的な販路拡大を見据えてショッピングモールの衣料フロアに店舗を移したのをきっかけとして、現在の店主の経営方針のもと、外商部門にも力を入れ、様々な関連商品も手広く扱うようになって、今や、かなり名の知れた総合衣料店に成長していた。
 皐月が薫と葉月を連れて訪れた先は、その鈴本服飾商店の店舗に隣接する事務所だった。

 インターフォン越しに来意を告げると、待つほどもなくドアが開いて事務所内に招き入れられ、若い女性事務員の先導で、店主の執務室に案内された。
 内側に開いたドアの奥で待っていたのは、鈴本服飾商店の現在の店主・鈴本真由美だった。
 店主とはいっても、実は真由美はまだ三二歳。ショッピングセンターへ移転することが決まった際に、父親である先代店主の思い切った経営改革の意思を二七歳の若さで引き継いだ、まだ若い店主だ。

「おはようございます、真由美さん。今回の件ではいろいろ無理をお願いして申し訳ありません。それに加えて、今日も急なお願い事をしてしまって」
 なにやら気心の知れた仲なのか、皐月は真由美を下の名前を呼んで、丁寧に頭を下げた。
「こちらこそ、わざわざお越しいただいて恐縮です。御崎先生には日ごろから何かとお世話になっていますし、ご遠慮なさらず、どんなことでもお申し付けください」
 真由美は如才なく応じ、皐月の傍らに立つ薫に目を転じると
「園長先生からもお声がけいただいておりますから、できる限り手を尽くして、田坂先生にお似合いのスーツをご用意いたしました。後ほど実際にご覧いただきますが、きっとお気に召していただけると思いますよ」
と、満面の笑顔で話しかけてから、おどおどした様子で薫の背に身を隠す葉月の顔をじっと見つめて
「あなたが葉月ちゃんね? 評判通りの可愛らしい子だこと。今日は葉月ちゃんのママの新しいお洋服の寸法合わせのために来てもらったのよ。新しいお洋服を着たママがどれだけ素敵になるか、葉月ちゃんも楽しみでしょう?」
と、薫に向けた笑顔とはまた微妙に違う、どことなく意味ありげな笑みを浮かべて言った。
 その言葉に、葉月の不安が高まる。
 状況を考え合わせると、薫が言っていた新しい洋服を買い求めるために訪れた先がこの鈴本服飾商店ということになるのだろうが、それにしても、真由美と名乗った女性店主と皐月や薫との仲がどのくらい親密なのか、それに、葉月自身のことを真由美がどれほど知っているのかといったことが気がかりでならない。
 葉月は身をすくめ、ますます薫の背中に隠れようとする。
「あらあら、ママのことがそんなに好きだなんて、葉月ちゃんは甘えん坊さんなのね。でも、そうよね。サンドレスの裾から可愛いオーバーパンツが見えちゃっても気にしないような小っちゃい子だったら、お母さんのことが大好きで当り前よね。――うふふ。後ろを見てご覧なさい、葉月ちゃん」
 真由美は、薫の背に隠れる葉月から目を離さずに、おかしそうに笑って言った。
 真由美に言われておそるおそる後ろを振り返ると、執務室のドアの内側が、大きな鏡になっていることに気がつく。
 その鏡に、サンドレスの後ろ側の裾がたくし上げられてオーバーパンツが丸見えになっている葉月の後ろ姿が映っていた。
「え……!?」
 一瞬きょとんとした顔になった葉月だが、じきにはっと我に返り、慌てて両手をお尻の方にまわしてサンドレスの裾を引きおろした。
「よかったわね、後ろのお姉さんたちに可愛いオーバーパンツを見てもらえて。お姉さんたち、きっと、こんなに可愛いオーバーパンツがお似合いの葉月のこと、本当に妹にしたくてたまらなくなってるんじゃないかしら」
 葉月の慌てようを面白そうに眺めながら、薫は聞こえよがしに言った。
 その言葉を耳にして、唐突に葉月は、薫がおむつカバーの上にオーバーパンツを穿かせた理由を理解した。
 ただでさえ丸く膨らんだおむつカバーのせいでサマードレスの、特に後ろ側の裾がたくし上げられるようになっているところへ、三段フリルをあしらったオーバーパンツを重ね穿きしたものだから、オーバーパンツの厚みが加わる上に、ちょっとした拍子にサマードレスの裾がフリルに引っかかってしまい、おむつカバーしか着用していない状態に比べて余計に、サマードレスの下に着用しているインナーがあらわになりやすくなってしまっているのだ。そのことを承知の上で薫は葉月にオーバーパンツを薦めたに違いない。
 しかも薫は、車からおり立った葉月のサマードレスの乱れを整えるふりをして、サマードレスの後ろ側の裾をオーバーパンツのフリルにわざと引っかけておくことまでしていた。そうしておくと、前から見ただけではわからないが、後ろからだとオーバーパンツが丸見えになってしまう。
 更に、おむつカバーの前あてはショーツのクロッチよりも幅が広く、オーバーパンツの股ぐりからおむつカバーのギャザー部分があらわになってしまい、新型ウィルスによる感染症防止のために前後の間隔を開けて昇りのエスカレーターに乗った状態だと、後ろの女の子からは葉月のスカートの中を下から見上げらるような格好になって、おむつカバーの上にオーバーパンツを重ね穿きしていることが一目瞭然だった。
 そう。自分では気づかぬまま葉月は、時おり公園などで見かける、おむつの上に穿いたオーバーパンツを短いスカートの裾から見え隠れさせながら母親に手を繋いでもらってよちよち歩きをしている幼い女の子そのままの格好をさせられているのだ。
 そのことに思い至った葉月は、エスカレーターに乗った後、二人組の女の子が自分のお尻を指差しながら声をひそめて何を話していたのか、ようやく察しがついた。
「いじわる。ママのいじわる」
 初対面の真由美が目の前にいることも忘れ、羞恥に身悶えしながら、思わずそう口にしてしまう。
「衣料品を扱う仕事柄、外出前に服装や髪型の乱れを確認し忘れないようドアに鏡を填め込んでいるんですけど、それが葉月ちゃんのお役にも立ったようで嬉しいですわ」
 真由美は、自分の声が葉月の耳にも届くことを意識しながら、いかにも皐月に話しかけるふうを装って言った。それから、薫の後ろで身をすくめる葉月の様子をちらと見てから、薫に向かっておもむろに続ける。
「それにしても、私がデザインした洋服やパンツをこんなに可愛らしく着てもらえるなんて、デザインした甲斐があるというものです。葉月ちゃんには田坂先生が着せてあげたのかしら? 可愛らしい着せ方をしていただいて、お礼を申し上げます」
 そこまで言って、真由美は今になって気がついたというふうにわざとらしく小首をかしげ、
「あら、そうそう。葉月ちゃんも一緒にいるんだから、『御崎先生』や『田坂先生』みたいなかしこまった呼び方じゃなくて、『葉月ちゃんパパ』や『葉月ちゃんママ』とお呼びした方がよろしいかしら。ええ、そうね、そうしましょう」
と付け加えて、両手をぽんと打ち鳴らすのだった。




戻る 目次に戻る 本棚に戻る ホームに戻る 続き