偽りの幼稚園児





               【四五】

「よかったわね、お姉ちゃんたちにあやしてもらえて。さ、おむつをあてようね」
 薫は葉月の左右の足首をまとめて掴んだ。
 しかし、いつものように高々と差し上げることはしない。そんなことをして、園児がうっかりこちらへやって来て葉月の股間を見たりしたら、ペニスに気づいてしまう。薫は、ベビーパウダーのパフをお尻の下に差し入れる隙間ができる程度に葉月の足首を持ち上げるにとどめた。
「あ、いい匂い」
 薫がベビーパウダーの容器を開けた途端、甘い香りが部屋中に広がって、雅美がうっとりした顔になり、鼻をくんくんさせながら、薫のいる方へ来そうになった。
「あ、ちょっと待って、雅美ちゃん」
 こちらへやって来ようとする雅美に気づいた奈緒が助けを求めて皐月の方を見ると、皐月は無言で、箪笥の側に置いてある玩具箱を指差した。
「ね、雅美ちゃん、おむつをあててもらっている間に葉月ちゃんがむずからないように、これであやしてあげてくれないかな」
 皐月に指示されるまま、奈緒は玩具箱からガラガラを取り出して雅美に渡す。
「うん、わかった。葉月ちゃん、雅美があやしてあげる!」
 ガラガラを手渡された雅美は、薫のいる方へ来ようとしていた足をぴたっと止めると、踵を返して葉月の側に戻り、嬉しそうに力いっぱいガラガラを振った。
 からころ。からころ。
 ガラガラのかろやかな音色が部屋の空気を優しく震わせる。自宅マンションの『はづきのおへや』でもそうだったように、ベビーパウダーの甘い香りとガラガラのかろやかな音色が相まって、幼稚園の教室である筈の部屋が、たちまちのうちに育児室に変貌してしまう。
「よかったね、雅美お姉ちゃんにガラガラであやしてもらって。これなら、おむつをあててもらう間おとなしくできるよね」
 雅美が振るガラガラと葉月の顔を見比べ、にこにこ笑って美鈴が言った。

 そうしているうちに、ベビーパウダーで葉月の下腹部にうっすらと白化粧を施した薫は、葉月の足をおねしょシーツの上に戻して、少し開きぎみにさせ、股あてのおむつをあてた。
 もうこれで、ペニスに気づかれる心配は随分と少なくなる。
 だが、当の葉月にしてみれば気が気でない。
「お、おむつ、早く、おむつ」
 一刻でも早くペニスを隠してしまいたいという思いから、ついつい、そんなことを口走ってしまう。
「あら、葉月ったら、すっかりおむつが好きになっちゃって。いいわよ、ママがあててあげる。葉月の大好きなおむつ、じっくり時間をかけて丁寧にママがあててあげるわね」
 葉月の胸の内などすっかり見通しのくせに、そんなことまるで知らぬげにしれっとした顔で薫は言った。
「ね、雅美ちゃんはもうパンツなんだっけ?」
 恥ずかしそうにぎゅっと目を閉じる葉月の顔とガラガラを振る雅美の顔を見比べながら、愛子が興味深げに尋ねた。
「雅美、パンツだよ。ぇと……昼間はパンツだけど、夜のおやすみとかお昼寝の時とかは、まだおむつなの。でも、パンツみたいな形のおむつで、自分で穿けるんだよ。おやすみとかお昼寝の時、自分で穿くんだよ。葉月ちゃんみたいにママにあててもらうおむつじゃないんだよ」
 突然の愛子の質問にばつがわるそうに答えた雅美だが、途中から少しむきになって言い募った。
「あはは、わかった、わかった。年少さんだったら昼間のおむつの子もいるし、おやすみの時だけだったらお利口さんだよ、雅美ちゃんは。それに、自分でおむつ穿けるんだもん、特別年少さんの葉月ちゃんとは大違いだよね、確かに」
 雅美がむきになる様子がおかしくて愛子はひとしきり笑ってから、廊下の窓を通して外の景色を眺めている伸也に声をかけた。
「伸也君はどうなのよ。年中さんだから、もうパンツだよね?」
「あ、当り前だろ。僕は、雅美ちゃんや葉月ちゃんみたいな、ち、小っちゃい子じゃないんだから」
 急に声をかけられて少し驚いた様子で伸也が振り向き、どこかぎこちない口調で応じた。
 その口調にぴんとくるものがあった愛子は重ねて尋ねる。
「じゃ、夜のおやすみの時もパンツなんだよね、小っちゃい子じゃない年中さんの伸也君は?」
「……お、おやすみの時は……、で、でも、お昼寝の時はパンツなんだぞ。……夜のおやすみの時だけなんだからな、おむつなのは……」
 からかうような口調の愛子に気色ばんで応じた伸也だったが、途中で声が小さくなってしまう。
「やっぱりだ。このあいだ、ママと一緒に買い物に行った時、伸也君ちのおばさんがスーパーでおむつを買ってるのを見ちゃったんだ。伸也君、弟も妹もいないのに変だなって思って考えてたんだけど、やっぱり、あれ、伸也君のだったんだ」
 愛子はにっと笑って言い、納得顔で続けた。
「葉月ちゃんがおむつあててもらうのを見ないようにって部屋に入らないの、変だと思ったんだ。なぁにが、葉月ちゃんが恥ずかしがるからよ。私にはわかってるのよ。葉月ちゃんがおむつをあててもらうところをみんなで見てて、誰がまだおむつなのか、そんな話になったら困るから部屋に入らなかったんでしょ。自分がまだ夜のおやすみの時はおむつだってばれるのが恥ずかしくて部屋に入らなかったんでしょ。なのに、葉月ちゃんのためとか言っちゃって、あ〜あ、恥っずかしいんだ」
 愛子と伸也は家が隣どうしの幼馴染みで、姉弟のように育ってきた。だから、愛子にしても、伸也にしても、二人が会話する時は、他の園児と話す時とは違って遠慮がないし、からかい合ったりすることも多い。愛子がおむつのことを話題にあげたのも、決して意地悪からではなく、年の近い姉弟がじゃれ合う感覚からだった。まわりの者もそのことを知っているから、二人のやり取りを微笑ましく眺めて楽しんでいる。
「なんだよ、そんなこと言うけど、愛ちゃんだって、年中さんの終わりまで夜のおやすみの時はおむつだったって、愛ちゃんちのおばさんから聞いて知ってるんだぞ。だいいち、夜のおやすみの時のおむつ、年中さんの終わりまでって、本当かどうかわかんないじゃないか。ほんとは、まだおむつなんじゃないの、愛ちゃんも」
 からかわれて、伸也は唇を尖らせて言い返した。

 そこへ、ぱんぱんと両手を打ち鳴らして奈緒が割って入った。
「はい、もうそのくらいにしておこうね。葉月ちゃん、お利口さんでおむつをあててもらったから、もうみんなと遊べるようになったわよ。でも、こんなに騒がしいと葉月ちゃんがびっくりしちゃうでしょ。だから、おむつの話はもうおしまい」
「でも……」
「だって……」
 奈緒に対して、愛子と伸也が同時に尚も言い募ろうとする。
 と、そんな二人の間に雅美が立ち塞がってガラガラを振った。
「愛子お姉ちゃんも伸也お兄ちゃんも、仲良くしなきゃ駄目でしょ! おっきい子はちっちゃい子のお手本にならなきいけないのよっていつも先生が言ってるでしょ! 愛子お姉ちゃんも伸也お兄ちゃんも葉月ちゃんのお手本にならなきゃいけないんだから、仲良くしてちょうだい」
 ガラガラのかろやかな音色と共に雅美の声が二人の耳を打った。
 途端にはっとした表情になって二人は互いに顔を見合わせ、同時にくすくす笑い始める。
「やだ、年少さんの雅美ちゃんに叱られちゃった。これじゃ、年長さん失格ね」
「ほんとだ。こんなじゃ、雅美ちゃんにえらそうなこと言えないや」
 くすくす笑いながら、二人は穏やかな声で言い交わす。
「葉月ちゃんだけじゃなく、愛子ちゃんと伸也君もあやしちゃうなんて、ひょっとしたら、この中じゃ雅美ちゃんが一番のお姉さんかもしれないわね」
 雅美の咄嗟の機転でその場の空気がほっこりするのを感じながら、奈緒が園児たちの全員の顔を順に見比べて言った。
「ほんと? 雅美、お姉さん?」
 嬉しそうにガラガラを振りながら、念押しするように雅美が訊く。
「そうよ、しっかり者のお姉さんよ。それで、もっとお姉さんになるために、ちょっと競争してみようか?」
 奈緒は雅美に向かって大きく頷いてみせ、少し悪戯っぽい表情で言った。
「あのね、伸也君と雅美ちゃんと葉月ちゃんの三人で競争するの。伸也君は夜のおやすみの時のおむつが要らなくなるように、雅美ちゃんはお昼寝の時のおむつが要らなくなるように、葉月ちゃんは昼間のおむつが要らなくなるように頑張って、それで、誰が一番早くできるか競争するの。これができたら、もっとちゃんとしたお姉さんになれるわよ」
「いいよ。僕が一番に決まってるけどね」
「うん、雅美も競争する。一番になって、早くお姉さんになる」
 伸也と雅美が声を合わせ、とびきりの笑顔で頷いた。
「二人はOKね。それで、葉月ちゃんはどうかしら」
 奈緒が二人に負けじと明るく微笑んでみせ、葉月の方に視線を転じた。
 同時に、伸也と雅美も葉月の方に目をやる。
 三人の視線の先には、おむつをあて終えておねしょシーツの上に上半身を起こした葉月の姿があった。
「葉月ちゃんも頑張ろうね。頑張って、特別年少さんから年少さんになろうね。でも、無理しなくていいんだよ。おむつの葉月ちゃん、とつても可愛いから、そのままでもいいんだよ」
 ガラガラを持ったまま雅美は葉月のもとに駆け寄り、セーラースーツの裾から半分ほど見えているピンクのチェック柄のおむつカバー越しに葉月の股間を優しくぽんぽん叩いて、向日葵みたいな明るい笑顔で言った。

「よかったわね、お姉ちゃんに励ましてもらえて。でも、おむつをせがむような子は、まだまだおむつ離れできなくて、競争に負けちゃうかな」
 ペニスを見られまいとして葉月がつい「おむつ、早く」と口にしてしまった情景をわざと思い出させるように言って、薫は、(通園鞄だけでは収納しきりない着替え類を入れる)布製の手提げ袋を手に取った。
「さ、おむつもあてたし、あとはスモックに着替えたら、お姉ちゃんたちやお兄ちゃんに遊んでもらえるわよ。おむつ離れの競争も大事だけど、、みんなに仲良くしてもらうのが一番大事なことなのよ、今の葉月には」
 薫がそう言いながら手提げ袋からスモックを取り出すのを見るや、
「あ、私たちが着せてあげる」
と愛子が声を弾ませ、薫に向かって両手を差し出した。
「そうね、せっかくだからお願いしようかしら」
 目の前に差し出された愛子の手に、薫はスモックを載せた。
「じゃ、制服を脱ぎ脱ぎしようね」
 愛子がスモックを受け取っている間に美鈴が、少し開きぎみの両脚を前に突き出し、おねしょシーツにぺたりとお尻をつけて座っている葉月のセーラースーツのボタンに指をかけた。
 雅美たち年少クラスの園児が着替えるのを手伝ってやることもあるのだろう、手慣れた様子で美鈴は葉月の制服のボタンを手際良く全て外してしまう。
「それで、右手をこうして」
 美鈴は葉月の右手を幾らか背中の方に向けて伸ばさせ、ボタンを全て外したセーラースーツをぱっと前開きにした。
 キャミソールがあらわになって、それを伸也がまじまじと見つめてしまう。
 合成女性ホルモン様化合物の作用によって肌がもっちりときめ細かくなり、胸が微妙に膨らんだ葉月の下着姿が、慣れ親しんだ愛子や雅美の下着姿とはまるで違っていることは、まだ年端のゆかぬ伸也にもまざまざと感じられた。妙になまめかしい葉月の下着姿から目をそらすことは難しい。
 その様子を見た愛子が
「あ、自分よりも小っちゃい女の子の裸をそんなふうにじっと見るなんて、伸也君、『ろりこん』だ。伸也君、えっち〜」
と、おそらくは自分が口にしている言葉の意味も充分には理解できていないまま、大声で囃し立てた。




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