偽りの保育園児



 体を覆っていた毛布を剥ぎ取られた今、葉月は、眠りについた時と同じパイル地のワンピナイティ姿だった。けれど、まるで同じというわけではない。皐月に寝かしつけられて渋々横になった時にはよく乾いて糊が利いていたシーツの、葉月のお尻が載っている部分が、今はぐっしょり濡れてうすいシミになっていた。そうして、入浴の後に履かされたナイティのショートパンツは言うに及ばず、その下のショーツも、その内側に装着したナプキンも、シーツに負けないくらいびしょびしょになってしまっているのだった。
「それにしても、すごいわね、あんた。今日から保育園の年少さんだっていったら、本当に年少さんみたく、おねしょまでしちゃうなんて。そのなりきりよう、感心しちゃうわ」
 皐月は、ナイティのショートパンツについたシミとシーツのシミにじっと目を凝らして、さも感心したように言った。
「ち、違う……そんなじゃない……」
 葉月が顔をそむけたま力なく言って、よく見ていないとわからないほど小さく首を振った。
「違う? 違うって、何が違うっの?」
 間髪を置かず皐月が聞き返す。
「……おねしょじゃない。おねしょなんかじゃない……」
 葉月は声を絞り出すようにして応えた。けれど、まるで説明にはなっていない。
「おねしょじゃないですって? あらあら、何を言い出すかと思ったら、そんな見え透いた嘘なんかついちゃって。保育園のお昼寝の時間にもいるのよね、そんな子が。おねしょをしちゃったのをごまかすために、暑かったからいっぱい寝汗をかいて、それでお布団が濡れちゃったんだとか、水筒の麦茶をこぼしちゃったんだとか。ほんと、子供っていうのは、大人からみればすぐにばれちゃうような嘘でも、大真面目な顔をしてそんなふうに言い張るんだもの、おかしくってたまんないわ。ま、もっとも、そんなとこが可愛いんだけどね」
 皐月は小馬鹿にしたように応じてから、がらりと口調を変えて続けた。
「でも、そんなに恥ずかしがらなくてもいいのよ、葉月ちゃん。だって葉月ちゃんは、今日から保育園に通うようになったばかりの、まだ小っちゃな女の子だもん。年少さんの中でも一番あとから保育園に入った一番小っちゃな妹だもん、おねしょなんて当たり前。だから、恥ずかしがらなくていいんのよ。さ、いつまでもぐずってないで、新しいパンツを穿こうね。新しいパンツを穿いて、新しい制服を着て、お友達がたくさんいる保育園へ行きましょう。先生たちも、みんな、可愛い年少さんの葉月ちゃんが来るのを待っているから」
 そんなふうに、ナイティとシーツがぐっしょり濡れているのを葉月のせいだと決めつける皐月だが、実は、それは自身の企みの結果だった。
 そう、葉月が思わぬおねしょでナイティの股間と敷布団をびしょびしょに濡らしてしまうよう仕組んだ張本人は、皐月だったのだ。
 昨夜、なかなか寝ようとしない葉月に飲ませたホットミルク。その中には、睡眠導入剤と利尿剤とが溶け込んでいた。普通、睡眠導入剤や利尿剤を入手するのは容易なことではない。なのに皐月がそんな薬剤を所有していたのは、園長が自分の友人である女医に依頼して予め手に入れていたのを、昨日の面接の終わり間際に手渡されていたからだ(付け加えて説明しておくと、葉月の身長や体重、食物アレルギーの有無や特定の薬によって体調を崩したことがあるかないかといったことまで事細かに把握している皐月から得た情報に基づいて女医に工面してもらった薬剤だから、それで葉月が体に変調きたすような恐れもないという念の入れようだった)。むろん、ハープの香り付けと、少し強いハチミツの甘みとが、ミルクに混入した睡眠導入剤と利尿剤のことを葉月に気づかせないための細工だったのは言うまでもないところだろう。
 そして今朝になって睡眠導入剤の効き目も切れ、皐月が起こしに来る少し前に目を覚ました葉月は、まだぼんやりしたままの意識の中、下腹部から伝わってくるじとっと湿った感触に戸惑い、信じられない思いだった。が、ナプキンに覆われた股間だけがじっとり蒸れるのとはまるで違う、下腹部全体を包み込むような重く濡れた感触に、思わず手を伸ばして確認してみても、掌に触れるぐっしょり濡れた感触は気のせいなどではなかった。
 そうして、思わぬ事態にどう対処していいのかわからずあれこれと逡巡していたのだが、結局、そうこうしているうちに廊下から聞こえてきた足音に気づき、皐月がドアを開ける直前に毛布の中にもぐりことしかできなかったというわけだ。

「……おねしょなんかじゃない。葉月、おねしょなんかしない……」
 自分のことを徹底的に子供扱いして言う皐月の顔を恨みがましく横目でちらと見上げ、葉月は唇を噛んで訴えかけた。
「母さんから聞いたんだけど、あんた、おむつ離れが早かったそうね。昼間のおむつは一歳ちょっとで要らなくなったし、夜のおむつも、それから間もなく外れたんだって。なのに、大学生になってまたおねしょが始まっちゃうなんて皮肉なものね。でも、いいじゃない。あんた、本当は大学生だけど、年少さんの女の子として保育園に通うんだから、おねしょをしちゃってもちっとも変じゃないんだもん。ひょっとしたら、おむつ離れが早すぎたせいで、母さんに甘えられる期間が短くて、それが欲求不満みたいになって、ずっと心の底に溜まってたんじゃないかな。で、また保育園に通うようになる初めての日の今朝、欲求不満のはけ口を探して、それで、おねしょしちゃったんじゃないかな。そう考えれば辻褄が合うのよね、十八歳にもなっておねしょしちゃった事情の」
 葉月の訴えに対して、それが自分の企みだということはまるでおくびにも出さず、おねしょが葉月自身に起因するものだと信じ込ませるために、しれっとした顔で皐月は言った。
「そ、そんな……」
「でも、それでいいのよ。せっかくまた保育園に通えるようになったんだから、存分に子供に戻って、母さんに甘え足りなかった分、今度はたっぷり私に甘えればいいの。おむつ離れが早くて手のかからない葉月くんじゃなく、いつまでもおねしょが治らなくて手がかかってしようのない甘えん坊の葉月ちゃんとしてね」
 皐月は葉月の横顔に向かって笑いを含んだ声でそう話しかけてからすっと体の向きを変え、壁際に配置した整理タンスの前に歩み寄ると、手早く引出を引き開け、新しいショーツを取り出しながら言った。
「じゃ、パンツを穿き替えてパジャマを制服に着替えようね。――今朝はお姉ちゃま、ちょっと寝坊しちゃったから、急がないと水無月のおばちゃまに迷惑をかけちゃう」



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