偽りの保育園児



    第八章 〜羞恥の入園式〜

               【一】

 園児たちが各々の教室で朝のご挨拶を終えてしばらくすると、柔らかな音色のチャイムが鳴り響き、それを合図に、保育士たちが受け持ちの園児を『発表室』へ連れて行った。
 学校とは違って、保育園には体育館や講堂といった施設がない。その代わりにあるのが、普通の教室に比べると何倍も広く、オルガンやピアノが置いてあって普段は音楽の時間に使うこともできるし、踏み台や椅子を並べることで合唱や合奏の舞台にして音楽会を開くこともできる、多目的の『発表室』や『つどいの部屋』と呼ばれる部屋で、卒園式や入園式といった行事の会場として使われることも多い。
 発表室の壁は、保育士たちが手作りした色とりどりの造花や紙製の人形や星で飾りたてられ、前方の扉から入ってすぐの所には、きらびやかなモールで彩られたアーチが立っていた。それは、どれも、四月の初旬に新しい園児たちを迎え入れた入園式で使った後しまいこんであったのを再び倉庫から運び出してきた物ばかりだった。
 しばらくの間は園児たちの甲高い声でざわついていた発表室だが、皐月が部屋の中央に立ってぱんぱんと両手を打ち鳴らすと、ほどなく園児たちのお喋りがやみ、静寂が訪れた。

「それじゃ、今から臨時の入園式を始めます。四月の入園式とは違って、お母さんやお父さんはいないし、自由登園の間だからお友達も少ないけど、そのぶん、みんなで四月の入園式の時よりもしっかり拍手をして新しいお友達を呼びましょうね。新しいお友達のお名前は御崎葉月ちゃんです。いいかな? じゃ、みんなで一斉に、はい、葉月ちゃーん!」
 園児たちが静かになるのを待って、皐月が葉月の名前を呼んだ。
 それに合わせて、床に座った園児たちが声を合わせて
「葉月ちゃーん! 御崎葉月ちゃーん!」
と大声を張り上げる。
 同時に前方の扉が開いて先ず弥生が姿を現し、モールに彩られたアーチの前に立った。
 続いて、芽衣に手を引かれた葉月がおどおどした様子で発表室に入ってくる。
「じゃ、そのまま進んで、アーチの下をくぐるのよ。それから、みんなに向かってぺこりと頭を下げればいいの。葉月ちゃんはお利口さんだもん、難しくないわよね? 四月の入園式の時は新しい年少さんはみんなできたから、負けないように頑張るのよ」
 弥生は、自分の後から部屋に入ってきた葉月の耳元にそう囁きかけると、芽衣に向かって目で合図を送り、葉月の背中をとんと押した。
「さ、行きましょう、葉月ちゃん。私がお手々を握っていてあげるから心配しなくて大丈夫よ」
 芽衣が葉月の顔を気遣わしげに見て、ゆっくり歩き出した。
 が、葉月はなかなか足を踏み出そうとしない。本当は大学生の男の子がいよいよ保育園の年少クラスの女の子として扱われることになるのだから足がすくんでしまうのも当たり前のことだが、葉月がなかなか歩き出そうとしない理由は、実は、それだけではなかった。
「ほら、いつまでもみんなを待たせてちゃいけないわよ」
 弥生がもういちど葉月の背中を、今度は両手でとんと突いた。
 その拍子に葉月の脚が動いて、芽衣に手を引かれるまま、入園式用のアーチをくぐって部屋の中央まで連れて行かれてしまう。
 葉月は弥生に背中を突かれた瞬間、園児たちの前に連れ出されまいとして両脚を踏ん張ったのだが、それも束の間、すぐに顔色を変えて抵抗を諦め、芽衣に付き従ったのだった。実は、弥生たちに気づかれないように努めていたが、そのまま抵抗を続け、下腹部に余計な力を入れたりしたらどうなるかしれたものではない状態に葉月は追い込まれていた。ついさっき、芽衣が歩き出した時に葉月の足がすくんだのも、そのせいだった。
「じゃ、改めて紹介します。今日からみんなのお友達になる御崎葉月ちゃんです。はい、拍手〜」
 二人がアーチをくぐって発表室の中ほどまで進むと、葉月の胸の内などまるでしらぬげな明るい声で皐月が園児たちに歓迎の拍手を促した。
 園児たちの手が一斉に動いて、葉月たちは大きな拍手の音に包み込まれた。自由登園の期間だから園児の数は普段の半分くらいだが、それでも、部屋中の園児が一斉に手を打ち鳴らすと、なかなかの音量だ。

「あ、葉月ちゃんのパンツ、かっわいーい。あたしのと同じシナモロールだぁ」
 鳴りやまぬ拍手の中、不意に、甲高い女の子の声が園児たちの一角からあがった。
 声のする方に葉月が反射的に目をやると、、年少クラスの列の中に愛くるしい女の子の姿があった。その女の子は発表室の床にお尻を落として体育座りをしているのだが、自分の制服のスカートがはだけているのを気にする様子もなく、むしろ、スカートの裾からこれみよがしにショーツをさらけ出すようにしてにこにこ笑っていた。
 その子だけではなく、園児たちはみな部屋の床に座って葉月の姿を見上げている。そのせいで、ただてさえ丈の短いスカートと相まって、園児たちの目には葉月のショーツが丸見えになっていた。今更ながらそのことに気づいた葉月は慌ててスカートの裾を押さえたが、もう手遅れだ。
「ね、ね、あれ、なんだろう?」
「え、どれ?」
「ほら、脚と脚の間、パンツの一番下のとこから出てる、なんだか白いの」
「あ、ほんとだ。パンツのリボンじゃないし、なんだろね」
 グラウンドでの時のような喧噪にこそならないものの、あちこちでひそひそ囁き合う声が葉月の耳にも届いた。それがナプキンの羽根のことを言い交わしているのだと瞬時に理解した葉月の頬にさっと朱が差す。
「はい、今から大事なことを話すから静かにしてちょうだい。――みんなもとっくに気がついていると思うけど、葉月ちゃんはみんなに比べてとっても体が大きいよね?」
 あちらこちらから聞こえる囁き声や葉月の胸の内などまるで気に留めるふうもなく、皐月は澄ました表情で葉月の横に立ち、園児たちの顔を見渡した。
 それまでナプキンのことをひそひそと囁き合っていた子供たちだが、自分たちの前に現れた少女が何者なのかいよいよわかるのだという期待に、一斉にぴたっと口を閉ざして前方を注視する。
「あのね、保育園の制服を着ているけど、葉月ちゃんは本当は小学生なの。それも、一年生とか二年生とかじゃなくて、みんなから見るとずっとずっとお姉さんの五年生なのよ。それに、葉月ちゃん、私の妹だったりします」
 初めて見るピンクの制服に身を包んだ少女が実は小学校の高学年で、しかも、自分たちが日頃から面倒をみてもらっている保育士の妹だという事実に、園児たちが再びざわめく。
 皐月は両手を打ち鳴らしてそれを鎮め、園児たちの顔を順番にゆっくり見渡しながら続けて言った。
「小さな頃から私にべったりだった妹は、なんでも私の真似をするのが好きで、今度は、私と同じように保育園の先生になりたいって言い出したの。それで、園長先生にお願いして――」




 あとはお馴染みの説明だった。弥生の心のケアのためだというのは省きつつ、皐月はこれまでの経緯を虚実とり混ぜて園児に話し、最後にこう締めくくった。
「――というわけで、妹、つまり御崎葉月ちゃんは、今日から年少さんとしてこのひばり保育園に通うことになったの。それも、四月に入園した子より何ヶ月も後に入園したんだから、年少さんの中でも一番の妹ということになるわね。新しい妹ができたと思って、みんな、可愛がってあげてね。本当は小学五年生のお姉さんだってことは忘れて、年少さんの一番小さな妹として可愛がってあげてちょうだい」
(ふぅん、あの葉月って子、私よりも下の年少さんになるんだ。なにが小学五年生のお姉さんよ。ふん、年少さんのちびっ子ちゃんなんかに私の大好きなお姉を渡したりするもんですか。年少さんは年少さんどうし、お子ちゃまのお友達とお人形遊びでもしてればいいんだわ)皐月の説明を聞く卯月の胸の中に、幼いながらも、自分が知らぬ間に姉と仲良くなっていた葉月に対する嫉妬の念が湧き起こってくる。
「さ、それじゃ、今度は葉月ちゃん本人からみんなにご挨拶してもらいましょう。年少さんの中でも一番小さな妹だからまだ上手にお喋りできないかもしれないけど、みんな、ちゃんと聞いてあげてね」
 小学生が年少さんとして自分たちと同じ保育園に通うことになると聞かされて、嫉妬と嘲りとがない混ぜになった表現しようのない感情に妖しくほくそ笑む卯月と、それとは対照的に、一様に驚きの表情を浮かべるばかりの残りの園児たち。皐月は、子供たちの反応を興味深げに見やりつつ、葉月の背後にすっと身を退いた。



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