偽りの保育園児



               【三】

「さ、そろそろ出ちゃったかな。おしっこ、みんな出しちゃったかな、葉月ちゃん?」
 副担任が出て行ってしばらく経った後、床にしゃがみこんだままの葉月の腰が小さくぶるっと震えるのを見て、皐月が確認するように言った。
 葉月からの返答はない。
 だが、生温かい水溜まりになって床を濡らすおしっこの量から考えて、もうそろそろおしまいだろうと判断しても間違いはなさそうだ。
「先生、葉月ちゃん、靴下も濡れちゃってるよ。早くしてあげないと可哀想だよ」
 床に滴り落ちるおしっこの飛沫が自分にかからないよう少し離れた所から葉月の様子を見ていた卯月だが、もうおしっこはおしまいと聞いて、葉月の足元を覗きこんで言った。年下の園児を気遣う年長者を装ってはいるものの、その実、本当は自分よりも年上の葉月が恥ずかしい目に遭っているのを存分に楽しんでいるに違いない。
 卯月の言う通り、葉月のソックスは、ショーツの股ぐりのゴムの周囲から沁み出して内腿を伝い落ちるおしっこを吸収し、また、防水性の高い素材でできた床材の上に広がったおしっこの水溜まりに浸かって、ぱっと見ただけでわかるほどぐっしょり濡れていた。
「本当、びしょびしょね、葉月ちゃんの靴下」
 卯月のすぐそばに膝をついて同じように葉月の足元を覗きこんだ弥生が軽く頷き、そのまま視線を僅かに上げて葉月の下腹部に目を凝らした。
「あらあら、スカートもびっしょり濡らしちゃって。パンツが見えるのが恥ずかしくてスカートの裾を押さえたままおもらししちゃったもんだから、余計におしっこを吸っちゃったみたいね」
「本当だ。早く着替えさせてあげないといけませんね」
 代わる代わる葉月の足元や下腹部を窺い見る輪に加わった芽衣も心配そうな声を出して頷いた。
「じゃ、芽衣さん――菅原先生は特別年少クラスの教室へ行って、棚から通園鞄と手提げ袋を取ってきてちょうだい。鞄には替えのパンツの他に、念のためと思って替えのソックスも入れておいたから。それと、手提げ袋には園内着が入っているから、濡れちゃった制服を着替えさせましょう」
 入園式が始まる前、芽衣と弥生は、『特別年少クラス・ひよこ組』と書かれた真新しい札の掛かった教室に葉月を連れて行った。教室といっても、園児は葉月一人だけだから、元は物置部屋にでも使っていたらしい八畳くらいの部屋に明るい色の壁紙を貼り、木製の棚や机、黒板に掲示板といった備品を運び込んで模様替えした、さほど広くない部屋だ。急ごしらえのその教室で弥生は葉月に通園鞄と手提げ袋を棚に置かせた。皐月は芽衣に、その通園鞄と手提げ袋をここへ持ってくるよう指示したわけだ。
「わかりました。急いで取ってきます」
 言われるまま芽衣はぱっと駆け出し、ひよこ組の教室に向かって発表室をあとにした。

「卯月は? 卯月はどんなお手伝いをすればいいの?」
 芽衣の背中を見送りながら、卯月がぱっと立ち上がって皐月に尋ねた。
「じゃ、卯月ちゃんは私と一緒に園長室まで行ってもらいましょうか。ここへ運んで来たい物があるんだけど、一人じゃ持ちきれないから手伝ってちょうだい」
 そう言ったのは、部屋の一角で事態の推移を見守っていた園長だった。入園式が無事に進めば最後に挨拶をする手筈になっていたのだが、思いもよらぬ(あるいは、皐月にとっては半ば期待通りの)葉月のおもらし騒ぎのせいで出番がなくなった後は、大きな混乱が起きないよう、園児たちの動静をじっと窺っていたのだ。
「園長先生のお手伝い? でも卯月、葉月ちゃんのお世話をしてあげなきゃいけないし」
 園長の申し出に対して躊躇いがちな声をあげ、卯月は少し困ったような顔になった。
「大丈夫よ。園長室から持って来てもらう物っていうのが、葉月ちゃんのお世話をするのにどうしても必要な物なの。だから、私のお手伝いをしてくれることが、そのまま、葉月ちゃんのお世話をすることになるのよ」
 卯月の疑問に、園長は悪戯めいた笑みを浮かべて応え、軽くウインクをしてみせてから付け加えた。
「それに、卯月ちゃんとの約束を守るためにも必要な物なんだから」
「約束……?」
 園長が何を言っているのか咄嗟にはわからず一瞬きょとんとした表情を浮かべた卯月だが、すぐに顔をほころばせて嬌声をあげた。
「あ、わかった。うん、約束したもんね。卯月、先生たちや葉月ちゃんと約束したもんね」
 そこへ、弥生も声を重ねる。
「ああ、そうか。確かに卯月ちゃんとの約束があったわね。年長のお姉さんとの約束だもん、ちゃんと守らなきゃいけないわよね、葉月ちゃん?」
 けれど、葉月はどこか遠い所を見るような目をしてぽつりと呟くだけだった。
「約……束……」
 自分がこれからどんな恥ずかしい目に遭うのか、すっかり自失してしまっている葉月にはまだ想像すらできていないようだ。




 通園鞄と手提げ袋を持った芽衣が先に発表室に戻ってきて、しばらく時間が経ってから、藤製の篭を抱えた卯月が戻ってきた。大人なら片手で持って運べる篭だが、保育園児の卯月にはとても大きく、両手で抱えるのが精一杯だ。それに続いて、こちらは大きな紙袋を両手に提げた園長も発表室に姿を現す。
 一方、部屋に残された葉月は、三人が戻ってくるまでの間に皐月と弥生の二人がかりで制服とソックスを脱がされ、キャミソールとショーツだけの姿に剥かれていた。生温かい水溜まりも二人の手で綺麗に拭い取られ、足元の床はすっかり元通りになっている。
「あーあ、可哀想。せっかく可愛いシナモロールのパンツなのに、おしっこでびしょびしょにしちゃって、とっても可哀想」
 制服を脱がされてショーツが丸見えになった葉月の姿を目にするなり、卯月はさも同情するかのように言った。けれど、『可哀想』の対象が葉月本人のことなのか、それともショーツにプリントされたシナモロールのことなのかは判然としない。
 卯月の不躾な視線に葉月が身をよじると、ショーツの生地がよれて、せっかく沁み出しのなくなっていたおしっこの雫が再び太腿の後ろをつっと流れ落ち、膝の裏側を伝い滴る。
 葉月が本当の女の子なら、皐月と弥生とでさっさとショーツまで脱がせてしまっていたところだ。だが、そうすると、お尻の方に折り曲げたペニスの存在を、発表室に戻ってきた卯月に知られるおそれがある。ナプキンも外さずショーツを穿かせたままにしておいたのには、それを防ぐために(とは言っても、それも葉月のことを慮ってのことではなく、いきなりペニスを目の当たりにして卯月がショックをショックを受けないようにするためなわけだが)という理由もあるが、それに加えて、おしっこでびしょびしょに濡らしてしまったショーツを自分よりもずっと年下の幼女の目にさらす屈辱をたっぷり葉月に味わわせる目的もあってのことだった。
「あらあら、せっかく綺麗に拭いた床をまた濡らしちゃって。本当に困った子ね、葉月ちゃんは」
 葉月の膝の裏側からふくらはぎを伝い、踵から床に流れ落ちるおしっこの雫を目にした弥生が軽く肩をすくめて言った。
「駄目ですよ、そんなふうに言っちゃ。いつも注意しているように、小さい子は大人の何気ない一言で傷ついてしまうのだから、不用意な発言をしないよう充分に気をつけないと。大勢の見ている前でパンツを汚してしまう恥ずかしさは葉月ちゃん自身がよく知っているんだから、更に傷付けるような発言は厳に慎まないといけませんね」
 弥生の発言を園長がそう言ってたしなめる。
 もっとも、園長の発言にしたところが、新人看護士である弥生をたしなめるという態を取りながらも実は葉月の羞恥を更に煽り立てるためなのは明らかだった。
 葉月の頬がさっと赤くなるのを見て、園長は卯月に目配せをした。
 それを受けて卯月はこくんと頷き、両手で抱えた藤製の篭をさっと前に差し出しながら
「先生、葉月ちゃんはもうおしっこで床を汚したりなんかしません。ほら、これを使えば、大丈夫でしょ? だから、葉月ちゃんを叱らないであげてください」
と弥生の顔を見上げて言った。



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