ママは私だけの校医さん



   《3 二人、初めての夜》


 なんだかわけのわからないままといった感じで事態は推移し、気がつけば、夕飯を終えて入浴も済ませ、パジャマ姿でベッドの端に腰をおろしているという状態の真衣だった。
(やだなぁ、これからずっと鈴木先生と一緒だなんて)真衣は、膝の上に置いた枕を抱き寄せた。
 やだなぁと呟いてはみたものの、美幸のことが嫌いなわけではない。健康診断で初めて会った時からずっと変わらぬにこやかな笑みと、なにより、机の上に置いてある写真に写る母親とどこか似た顔つきに真衣は心惹かれてしまっていたし、恥ずかしがる真衣をなだめすかして診察を続ける時の、厳しさを内にひめた優しさにぞっこんなのだから。
 けれど、それでも、自分の恥ずかしい秘密を知っている相手と一緒に一つ屋根の下で暮らすとなると心穏やかではいられない。

 とんとん。
 真衣が小さな溜息をつくのと殆ど同時に、ドアをノックする音が聞こえた。
 続いて、
「ごめんね、真衣さん。まだ起きてるよね? 入ってもいいかな?」
という幾らか遠慮がちな美幸の声。
「……はい、どうぞ。鍵はかかっていませんから」
 ほんの少しだけ迷ってから真衣が応じた。
「じゃ、お邪魔するわよ」
 ドアが開いて、もうこちらも入浴を済ませたらしく、足首のちょっと上あたりまで届く長さのネグリジェの上に薄手のカーデガンといういでたちの美幸が姿を現した。
 部屋に入ってきた美幸は躊躇うそぶりもみせず、真衣のすぐ横に腰をおろした。仄かなシャンプーの香りが真衣の鼻をくすぐる。
「少しお話をしようかなと思ってね。――私が急にお家に来たこと、怒ってる?」
 美幸は僅かに首をかしげて言った。
「……」
 大歓迎と言えば嘘になる。とはいえ、怒っているわけでも決してない。ただただ戸惑っているというのが正直なところだ。真衣には、無言で小さくかぶりを振ることしかできなかった。
「机の上に置いてある写真、お母様と真衣さんかな。優しそうなお母様ね」
 美幸は軽く首を巡らせ、机の隅に置いてある写真立てに目をやった。
 そこに写っているのは、幼稚園の入園式当日の母親と真衣の姿だった。幼稚園の正門をバックに、これ以上はないくらい明るい笑顔の二人。
「それに、実物もそうだけど、写真の真衣さんの可愛らしいこと。お母様ご自慢の娘さんだったんでしょうね」
 そう、ご自慢『だった』。それは悲しい過去形。
「真衣さんが私のことをどう思ってくれるか、それは真衣さん自身にまかせるわ。そりゃ、私にしてみれば、実のお母様みたいに思ってほしいわよ。だけど、私は決して本当のお母様にはなれない。それは仕方のないことだものね」
 美幸はそこまで言って写真から目を離し、すぐそばにある真衣の横顔に視線を向けた。
「でも、随分と勝手な言い方になっちゃって申し訳ないんだけど、私は真衣さんのことを実の娘だと思って接するから、そのつもりでいてほしいの。たぶん、叱りつける時もあると思う。もちろん、真衣さんはそんな私に反発してもいい。ただ、そんなふうにするわよってことを前もって話しておきたかったの」
「……」
 真衣はやはりどう応えていいかわからない。
「それと、もう一つ話しておくわね。優さんと一緒になっても、自分の子供は持たないつもりなの。私は今、三六歳。これから一緒になって子供ができたとして、早くても、その時は三七になっているわね。初産としちゃちょっと高齢かな。あ、今の医療技術は随分と進んでいるから、四十過ぎの初産でも問題はないわよ。これでも医師の端くれなんだから、そのことはよく知ってる。でも、万が一ってこともないわけじゃないのよ。不慮の事故が起きたとしても、私自身は納得できると思う。だけど、マスコミは絶対ヒステリックに騒ぎ立てるでしょうね。事実、医療スタッフは最善を尽くしているのに、さも医療体制に重大な瑕疵があったって言いたげな報道がされたのよ、これまでに何度も。そうして、担当の医師が何人も責任を取らされて。小さな子供が亡くなるような医療事故の場合は特にね。私、同じ仕事に命をかけている仲間をそんな目に遭わせたくない。だから……」
 美幸はすっと息を吸い込んだ。
「……鈴木医院の娘として生まれてこなきゃ、ううん、鈴木医院の娘として生まれてきても、医師の資格さえ取ってなきゃ、私も早いうちに結婚して何の心配もなく母親になれたかもしれない。でも、今更そんことを言っても愚痴になるだけ。だから、結婚を申し込まれた時、優さんにお嬢さんがいることを前もって聞かされていたからこそ、私はちっとも迷うことなくお受けしたの。血がつながっているわけじゃないけど、でも、今まで仕事だけに生きてきたこんな私にも娘ができるんだって直感したから」
「……」
「それにしても、不思議な縁ね。お父様が真衣さんと私を会わせてくれる前に、私たちはもう出会っていたんだもの。これって、神様の思し召しだと思わない?」
「え、ええ……」
 ようやく真衣は短い言葉を絞り出した。
「ところで、眠る時はいつもそんなパジャマなの?」
 ぎこちなく頷く真衣の様子をすっと両目を細めて覗いながら、美幸はさりげなく訊いた。
「あ、はい。パジャマは色違いのを何着か持っているけど、デザインはどれもこんな感じです。……それが何か?」
 美幸に言われて、真衣は抱きかかえていた枕をベッドに置き、改めて自分の胸元から下に視線を走らせた。
「ええ、ちょっと、あれ?って思ったものだから」
「……何か変ですか?」
「ううん、変というわけじゃないんだけど――夜尿が続く場合、なるべくお腹を冷やさないような格好をするのが普通なんだけど、真衣さんのパジャマ、そんなことまるで考えてないみたいに丈が短いものだから、それで、ちょっと不思議に思ったの。それとも、少しくらいお腹が冷えても夜尿とは関係ないやって思ってるのかな?」
 美幸の言う通り、真衣が身に着けているのは、膝上二十センチくらいの丈しかない、短いワンピースタイプのナイティだった。しかも、足首まであるボトムスはおろか、短めのフレアパンツ等と組み合わせるでもない、言ってみれば、裾がふわっと広がった感じのベビードールのトップスだけのようなナイティだ。袖は七分袖になっているし、首回りは少し高めでフリルになった襟に包まれているため、肩口から胸元にかけての保温性はわるくなさそうだ。が、お腹まわりはすーすーして仕方ないに違いない。
「あ、あの……いえ、お腹が冷えてもいいやなんて思ってません。お布団はずっと前から羽毛布団を使ってるし、ちょっとでも寒くなりそうな夜は前もって暖房も入れてます」
 真衣は言い訳がましい口調で抗弁した。
「でも、だからって、そのパジャマは無防備すぎるんじゃないかな?」
 美幸は、真衣が両手でナイティの裾を押さえる様子を面白そうに眺めながら、なにやら含むところのある口調で言った。
「ま、だけど、ワンピースタイプでも丈が長かったり、トップスの丈は短くてもボトムスと組み合わせるタイプだと邪魔になったり窮屈だったりして困っちゃうわよね? だから、お腹が冷えるのはお布団と暖房で防いでおいて、パジャマは丈の短いのにしておいた方が手間がかからなくていいのよね?」
「……」
 まるで全てを見透かされてしまっているかのような美幸の口調に、真衣は再び言葉を失った。
「そうなんでしょ? 真衣さんが着ているような丈が短くて裾がふわっとしたパジャマの方が、パンツからおむつに穿き替えたり、逆に、おむつからパンツに穿き替えたりする時、手間がかからないのよね?」
 顔を伏せる真衣の頬がうっすらとピンクに染まる様子をすぐそばから窺い見つつ、美幸はこともなげに決めつけた。
「そ、そんな……お、おむつだなんて……」
 真衣は顔を伏せたまま、ナイティの裾を押さえている両手の掌をぎゅっと握りしめた。
「いいのよ、隠さなくても。寝具や寝間着を汚さないようにするためには一番効果的な方法なんだから。それで夜尿が治るというわけじゃないけど、寝具を汚してしまうかもしれないという精神的な負担からは解放してくれるんだから、ちゃんとした対症療法と言っていいわ。立派な医療行為よ」
「……どうして? どうしてわかったんですか?」
 両手を拳に固めて、真衣はぽつりと言った。
「簡単なことよ。真衣さん、夜尿のこと、お父様には相談していないって言ってたわよね。私が優さんに確認したところでも、たしかにちっとも気がついていないみたいだった。でも、それって不思議なことなのよ。最初の一週間や二週間くらいはお布団を汚しても上手に立ち回れば気づかれずにすむかもしれない。だけど、高校入試の三週間くらい前から始まって今まで続いている夜尿を気づかれないようにしようとすれば、何度もお布団を濡らすわけにはいかない。だって、シーツみたいな嵩張る物を洗濯したりしたら、乾くのにも時間がかかって、いつか絶対にばれちゃうに決まってるもの。お布団やベッドのマットを干してたりしたら家族の目につかないわけがないもの。特にお父様がお休みの日とかにね。なのに、真衣さんはこれまで上手に隠し通してこられた。それには何か特別な方法が必要だって思うのが普通よね。それも、防水シーツとかでお布団を濡らさないようにするだけじゃない、パジャマや下着も濡らさないですむような方法じゃなきゃいけないって。それで思いつく物っていえば、おむつしかないじゃない。それも、洗濯しないでいい使い捨てにできる紙おむつ」
 美幸はそう解説してから、おどけたような表情で軽くウインクしてみせた。
「……父には黙っていてください。おねしょのことを知られただけでも我慢できないくらい恥ずかしいのに、その上、お、おむ……おむつのことまで……」
 真衣は両腕をぶるぶる震わせながら、観念したように言った。
「いいわよ、話さない。お父様にしても、高校生になる娘がおむつのお世話になっていると知ったら心穏やかじゃないでしょうから」
 美幸はいつものにこやかな笑みを浮かべた。
「それで、おやすみの用意はもう終わってるの? ――もうおむつはあてちゃったの?」
「……まだです。なるべく普通のパンツでいたいから」
 真衣はちらりとも美幸の顔を見ないで応じた。
「そう。ところで、どこのメーカーのおむつを使っているのかな? できれば実物を見せて欲しいんだけど」
「ど、どうして……?」
 あからさまに怯えの表情を浮かべて、真衣は一瞬だけ美幸の方に目をやった。
「真衣さんが使っている紙おむつの重さを知っておきたいのよ」
 美幸は短くそう言って、掌に載ってしまいそうな小振りの計量秤を真衣の目の前に差し出した。体の後ろにでも隠し持っていたのか、突然の美幸の出現に驚いた真衣はそれまで全く気づかないでいた。
「な、何のために、そんなこと……」
 真衣の顔に浮かぶ怯えの色がますます濃くなる。
「だって、最初に乾いた状態の紙おむつの重さを量っておいて、次に、おしっこを吸ったおむつの重さを量れば、真衣さんの夜尿の量がわかるでしょ? 先週の土曜日の診察で、私、『ひょっとしたら真衣さんの膀胱が完全には発育していないのかもしれない』って言ったわよね。だから、『いずれきちんと膀胱の容量を調べてみた方がいいかな』って。そのための準備みたいなものよ。こうすることで膀胱の容量におよその目安をつけて、その数値を基にして次に精密な検査に移るの。もっとも、目安とはいっても、なるべく誤差を小さくしておきたいから、これから当分の間、夜尿のたびにおしっこの量を量る作業を続けなきゃいけないんだけどね。――さ、わかったら、おむつを出してちょうだい。先ず、乾いた状態の重さを量っておかなきゃいけないから」
 最後の方はベッドから腰を浮かして言い、美幸は、持っていた計量秤を真衣の机の上、写真立てと向かい合う位置に置いた。
「あ、あの……自分でします。だから……」
「駄目よ。簡単そうに思うかもしれないけど、癖のない計量を何度も続けなきゃいけないんだから、素人にはまかせられないわ。今日から私は真衣さん専属の主治医なんだから、みんな私にまかせなさい。真衣さん、言ったでしょ? どんなことでも包み隠さず話しますって。それと同じよ、どんなことでも私にまかせなさい。――これは医師としての指示です。いいわね?」
 哀願するように言う真衣の言葉を途中で遮って、これまでこの家の中では見せたことのなかったものの白衣を身に着けている時にはそれが当たり前になっている威厳と冷徹さをに満ちた調子で、美幸はぴしゃりと決めつけた。
「……」
 そんな態度に出られると、真衣としてはもう何も言い返せなくなってしまう。
「さ、出してちょうだい」
 美幸はもういちど強い調子で促した。
「……はい……」
 遂に覚悟を決めたのか、真衣はいかにもしゅんとした様子で立ち上がり、造り付けになっているクローゼットに向かって歩き出した。
 
「D社の大人用紙おむつ、パンツタイプのSサイズね。なるほど、女性用は薄いピンク色になっているわけか。これなら、可愛らしい真衣さんにお似合いだわ」
 真衣がクローゼットの中から持って来ておずおずと差し出した紙おむつのパッケージを受け取り、引っ張り出した一枚をしげしげ眺めて美幸は言った。
「そんな、お似合いだなんて……」
 真衣は恨みがましい目で美幸の顔を見たが、それも一瞬のこと、すぐに視線をそらしてしまう。
「で、おむつはどうやって買っているの? 通信販売を使っているとか?」
 いたわるようにそう問いかける美幸の様子からは、さっきまでの強い調子はすつかりなりをひそめていた。
「いえ……始まった時は中学生だったし、今だって高校生だからクレジットカードをつくれなくて、通信販売なんて無理なんです。だから、薬局へ直接買いに行くしかなくて……知っている人に会わないよう、なるべく遠くにある薬局へ行くようにしています」
 真衣は紙おむつのパッケージを差し出した後、ベッドのそばに所在なげに立ちすくんだまま言った。
「そう、大変だったのね。まだ高校に入ったばかりなのに、いろいろ苦労してきたのね、真衣さんは。でも、それもこれからは私にまかせてちょうだい。仕事柄、紙おむつを安く入手するルートもあるから、真衣さんが薬局で恥ずかしい思いをすることもなくなるわ。これからずっといつまでも、私にまかせておけばいいんだからね」
 美幸は『ずっといつまでも』という部分を妙に強調して言った。だが、そんなことに気づく余裕など真衣にはない。
「じゃ、早速、乾いた状態で重さを量っておきましょうね。一枚だけだと誤差が出るかもしれないから、三枚まとめて量って平均を取っておこうかな」
 美幸は、床に視線を落として佇んでいる真衣を横目に見ながら、パッケージから引っ張り出したピンクの紙おむつを三枚重ねて計量秤に載せた。
 そうすると、写真に写っている母親の目と、計量秤に載せられた紙おむつの高さとがほぼ同じになる。
(違うのよ、お母さん。私、私、もうおもらしなんてしなくなったのよ。でも、どうしてかわからないけど、ちょっと前からおねしょが始まっちゃって、それで、夜の間だけおむつを使わなきゃいけなくなって。本当よ、おは母さん。お友だちより早くおむつ離れして、それからはおむつのお世話になんかなっていなかったんだから)伏し目がちに美幸の行動を覗い見ていた真衣には、まるで写真の母親が紙おむつを見て呆れているかのように思われ、つい胸の中で言い訳をしてしまうのを止められなかった。
 一方、美幸は、そんな真衣の胸の内などまるで知らぬげに
「三枚でこの重さということは、一枚当たりXXグラムってことになるわね。あとは、夜の間にこれが何グラムになるかね。二週間くらい記録を取ればいいかしら」
と独りごちながら、計量秤の表示窓に並ぶ数字を記録紙に写し取っていた。




 佐藤家には空き部屋が幾つもある。一階は浴室やダイニングキッチンとリビングルーム、今は優が一人で使っている夫婦用の寝室などで全て用途は決まっているものの、二階は、真衣が使っている部屋の他は全て空き部屋になっていた。家を建てる際、間取りを工務店と相談するにあたって、優は子供を二人以上つくるつもりで、一つ一つの面積は小さくしてもいいから子供部屋に当てる部屋を幾つかつくるようオーダーすると共に、夫婦が互いにプライベートの空間を持てるよう、こちらもこじんまりした和室を二つ設けるよう依頼していたのだが、思いもしなかった事故のせいで子供は真衣一人しか恵まれず、優の部屋も一階の寝室だけで間に合うようになってしまったからだ。
 その内、和室の一つを美幸が使うことになっていた。いずれ結婚するのだから一階の寝室を優と一緒に使ってもよさそうなものだが、思春期の真衣を気遣ってのことだった。

 新しい紙おむつの重さを量った後、自分の部屋に姿を消した筈の美幸が、それから一時間ほど経った頃、再び真衣の部屋に戻ってきた。
「え、どうして……?」
 もう朝まで美幸と顔を合わせることはないと思っていた真衣は、急にドアが開いて部屋の中に入ってきた人影を見て驚きの声をあげた。ショーツを脱いでパンツタイプの紙おむつを身に着け、ナイティの裾の乱れを整えた直後のことだったから、余計にどぎまぎしてしまう。
「いやだ、そんなにびっくりしなくてもいいじゃない。今日から一緒に暮らす仲なのに」
 美幸はくすっと笑ってみせ、少し嵩の減った紙おむつのパッケージにちらと目をやって言った。
「見たところ、もうおやすみの準備は済ませちゃったみたいね。せっかくだから私がおむつをあててあげようと思っていさんでやってきたのに、残念だこと」
「な、何を言ってるんですか、鈴木先生たら。そんなこと、誰にもしてもらいません。自分でします!」
 冗談めかして言う美幸に対して、どこかムキになって真衣は応じる。
「あら、どうして? 私だって医師の端くれよ。看護師さんほどは上手じゃないけど、そういうことも一応は練習しているし、まかせてもらってもいいと思うんだけど?」
「だ、だって……赤ちゃんでもないのに、お、おむつのお世話を誰かにしてもらうなんて……」
 ムキになっていたのが一転、今度は今にも消え入りそうな様子で呟く真衣。
「ふぅん。だったら、いっそ、赤ちゃんになっちゃえばいいじゃない。赤ちゃんだったら、おねしょもおむつも恥ずかしくないわよ。それどころか、昼間のおもらしさえ普通のことなんだもの、赤ちゃんにとっては」
「そんな……」
「うふふ、冗談よ。高校生の真衣さんが赤ちゃんになれるわけないもんね」
 困惑の表情を浮かべる真衣を『冗談よ』と軽くいなした美幸だったが、瞳に宿る妖しい光は、それが決して冗談などではないことを雄弁に物語っていた。
 だが、今はまだ、真衣がそのことに気づく由もない。
「ま、いいわ。でも、せっかくだから、おむつがちゃんとできているかどうかだけでも調べておこうかな。真衣さん、ちょっとパジャマの裾をたくし上げてみて」
 頬を淡いピンクに染めて俯く真衣の耳に、次なる美幸の言葉が飛び込んできた。
「え……?」
「え?じゃないわよ。おむつからおしっこが横漏れしちゃまずいでしょ? だから調べてあげるのよ。さ、パジャマの裾をたくし上げてちょうだい、ほら、こんなふうに」
 美幸は穏やかな声ながらも有無を言わさぬ調子で言い、真衣が着ているナイティの裾をさっと捲り上げた。
 もともと丈の短いナイティだから、さほど大きく手を動かす必要もない。真衣が慌てて押さえようとするのもかなわず、あっという間に、太腿からおヘソまで丸見えになってしまう。もちろん、紙おむつに包まれた丸いお尻も。
 女性用の薄いピンクの紙おむつは、一瞬だけなら、股上が深く、やや厚手の生地でできた、少し野暮ったげな感じのする婦人用パンツに見えるかもしれない。しかし、厚手の生地の中でも殊更に厚ぼったく膨らんだ吸水帯や、飾りレースのフリルとは異なる腰回りと股ぐりのギャザーなど、それが普通の下着でないことは明らかだった。
「やめて、やめてください、先生」
「何を言ってるの、真衣さんたら。おやすみの間におしっこが横漏れしてお布団を汚しちゃったら困るでしょ? 大きなシミの付いたシーツがベランダで風に揺れているところを誰かに見られてもいいの?」
 美幸はしれっとした顔で真衣を諭しながら、左手でナイティの裾を持ち上げたまますっと腰を折り、股ぐりを押し広げるようにして右手の指を紙おむつの中に差し入れた。
「ほら、ギャザーが内側に巻き込んじゃってる。一カ所でもこんなところがあると、そこから横漏れしちゃうのよ。これまでは独りぽっちだったから自分でしなきゃいけなかったけど、これからは私がしてあげるわね。じゃないと、ちゃんとできていないのに気がつかなくてお布団を汚しちゃうかもしれないんだから。――もっとも、お布団を汚しちゃうことがあっても、お洗濯も私がしてあげるから、真衣さんは何も困らないかもしれないけど」
 美幸は、乱れたギャザーを整えた後も、紙おむつの中に差し入れた指をもぞもぞと動かし、太腿の内側を指の腹でそっとなぞりながら、ねっとり絡みつくような声で言った。

 それからしばらくの間たっぷり時間をかけて『おむつの点検』を終えた後、ようやく美幸の手が真衣の下腹部から離れた。
 けれど、それで全て終わったわけではない。それまでしゃがんでいた美幸がさっと立ち上がったかと思うと、手早く掛布団を捲り上げ、さっさと真衣のベッドに横たわると、
「じゃ、おやすみしましょう。ほら、何をしているの? 早くこっちへいらっしゃい」
と手招きするのだった。しかも、真衣の枕を自分の頭の下に置いて。
「な、何をしているんですか、先生……?」
 予想だにしなかった美幸の行動に、真衣は、そう訊くのがせいぜいだった。
「よかった、真衣さんのベッドがこんなに大きなダブルサイズで。狭いベッドだったらどうやって二人で寝ればいいか心配だったんだけど、これで一安心だわ。あら、どうしたの? 早くいらっしゃいってば」
 不審げな顔でベッドの横に立ちすくむ真衣とは対照的に、美幸はこともなげにそう言うと、それまで手招きをしていた左手の動きを止め、自分の体と直角になるようベッドの上に伸ばした。
「枕のことなら心配しなくていいわよ。真衣さんの枕は私が使わせてもらうけど、真衣さんには、その代わりに私が腕枕をしてあげる。だから、さ、いらっしゃい」
「あ、あの……先生のお部屋は、二つ隣に……」
「ええ、わかっているわよ」
「でも、でも、だったら、どうして……」
「だって、別の部屋にいたんじゃ、真衣さんが失敗してもわからないじゃない? 膀胱の容量の目安をつけるために、おしっこを吸った紙おむつの重さを量ることにしたのはいいけど、なるべく正確に量るためには、出ちゃってすぐじゃないとね。とはいっても、おしっこが出てすぐ、真衣さんが目を覚まして私を呼んでくれるかどうかわからないでしょ? だから、私が一緒に寝て気をつけてあげることにしたの。体がぶるっと震えるとか、内腿を擦り合わせるとか、何かのそぶりをみせる筈だものね、しちゃう瞬間か、そうじゃなくても、しちゃったすぐ後に」
 美幸は、シーツの上に伸ばした左腕の肘の内側を右手の掌でとんとんと軽く叩きながら、真衣の顔を見上げて言った。
「朝、目が覚めてから自分で……」
「さっきも言った筈よ、素人の測定じゃ駄目って。それに、正確を期すためにも、出てすぐじゃないといけないの。何度言えばわかってもらえるのかしら。――この調子だと、真衣さんが私の指示に従ってくれないこと、お父様に相談した方がいいのかな?」
 抗弁しかける弱々しい声に美幸の声が重なって、真衣は唇を噛んで押し黙ってしまう。
「さ、いらっしゃい」
 美幸は少し強い口調で短く言った。
 諦めの表情を浮かべた真衣は、浅く息を吸ってから、おずおずとベッドに手をついた。




「駄目じゃない、いつまでもそっぽを向いてちゃ。せっかく一緒に寝るんだから、こっちを向いてちょうだい」
 言葉巧みに美幸になだめすかされ、あるいは、さりげなく脅されて、渋々ベッドにもぐりこんだ真衣だったが、さすがに美幸と目を会わせることはできず、壁を睨みつけるようにして背を向けてしまっているのだ。
「ほら、そっぽを向いてると、お尻が見えちゃうわよ。ピンクのおむつに包まれたまん丸のお尻が」
 美幸が、さもおかしそうに言った。たしかに、美幸の腕に頭を載せて体ごと壁の方に向いてしまっている真衣のナイティが僅かに捲れ上がって、お尻の膨らみが三分の一ほどあらわになっている。
 言われて真衣が慌ててナイティの裾を引っ張りおろそうとする。が、美幸はその手を後ろから振り払い、ナイティの裾を更にたくし上げると、丸見えになってしまったお尻を紙おむつの上からぽんぽんと優しく叩き始めた。
 それは、寝床にもぐりこんだ幼児を優しく寝つかせる母親の仕草さながらだ。
「や、やめてください、そんなところ叩くのは」
 最初のうちは無反応の真衣だったが、美幸が三度四度とお尻を叩き続けると、とうとう我慢できなくのか、のろのろと首だけを巡らせてこちらに向き直り、困ったような表情で懇願した。
「どうして? どうして、お尻を叩いちゃ駄目なの? 痛くないように優しく叩いてあげているのに」
 ようやくこちらを向いた真衣の目を正面から覗き込んで、美幸は面白そうに訊いた。
「だって、だって……お、おむつが……」
 そこまで言って、真衣は言葉に詰まった。 真衣が何を言いたがっているのか、美幸には手に取るようにわかっている。高校生になったばかりの真衣にはまるで似つかわしくない下着である紙おむつ。美幸にお尻を叩かれると、その紙おむつの存在を意識せざるを得なくなるのだ。できるなら意識の外に追いやってしまいたい恥ずかしい下着の感触。なのに、美幸の手が触れるたび、その肌触りが下腹部から伝わってきてどうしようもなくなるのだった。
 だが、それを面と向かって言葉にするのも躊躇われてならない。
「いいわ、お尻を叩くのはやめてあげる。だから、こっちを向いてちょうだい。こっちを向いて、可愛いお顔を見せてちょうだい」
 恥ずかしそうに押し黙る真衣の耳元に唇を寄せて美幸が囁きかけた。
 熱い吐息が耳たぶに触れて、真衣の頬がかっと火照る。
 美幸は思わせぶりにお尻をもういちどぽんと叩いた。
 真衣は思わず首を横に振ったが、そのすぐ後、今度は、よく注意していないと見落としてしまいそうになるほど小さく頷き、おずおずと体の向きを変え始めた。
 けれど、美幸と向き合うような姿勢には至らず、美幸の腕に後頭部を載せて、天井を見上げるような格好で体の動きを止めてしまう。
「ま、いいわ。最初はそんなふうにしておいて、ゆっくり慣れていけばいいんだし。なんたって、これからずっと一緒に暮らすんだから、時間はたっぷりあるんだもの」
 美幸は満足そうに呟き、今度は、真衣のお腹を二度三度と優しく叩いた。



戻る 目次に戻る 本棚に戻る ホームに戻る 続き