ママは私だけの校医さん



   《11 おむつの中は、いつも……》


 ようやく自宅に戻り、買い物袋とバッグを手に提げた美幸に続いて玄関に入った真衣だが、廊下に上がる寸前のところで急に目眩を覚えて、持っていた『お土産』の紙袋を取り落とし、上がり框にへなへなと座り込んでしまった。見える物がどれもぐにゃぐにゃ歪んで、頭がくらくらする
「どうしたの、真衣ちゃん!? 具合が悪いの!?」
 先に廊下を歩き出した美幸も異変に気づき、バッグと買い物袋を放り出すようにして真衣のかたわらに駈け寄ると、車の中でそうしたように、自分の額を真衣の額に押し当てた。だが、今度は演技ではない。
「すごい熱。歩ける、真衣ちゃん? とにかく、横になりましょう。自分のお部屋へ連れて行ってあげた方がゆっくりねんねできるんでしょうけど、階段を昇るのは無理だから、リビングルームで我慢してちょうだいね」
 額を押し当ててすぐ真衣の体温が異様に高くなっていることに気づいた美幸は、真衣の左腕を自分の肩で支え上げ、腰に手をまわして抱き起こすと、そのまま、体を引きずるようにして廊下を進み、リビングルームのドアを引き開けた。

「それにしても、本当に熱が高いわね。車のクーラーをかけたままにしていたせいね、きっと」
 二つ折りにした座布団を枕代わりにし、リビングルームの床に広げたバスタオルの上に寝かせた真衣の額に手の甲を押し当てて、美幸は呟いた。
 空港の駐車場からクーラーをかけっぱなしにしていた上、スーパーの駐車場ではクーラーをかけたまま眠りこんでしまった真衣。それも、起きている時はまだしも、眠っている間は自然に体温が下がるからクーラーの温度設定には気をつけなければいけないのに、紙おむつとオーバーパンツとの重ね穿きによる通気性の悪さに耐えかねて温度を低めに設定したままにしていたせいで、比較的軽装の上半身だけでなく、いつしか、おしっこを吸った紙おむつの内側まで冷たくなって体全体を冷やし続けたのが発熱の原因と断定して先ず間違いない。
 その声が聞こえているのかいないのか、真衣はぜぇぜぇと喉を鳴らして浅い呼吸を繰り返すばかりだ。
「とにかく、お熱をちゃんと測ってみましょう。そうしないと、間違った対処をしちゃうかもしれないから」
 瞼を閉じ時おり体をぶるっと震わせる真衣の額から手を離しながら、美幸はそう言って立ち上がり、リビングルームをあとにした。

 ほどなく戻ってきた美幸は、自分の部屋に置いていた簡易診療キットの入ったバッグを肩にかけ、真衣の部屋から持ってきた毛布を両手で抱えていた。
 美幸は毛布をいったん部屋の一角に置き、優しい声で
「今からお熱を測るから、じっとしていてね」
と短く言って、無造作にスカートを捲り上げ、あらわになったオーバーパンツを手早く脱がせてしまい、続けて紙おむつの側部のステッチに指をかけた。
「え? な、なに……?」
 苦しい息の下ながらも、美幸がしようとしているのが単なる検温ではないことに気がついたのだろう、真衣は二つ折りの座布団の上で弱々しく首を振った。
 けれど、美幸はまるで取り合おうとしない。
「駄目よ、じっとしとかなきゃ」
とすげなく言いながら、遂に紙おむつも剥ぎ取って、真衣の下腹部を裸に剥いてしまう。「さ、本当にじっとしていてね。じゃないとお尻を怪我しちゃうかもしれないから」
 美幸は真衣の左右の足首を左手でまとめて掴み、そのまま軽く差し上げた。そうすると、いやでもお尻の穴が丸見えになってしまう。
「ちょっとひんやりするけど、我慢するのよ」
 美幸は、バッグの中から体温計を取り出した。表示部分は普通の大きさのデジタル表示になっているものの、全体が普通の体温計に比べて細い作りになっている、幼児用の体温計、それも、肛門に挿し入れて直腸体温を測るタイプの体温計だった。
「いや、そんなのいやぁ!」
 足首を差し上げられ、お尻の穴を美幸の目にさらした時点で自分が何をされようとしているのか察したのだろう、真衣は体をよじって金切り声をあげた。
 しかし、両脚の自由を奪わている上に、熱のせいで体に力が入らない。しかも、対する美幸は、診察を嫌がる子供や、大人でも腹痛などに耐えかねて暴れる患者の扱いにも慣れている医師だ。真衣がその手から逃れられる筈がない。
 美幸は中指の先で肛門の位置を慎重に探り、親指と人差し指で挟み持った体温計を突き立てた。
「んぅ!」
 金切り声に代わって悲鳴めいた呻き声が真衣の口を衝いて出た。




真衣の記憶は、直腸検温の後、解熱効果のある座薬を肛門に挿し入れられ、高熱が出てすぐの間は特に安静にしておかないといけないからと言い聞かされて鎮静剤を注射されたところで途切れていた。その後のことは、まるで気を失うようにして眠りにおちてしまったから何も憶えていない。

「う……ん」
 たっぷり眠ったような気もするし一睡もしていないような気もする、奇妙な目覚めだった。
 真衣はのろのろと首を巡らせてガラス戸の方を見た。まだ両目の焦点は合わないものの、外が随分明るいことだけはカーテン越しにわかる。それも、買い物を終えて帰宅した時のようなもうそろそろ日暮れが近いことを物語る頼りない明るさではなく、太陽の高さを一瞬で直感できる、そんな眩しさだ。
 真衣は再びゆっくり顔を動かして、壁にかかっている時計に目をやった。古い柱時計を模したデザインの時計の針は二時半を指していた。
(やだ、昨日の夕方から眠って、もうとっくにお昼も過ぎてるんだ。丸一日近く眠ってたなんて……それに、入学してからまだ一ヶ月も経ってないのに欠席だなんて)真衣は一瞬はっとして掛時計を睨みつけたが、すぐに、(でも、仕方ないかな。もしもちゃんとした時間に目が覚めていたとしても、この調子じゃ学校なんて行けなかっただろうし)と思い直して諦めの溜息をつく。発熱直後に美幸が施した処置がよかったのだろう、倒れた時に比べると熱もかなり下がったみたいで、目の前がぐるぐる回るような感じになったりひどい悪寒を覚えるといったことはなくなっていた。ただ、まだ完治しているわけではないようで、体全体が妙に怠くて、どこかをほんの少し動かすのも億劫で仕方ないといった状態だ。。現に、ガラス戸の方に目をやったり時計を見上げるだけのことにも、まだどこかぼんやりしている意識をありったけ集中しないと首を思うように動かせないという有様だった。
「あら、おっきしたのね、真衣ちゃん。気持よさそうにぐっすりねんねしていたわね」
 真衣がもういちど溜息をつくのと殆ど同時に、ミディ丈のスカートに淡い花柄のブラウス、薄手のカーデガンといった、いかにも若奥様然としたいでたちの美幸が姿をみせた。
「学校のことは大丈夫。ママがちゃんと担任の先生に電話しておいたから。先生、近いうちに特別の行事があるわけでもないから、体に気をつけてゆっくり養生してくださいっておっしゃっていたわよ」
「え? マ、ママが電話したの? でも……」
 美幸の説明に、真衣は訝しげな表情で聞き返した。
「ああ、真衣ちゃんがお父様と二人暮らしだということをご存じの担任の先生が私からの電話を変に思わなかったか、それが心配なのね? でも、安心してちょうだい。私が真衣ちゃんのお父様と一緒に暮らようになるということは校長先生と教頭先生に直接お会いして予め伝えてあるのよ。その翌日には職員会議で教頭先生が先生方全員に伝えてくださっているから、担任の先生もちっとも不思議そうにはしてらっしゃらなかったわよ」
「……」
 美幸の返答に、思わず真衣は押し黙ってしまった。説明の内容を訝しんでのことではなく、美幸が佐藤家にやって来ることを学校の先生たちが前もって知っていたと聞かされて一抹の寂しさと微かな憤りを覚えたからだ。(なによ。だったら、鈴木先生が――ママがお父さんと一緒になることを知らなかったのは私だけってことになるじゃない。そんなの、そんなのって……)真衣が胸の中でどこか恨みがましくそんなふうに呟いてしまうのも無理からぬところだろう。
「でも、それは仕方なかったのよ。だって、弟が新しく副院長に就任して、健康診断も弟が担当しますって校長先生と教頭先生には予め連絡しとかなきゃいけなかったんだもの。そんな話の流れの中で私が鈴木医院を辞める理由とか、その後どうするのかという話題になるのも当たり前でしょう?」
 美幸は僅かに肩をすくめてみせ、重ねて説明したが、それでも真衣は口をつぐんだままだった。
 美幸は、真衣が唇を「へ」の字に結んだままなのを見て取ると、くすっと笑って続けて言った。
「あらあら、いつまでもだんまりを続けるなんて、ママが言ったことにお返事もできないような小っちゃな赤ちゃんだったのかな、真衣ちゃんは。でも、だったら仕方ないわよね。まだお喋りもできない小っちゃな赤ちゃんの真衣ちゃんにお返事してちょうだいって言っても無駄なんだから」
「真衣、赤ちゃんなんかじゃない!」
 これまでにも何度も真衣は美幸に向かってそう抗弁してきた。そのたびに、おねしょとおもらしでおむつを汚しちゃうような子が赤ちゃんじゃなくて何なんでしょうねと揶揄され、返す言葉もなく口を閉ざすしかなかったが、父親と美幸の結婚話を自分だけが直前まで聞かされていなかったという寂しさに感情の昂ぶりを抑えられず、今までになく声を荒げてしまう。
 しかし、それさえ、真衣を更に子供扱いするための口実を美幸に与える結果にしかならなかった。
「ご機嫌斜めだこと。でも、そうよね。小っちゃい子は自分の思い通りにならないことがあると、それがどんな些細なことでもすぐに泣き喚いて我を通そうとするのが普通だもの、おむつの外れない真衣ちゃんがそんなふうにするのも仕方ないわよね。――それにしても、真衣ちゃんは何をそんなにむずがっているのかしら。お腹が空いちゃったのかな、それとも、おむつかな」
 美幸は、それこそ、目の前にいるのが本当の赤ん坊だといわんばかりの口ぶりでわざと聞こえよがしに呟き、直腸検温の後で真衣の体にかけた毛布を手早く捲り取った。
 体全体があらわになった真衣は、外出時の装いではなく、美幸の手で着替えさせられたのだろう、毎夜就寝の時に身に着ける丈の短いナイティ姿をしていて、寝乱れたナイティの裾からは、これも美幸が穿き替えさせたのだろう、レモンイエローではなく淡いパステルピンクのオーバーパンツが半分ほど見えていた。両足に履いているのも、くるぶしのところに可愛らしいボンボンがあしらってあるのは同じだが、新しいオーバーパンツと同じ色合いのソックスに替わっていた。
 しかし、真衣自身には、着替えさせられたという記憶はまるでない。
 しかも、その時になって気づいたのだが、真衣の体を下から支えているのも、美幸が応急処置的に敷いたバスタオルではなく、ふんわりした真新しい布団だった(ただ、腿や膝の裏側から伝わってくる感触から判断するに、布団の上に直接横たわっているのではなく、体と布団の間に、なにやらパイル地らしき敷物が挟まっているようだった。それが何なのか定かではないが、普通のシーツとはまた異なる肌触りなのは確かだ)。それに合わせて、頭の下に置いてあるのも、二つ折りにした座布団などではなく、真衣が夜ごと「今夜もいい夢を見させてくださいな」とお願いをしてぽんぽんと叩いてから頭を載せる、お馴染みの枕になっていた。
 いくら意識が朦朧としていたとはいえ、外出着からナイティに着替えさせられた上、バスタオルと座布団をちゃんとした布団と枕に取り替えられている最中、そのことにまるで気がつかないなどということがあるだろうか。
 真衣は、やはりまだなかなか思ったように動かせない首を僅かに巡らせ、毛布をたたんでいる美幸の横顔を見上げた。
 と、視線に気づいた美幸が真衣の顔を見おろし、あたかも、真衣の脳裏をよぎった疑念を見透かしたかのように軽く頷いてみせた。
 それから美幸はもういちど小さく頷くと、診察室で見せるのと同じ改まった顔になって言った。
「熱が出るということは、体の免疫機能がちゃんと働いている証拠なのよ。体に侵入してきた菌やウイルスをそれ以上は体の内部に入れさせないように防御する機能を司るのがリンパ節で、リンパ節の指示によって白血球とかが菌やウイルスに攻撃をくわえるわけ。その結果として、リンパ節のある体の節々が痛んだり、熱が出たりするのね。――というか、特にウイルスに対しては、熱そのものが有効な武器になるのよ。ウイルスは一般的に、寒さには強いんだけど、高温には弱いの。だから、ウイルスが体に侵入したことを感知すると、体は細胞を激しく振動させて、熱を発生させるような仕組みになっているの。この振動が、全体としては体の震えとして現れるというわけね。しかも、体をわざと震わせるために、脳が一種の暗示をかけるような仕組みにもなっているの。本能を司る脳の部分が『今、体はとっても冷たい状態にあるんだよ』って偽の情報を体に伝えるのね。そうすると、体は、凍え死んじゃいけないぞってことで、熱を発生させるために頑張って細胞を振動させ始めるのね。そんな偽の寒さが、つまり、風邪をひいた時なんかの悪寒として認知されるというわけなのよ」
 美幸はそこまで言って少しだけ間を置き、真衣の様子を窺いながら説明を続けた。
「だから、熱が高いからといって、むやみに解熱剤を投与するのも考えものなのよ。体温を平熱くらいまで下げるということは、ウイルスを叩く有効な武器を自ら放棄することを意味しているから、免疫機能に重点を置くと、熱は高いまま維持しておきたいわけね。でも、そうすると、自分の体が保たない。そのへんの兼ね合いで、体が我慢できるかどうかというぎりぎりまで体温を高めておくのが妥当なところね。ただ、そういう状態が続くと、肉体的にはなんとかなっても、精神的にまいっちゃうことが多いの。体がだるくて、節々が痛くて、目眩も起きるという気分の悪い状態が延々と続くから。――そのへんのところを考え合わせて私が真衣ちゃんに施したのは、解熱剤は投与するけど、体温は体が耐えられるぎりぎりのところまでしか下げないように調整して、同時に、精神面の負担を減らすために鎮静剤を投与するという治療方法だったのよ。つまり、なるべく体温は高いままにしておいて、その間、鎮静剤の力で意識レベルを下げておくという方法ね。で、意識が戻りそうになると鎮静剤を追加するためにまた注射するということを繰り返して。これなら、真衣ちゃんが眠っている間に自分の免疫機能がウイルスと戦ってくれることになるから、あまり苦しい目に遭わずにすむのよ」
 そこまで聞かされて、ようやく真衣も理解した。要するに、注射された鎮静剤のせいで殆ど完全に意識を失ってしまっていたわけだ。その間に着替えさせられたとしても、布団を取り替えられたとしても、気づく筈がない。
 が、そのへんの事情がわかったからといって、安堵の表情を浮かべるわけにはいかなかった。ふと或ることに思い至った真衣の顔がみるみる曇る。
 そんな表情の変化もたちどころに読み取ったのだろう、美幸が尚も言葉を重ねた。
「そうよ、お薬でおねむの間、真衣ちゃんは一度もトイレへ行っていないのよ。もっとも、途中で意識を取り戻してトイレへ行っていたとしても、真衣ちゃんが勝手に便器の蓋を開けることはできないから、結果は同じだったに決まっているんだけどね。ええ、そう。真衣ちゃんはおしっこをしたくなるたびにおむつを汚しちゃっていたのよ。お薬でねんねしてから今まで、何度も何度も」
 美幸は『何度も何度も』という部分を強調して言い、真衣を横たわらせるために部屋の隅に片づけたガラス製の座卓の上に置いてあるリモコンを持ち上げて、テレビのスイッチを入れた。
「――にちは。天気予報をお伝えします。本日は4月××日の水曜日、四月も終盤に差し掛かり、日ごと太陽の日差しが強まってくる季節です。日焼け止めの準備を始めても決して早くありません。では、地域の予報の前に、全国各地の様子を伝えていただきましょう。まずは、××放送局の――」
 スイッチを入れると同時に若い女性キャスターのアップが映り、それに続いて、どこかの公園の様子が映し出される。画面の女性キャスターが日付を告げた途端、真衣は両目を大きく見開いた。
(え、水曜日!? 確かに水曜日って言ったわよね。てっきり月曜日だとばかり思っていたのに……。じゃ、じゃ私は、日曜日の夕方前から今まで、丸三日間近くも眠っていたの!?)信じられない思いでテレビを睨みつける真衣だったが、画面の左上に表示されている日付も、確かに、女性キャスターが告げた通り水曜日になっていた。
「相変わらず二時間に一度の割合でおねしょしちゃうから、これまでに何枚おむつを使っちゃったかしら。真衣ちゃんが自分で買っていた分はとっくに使い終わっちゃったから、新しいのを用意しなきゃいけなかったのよ。ま、とはいっても、医院に出入りしている業者さんにお願いして安く仕入れられるからいいんだけどね。それに、担当が親切な人で、別の病院へ行く途中にちょっとだけ寄り道をしてもらって配達もしてもらえるし」
 美幸はリモコンを座卓に戻して、部屋の一角を指差した。 
「……!」
 のろのろと顔を動かし、美幸が指差す方に目をやった真衣の口を言葉にならない呻き声が衝いて出た。
 そこにあるのは、美幸が脱衣場から持ってきたと思われる脱衣籠だったが、その大振りのバスケットの中には、真衣が遠くのドラッグストアへ足を運んで買い求めているのと同じ淡いピンクの紙おむつが何枚も重ねて入れてあった。真衣が人目を憚って買ってくる小さなパッケージには、元からそれほどの枚数が入っていない。美幸の言う通り、それが新しいパッケージ、それもかなり大きなパッケージから取り出して脱衣籠に移し替えたものなのは明かだった。しかも、高く積み重なった紙おむつのすぐそばには、色とりどりのオーバーパンツが何枚か、きちんとたたんで収めてあった。たくさんの紙おむつと、おむつの上に穿くオーバーパンツを収納したバスケットがリビングルームの床に置いてあるその光景は、頻繁におむつを汚してしまう赤ん坊がいる家庭によく見られる光景そのままだった。
「持って来てくれた人は医院にもよく顔を見せる人なんだけど、さすがに、普通の家庭に業務用の包みを配達したのは初めてだそうで、とってもびっくりしていたわよ。『先生、鈴木医院を辞めた後、この家で介護のデーサービスでも始める計画なんですか?』だなんて訊いてくるんだもん、笑っちゃった。ちょっとワケ有りなのよってごまかしたけど、まさか、高校生の女の子が一人でそんなにたくさん紙おむつを汚しちゃうなんて思いもよらないわよね、普通は。――あ、まさか、義理の娘が使うのよなんて言ってないから心配しないでね」
 最後の方は取りなすように言った美幸だが、その実、配達員とのやり取りの内容を聞かされた真衣がどんな顔をして恥ずかしがるのかを眺めて胸の中で悪戯っぽく舌を突き出しているのは言うまでもないところだ。
「本当のことを言うと業務用の包みなんて枚数が多すぎたかなとも思ったんだけど、真衣ちゃんがおむつを汚しちゃうペースを改めて考えると、すぐなくなっちゃいそうだから、無駄にならずにすみそうで安心したわ。現に、もう、包みの半分くらいしか残ってないんだもの」
 美幸は真衣の羞恥を尚もくすぐるようにそう言ってから、意味ありげな笑みを浮かべてこんなことを付け加えた。
「あ、そうそう。言い忘れていたけど、鎮静剤は二種類のお薬を注射しておいたのよ。一種類は精神に作用して意識レベルを下げるお薬。もう一種類は神経系統に作用して随意筋の収縮を抑制する効果のあるお薬。最初のは、さっき説明したように、つまり、真衣ちゃんをずっとねんねさせておくためのお薬ね。それで、もう一つのは、ええと、真衣ちゃん、保健体育か理科で『随意筋』という言葉の意味は習った? うん、そう。自分の意志でコントロールできない筋肉が不随意筋で、これは内臓の筋肉だと思えばいいわ。それと反対に自分の意志で動かせるのが、手とか脚とかの筋肉で、これが随意筋ね。で、随意筋は収縮することで力を出す仕組みになっているんだけど、ママが真衣ちゃんに注射したもうひとつのお薬というのは、この収縮を抑える効果を持っているの。要するに、手とか脚とか腰とかの筋肉に力を出させない、つまり、自由に動けなくするためのお薬ってこと。真衣ちゃんが無意識のうちに暴れちゃうようなことにならないよう、このお薬も注射しておいてあげたのよ。意識レベルを下げてねんねしていても、熱が高いと本能的に体が動いて、せっかく体を冷やさないようかけておいてあげた毛布を跳ね飛ばしたり、へたしたら、夢遊病みたいな感じでうろついちゃったりすることもあるから、それを防ぐためにね。真衣ちゃん、おっきしてから、私の顔を見上げる時やテレビの方に振り向く時、首や顔が思うように動かせなくてちょっぴり困ったでしょう? それも、そのお薬が首の筋肉や顔の筋肉の動きを抑制しているからなのよ。精神に作用するお薬はそろそろ効き目がなくなってきたみたいだけど、もう一つのお薬の効果が切れるのには、最少有効投与単位とかの関係で、もう少し時間がかかるんじゃないかな。――でも、そのお薬を注射しておいたおかげで、意外なことにも役立ったのよ。ま、今になって考えれば、そういう使い方があるのも当たり前のことだったんだけどね、実は」
 そこで少し間を空けた後、美幸は謎々の答を教えるかのような口調で続けた。
「だって、随意筋というのは、手とか脚とか腰にしかないわけじゃないんだもの。指先や唇を動かすのも随意筋の働きだし、それに、実は、内臓だって、不随意筋だけでできているわけじゃないのよ。例えば、おしっこを溜めておく膀胱もそうよ。膀胱でおしっこを出したり我慢したりする仕組みは、おおまかに言って、三つの筋肉で構成されているの。一つ目は、膀胱そのものといってもいい排尿筋で、二つめが、膀胱の出口にある内尿道括約筋。この二つは自分の意志ではコントロールできない不随意筋で、おしっこが或る程度まで溜まると、排尿筋が収縮するのと同時に内尿道括約筋が弛緩しておしっこを膀胱から押し出すような動きをするの。でも、それだと我慢が利かないから、自分の意志でコントロールできる随意筋でできた三つ目の外尿道括約筋というのが組み合わさっていて、これが、おしっこの通り道を狭めたりする、蛇口みたいな働きをしているのね。それで、おしっこをしたくなってもすぐに出ちゃわないでトイレへ行くまで我慢できるようになっているのよ」
 次第に真衣にも美幸が何を言おうとしているのか、おぼろげにわかってきた。
「で、今になって考えれば最初から予想できたことなんだけど、注射したもう一つのお薬は当然、膀胱の外尿道括約筋の働きも抑制するわけよ。つまり、おしっこの通り道に付いている蛇口が緩んだまま、いくら閉めようと思っても閉まらないということになるわけね、簡単に言っちゃえば。でも、そのおかげで、真衣ちゃんはおねむの間、苦しまずにすんだのよ。真衣ちゃんたら、ママのおっぱいを吸いながらじゃないとおしっこができなくなっちゃってたわよね。それまではシーツや枕をちゅっちゅしながらおねしょしてたけど、ママが初めて添い寝してあげてしばらくすると、すっかり甘えん坊さんになっちゃって、ママのおっぱいをちゅぱちゅぱしながらじゃないとおねしょもおもらしもできなくなっちゃったよね。でも、ママもいろいろ忙しくて、昼間も夜中も関係なしに二時間ごとにおっぱいをあげるのは難しいのよ。生まれたての赤ちゃんでも三時間ごとのおっぱいなのに、それよりも手間のかかる真衣ちゃんのペースに合わせるのは大変なんだから。なのに、そうしないと、おしっこができなくて真衣ちゃんが可哀想」
 美幸は自分の胸にそっと掌を押し当てた。
「でも、そのお薬のおかげで、外尿道括約筋の力が弱くなって、おしっこの通り道が簡単に広がるようになったの。だから、わざわざママがおっぱいをあげなくても、おしっこをしたくなったらすぐに出るようになったのよ。もっとも、シーツや枕をちゅっちゅしながらっていう癖が治ったわけじゃないし、頃合いを見計らって添い寝をしてあげたら、やっぱりママのおっぱいにむしゃぶりついてきたけどね。ま、おっぱいを吸わなくてもおしっこができるようになる効き目はあっても、おっぱい離れできるようにするためのお薬じゃないんだから、それは仕方ないかな。それに、真衣ちゃんがおっぱいを欲しがらなくなったりしたら、ママも寂しいし」
 美幸は自分の胸に押し当てていた手を動かし、人差し指の先で真衣の唇をつっとなぞった。
「さ、おむつを取り替えようね。三十分ほど前に様子を見にきた時、真衣ちゃん、毛布の端をちゅっちゅしそうにしていたから、もうそろそろ、おしっこ出ちゃったんじゃないかな。濡れたおむつのままだとお尻が気持ち悪いでしょ? それに、おむつの中が蒸れてくるし」
 気を失ってからこちら自分がどんな状況に置かれていたのか、そればかりが気になって殆ど感じることのなかった下腹部のじとっとした湿っぽい肌触り。けれど、美幸の言葉を耳にした途端、これまで数え切れないほど経験してきたくせに決して慣れることのないそのじっとりした感触を、否が応でも意識せざるを得なくなってしまう。
「真衣ちゃん、お薬のせいであんよもお手々もあまり動かせない筈なのに、一昨日のお昼過ぎくらいから、おねむしているくせに、お手々をオーバーパンツの上でもぞもぞさせているのよ。どうしてそんなことをするのか、おむつを取り替えるついでに調べてみようね」
 美幸は、真衣が思わず顔をしかめる様子を眺めながら、微かに笑いを含んだ声でそう付け加えた。
 無意識のまま両手をオーバーパンツの上に這わせるという真衣の行為の意味を、美幸はとっくに理解している。理解していながら、真衣に自分の目でそれを確認させたくてたまらない。
「じゃ、オーバーパンツを脱がせておむつを外してあげるから、じっとしているのよ。ま、もっとも、随意筋の動きを抑制するお薬の効き目がまだ残っているから、脚をばたつかせようとしても自由にならないでしょうけど。うふふ、真衣ちゃんが駄々をこねてママの言うことをきかない時にも役に立ちそうね、このお薬。医院から持ってきておいて本当によかったわ」
 美幸はオーバーパンツのウエスト部分に両手の指をかけてふくらはぎのあたりまで引き下ろし、サイドステッチを破って紙おむつを真衣の下腹部から矧ぎ取った。
「真衣ちゃんが何度も何度もおむつを汚してくれたから、膀胱にどれだけおしっこを溜められるのか、かなり正確に測ることができたのよ。誤差範囲をきちんと確定できるまで測定回数をこなすことができた上、ママのおっぱいを吸いながらじゃないと出せないほど我慢をした後のおしっこだから、それを膀胱の限界容量と見なしても問題なさそうだという判断もできたし。ママの言いつけをまもっておしっこを我慢できて、本当にお利口さんだわ、真衣ちゃんは。だから、このおむつはもうポイしちゃおうね。でも、膀胱に溜められるおしっこの量を少しでも増やすために、これからも、ぎりぎりまで我慢する練習は続けるのよ」
 美幸は、おしっこを吸って重くなった紙おむつを手早く丸めてテープ留めし、ビニール袋に詰め込んだ。もともと、紙おむつが吸収したおしっこの重さを量り始めたのには、膀胱の容量を推量するという目的もあったが、それよりも、真衣の羞恥をくすぐることによって精神的に不安定な状態にさせ赤ちゃん返りを進ませるための手段という意味合いの方が強い。その企みをほぼ達成した今、わざわざ面倒くさい測定を続ける意味はない。美幸の真意は、つまり、そういうことだ。
 各々の自治体によって取り扱いは異なるが、真衣の住んでいる地域では使用済みの紙おむつは燃えるゴミとして処分される。赤ん坊が汚したたくさんの紙おむつに混じって自分のおしっこを吸い取った紙おむつが焼却炉へ向かうコンベアに載せられ運ばれて行く光景が脳裏をよぎって、真衣の頬に朱が差した。
「それにしても、こうして改めて見てみると、本当にたくさん汚しちゃったものね。この内の何回かはおしっこが横漏れしちゃって、オーバーパンツまで濡らしちゃったのよ。ま、おねしょの回数が多いとそんなことがあるのも仕方ないんだけど。でも、お買い物に寄ったスーパーのベビー用品コーナーで念のためにと思っておねしょシーツを買っておいてよかった。じゃなきゃ、お客様用の新しいお布団に大きなシミが付いちゃうところだったわ」
 美幸は、紙おむつでいっぱいになったビニール袋を両手で抱え上げて真衣に見せつけた後、真衣のお尻と布団との間に敷いたパイル地の敷物を掌でぽんと叩いた。
 そう。美幸の言う通り、真衣は、布団の上に広げたおねしょシーツの上に寝かされていたのだ。もっとも、それも、布団を汚さないようにするではなく、真衣を赤ん坊扱いするための小道具の一つとして買い求めたというのが本当のところだ。ベビー服とも見紛うような丈の短いナイティの裾を捲り上げられ、ニットのオーバーパンツをふくらはぎに絡ませ、紙おむつを外されたばかりの下腹部をあらわにしておねしょシーツの上に寝そべっている真衣の姿は、美幸の思惑通り、自分では何もできない無力な赤ん坊そのままにしか見えなくなっている。しかし美幸は、そんな真衣の姿にもまだまだ満足していなかった。

「それじゃ、真衣ちゃんがオーバーパンツの上でお手々をもぞもぞしていた理由を調べてみましょうね。どこか痒いところがあったのかな」
 美幸はゆっくりした動作で真衣の下腹部に顔を近づけた。
「いや、見ないで……やだってば……」
 吐息がかかるのではないかと思うほど顔を近づけて下腹部を凝視する美幸に向かって、薬によって手足の自由を奪われてしまっている真衣は懇願するしかなかった。幼児がいやいやをするように枕の上で首を横に振るのだが、それさえも思うように動かせない。しかも、「ママが電話したの?」と聞き直した時もそうだったが、唇と舌にも薬の効き目が及んでいるせいで、悲痛な懇願さえもが、たどたどしい口調になってしまう。
「今更なにを言っているの、真衣ちゃんたら。ママは診察室でも真衣ちゃんの恥ずかしいところを丁寧に診察してあげたし、このお家に来てきからも何度もおむつを取り替えてあげているのよ。それなのに、今になってなにを恥ずかしがっているのかしら」
 美幸はわざとらしい笑い声と共に真衣の下腹部を無遠慮に眺めまわした。
 いや、実は、わざわざそんなことをしなくても、美幸には真衣の下腹部がどんな状態になっているのか、とっくにわかっていた。おむつを取り替えるたびに幾度となく真衣の下腹部の様子をじっくり観察していたし、真衣が無意識のうちにオーバーパンツの上に手を這わせる様子を見た瞬間、ぴんと来るものがあった。しかし、それを美幸の方から言葉にして伝えるのではなく、真衣に自分の目で直視させなければ面白くないから、こんな手間をかけているというわけだ。
「だ、だって……」
 本当のところをいうと、真衣も自分の下腹部がどんなことになっているのか、およその想像はついていた。無意識のうちに手をもぞもぞさせていたことまでは知らなかったものの、目が覚めて意識が戻ってからは、股間からお尻にかけてのあたりが痒くて堪らないのは事実だった。それがどういうことなのか、おねしょが始まってしばらく経った頃から渋々おむつを使い始め、それに対してどのようにスキンケアをしなければいけないか家庭用の医学書で調べたことのある真衣には思い当たる節があった。そして、だからこそ、真衣は美幸の視線から逃れようとして、自由にならない体で身をすくめるのだった。
「見てごらんなさい。これ、なんだと思う?」
 美幸はしばらく真衣の下腹部に視線を這わせてから、簡易診療キットのバッグから大振りの手鏡を取り出し、真衣の体の上にかざすと、微妙に角度を調整した。
 美幸に言われて手鏡を見上げた真衣がはっと息を飲む。そこには、自分の下腹部がくっきり映し出されていた。
「ほら、ずっとおむつにくるまれている所、特に、女の子の大事なところから太腿の内側、それにお尻にかけてのあたりが他の部分に比べて赤くなっているのがわかるでしょう? これ、なんだと思う? あせもかな、それとも――」
 美幸は手鏡の角度を少しずつ変えながら、それが何なのかとっくにわかっているくせに、わざとらしく真衣に問いかけた。
「……」
 真衣の方もそれが何なのか充分に承知していながらも、答えることはできないでいた。それは、口に出すにはあまりにも恥ずかしい言葉だった。
「おむつを取り替えてあげるたびに、お肌に残ったおしっこの雫はお尻拭きできちんと拭き取っているつもりなんだけど、注意が足りなかったのかしら。可愛い娘、それも、まだおむつ離れできない赤ちゃんのお尻をこんなふうにしちゃうなんて、ママったら母親失格ね」
 美幸は尚も手鏡をかざし、下腹部の様子を満遍なく真衣に見せつけながら、思わせぶりに溜息をついてみせた。
 そうして、手鏡をバッグに戻し、代わりに、なにやら小振りの丸い容器を取り出す。
「でも、くよくよばかりしていてもどうしようもないわよね。どうしてこんなことになっちゃったんだろうっていつまでも思案するより、今は、これを治療する手立てを考えるのが先決だもの」
 美幸は、容器の蓋をきゅっと捻った。
「皮膚科を専門にやっている知り合いのお医者様に分けてもらったの。このお薬、とっても評判がいいらしいのよ。ステロイドを含んでいないから常習性の問題はないし、患部の痛みを抑える効果もあるから、赤ちゃんのデリケートなお肌にもお勧めなんだって」
 美幸は、蓋を開けた容器を真衣の目の前に突きつけた。中には、白い塗り薬が入っている。
「そう、ちょっとした注意不足ですぐにおむつかぶれになっちゃうような赤ちゃんのお肌にね。わかった? これは、おむつかぶれのお薬なのよ」
 おむつかぶれ。
 真衣の下腹部の皮膚が赤くなっているのは、まさしく美幸の指摘通り、おむつかぶれの症状だった。ただ、まだ程度は軽くて、皮膚が微かに赤みを帯びているものの、ひどく爛れているわけではなく、痛みよりも痒みを感じるといった段階だろう。真衣が無意識のうちにオーバーパンツの上から自分の下腹部を掻くような仕草をしていたのは、その痒さに耐えかねてのことに違いない。
 高校生にもなっておむつかぶれのせいで赤くなったお尻を人目にさらす惨めさに唇を噛みしめる他ない真衣。
 だが、この屈辱きわまりないおむつかぶれさえもが美幸の企みの結果だった。
 真衣が嫌々ながら紙おむつを使い始めてから、既に二ヶ月ほどになる。その間、おむつを濡らさない日は一日たりとしてなかった。しかも真夜中におむつを濡らしてしまってもそれに気づくことなく朝までぐっすりだから、おむつの内側は長時間にわたって湿っぽい状態が続いていたことになる。それでも、季節柄、温度の低い日ばかりだったという事情に加え、紙おむつの上には何も穿いていなかったということもあって、おむつの中が蒸れて仕方ないというような状況には至っていなかった。なのに、美幸が佐藤家にやって来て以後は、夜は言うに及ばず昼間もおむつを着けさせられ、なおかつ、その上にオーバーパンツを穿いての生活を強要され続ける羽目になってしまった。おむつでなかったのは、ターミナル駅の商業施設に出かけた時だけだ。しかし、その時も、分厚いトレーニングパンツとニットのオーバーパンツの重ね穿きだったから、通気性の悪さではおむつとなんら変わることはない。加えて、この日曜日以後は陽気の加減で気温も上がってきたところに持って来て、体を毛布ですっぽり覆われた状態で眠り続けていたから、おむつの中の蒸れ具合は筆舌に尽くせないほどだった。それも、薬の力で意識を失わされていたから暑さを感じることもなく、たとえ暑さを感じたとしても、やはり薬のせいで手足の自由を殆ど奪われていたため、毛布を跳ね飛ばすこともかなわないという状態に置かれていたから尚更だ。
 そう。それまでかろうじて免れていたおむつかぶれの症状が一昨日あたりから急に現れ出したのも、美幸の企みの結果なのだった。

「じゃ、早速お薬を塗ってあげるわね。赤ちゃんみたいにすぐおむつかぶれになっちゃう真衣ちゃんの柔らかなお肌に。――あ、でも、その前に」
 容器に人差し指を突っ込んで今にも薬を掬い取ろうとしていた美幸だったが、急に思わせぶりな態度で薬の容器を床に置き、自分の企みのせいで赤くなった真衣の下腹部を改めて満足そうに眺めながら
「赤ちゃんと真衣ちゃんのここ、違うところが一つだけあるわね。真衣ちゃん、どこが赤ちゃんと違うか、自分でわかるかな?」
と言って、再び手鏡をかざした。
「ほら、どこが違うかな?」
 思わず目をそむけようとする真衣の頬を美幸は掌で包み込むようにして、顔を強引に鏡の方に向けさせた。そうして、さっきのように、下腹部全体を余すところなく真衣に見せつけるために手鏡の角度を少しずつ変えてゆき、或る部分が鏡に映ったところで手の動きをぴたっと止めた。
「真衣ちゃんのお肌はつるつるでぷるんぷるんだよね。おしっこの雫が付いてもすぐに弾き飛ばしちゃうほどみずみずしいし、ママの肌なんかとは比べものにならないくらい綺麗で若々しくて、本当、赤ちゃんのお肌みたいで羨ましくなっちゃう。でも、一つだけ、赤ちゃんと違うところがあるのよ。もうわかったでしょ? そう、ここのことよ」
 美幸は、真衣の実際の下腹部と鏡に映る下腹部の或る箇所とを交互に指差した。
 美幸が指で差し示したのは、同年代の女の子たちと比べれば豊かとは言えないものの、その幾分まばらな感じが真衣のおとなしさを象徴しているようで却って好感の持てる下腹部の飾り毛だった。
「赤ちゃんは、おむつかぶれになっても、お薬を塗ってあげれば割と早く治るのよ。それは、赤ちゃんのお肌がお薬にも敏感だっていう理由もあるんだけど、それだけじゃなくて、赤ちゃんのここには邪魔な物が何もないからっていう理由もあるんだそうよ。おヘソのすぐ下から大事なところを通ってお尻まで何もなくて、本当につるつるだから、お薬を満遍なく塗ることができるし、それに、おしっこをした後、おしっこの雫を拭き取ってあげる時に拭き残しにならないんだって。でも、真衣ちゃんのここには、こんな物が生えちゃってるのよね。これじゃ、いくら綺麗に拭いてあげたつもりでも、おしっこの雫が毛の根本に残っちゃうわよね。それに、お薬をつけてあげるにしても、邪魔な物が生えていると塗り残しができちゃうし。こんなだと、いつまでもおむつかぶれが治らないかもしれないわね、真衣ちゃんは」
 美幸は真衣の下腹部を黒く彩っているちぢれ毛をさわっと撫でた。
「いやっ。そんなの、駄目……」
 美幸が何を言おうとしているのかようやく察した真衣は悲痛な叫び声をあげた。
 だが、本人は叫んだつもりでも、薬の作用によって舌や唇、声帯の力まで弱められてしまっているせいで、幼児が駄々をこねて泣き疲れてしまった後のような細くたどたどしく声にしかならない。
「何度も教えてあげた筈よ、我儘ばかり言っちゃいけないのよって。それとも真衣ちゃんはずっとおむつかぶれが治らなくてもいいの? 真衣ちゃんがそれでいいって言うんだったら、ママもいいわよ、それで。だけど、可愛い娘がおむつかぶれになっているのにそのまま放っておくわけにはいかないから、完全には治らなくても、一応は皮膚科のお医者様に診てもらわないといけないわね。おむつかぶれのお薬を分けてくださった知り合いのお医者様っていうのはママの弟と同級生で、まだ三十歳になっていない上にハンサムだから、赤ちゃん連れの若いお母さんたちに大人気なの。真衣ちゃんもそんな格好いいお医者さまに診てもらったら嬉しいでしょ? 若くてハンサムなお医者様にじっくり診察してもらえるってわかったら、今から楽しみよね。それに、真衣ちゃんはずっとおむつかぶれが治らなくてもいいんだから、いつまでもお医者様の所に通えるのよ。ママがお願いしたら毎日でも診てくれるわよ、きっと。なんなら、今からでも連れて行ってあげましょうか。今日から毎日、格好いい先生にオーバーパンツを脱がせてもらっておむつを外してもらってじっくり診てもらって、診察が終わった後は、やっぱり、そのハンサムな先生におむつをあててもらえるのよ。よかったわね、真衣ちゃん」
 美幸はすっとを目を細め、真衣の顔を見おろして言った。
「だ、駄目……やだ、そんなの……」
 真衣の脳裏を、若い男性医師の手でおむつを外され、飾り毛を掻き分けるようにして秘部を覗き込まれる自分の姿がよぎった。
「じゃ、どうするの?」
 美幸は鋭い声で短く言って、刃先が丸くなったハサミや鋭い刃のついた剃刀、医療用の薄いゴム手袋といった剃毛用の器具を次々にバッグから取り出し、布団の横に並べ始めた。
 もう真衣の口からは、それを拒否する言葉は出てこなかった。
 今の真衣にできるのは、わなわな震える唇を固く閉ざし、今は亡き母親に胸の中で救いを求めることだけだった。
(助けて、助けてよ、お母さん。真衣、このままだったら赤ちゃんになっちゃうよ。新しいママの手で赤ちゃんにされちゃうよ。だから助けてってば、お母さん)
 外出時にもスカートの下にはトレーニングパンツかおむつの着用を強要され、家の中ではおむつと丈の短いナイティに可愛らしいソックスを身に着けさせられた上で、それこそ、まだおむつの外れない赤ん坊めいた生活を強いられる真衣。そんな真衣にとって、下腹部の黒い茂みこそが、自分は大人なんだということを改めて思い起こさせてくれる唯一のシルシだった。そのたった一つ残った心の拠り所まで美幸の手で剃り落とされようとしている今、真衣は母親の面影にすがるしかなかった。
 けれど、真衣の心の中にぼんやり浮かび上がった母親の面影は真衣に向かって手を差し延べようとはせず、静かな微笑みをたたえているだけだった。
「黙っているところをみると、やっぱり、おむつかぶれを治してほしいのね? いいわよ、わかった。それじゃ、おしっこの雫が残らないように、それと、お薬を満遍なく濡れるように、少しでも邪魔になりそうな物は処分しちゃおうね。そうすれば、真衣ちゃんのここも赤ちゃんと同じ、つるつるになるのよ。真衣ちゃんのおむつの中はいつもおしっこでびっしょり。だから、これ以上おむつかぶれがひどくならないよう綺麗にしとかないといけないのよ。いつもじっとり湿っぽいおむつの中だからこそ、いつも綺麗にね」
 美幸は舌なめずりせんばかりにそう言って、刃先が丸くなった剃毛用のハサミに手を伸ばした。
 電源を入れたままになっているテレビは、いつのまにか天気予報が終わり、幼児向けの番組に替わっていた。その中で体操のお兄さんや歌のお姉さんと一緒にお遊戯をしている子供たちは保育園や幼稚園に通うくらいの年頃だろうか。そんな子供たちよりも更に幼い赤ん坊に変貌させられようとしている真衣の胸の中で、母親の面影は、やはり静かに微笑んでいるだけだった。



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