ママは私だけの校医さん



   《12 突然の来訪者》


 真衣のたった一つ残っていた大人としてのシルシを剃り落してから、おむつかぶれの薬を塗り込み、直腸検温を済ませて新しいおむつを着用させた後ふと姿を消した美幸だが、ほどなく、白いプラスチック製のトレイを捧げ持ってリビングルームに戻ってきた。
 真衣はその白いトレイを目にした途端なんとも言いようのない胸騒ぎを覚えたが、新しい紙おむつを着用させられ、その上に再びオーバーパンツを穿かされる間も美幸のなすがままで、しかも、今度は体全体ではなくお腹から下にかけられた毛布を蹴り飛ばすこともできないくらい手足の力を弱められている身としては、美幸の動きを不安混じりの視線で追いかけるしかなかった。
 一方、真衣の胸の内などすっかりお見通しの美幸はうっすらと笑みを浮かべてこちらに近づくと、横になっている真衣の顔のすぐそばにそっとトレイを置いて床の上に正座をし、
「おねむの間、ミルクは飲ませてあげていたけど、ご飯は食べさせてあげられなかったからお腹が空いたでしょう? もう熱も下がって食欲も出てきている筈だから、ちょっと中途半端な時間だけどご飯にしようね。真衣ちゃんはお手々を動かせないけどママが食べさせてあげるから心配しなくていいのよ」
とわざと優しく話しかけながら枕をどけて、その代わりに、自分の膝頭を横から真衣の頭の下に差し入れた。
「どう、ママの膝枕は気持ちいいでしょ? おねむの時はママの腕枕で、まんまの時はママの膝枕よ。だって、真衣ちゃんはまだ自分でまんまを食べられない赤ちゃんだものね。だから、赤ちゃん用の食器に赤ちゃん用のまんまを入れて持ってきてあげたのよ」
 美幸は自分の太腿の上に真衣の後頭部が載るように脚を動かし、トレイを手元に引き寄せて、その上に並んでいる様々な食器を順番に指差した。
「ほら、お粥さんのお茶碗に、野菜のペーストが入ったお皿、それに、チキンスープのカップに、プリンの小さなお皿もあるでしょう? 電子レンジでチンしたけど、あまり熱くならないよう注意しておいたから、すぐに食べさせてあげるわね」
 トレイの上に並んでいるのは、可愛らしいイラストをあしらったプラスチック製の幼児用の食器ばかりだった。しかも、各々の食器に盛りつけてあるのは、レトルトパックや壜詰から移し替えて温めた離乳食。
 美幸は、スプーンを持ち上げると、カップからスープを掬い取って真衣の口に押し当てた。
「や、やだ……そんな、赤ちゃんのご飯なんて」
 真衣は唇を閉ざし、くぐもった声で呻いた。
「だって、真衣ちゃんは赤ちゃんなのよ。赤ちゃんが赤ちゃんのまんまを嫌がるなんて変だと思わない? それに、丸三日近くも真衣ちゃんは何も食べないでねんねしていたのよ。そんなところへ急に大人用の固いご飯を食べたりしたら、お腹の調子がおかしくなっちゃうじゃない。その点、赤ちゃんのまんまはどれも柔らかいから、お腹に優しいのよ。だから、ちゃんと食べようね。やっぱり、最初はスープがいいかな」
 美幸は口調こそ幼児に言い聞かせるように優しかったが、その実、身のこなしは少しばかり強引で、スプーンをますます強く真衣の口に押し当てた。
 それでも真衣は決して唇を開こうとしないものだから、とうとうスプーンが傾いてスープがこぼれてしまう。
 スプーンからこぼれ出たスープは真衣の唇を濡らし、そのまま顎の方へ伝い流れて、顎先から胸元へ滴り落ちた。
「やっぱり真衣ちゃんはまだまだおっぱい離れのできない赤ちゃんなのね。離乳食の中でも一番食べやすいスープをこぼしちゃうんだもの。でも、おっぱいばかりだとおっきくなれないから、まんまを食べるお稽古もしなきゃいけないのよ。ちょっとくらいこぼしても着ている物を汚さなくてもすむようにしてあげるから、まんまのお稽古を続けようね」
 真衣の顎先から胸元へ滴り落ちてナイティにシミをつくるスープの雫を目で追いながら、美幸はまるで叱責する様子もなく、むしろ思惑通りに事が運んでいることに満足するかのように薄く笑って、すっかりスープがこぼれ出てしまったスプーンをトレイに戻し、その代わりに、やはりトレイの上に置いてあった小物を取り上げた。
 それは、アニメ風にデフォルメした兎の顔を模したバネ仕掛けの二つのクリップを、表面を愛らしいイラストをあしらった布で覆った幅の広いゴム紐でつないであるという簡単な仕組みの小物だったが、何をする物なのか一見しただけでは真衣にはわからなかった。それでも、わざわざ美幸が幼児用の食器と共に用意していた物だということを考えれば、真衣のことを赤ん坊扱いするための小道具なのは容易に想像がつく。
 美幸は、やはりこれもトレイに置いて持ってきていたパイル地のフェイスタオルを両手でぱっと広げ、広げたフェイスタオルで真衣の胸元を覆うと、タオルの、真衣の喉に触れる方の縁にクリップを取り付け、二つのクリップどうしを繋いでいるゴム紐を真衣の首筋の後ろにまわして長さを調節した。こうすると、真衣の胸元を覆うタオルは美幸が手を離したり真衣が体を動かしたりしてもずり落ちることがなくなる。美幸が用意していた小物は、フェイスタオルや比較的大きめのハンドタオルなどを即席のよだれかけとして使えるようにするためのベビータオルクリップだったというわけだ。
「さ、これでいいわ。これで着ている物を汚す心配はなくなったから、お稽古を続けようね。それに、もしもこれでも着ている物が汚れちゃうことがあってもママは絶対に真衣ちゃんのことを叱ったりしないから安心していいのよ。だって、おむつの赤ちゃんが最初から上手にまんまを食べられるわけないんだもの。ママのおっぱいをせがんで仕方ない赤ちゃんがまんまをちゃんと食べられるようになるのに、汚れ物がたくさんできちゃうのは当たり前のことだもの」
 美幸は、簡易よだれかけの縁に沿って真衣の胸元を指先でつーっとなぞってから、今度はお粥をスプーンで掬い取った。
「んあ……」
 再びスプーンを唇に押し当てられた真衣だが、やはり固く口を閉ざしたまま、自由にならない首を弱々しく振って頑なに離乳食を拒む。しかし、そうなることを見通していた美幸は、スプーンを支える手からふっと力を抜き、スープの時のようにお粥をわざとこぼした。
 スープに比べれば多少は粘りけのあるお粥だが、離乳期の赤ん坊の負担にならないよう米粒の原型が殆ど残らないほど柔らかく炊き込んであるため、やはり真衣の唇から頬を伝い、とろとろと顎先から胸元に滴り落ちて、今度はナイティではなく即席のよだれかけにシミをつくってゆく。
「あらあら、言った端からこぼしちゃって。でも、よかったわね。ちゃんとよだれかけをしておいてあげたから、着ている物は汚さずにすんで。これからは、まんまの時もおやつの時もよだれかけが手放せないわね。うふふ、もちろん、おっぱいの時も」
 美幸は再びスプーンをトレイに戻し、よだれかけにできたシミの周囲に沿って真衣の胸を指先でとんとんとつつきながら含み笑いを漏らした。
「それにしても、真衣ちゃんにはまだまんまは早すぎたのかしら。でも、お腹が空いたままだと可哀想だから、おねむの間と同じようにミルクにしてあげようかな」
 美幸は、まるで独り言のような口調で、けれど、真衣に聞かせているのが明かな口調で言って、お湯に溶かした粉ミルクが三分の二ほど入った哺乳壜を持ち上げた。その哺乳壜もまた、便座のロックやおねしょシーツ、離乳食などと同様、真衣を赤ん坊扱いするための小道具として、タクシーでの遠回りや空港からの帰り道に立ち寄った様々な商店で買い求めた物の一つなのは言うまでもない。
「い、いやぁ……」
 美幸が手にした哺乳壜を目にした真衣は、美幸の太腿の上で力なく首を振った。
 だが、そんなことで美幸が手の動きを止めるわけがない。
「いぁ……」
 美幸は、頑なに閉ざす真衣の唇を左手の指で押し開き、哺乳壜の先に付いたゴムの乳首を強引に咥えさせた。
「まんまは上手に食べられなくても、これならいいでしょ? ママのおっぱいをせがんで仕方のない真衣ちゃんだもの、哺乳壜のぱいぱいなら上手に飲めるわよね?」
 美幸は真衣の左右の頬を左手の親指と中指でそっと押した。
 と、傾けた哺乳壜の中でミルクの表面に小さな泡が幾つか浮かび上がり、しばらくすると、ミルクの表面に浮かんでは消える泡の数が目に見えて増えてきた。
 それは、泡の数に見合った量のミルクがゴムの乳首から真衣の口の中に流れ出ていることを意味していた。
美幸は、哺乳壜の乳首の先に或る細工を施していた。買ってきたままの哺乳壜は、赤ん坊が飲むペースに合わせて中の飲み物が流れ出るように調整した小さな穴が乳首の先に開いている。美幸は、その穴を中心にして、十文字の短い切れ込みを入れたのだ。こうしておくと、哺乳壜を下に向けただけではゴムの弾力が勝ってミルクは自然に流れ出さないものの、真衣が一口でも乳首を吸うと、それがきっかけになってミルクが流れ出し、あとはその流れの勢いがゴムの弾力よりも強くなって、ミルクの流れが止まらなくなるのだった(そう、美幸が指先で真衣の左右の頬を押したのは、最初のきっかけをつくるためだった)。もっとも、流れが止まらないとはいっても、ぽたぽたと滴り落ちる程度のペースだから、あっというまに哺乳壜が空になってしまうわけでもない。だが、真衣が喉を動かしてミルクを飲み込まなければ、やがてミルクは口の中に溜まり、遂には唇から溢れ出てしまうのは明かだった。

「あら、真衣ちゃんはぱいぱいを飲むのも下手だったのかな。ママのおっぱいはいつも上手に吸ってくれるのに、哺乳壜をちゅうちゅうするのは下手だったのね」
 美幸は、哺乳壜で粉ミルクを飲まされるという赤ん坊そのままの行為を受け容れられず、まるで喉を動かそうとしない真衣に向かって、わざと不思議そうな顔をして言い、それでも真衣がミルクを飲み込もうとしないのを見て取ると、カーデガンのポケットから携帯電話を取り出して動画再生のボタンを押した。
「ほら、おねむの間は真衣ちゃん、こんなに上手にぱいぱいを飲んでいたのよ。なのに、おっきしたら飲めなくなっちゃうだなんて、なんだか変ね」
 美幸がそんなふうにわざとらしく不思議がってみせる通り、液晶画面に映った真衣は、美幸が支え持つ哺乳壜から一心にミルクを飲んでいた。
 もっとも、それも、考えてみれば当たり前のことだった。日曜日の夕方前から眠りにおちたままで食べ物を口にすることは一切できず、しかも、気温が上がってくる季節だというのに、太陽の光がさんさんと差し込む部屋でガラス戸を閉め切った上、体を毛布ですっぽり覆われているのだから、空腹と喉の渇きは並大抵ではない。そんなところへミルクの入った哺乳壜の乳首を口にふくまされて、それを拒否できるわけがない。それも、意識を失わされ、理性や羞恥心といったもののかけらも持ち合わせていない状態でのことだから尚更だ。
「ね、おねむの間はこんなに上手なのよ。なのに、おっきしている間はちゃんと飲めないなんて、出張中だけどお父様に動画を送って見てもらった方がいいかしら。それで、どうしたらいいか相談した方がいいのかな」
 美幸は液晶画面を真衣の目の前に突きつけ、聞こえよがしにそう言ってから、携帯電話をポケットにしまった。
 そうしている間にも真衣の口には哺乳壜の乳首から流れ出たミルクがじわじわと溜まってきている。
 意識を失って深い眠りについている時とは違い、今は理性も羞恥心も働いている。乳離れできない赤ん坊そのまま哺乳壜のミルクを飲まされる屈辱は耐え難い。
 だが、哀しいかな、本人も気づかないうちに、哺乳壜の乳首からミルクを飲むという行為を体に植え付けられてしまっているのも事実だった。意識を失っている間中、真衣が空腹や喉の渇きに耐えかねて無意識のうちに唇を動かしたり、それこそ幼児さながら自分の指を吸い始める頃合いを見計らって、美幸は哺乳壜でミルクを飲ませ、哺乳壜が空になると胸元をはだけて自分の乳首を吸わせるという行為を何度も何度も際限なく繰り返していた。「生まれたばかりの赤ちゃんよりも手間がかかるんだから」と困ったように言った美幸だが、その実、真衣の赤ちゃん返りを更に進めるための手間は惜しみなくかけていたというわけだ。そのせいで、いつしか真衣は、ミルクの匂いを嗅ぐだけで自然と唇と頬を動かすようになってしまっていたのだ。
 しかも、動画を優に見られてもいいのかなという脅しめいた言葉。
「ふぅん。真衣ちゃんてば、まんまを食べるのが下手なだけじゃなくて、哺乳壜のぱいぱいもちゃんと飲めないんだ。真衣ちゃんがお上手なのは、ママのおっぱいを吸うことだけなのね」
 美幸は、真衣が逡巡しながらもミルクを飲み込むのを拒む様子をおかしそうに見やり、乳首の先からミルクの雫がぽたぽた垂れるのを気にするふうもなく哺乳壜を真衣の口からそっと離してトレイに置くと、手早く自分の胸元をはだけ、授乳用ブラのカップをずりおろして、ゴムの乳首の代わりに本物の乳首を咥えさせた。
 真衣の理性の箍が外れたのは、先週の金曜日の夜に初めて一緒に寝て以来、ことあるごとに口にふくまされ、遂にはそれを吸いながらではないとおしっこもできなくなってしまった美幸の乳首が唇に触れた直後のことだった。まるで力の入らない両腕で、それでも美幸の体をかき抱くようにして乳房に顔を埋める真衣。
「そうなの。真衣ちゃんはそんなにママのおっぱいが欲しかったの。いいわよ、たっぷり吸ってちょうだい」
 それまで自分の太腿に載せていた真衣の頭を下から掌で包み込むようにして持ち上げ、上半身を横抱きにして、美幸は真衣の耳元に甘く囁きかけた。
 真衣は、意識を失ったまま哺乳壜の乳首を吸っていた時と同様、無心に美幸の乳首を貪った。唇と頬が大きく動き、口の中に溜まっていたミルクも飲み干してしまう。
 そのタイミングを見計らって、美幸は自分の乳首を真衣の唇から引き離し、いったんトレイに戻した哺乳壜を持ち上げて、再びゴムの乳首を真衣の口にふくませた。
 そうなると、あとは、携帯電話の画面に映っていた姿そのままだ。真衣は美幸の手で上半身を横抱きにされたまま、哺乳壜の乳首から片時も口を離そうとはしなかった。




 哺乳壜のミルクがもう残り僅かになった頃合いでチャイムが鳴った。
 突然のチャイムに真衣はびくんと体を震わせたが、哺乳壜の乳首は口にふくんだままだ。
「はい、どちら様でしょうか」
 美幸は、それまで抱え上げていた真衣の頭を太腿の上に戻し、右手で哺乳壜を支え持ったまま、左手でカーデガンのポケットから小振りの通話器を取り出し、耳に押し当てた。携帯電話に似たその通話器は、家の中ならどこにいても門柱に取り付けてあるインターフォンを通じて来訪客と会話ができるようになっているワイヤレスのハンドセットだった。
「ああ、美沙ちゃんだったの。もうそんな時間なのね。真衣ちゃんのお世話に忙しくて、まるで気がつかなかったわ。うん、もちろんいいわよ。預けておいた鍵で門扉とドアを開けて入ってちょうだい」
 美幸は親しげな様子で来訪客の名を呼び、弾んだ声で会話を交わした。
(美沙ちゃんって……ううん、まさか、そんな。で、でも……)美幸の口から来訪者の名前が聞こえた途端、真衣の体がさっきよりも大きくびくっと震えた。
 待つほどもなく、玄関のドアが開閉する音が聞こえ、廊下を足音が近づいてきた。
 しかし、体の自由を殆ど奪われ、哺乳壜の乳首を口から離すこともできない真衣には、その場から逃れる術はない。
(や、やだ、誰かがこっちに来るよ。ドアを開けられたら、赤ちゃんみたいな格好を見られちゃうよ。どうしたらいいの、どうしたらいいの、私!?)胸の中で金切り声をあげながらも、実際にはどうすることもできない。
 やがて足音がリビングルームの前でぴたっと止まり、かちゃりと音がしてドアのノブがまわる。
 ドアが開いて、身をすくめる真衣の目の前に一人の人物が姿を現した。
 その人物は、美幸の太腿に頭を載せて哺乳壜の乳首を口にふくんだままの真衣の姿を目にすると、にこっと微笑んで声を弾ませた。
「あ、真衣ちゃん、おっきしたんだね」
(美沙!? 美沙ちゃんって、やっぱり、あの美沙だったんだ。でも、どうして、そんな……!?)目の前に現れた人物の顔を見、その声を聞くなり、真衣は胸の中で呻いた。
 リビングルームのドアを開けてすぐの所に立ってこちらの様子を興味深げに窺っているのは、真衣とは幼稚園から高校までずっと同じクラスで一番の親友である杉下美沙だった。
「お帰りなさい、美沙ちゃん。ほら、今日は真衣ちゃんもおっきして美沙ちゃんが学校から帰ってくるのを待っていたのよ」
 美幸は、怯えと困惑とがない交ぜになったなんともいいようのない表情を浮かべる真衣の顔と、とびきりの笑みを浮かべた美沙の顔とを見比べて言った。
 それに対して美沙が、どこかおもはゆそうに応じる。
「やめてよ、『美沙ちゃん』なんて『ちゃん』付けで名前を呼ぶのは。私はもう高校生。小っちゃな子供じゃないんだから、気をつけてよね、鈴木先生……あ、先生じゃなかった、ママ」
「うふ、そうだったわね。真衣ちゃんのことを『ちゃん』付けで呼ぶから、ついつい、美沙のことまで『美沙ちゃん』なんて呼んじゃって、ごめんね。美沙はもう高校生、赤ちゃんの真衣ちゃんとは違うのにね。――でも、美沙も気をつけてね。ママのことを『鈴木先生』だなんて他人行儀な呼び方するのはもう二度と無しにしてちょうだい」
「へへ、じゃ、今回はお互い様ね。うん、わかった。今度から私も気をつけるから、ママも気をつけてね」
 妙に親しげな様子で二人は互いにくすっと微笑み合った後、揃って真衣の顔に視線を移した。
(何? 何なの、いったい? 二人は何を話してるの?)二人のやり取りを耳にして、胸の中にむくむくと湧き上がってくる疑問を問い質したくて仕方ない真衣だったが、そんなことをしてミルクをこぼしてしまいでもしたら、それを口実に美幸からまたどんな仕打ちを受けるかしれたものではないと思うと、躊躇いが先に立って何も言い出せない。
 しかも、その時になって急に尿意を感じ始めたから尚更だ。
(や、やだ。どうして、こんな時におしっこなんてしたくなっちゃうのよ。赤ちゃんみたいに哺乳壜でミルクを飲まされて、しかも、どうしてだかわかなにいけど目の前に美沙がいる、こんな時に)
「それで、真衣ちゃんは今ごろお昼ご飯なの?」
 ひょいと腰をかがめた美沙が、真衣の顔と美幸が支え持つ哺乳壜、それに、床に置いてあるトレイや、紙おむつとオーバーパンツを収納したバスケットを順番に眺めながら穏やかな声で言った。
(どうして? どうして美沙はこんなに落ち着いてるの? 友だちの家に来たら知らない女の人がいて、当の友だちがその女の人に赤ちゃん扱いされているっていうのに、どうして美沙はびっくりしないの?)赤ん坊そのままの扱いを受けている親友の姿を見てもまるで動じる気配をみせない美沙の様子に、真衣は、つい恥ずかしさも忘れ、次第に高まってくる尿意に身震いしながらも、ますます疑念を膨らませるばかりだった。
 しかも、美幸の方も
「そうなのよ。赤ちゃんはねんねの時間が不規則だから、こんな時間にまんまになっちゃて。でも、手間がかかるけど、そのぶん可愛くて仕方ないのよね」
と澄ましたもので、なんだか、美幸と美沙は本当の母親なんじゃないかとさえ思えてくるほどだった。
「そうね、赤ちゃんは眠くなったら所かまわず寝ちゃうし、お腹が空いた時にはミルクを欲しがって泣くし、おしっこをしたくなったらおむつを汚すのが仕事みたいなもんだもんね」
 美沙は真衣の顔を覗き込んで意味ありげに笑って言い、もう殆ど空になりかけている哺乳壜の中に浮かぶ泡を眺めながら、続けて言った。
「あ、そうだ。おしっこって言えば、一番近くで真衣ちゃんがおむつを汚しちゃったのはいつ? 真衣ちゃん、なんだか、何かを我慢しているようなお顔をしているんだけど、そろそろ次のおしっこの時間じゃないかな?」
 そんな美沙の言葉に、真衣の胸がどきんと高鳴る。
「確か、おっきする三十分ほど前にそんなそぶりをしていたわね。それからおむつを取り替えてあげたりいろいろあった後、まんまを食べさせてあげて――おねしょから今までで一時間ちょっとってところかしら」
 美幸は掛時計をちらと見て答え、
「そうね、真衣ちゃんはだいたい一時間ごとにおしっこをしたくなるんだったわね。二時間くらいは保つようにしなきゃいけないわよって我慢するお稽古はさせているけど、お稽古はまだ途中だし、そろそろおしっこがしたくなる頃かしら」
と、少し考えて付け加えた。
 が、ついさっき感じ始めた真衣の尿意はいつになく急激に強くなり、今や『そろそろおしっこがしたくなる頃』という言い方ではとても表現できないほどになっていた。
(どうして? どうして、こんな……)突然の親友の出現と、いつにない尿意の高まりに、真衣の感情が千々に乱れる。
 真衣は気づいていないものの、実は、尿意の急激な高まりも、美幸が仕組んだことだった。
 美幸は、真衣が意識を失っている間中、自分の乳首と哺乳壜の乳首とを何度も繰り返し交互に吸わせていた。そうすることで、初めての添い寝以後、美幸の乳首を吸いながらのおねしょやおもらしが習い性になってしまっている真衣に対して、ゴムの乳首を咥えても、あたかも本物の乳首を咥えているかのように無意識のうちに錯覚するように仕向けたわけだ。そうしておいて、目が覚める直前のおねしょから一時間ちょっとが経過し、そろそろ真衣がおしっこをしたくなる頃合いを見計らって、意識を失っている間に繰り返しそうしたのと同様、自分の乳首とミルクの入った哺乳壜の乳首とを交互に真衣に咥えさせたのだった。哺乳壜の乳首の感触と美幸の乳首の感触との区別がつかないようにさせられていた真衣にしてみれば、哺乳壜のミルクを飲んでいる間に、いつしか、美幸の乳首から流れ出る母乳を飲んでいるかのような錯覚に陥ったとしても無理からぬところだろう。そうなれば、美幸の乳首を吸いながらのおもらしが習い性になっている真衣のこと、舌の上に広がり喉を通ってお腹の中に流れ込むミルクの感触と相まって、ゴムの乳首を吸っているうちに次第に尿意が強くなってくるのも当たり前のことだった。それに加えて、薬の力によって手足の筋肉のみならず膀胱の筋肉まで弛緩させられているものだから、いったん強くなり始めた尿意はあっという間に限界ぎりぎりに達してしまったというわけだ。
 そう、それはまさしく美幸の思惑通りの結果だった。
 それのみならず、美沙の出現さえもが美幸の企みの結果なのだが、それを知った時、真衣はどんな顔をするだろう。



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