《12 突然の来訪者》 「ほら、お粥さんのお茶碗に、野菜のペーストが入ったお皿、それに、チキンスープのカップに、プリンの小さなお皿もあるでしょう? 電子レンジでチンしたけど、あまり熱くならないよう注意しておいたから、すぐに食べさせてあげるわね」 トレイの上に並んでいるのは、可愛らしいイラストをあしらったプラスチック製の幼児用の食器ばかりだった。しかも、各々の食器に盛りつけてあるのは、レトルトパックや壜詰から移し替えて温めた離乳食。 美幸は、スプーンを持ち上げると、カップからスープを掬い取って真衣の口に押し当てた。 「や、やだ……そんな、赤ちゃんのご飯なんて」 真衣は唇を閉ざし、くぐもった声で呻いた。 「だって、真衣ちゃんは赤ちゃんなのよ。赤ちゃんが赤ちゃんのまんまを嫌がるなんて変だと思わない? それに、丸三日近くも真衣ちゃんは何も食べないでねんねしていたのよ。そんなところへ急に大人用の固いご飯を食べたりしたら、お腹の調子がおかしくなっちゃうじゃない。その点、赤ちゃんのまんまはどれも柔らかいから、お腹に優しいのよ。だから、ちゃんと食べようね。やっぱり、最初はスープがいいかな」 美幸は口調こそ幼児に言い聞かせるように優しかったが、その実、身のこなしは少しばかり強引で、スプーンをますます強く真衣の口に押し当てた。 それでも真衣は決して唇を開こうとしないものだから、とうとうスプーンが傾いてスープがこぼれてしまう。 スプーンからこぼれ出たスープは真衣の唇を濡らし、そのまま顎の方へ伝い流れて、顎先から胸元へ滴り落ちた。 「やっぱり真衣ちゃんはまだまだおっぱい離れのできない赤ちゃんなのね。離乳食の中でも一番食べやすいスープをこぼしちゃうんだもの。でも、おっぱいばかりだとおっきくなれないから、まんまを食べるお稽古もしなきゃいけないのよ。ちょっとくらいこぼしても着ている物を汚さなくてもすむようにしてあげるから、まんまのお稽古を続けようね」 真衣の顎先から胸元へ滴り落ちてナイティにシミをつくるスープの雫を目で追いながら、美幸はまるで叱責する様子もなく、むしろ思惑通りに事が運んでいることに満足するかのように薄く笑って、すっかりスープがこぼれ出てしまったスプーンをトレイに戻し、その代わりに、やはりトレイの上に置いてあった小物を取り上げた。 それは、アニメ風にデフォルメした兎の顔を模したバネ仕掛けの二つのクリップを、表面を愛らしいイラストをあしらった布で覆った幅の広いゴム紐でつないであるという簡単な仕組みの小物だったが、何をする物なのか一見しただけでは真衣にはわからなかった。それでも、わざわざ美幸が幼児用の食器と共に用意していた物だということを考えれば、真衣のことを赤ん坊扱いするための小道具なのは容易に想像がつく。 美幸は、やはりこれもトレイに置いて持ってきていたパイル地のフェイスタオルを両手でぱっと広げ、広げたフェイスタオルで真衣の胸元を覆うと、タオルの、真衣の喉に触れる方の縁にクリップを取り付け、二つのクリップどうしを繋いでいるゴム紐を真衣の首筋の後ろにまわして長さを調節した。こうすると、真衣の胸元を覆うタオルは美幸が手を離したり真衣が体を動かしたりしてもずり落ちることがなくなる。美幸が用意していた小物は、フェイスタオルや比較的大きめのハンドタオルなどを即席のよだれかけとして使えるようにするためのベビータオルクリップだったというわけだ。 「さ、これでいいわ。これで着ている物を汚す心配はなくなったから、お稽古を続けようね。それに、もしもこれでも着ている物が汚れちゃうことがあってもママは絶対に真衣ちゃんのことを叱ったりしないから安心していいのよ。だって、おむつの赤ちゃんが最初から上手にまんまを食べられるわけないんだもの。ママのおっぱいをせがんで仕方ない赤ちゃんがまんまをちゃんと食べられるようになるのに、汚れ物がたくさんできちゃうのは当たり前のことだもの」 美幸は、簡易よだれかけの縁に沿って真衣の胸元を指先でつーっとなぞってから、今度はお粥をスプーンで掬い取った。 「んあ……」 再びスプーンを唇に押し当てられた真衣だが、やはり固く口を閉ざしたまま、自由にならない首を弱々しく振って頑なに離乳食を拒む。しかし、そうなることを見通していた美幸は、スプーンを支える手からふっと力を抜き、スープの時のようにお粥をわざとこぼした。 スープに比べれば多少は粘りけのあるお粥だが、離乳期の赤ん坊の負担にならないよう米粒の原型が殆ど残らないほど柔らかく炊き込んであるため、やはり真衣の唇から頬を伝い、とろとろと顎先から胸元に滴り落ちて、今度はナイティではなく即席のよだれかけにシミをつくってゆく。 「あらあら、言った端からこぼしちゃって。でも、よかったわね。ちゃんとよだれかけをしておいてあげたから、着ている物は汚さずにすんで。これからは、まんまの時もおやつの時もよだれかけが手放せないわね。うふふ、もちろん、おっぱいの時も」 美幸は再びスプーンをトレイに戻し、よだれかけにできたシミの周囲に沿って真衣の胸を指先でとんとんとつつきながら含み笑いを漏らした。 「それにしても、真衣ちゃんにはまだまんまは早すぎたのかしら。でも、お腹が空いたままだと可哀想だから、おねむの間と同じようにミルクにしてあげようかな」 美幸は、まるで独り言のような口調で、けれど、真衣に聞かせているのが明かな口調で言って、お湯に溶かした粉ミルクが三分の二ほど入った哺乳壜を持ち上げた。その哺乳壜もまた、便座のロックやおねしょシーツ、離乳食などと同様、真衣を赤ん坊扱いするための小道具として、タクシーでの遠回りや空港からの帰り道に立ち寄った様々な商店で買い求めた物の一つなのは言うまでもない。 「い、いやぁ……」 美幸が手にした哺乳壜を目にした真衣は、美幸の太腿の上で力なく首を振った。 だが、そんなことで美幸が手の動きを止めるわけがない。 「いぁ……」 美幸は、頑なに閉ざす真衣の唇を左手の指で押し開き、哺乳壜の先に付いたゴムの乳首を強引に咥えさせた。 「まんまは上手に食べられなくても、これならいいでしょ? ママのおっぱいをせがんで仕方のない真衣ちゃんだもの、哺乳壜のぱいぱいなら上手に飲めるわよね?」 美幸は真衣の左右の頬を左手の親指と中指でそっと押した。 と、傾けた哺乳壜の中でミルクの表面に小さな泡が幾つか浮かび上がり、しばらくすると、ミルクの表面に浮かんでは消える泡の数が目に見えて増えてきた。 それは、泡の数に見合った量のミルクがゴムの乳首から真衣の口の中に流れ出ていることを意味していた。 美幸は、哺乳壜の乳首の先に或る細工を施していた。買ってきたままの哺乳壜は、赤ん坊が飲むペースに合わせて中の飲み物が流れ出るように調整した小さな穴が乳首の先に開いている。美幸は、その穴を中心にして、十文字の短い切れ込みを入れたのだ。こうしておくと、哺乳壜を下に向けただけではゴムの弾力が勝ってミルクは自然に流れ出さないものの、真衣が一口でも乳首を吸うと、それがきっかけになってミルクが流れ出し、あとはその流れの勢いがゴムの弾力よりも強くなって、ミルクの流れが止まらなくなるのだった(そう、美幸が指先で真衣の左右の頬を押したのは、最初のきっかけをつくるためだった)。もっとも、流れが止まらないとはいっても、ぽたぽたと滴り落ちる程度のペースだから、あっというまに哺乳壜が空になってしまうわけでもない。だが、真衣が喉を動かしてミルクを飲み込まなければ、やがてミルクは口の中に溜まり、遂には唇から溢れ出てしまうのは明かだった。 「あら、真衣ちゃんはぱいぱいを飲むのも下手だったのかな。ママのおっぱいはいつも上手に吸ってくれるのに、哺乳壜をちゅうちゅうするのは下手だったのね」 美幸は、哺乳壜で粉ミルクを飲まされるという赤ん坊そのままの行為を受け容れられず、まるで喉を動かそうとしない真衣に向かって、わざと不思議そうな顔をして言い、それでも真衣がミルクを飲み込もうとしないのを見て取ると、カーデガンのポケットから携帯電話を取り出して動画再生のボタンを押した。 「ほら、おねむの間は真衣ちゃん、こんなに上手にぱいぱいを飲んでいたのよ。なのに、おっきしたら飲めなくなっちゃうだなんて、なんだか変ね」 美幸がそんなふうにわざとらしく不思議がってみせる通り、液晶画面に映った真衣は、美幸が支え持つ哺乳壜から一心にミルクを飲んでいた。 もっとも、それも、考えてみれば当たり前のことだった。日曜日の夕方前から眠りにおちたままで食べ物を口にすることは一切できず、しかも、気温が上がってくる季節だというのに、太陽の光がさんさんと差し込む部屋でガラス戸を閉め切った上、体を毛布ですっぽり覆われているのだから、空腹と喉の渇きは並大抵ではない。そんなところへミルクの入った哺乳壜の乳首を口にふくまされて、それを拒否できるわけがない。それも、意識を失わされ、理性や羞恥心といったもののかけらも持ち合わせていない状態でのことだから尚更だ。 「ね、おねむの間はこんなに上手なのよ。なのに、おっきしている間はちゃんと飲めないなんて、出張中だけどお父様に動画を送って見てもらった方がいいかしら。それで、どうしたらいいか相談した方がいいのかな」 美幸は液晶画面を真衣の目の前に突きつけ、聞こえよがしにそう言ってから、携帯電話をポケットにしまった。 そうしている間にも真衣の口には哺乳壜の乳首から流れ出たミルクがじわじわと溜まってきている。 意識を失って深い眠りについている時とは違い、今は理性も羞恥心も働いている。乳離れできない赤ん坊そのまま哺乳壜のミルクを飲まされる屈辱は耐え難い。 だが、哀しいかな、本人も気づかないうちに、哺乳壜の乳首からミルクを飲むという行為を体に植え付けられてしまっているのも事実だった。意識を失っている間中、真衣が空腹や喉の渇きに耐えかねて無意識のうちに唇を動かしたり、それこそ幼児さながら自分の指を吸い始める頃合いを見計らって、美幸は哺乳壜でミルクを飲ませ、哺乳壜が空になると胸元をはだけて自分の乳首を吸わせるという行為を何度も何度も際限なく繰り返していた。「生まれたばかりの赤ちゃんよりも手間がかかるんだから」と困ったように言った美幸だが、その実、真衣の赤ちゃん返りを更に進めるための手間は惜しみなくかけていたというわけだ。そのせいで、いつしか真衣は、ミルクの匂いを嗅ぐだけで自然と唇と頬を動かすようになってしまっていたのだ。 しかも、動画を優に見られてもいいのかなという脅しめいた言葉。 「ふぅん。真衣ちゃんてば、まんまを食べるのが下手なだけじゃなくて、哺乳壜のぱいぱいもちゃんと飲めないんだ。真衣ちゃんがお上手なのは、ママのおっぱいを吸うことだけなのね」 美幸は、真衣が逡巡しながらもミルクを飲み込むのを拒む様子をおかしそうに見やり、乳首の先からミルクの雫がぽたぽた垂れるのを気にするふうもなく哺乳壜を真衣の口からそっと離してトレイに置くと、手早く自分の胸元をはだけ、授乳用ブラのカップをずりおろして、ゴムの乳首の代わりに本物の乳首を咥えさせた。 真衣の理性の箍が外れたのは、先週の金曜日の夜に初めて一緒に寝て以来、ことあるごとに口にふくまされ、遂にはそれを吸いながらではないとおしっこもできなくなってしまった美幸の乳首が唇に触れた直後のことだった。まるで力の入らない両腕で、それでも美幸の体をかき抱くようにして乳房に顔を埋める真衣。 「そうなの。真衣ちゃんはそんなにママのおっぱいが欲しかったの。いいわよ、たっぷり吸ってちょうだい」 それまで自分の太腿に載せていた真衣の頭を下から掌で包み込むようにして持ち上げ、上半身を横抱きにして、美幸は真衣の耳元に甘く囁きかけた。 真衣は、意識を失ったまま哺乳壜の乳首を吸っていた時と同様、無心に美幸の乳首を貪った。唇と頬が大きく動き、口の中に溜まっていたミルクも飲み干してしまう。 そのタイミングを見計らって、美幸は自分の乳首を真衣の唇から引き離し、いったんトレイに戻した哺乳壜を持ち上げて、再びゴムの乳首を真衣の口にふくませた。 そうなると、あとは、携帯電話の画面に映っていた姿そのままだ。真衣は美幸の手で上半身を横抱きにされたまま、哺乳壜の乳首から片時も口を離そうとはしなかった。 *
哺乳壜のミルクがもう残り僅かになった頃合いでチャイムが鳴った。 |
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