ママは私だけの校医さん



   《25 もうひとりのお姉ちゃん》


『はい、どうしました?』
 インターフォンから美幸の声が聞こえた。相変わらぬ事務的な口調だ。
 それに対して
「一年三組の園田です。同じクラスの佐藤さんの体調が思わしくないので連れてきました」
と応えたのは、これまでとは違い、美沙ではなく茉莉だった。
 ――黒板に向かって課題の例文を書いている途中、とうとう我慢できなくなった真衣は、こっそりとおしゃぶりを咥え、級友たちの目を盗んでおむつを汚した。だが、耐えに耐え続けた尿意と、尿意に起因する下腹部の鈍痛から解放され、おむつをぐっしょり濡らしておしっこを出しきった直後、それまでの緊張の反動と、なにやらわからぬ下腹部の疼きのせいで膝から下の力がすっと抜けてしまった。咄嗟に黒板に手をついたおかげで転倒は免れたが、それ以上は板書を続けることもままならず、肩で息をつきながら、空いている方の手でおしゃぶりを胸ポケットに戻すのがやっとだった。
 やがて級友たちが真衣の異変に気づいて教室中がざわつき出し、誰かが足早に近づいてくる気配があった。
 振り返ることもままならないまま真衣は足音の主が美沙だとばかり思っていたが、
「大丈夫、佐藤さん?」
と背中から声をかけたのは茉莉だった。そして茉莉は
「保健室へ行きましょう。私が連れて行ってあげるから」
と畳みかけるように言い、真衣の返事も待たずに肩を抱き寄せたのだ。
 そこへ少し遅れて美沙が駆けつけ、茉莉に向かって
「佐藤さんを保健室へ連れて行くのは私の役目だから、あとはまかせておいて」
と言ったのだが、茉莉はまるで取り合おうともせず、
「杉下さんこそ席に戻っていいわよ。一時間目も三時間目も杉下さんが佐藤さんを連れて行ったでしょう? なのに、今度もまただなんて、いくら保健委員でも、杉下さんばかりに負担をかけるわけにはいかないわ。今回はクラス委員長の私にまかせておいて」
と応じて首を振るばかりだった。
 そんな経緯があって、結局、茉莉が真衣を保健室へ連れて来たのだが――。

 保健室に足を踏み入れた茉莉は、真衣をベッドのそばまで押しやり、
「佐藤さんの様子を確かめるためにここへ来るたび、その椅子の背もたれに佐藤さんの物らしきスカートがかかっていました。それを、私は、少しでも体の締め付けを減らすためだとばかり思っていました。でも、本当はこういうことだったんですね」
と言って付き添い用の椅子に視線を走らせたかと思うと、真衣のスカートのサイドファスナーに手を伸ばしてさっと引きおろしてしまった。
 スカートが、なんの抵抗もなく、ぱさっと床に落ちる。
 スカートを脱がされて、真衣のお尻を包み込んでいるおむつカバーが丸見えになった。横羽根と前当てをしっかり留めておいたから全体がずり落ちそうになるのは免れているものの、おしっこを吸ったおむつの重みでお尻の方が垂れ下がりぎみになっている、見るからに恥ずかしいおむつカバーだ。
「杉下さんは最初からこのことを知っていたんですよね?」
 なす術なくベッドの脇に立ちすくむ真衣の傍らで、茉莉は、騒ぎ立てることもなく、むしろいつもよりも冷静な声で美幸に言った。
「ええ、私が説明しておいたから。佐藤さんのお世話を手伝ってもらうためには全て説明しておかないといけないものね」
 美幸は穏やかな声で応えた。
「佐藤さんのお世話を手伝ってもらうためにですか。でも、たぶん、それって、学校の中のことだけじゃありませんよね? これは私の勘ですけど、ひょっとして、先生と杉下さんと佐藤さんはプライベートでも、他人どうしとは思えないくらい親密になさっておいでじゃないんですか?」
 慇懃な言葉遣いながら、きっぱりと断定するような調子で茉莉は言った。
「どうしてそう思うの?」
 美幸が短く問い返した。
「お昼休みにここへ来た時、先生の机の上にお弁当箱が二つ並んでいました。まだ手つかずで、二つともまるで同じ中身でした。それに、佐藤さんのお弁当箱は半分ほど空になっていましたけど、残ったオカズは他の二つのお弁当箱に入っているのと同じでした。しかも、杉下さんの唇と佐藤さんの唇が揃って薄い緑色に染まっていました。あと、杉下さんが先生や佐藤さんに接する態度とか、先生が杉下さんに指図する時の様子とか、ベッドに寝ている佐藤さんの雰囲気とか、そういった全体の感じから想像したんです。想像だけど、私、勘が当たる方なんです」
 茉莉はすっと目を細めて美幸の顔を正面から見た。
「なるほど。確かに勘が鋭いわね。それに、細かいことも見逃さない注意深さもあるみたいだし。――園田さんの想像通りよ。ちょっとした事情があって、私たち三人は家族みたいな間柄になっているの」
「やっぱりそうだったんですね。それでは、勘が当たっていたことを確認できた上で、私から先生と佐藤さんにお願いしたいことがあります」
 茉莉は納得顔で頷き、美幸の顔と真衣の顔を見比べて言った。
 次の瞬間、真衣の顔がみるみるこわばる。茉莉が『お願い』と称して
「私も佐藤さんや鈴木先生、杉下さんと家族みたい間柄になりたいんです。簡単なことですよね? 私のお願いをきいていただけるなら、三人の間柄は一言も口外しません。もちちろん、佐藤さんがパンツの代わりにおむつを着けていることも誰にも話しません。いかがでしょう、私のお願いを聞き入れていただけますか?」
と、とんでもないことを口にしたからだ。
「え!? で、でも、どうして、そんな……」
 訊き返す真衣の声が裏返った。
「佐藤さんと杉下さんのことをもっとよく知りたいからよ。私は幼稚舎から啓明で、自慢じゃないけど、初等部の一年生から今まで、ずっとクラス委員長を務めてきたの。それも、クラス運営で問題を起こしたことは一度もなくね。だけど、問題がなかったのは、外の学校から来た子のいるクラスに当たらなかったからじゃないかなと今になって思うことがあるの。佐藤さんや杉下さんみたいに中学まで公立で過ごしてきた子が初めてクラスメートになった今になって。だから、これからも問題なくクラスを運営していくためにも、どうしてもあなたたちのことをもっと詳しく知りたいのよ。プライベートな生活も含めて」
 真衣に向かって茉莉が説明した理由は、なるほど、一聞したところでは理にかなっているようにも思える。
 しかし、それが本当の理由かどうか判断する術を持たない真衣には返答のしようがなかった。
 そこへ美幸がくすっと笑って横合いから割って入る。
「いいんじゃないかしら、園田さんのお願いをきいてあげても。園田さんみたいな真面目な生徒が委員長を務めるクラスに入ったのも何かの縁だし」
 こわばった顔つきの真衣とは対照的に美幸はこともなげに言い、僅かに首をかしげて続けた。
「それに、お願いをきいてあげなかったら、真衣ちゃんの恥ずかしい秘密がみんなに知られちゃうのよ。そんなことになるよりは、味方になってくれそうな人を一人でも増やしておいた方がいいんじゃないかしら」
「……わかった。ママがそう言うんだったら……」
 茉莉と美幸の真意がどこにあるのか、真衣には及びもつかない。しかし、自分の秘密を知っている二人からそんなふうに迫られて拒むことはできない。
「ふぅん、鈴木先生は佐藤さんのことを『真衣ちゃん』って呼んでるんだ。でもって、佐藤さんが先生を呼ぶ時は『ママ』なのね」
 真衣が不承不承といった態で力なく頷くのを見て、茉莉はいかにも興味津々といった感じで言った。
「じゃ、杉下さんとはどんなふうに呼び合っているのかしら?」
「私は杉下さんのことを『美沙』って呼び捨てにしているわよ。それと、真衣ちゃんが杉下さんのことを呼ぶ時は『お姉ちゃん』ね。あと、杉下さんは私を真衣ちゃんと同じように『ママ』って呼んでいるの」
 好奇に満ちた茉莉の問いかけに対して、美幸は再びくすっと笑って説明した。
「へーえ、杉下さんは真衣ちゃんの『お姉ちゃん』なんだ。じゃ、私も『お姉ちゃん』になろうかな。一番目のお姉ちゃんが杉下さんで、私が二番目のお姉ちゃん。それでいいわよね、佐藤さん――ううん、真衣ちゃん」
 茉莉は瞳をきらきら輝かせて決めつけた。
「……」
「ほら、黙ってちゃ駄目でしょ。ちゃんと呼んでほしいわね、『茉莉お姉ちゃん』って」
「で、でも……」
「あら、私は真衣ちゃんの家族に入れてもらえないのかな。真衣ちゃんに気に入ってもらえないんだったらそれも仕方ないわね。だけど、家族でもない子の秘密を胸の中にしまっておく必要なんてないわよね。可愛い妹の恥ずかしい秘密をよその人に教えるようなお姉ちゃんなんていないけど、赤の他人だったらどうでもいいわよね」
 日頃の丁寧な喋り方とは打って変わった馴れ馴れしい口調で茉莉は言った。
「い、いや! それは、それだけは……」
「だったら、私のこと、茉莉お姉ちゃんって呼んでくれるわね?」
 茉莉は真衣の目を正面から覗き込んで言った。
「……お願い、みんなには秘密にしておいて。お願いだから、園田さ……茉莉……茉莉お姉ちゃん」
 ことここに至っては、おずおずと目をそらして弱々しく懇願するしかなかった。
「そう、真衣ちゃんは私にお姉ちゃんになってもらいたいのね。うん、わかった。美沙お姉ちゃんに負けないくらい優しいお姉ちゃんになってあげる。――鈴木先生もそれでよろしいですね? 佐藤さんや杉下さんと同じように私も先生のことを『ママ』とお呼びしてもよろしいですよね?」
 茉莉は、おむつ姿で立ちすくんでいる真衣の頭をそっと撫でつけ、美幸の方に向き直って同意を求めた。
「もちろん、大歓迎よ。真衣ちゃんが選んだお姉ちゃんなんだから」
 美幸に否はなかった。教職員の中から瀬尾を自分の仲間に仕立て、生徒の中からも美沙に加えてもう一人誰かを引き入れようと企んで狙いをつけたのが茉莉だ。茉莉の目の前に様々なヒントをばら蒔き、茉莉を真衣の恥ずかしい秘密に辿り着つかせた今、その申し出を拒む理由などあるわけがない。
「ありがとうございます。――さ、これで私も家族の仲間入りね。じゃ、お姉ちゃんが見ていてあげるから、真衣ちゃんはママにおむつを取り替えてもらいなさい。いつもは寂しくないように美沙お姉ちゃんに見てもらっているんでしょう? だったら、今は代わりに私が一緒にいてあげる。真衣ちゃんのベッドはこっちだったかな」
 茉莉は美幸に向かって恭しくお辞儀をした後、昼休みに真衣が横たわっていたベッドの毛布を捲り上げた。
 と、敷いたままになっていたおねしょシーツや置きっ放しになっていたガラガラとよだれかけが毛布の下から現れる。
「あ……!」
 真衣は慌ててガラガラやよだれかけをつかみ上げようとしたが、伸ばした手を茉莉に押さえつけられてしまう。
「お昼休みにちょっとだけ聞こえた音が何だったのか、やっとわかったわ。それに、真衣ちゃんの胸元を覆っていたのが何だったのかも。ひょっとしたらとは思っていたんだけど、やっぱりそうだったのね」
 真衣の手を押しとどめ、代わりに自分がガラガラとよだれかけをベッドからつかみ上げた茉莉は、よだれかけに付いているシミをしげしげ眺めて興味深げに呟いた。
 そうして、ガラガラを真衣の目の前で振ってみせながら
「でも、だとすると、真衣ちゃんがおむつをあてているのは、病気のせいなんかじゃないってことになるわね。病気の治療にガラガラやよだれかけが要るわけないもの。――病気のせいで仕方なくおむつを汚しちゃってるんだったら、そのことを誰かに話すだなんて可哀想なことはできないけど、そうじゃないとなると事情は変わってくるわね。真衣ちゃんが赤ちゃんみたいによだれかけを着けたりガラガラを持ったりして保健室でおむつを取り替えてもらっているって知ったら、クラスのみんな、どう思うかしら」
と、おおげさに肩をすくめて付け加える。
「やだ。誰にも言っちゃやだ……」
 真衣は涙声で訴えかけた。
 それに対して茉莉は少し考えるふりをしてから溜息交じりに
「じゃ、私の言うことには絶対に逆らわない? お姉ちゃんの言いつけはどんなことでもちゃんと守る聞き分けのいい妹になれるんだったら、しばらくはみんなに黙っていてあげるわよ」
と問い質した。
「……なる。聞き分けのいい妹になる。だから、みんなには……」
 よく通る茉莉の声とは対照的に、耳をそばだてて注意していないと聞き逃しそうになるような弱々しい声で真衣は言った。
「わかった。当分の間は秘密にしておいてあげる。じゃ、そうと決まったら、ママにおむつを取り替えてもらおうね。びしょびしょのおむつのままじゃお尻が気持ちわるいでしょう? あ、でも、その前に――」
 真衣の言葉が終わる前に茉莉は弾んだ声で言い、自分が手にしている小物類に目をやって悪戯っぽい笑みを浮かべると、空いている方の手を真衣の制服の胸ポケットに突っ込んでおしゃぶりを取り出し、わなわな震える唇に押し付けた。
「真衣ちゃんはおしゃぶりが大好きみたいだから、おむつを取り替えてもらう間、お口が寂しくないよう存分に吸っているといいわ。なにせ、教室の中でもクラスのみんなの視線も気にならないくらい夢中になってちゅうちゅうしていたんだもの」
 その時になって、ようやく真衣は、自分が黒板の前でおしゃぶりを口にふくんでいるところを茉莉に目撃されてしまったらしいことに気がついた。だが、今更どんな言い訳もかなわない。クラスのみんなの前でおしゃぶりを吸いながらおむつを汚してしまったのは紛れもない事実なのだから。
 真衣は一瞬だけ躊躇った後、おずおずとおしゃぶりを口にふくんだ。
 と、嵩にかかって茉莉が更にこんなことを言い出す。
「でも、おしゃぶりをちゅうちゅうしていると、よだれがこぼれちゃうわね。だから、ママか美沙お姉ちゃんがよだれかけを用意してくれていたのね。いいわ、新しくお姉ちゃんになった私がよだれかけを着けてあげる。すぐに済むからじっとしているのよ」
 それを真衣が拒めるわけがない。
 茉莉は身をすくめる真衣の後ろにまわってよだれかけを首筋に巻き付け、首の後ろと背中で手早く紐を結わえると、再び真衣の目の前に戻って、制服の胸元を覆うよだれかけについている薄いシミの縁を指先でつっとなぞりながら、ねっとり絡みつくような声で言った。
「これって、お弁当のオカズの跡なんでしょう? 美沙お姉ちゃんの唇と真衣ちゃんの唇が同じように緑色になっていたってことは、真衣ちゃん、口移しでお弁当を食べさせてもらっていたのかな? 本当に仲良し姉妹だこと。私も負けないよう頑張らないとね」
 そう言って茉莉はにまっと笑い、真衣の右手にガラガラを握らせて、ベッドの上のおねしょシーツをぽんぽんと叩いた。

 ベッドに横たわった真衣のお尻をくるむおむつカバーの前当てと横羽根がおねしょシーツの上に広げられると、ぐっしょり濡れた布おむつがあらわになる。
「あ、これ、私が縫ったおむつじゃないかしら。うん、この水玉模様、間違いないみたい。うふふ。私が縫ってあげたおむつが一番に真衣ちゃんのお尻を優しく包んでいたなんて、こんなに嬉しいことはないわね」
 薄く茶黄色に染まった水玉模様の布おむつを目にするなり、茉莉が嬌声をあげた。
「そう、これは茉莉が縫ったおむつだったの。それが誰のより真っ先に真衣ちゃんのおしっこを吸い取っていただなんて、すごい偶然もあるものね」
 美幸は、真衣のお尻の下から手元に引き寄せたおむつを洗剤を張ったポリバケツに滑り込ませながら相槌を打った。
 それに対して茉莉は
「違うわよ、ママ。これは偶然なんかじゃなくて、神様の思し召しなの。私、ずっとずっと妹が欲しかったの。でも、いろいろ事情があって、一人っ子のままだった。だから、うちのお父さんもお母さんも私に過剰な期待をかけちゃって、それで私、子供の頃から好きなことなんて殆どさせてもらえなかったの。まわりの子供たちが楽しそうに遊んでいるのに、小さい頃から塾に行かされて、いつもいつも、行儀良くしなさいとか、世間様の目があるのよとかってお小言ばかり貰って。それで、ずっと思っていたの。妹でもいてくれたら、両親の関心がそっちに向いて私はもう少し伸び伸びした生活を送れたんじゃないかなって。そんな私のお願いを聞き入れてくれて神様がプレゼントしてくれたのよ、真衣ちゃっていう可愛い妹を。だから、クラスのみんなが縫ったおむつの中でも最初に真衣ちゃんが使ったのが私の縫ったおむつなのも、偶然なんかじゃないの。私が縫ったおむつを最初に使うよう、神様が選んでくれたに決まってる」
と、異様とも思えるほど瞳をきらめかせ、熱に浮かされてでもいるかのように言い募った。しかも、それはその時だけでなく、その後も、真衣の無毛の股間がさらけ出されると
「あ、真衣ちゃんのここ、つるつるだ。でも、それでいいんだよね。元々こんなのだったのかママに綺麗にしてもらったのかは知らないけど、私の可愛い妹になる真衣ちゃんにはこの方がお似合いだもんね」
と顔を輝かせ、お尻拭きを使った美幸の巧みな指運びで秘部を攻められて真衣が喘ぎ声を漏らした時は
「うふふ。真衣ちゃんたら嬉しそうな声を出しちゃって。あそこを綺麗綺麗してもらうのがそんなに気持ちいいんだ。うん、そうだよね。びしょびしょに濡れたおむつを外してもらっておしっこの雫を拭いてもらったら気持ちいいに決まってるよね。次は新しいふかふかのおむつをあててもらえるんだもん、嬉しいに決まってるよね。それにしても、新しいおむつをあててもらえるんだって嬉しそうにしている真衣ちゃん、なんて可愛いのかしら。そうよ、これでこそ、私がずっとずっと待ち望んでいた妹なのよ」
と、感情の昂ぶりを抑えきれないかのような茉莉の能弁は、真衣のおむつの交換が終わるまで延々と続いたのだった。




 六時間目はどうにか無事に授業を受け、放課後になって、真衣を連れた美沙が保健室にやって来た。
 美沙はこれから部活ということでゆっくりしている暇はないのだが、出て行こうとするところを美幸に呼び止められ、五時間目の途中に保健室で茉莉と美幸や真衣との間に交わされたやり取りの内容を聞かされると、とびきりの笑顔で
「よかったじゃない、真衣ちゃん。これまで一人っ子で寂しかった真衣ちゃんなのに、これでお姉ちゃんが二人もできることになったんだから。茉莉お姉ちゃんも一人っ子なんだって? だったら、余計に可愛がってもらえそうじゃない」
と言い、ぽんと手を打って
「じゃ、私も茉莉お姉ちゃんに負けないよう頑張らなきゃね。真衣ちゃんにお似合いの可愛いお洋服を腕によりをかけてつくってきてあげる」
と付け加えた。
 美沙が口にした『真衣ちゃんにお似合いの可愛いお洋服』という言葉に、真衣はいやな予感を覚えた。だが、その言葉を拒むこともかなわず、笑顔のまま保健室をあとにして部室に向かう美沙の後ろ姿をじっと見送ることしか今の真衣にはできなかった。

 放課後になったといっても、真衣はまだ帰宅することができない。バスや電車の定期券を美幸に取り上げられてしまっている上、かりに定期券を返してもらったとしても、スカートの下におむつを着けている身では、大勢の客で混み合うバスや電車に乗る気にはとてもではないがなれない。しかも、家に帰りついたとしても、真衣のキーホルダーは美沙が持ったままだから、玄関のドアはおろか門扉を開けることさえできないのだ。となると、全ての部活が終わって怪我人の出る恐れがなくなった後にようやく一日の職務から解放される保健室の主である美幸の車に乗せてもらう他に帰路につく方法はない。
 そんなわけで、授業が終わってから保健室が閉まるまでの間が、真衣にとっては宿題や授業の復習を済ませることができる唯一の貴重な時間ということになる。家に帰った後は美幸と美沙の手で高校の制服を脱がされ、赤ん坊そのままの姿にさせらた上で自由を奪われるのは火を見るより明らかだから、勉強にあてられる時間など持てるわけがないのだ。
 しかし、宿題に取りかかるより前に済ませておくべきことが真衣にはあった。
「六時間目の途中にはおむつを汚さずにすんだみたいだけど、もうそろそろじゃないの? 教室と違ってここにいる間はいつでも取り替えてあげられるから我慢しないで出しちゃっていいのよ」
 美沙に連れられて保健室に足を踏み入れた時から真衣がもじもじしているのを見て取った美幸は、真衣の顎先を人差指の先でくいっと持ち上げ、大きな瞳を正面から覗き込んで言った。
「……」
 尿意の高まりを美幸に気取られていることは真衣にもわかっていた。だが、応えようがなく、口をつぐむしかできない。
「一時間目の途中は階段の踊り場で美沙お姉ちゃんにおっぱいを吸わせてもらっておしっこができたけど、その後はおしゃぶりばかりだったのよね? それじゃ可哀想だから、今度はママのおっぱいを吸わせてあげる。ママに思いきり甘えながらおしっこをするといいわ」
 美幸は、空いている方の手を真衣の背中にまわして体を引き寄せると、真衣の胸元に自分の乳房を着衣越しに押し当てた後、ベッドの端に腰かけさせ、真衣の体からそっと両手を離して自分の白衣を手早く脱ぎ去った。そうして、白衣の中に着ているブラウスのボタンを外して胸元を大きくはだけ、あらわになった美沙とお揃いの授乳用ブラを無造作にずりおろし、張りのある乳房を支え持って真衣の目の前に突きつける。
「で、でも、誰かが来たら……」
 ぴんと勃った乳首に両目を釘付けにしながらも真衣は躊躇いがちに言った。
「大丈夫よ。ママが錠を開けなきゃ誰も入ってこれないんだから。それに、茉莉お姉ちゃんも週に一度クラス委員長が全員集まる定例会議だって言っていたから、真衣ちゃんがママのおっぱいを吸ってるところを見られてひやかされることもないし」
 美幸もベッドの端に腰かけ、左手で真衣の肩を引き寄せて、綺麗なピンクの乳首を唇に押し当てた。
 もう真衣は抗わなかった。それどころか、はにかんだような表情を浮かべつつも、殆ど躊躇うふうもなく唇を開き、一瞬だけ間を置いた後、ちゅぱちゅぱと音をたてて美幸の乳首を吸い始める。
「そうよ、それでいいのよ。真衣ちゃんはママの可愛い娘。美沙お姉ちゃんと茉莉お姉ちゃんの可愛い妹。体は大きいけど、自分じゃ何もできない、いつまでもおむつ離れできない赤ちゃん。ママのおっぱいをたっぷり吸って、おしっこをたくさん出しちゃおうね」
 美幸は、うっすらと血管の浮く自分の乳房をますます前に突き出し、右手の掌をおむつカバーの上から真衣の股間に押し当てた。
 待つほどもなく真衣がびくんと肩を震わせ、口にふくんだ乳首を甘噛みする。
「教室でみんながいる中でおむつを汚すのは恥ずかしかったでしょう? でも、ここにはママと真衣ちゃんしかいないのよ。だから、恥ずかしがることなんて全然ないの。出したいだけ出しちゃっていいのよ。汚したいだけおむつを汚しちゃっていいのよ」
 美幸は、掌から伝わってくる生温かい奔流の微かな感触にすっと目を細め、真衣の耳元に甘い声で囁きかけた。




 学校の保健室で義理の母の乳首を吸いながら汚したおむつを、やはり保健室のベッドで取り替えてもらうという異様な体験のために昂ぶりがおさまらない感情をなんとか鎮め、真衣がようやく宿題を済ませた頃、定例会議を終えた茉莉が姿を現し、それからほんの少し遅れて、今度は美沙が保健室に戻ってきた。
「あれ? どうしたの、杉下さん――ううん、美沙。部活の時間はまだ一時間ほど残っているんじゃないの?」
 幼稚舎からずっと啓明の茉莉と、中学校までは公立だった美沙との間には、まだどこかよそよそしいところが残っていた。それが、美幸の企みによって擬似的な姉妹関係になったことで互いの溝が埋まったのか、これまでになく親しげな口調で茉莉が美沙に話しかける。
「うん、時間はまだ残ってるんだけどさ、こんなのを作ってみたから、少しでも早く真衣ちゃんに着てもらいたくて、部活を抜け出してきちゃった。部長は厳しいんだけど、瀬尾先生がうまく取りなしてくれるから助かるわ」
 美沙の方もすっかり打ち解けた様子で茉莉に応じ、大事そうに両手で抱えている布地を三人の目の前でさっと広げてみせた。
 途端に、二人の歓声と一人の悲鳴が同時にあがった。歓声をあげたのは美幸と茉莉。対して悲鳴の主は真衣だ。
 美沙が両手で広げ持ったのは、春らしいピンクの生地でできた長袖のワンピースだった。それも、ようやくよちよち歩きができるようになったばかりの赤ん坊に着せるような、ロンパースと同様に股間の部分にボタンが並んでいるボトムスとスカートが一体になった、見るからに可愛らしいデザインの女児用のワンピースだ。
「へーえ、可愛いじゃない。これ、家庭科クラブで仕上げてきたの?」
 美幸は美沙からワンピースを受け取り、ためつすがめつしながら言った。
「本当に可愛いワンピースだこと。こんなのを手作りできるなんて、美沙ったらすごいのね。……え? でも……」
 茉莉もワンピースに手を伸ばし、縫製の具合や生地の肌触りを確認して感心しきりだったが、ふと何かに気づいたかのように首をかしげ、戸惑いの色を浮かべて遠慮がちに言った。
「……あの、これって、赤ちゃんに着せるには大きすぎるんじゃない? 縫製の腕がすごいのは認めるけど、型紙を起こす時にうっかりして単位を間違ったとかいうことない? たとえば、センチと寸を取り違えたとか」
「やだ、そんな基本的なところを間違えるわけないでしょ。いいのよ、これで。最初からこの大きさで作る予定だったんだから。――ほら、これでどう?」
 美沙はあっけらかんとした顔で応え、美幸から再びワンピースを受け取ると、大きな執務机の隅を借りて宿題を終えたばかりの真衣の体に押し当てた。
「そ、そのワンピース、真衣ちゃんのだったの!? 赤ちゃんのじゃなくて!?」
 どう見ても赤ん坊用のものとしか思えないデザインのワンピースなのにサイズは真衣の体にぴったりなのを見て取った茉莉は両目を大きく見開いて驚きの声をあげた。
「そんなにびっくりすることないじゃない、最初から『こんなのを作ってみたから、少しでも早く真衣ちゃんに着てもらいたくて』って言ってるんだから」
 美沙は茉莉の驚きように対しておかしそうに言い、美幸の方に振り向いて悪戯っぽい口調で問いかけた。
「ひょっとして、ママ、茉莉にまだあのことを話してないの? 真衣ちゃんがお家でどんなふうに暮らしているのか」
「そういえばそうだったかしら。おしっこが近いから真衣ちゃんはなかなかおむつ離れできそうにないってことを説明して、私たちが家族みたいな間柄だってことを話した後、茉莉が真衣ちゃんによだれかけを着けてあげたりガラガラを持たせてあげたりしていたからそれとなく察しているものだとばかり思い込んでいたけど、たしかに、まだちゃんとは話してなかったわね、真衣ちゃんのお家での生活ぶりについては」
 美沙に言われて美幸は小さく頷き、ポケットを探って携帯電話を取り出した。
 それを目にした真衣が慌てて椅子から立ち上がりかけたが、美沙に肩を押さえつけられてしまう。
「じゃ、少し遅くなったけど、茉莉に見せてあげる。普段、お家で真衣ちゃんがどんな生活をしているか」
 美幸は携帯電話の液晶画面を茉莉の目の前で広げてキーを操作した。

 最初はあからさまに驚きの表情を浮かべていた茉莉だが、真衣が美幸の乳房に顔を埋めてすやすや眠っている場面、真衣のお尻が載っているあたりのシーツが次第にシミになってゆく場面、真衣がどこかのトイレで美幸にトレーニングパンツを穿かせてもらっている場面、車の座席をリクライニングさせてうつらうつらしている真衣のスカートの裾からオーバーパンツが見えている場面、真衣が美沙の手でロンパースを着せてもらっている場面、美沙が廊下で真衣のロンパースのボタンを外している場面、真衣が大きなベビーチェアに座って哺乳壜でミルクを飲ませてもらっている場面、ベビーベッドに横たわった真衣が子守唄を口ずさむ美幸にお腹を叩いてもらって寝かしつけられる場面といった様々なシーンの写真や動画が次々に液晶画面に映し出されてゆくのを見ているうち、次第に瞳をきらきらさせ、感情の昂ぶりを抑えきれないのがわかるほど頬をほてらせるようになっていた。
 そうして遂には、五時間目の途中に真衣が美幸の手でおむつを取り替えられる場面に立ち会った時と同様、熱に浮かされたようにとろんとした顔つきになってゆく。
「なんて……なんて可愛いのかしら、真衣ちゃんてば。制服におむつカバーとよだれかけも可愛いけど、赤ちゃんになりきった真衣ちゃん、それより何倍も可愛じゃない! いいわ、早くそのワンピースを着せてあげて。私の妹の真衣ちゃんがそのワンピースを着てどれほど可愛らしくなるのか、少しでも早く見てみたいのよ。だから、早くってば、美沙!」
 最後の場面を見終わった茉莉は上気した顔を上げ、美沙に向かって、叫び出さんばかりにして言った。
「やれやれ、随分とご執心だこと。私の方が先に真衣ちゃんのお姉ちゃんになったのに、ひょっとしたら真衣ちゃんのこと、茉莉に独り占めされちゃうかもね」
 美沙は苦笑交じりに呟き、真衣の脇の下に手を差し入れて椅子から立たせた。
「や、やだ……こんな所でそんな格好するなんて、そんなの……」
 真衣は身をよじって弱々しく首を振った。
 だが、自分よりも大柄な三人の前では抵抗も虚しい。あっという間に美沙たちは真衣の制服を矧ぎ取り、おむつカバーを丸見えにしたかと思うと、特製のワンピースを着せ、背中のファスナーをさっと引き上げて股間のボタンを手早く留めてしまった。
 丈の短いスカートの裾からはブルマー型のボトムスが三分の一ほど見えているが、それがおむつの厚みでぷっくりと丸く膨らみ、ワンピース全体のふんわりしたシルエットと相まって、もともと童顔の真衣をますますあどけなく見せている。
「やだっ、想像していたよりも可愛いわ。体の大きささえ気にしなかったら赤ちゃんそのままね」
 ワンピース姿になった真衣に茉莉は嬌声をあげた。
 その隣で美沙が相槌を打ち、美幸も満足そうに頷きながら、真衣の専用となった収納棚から四角い紙箱を取り出し、真衣の足元に置いて蓋を開けた。
 箱に入っているのは、おそらく美幸が例の業者に依頼して作らせたのだろう、これも特製の靴だった。ナース用の院内履に手を加えたのか、甲の部分が幅の広いゴムベルトになったゴム底の靴だが、色合いがパステル調のピンクに仕上がっていて、甲のゴムベルトにはアニメキャラがプリントされた、美沙お手製のワンピースにお似合いの、よちよち歩きを始めたばかりの赤ん坊を公園デビューさせる時に履かせるようなデザインの、しかしサイズだけは真衣の足に合わせた、特別仕立てのトドラーシューズだ。
 こちらも、美沙と茉莉の手によって瞬く間に履き替えさせられてしまう。それも、通学用の紺の靴下を脱がされ、家で履かされているのと同じ、くるぶしのところにサクランボを模したボンボンが付いたソックスを履かされた上でだ。
 しかし、真衣の着替えがこれで済んだわけではなかった。
 ボトムスがぷっくり膨らんだワンピースと特別仕立てのトドラーシューズ姿で羞恥に身を震わせる真衣の目の前で、どこに隠し持っていたのか、美沙がもう一枚の布地をさっと広げた。それは、細かなフリルになった飾りレースで縁取りした真新しいよだれかけだった。
「せっかくの新しいお洋服を汚しちゃいけないから、よだれかけも作ってきてあげたのよ。お家から持ってきたよだれかけは、真衣ちゃんが上手に食べられなくてこぼしちゃったまんまのシミが付いちゃってるもんね」
 美沙はしれっとした顔でそう言い、真衣に着せたワンピースの胸物をシミ一つないよだれかけで覆って留め紐をきゅっと結わえた。
「よかったわね、美沙お姉ちゃんに新しいよだれかけまで作ってもらって。これで幾らよだれをこぼしても新しいお洋服を汚す心配はなくなったから、大好きなおしゃぶりをちゅうちゅうできるわね」
 美幸が人差指の指先を真衣の唇につんと押し当ててから、ついさっき脱がせた制服を探って胸ポケットからおしゃぶりを取り出して咥えさせた。もちろん、おしゃぶりストラップのクリップをよだれかけの縁に留めるのも忘れない。
「あ、だったら、これも」
 美沙がよだれかけを着け、美幸がおしゃぶりを咥えさせるのを見て、茉莉がベッドの毛布を捲り上げ、毛布の下に隠れていたガラガラを持ち上げて真衣に握らせた。
 そうすると、本当は高校の保健室だというのに、まるでどこかの託児所の一室で、預けられている幼児を職場体験の高校生が面倒をみてでもいるかのような光景になってしまう。しかも、それは見た目だけではない。放課後になってすぐ保健室にやって来た真衣が宿題を始める直前におむつを汚してから今で一時間半ほどになる。まだ尿意は我慢の限界ぎりぎりという段階ではないが、乳首や哺乳壜、おしゃぶりといった物を口にふくむと勝手におしっこが出てしまうという段階には達している。そんなところへ美幸の手でおしゃぶりを強引に咥えさせられたものだから堪らない。真衣は不安げな様子で三人の顔をきょときょと見比べたかと思うと、その目にじわっと涙を浮かべ、傍で見ていてもわかるほどぶるっと腰を震わせた。そう、おしゃぶりを咥え、丈の短いワンピースの胸元を大きなよだれかけで覆われ、右手にガラガラを持ってトドラーシューズを履いた、託児所に預けられた幼児と言われても違和感のない外見そのまま、真衣は、スカートの裾から三分の一ほど見える丸く膨らんだボトムスの中に隠したおむつを、じわじわと溢れ出るおしっこで濡らし始めてしまったのだ。

 しかも、意地悪な神様の悪戯なのか、恥辱の連鎖が途切れることはない。
 真衣が身震いしながらおむつを汚している最中にインターフォンの呼び出し音が鳴り響いた。
「はい、どうしました?」
 ただでさえ涙目なのに今こんなところに誰か入って来たらと思うと今にも声をあげて泣き出しそうになる真衣の顔を面白そうに見やって、美幸は相も変わらぬ事務的な声で応じた。
『ソフトボール部の者です。走塁の練習中、選手どうしがぶつかって一人が怪我をしました。診ていただけますか』
 インターフォンから返ってきたのは、慌てた様子の声だった。
「わかりました。すぐに開けるから、そのまま連れて入ってください」
 怪我人と聞いては美幸ものんびりしていられない。美沙たちに向かって目配せをすると、返事を待つこともなく解錠ボタンを押した。
「や、やだ……」
 どうしていいかわからない真衣は、下腹部から伝わってくるぐっしょり濡れた感触に両脚をもじもじ擦り合わせながら、美沙と茉莉に向かって助けを求めるにうな目を向けるだけだ。
「茉莉、ベッドの毛布をもっと大きく捲り上げて。そう、それでいいわ。真衣ちゃんは急いでベッドに上がるのよ。着替えている暇なんてないから、そのまま体の上から毛布をかぶってごまかすの」
 美沙は、茉莉が毛布を足元の位置まで捲り上げるのを待って、真衣の体をベッドの上に抱き上げた。
 その間、真衣はただ身をすくめ、言われるまま美沙の背中に腕をまわしたり、すがるようにつかんだ手を握ったり離したりするだけだった。もっとも、溢れ出るおしっこでおむつを濡らしている最中にてきぱき動けるわけもないから、それも仕方のないことではあるのだが、それにしても、その仕草は、まだ自分では何もできない幼児そのままだった。
 ソフトボール部のマネージャーらしきジャージ姿の生徒がユニフォーム姿の生徒を連れて保健室に入ってきたのは、美沙が真衣をベッドに横たえさせ、鼻のすぐ下まで体を毛布で覆い隠してしまった直後のことだった。
「お願いします、先生」
 ジャージ姿の生徒はユニフォーム姿の生徒を美幸の向かいの椅子に座らせ、いかにも心配そうに言った。
「わかりました。じゃ、先ず外傷の確認から始めるわね。ぶつかった拍子に転倒して地面に膝を擦ったのかな。とにかく、消毒をして、それから――」
 美幸はすぐに真剣な面持ちで診察を始めた。
 一方、てきぱきと処置してゆく美幸の姿に、ジャージ姿の生徒は安堵の溜息をつき、診察の邪魔にならないよう身を退いた。
 と、その時になってようやく美沙たちがいることに気がついたのか、少し驚いたような顔になる。
「誰かと思ったら、三沢さんじゃない。そういえば、中等部からソフトボール部の敏腕マネージャーだったっけ。練習試合の相手をみつけてくるのもうまいって聞いたことがあるわよ」
 こちらも突然のことにいささか慌てた様子の茉莉だったが、ジャージ姿の生徒が同じクラスの級友だと気づくと、打ち解けた様子で声をかけた。
「あら、園田さんと杉下さんだったのね。佐藤さんの付き添い? クラス委員長や保健委員とはいっても、今日は朝から大変だったわね」
 話しかけられた級友は、茉莉と美沙の顔を順番に見た後、毛布にくるまってベッドに横たわっている真衣に気がついて、ねぎらうように言った。
 が、毛布が真衣の鼻のすぐ下までかかっているのを見ると、怪訝な表情を浮かべて
「それにしても、これじゃ佐藤さんが暑がるんじゃない? 毛布はもう少し下までの方が……」
と言って、毛布に手を伸ばしかける。
 それを美沙が
「あ、いいのよ、そのままで。佐藤さん、悪寒がするってさっきまで震えていたの。だから、毛布はそのままにしておいて」
と説明して、今にも毛布に届きそうになっている級友の手をやんわり押しとどめた。
 もちろん、美沙の説明は事実とは異なる。真衣にしても、もうすぐ五月というこの季節、毛布にすっぽりくるまって暑くないわけがない。しかし、そうしなければならない理由があった。それは、咥えたままになっているおしゃぶりのせいだ。おむつを汚している最中にインターフォンの呼び出し音が鳴ったものだから、真衣は反射的におしっこの流れを止めようとした。だが、いったん溢れ出したおしっこを止めることはできない。それでも誰かが保健室に入ってくるという怯えのせいで、ついつい、なんとしてでもおしっこを止めようと無駄な努力をしてしまう。そのせめぎ合いで、おしっこは勢いよく迸り出ることもかなわず、かといって完全に流れが止まるわけでもない、少しずつじくじくと溢れ出るような状態になってしまい、その結果、膀胱が空になるまでには普段に比べて何倍も長い時間が必要になってしまった。その間も、下腹部に肉体的な痛みまで覚えるあの苦痛きわまりない尿意がいつまた高まってくるかもしれないという恐怖が先に立って、尿意から解放される唯一の拠り所であるおしゃぶりを口から離すことができないでいた。そのおしゃぶりを級友の目から隠すためには、どうしても毛布を口まで覆いかぶせる必要があったのだ。
「そうだったの? でも、佐藤さん、なんだか顔が赤いわよ。やっぱり暑いんじゃないかな。ま、鈴木先生が一緒だから大丈夫だとは思うけど」
 美沙の説明を受けた級友はそれでもまだ納得できない顔つきながら、同じクラブの仲間を診察してくれている美幸の顔にちらと目をやって、不承不承といった様子で手を引っ込めたが、その言葉通り、真衣の顔は真っ赤に上気していた。
 しかし、それが、暑いからではなく、級友の目の前で赤ん坊そのままの格好をしてベッドに横たわり、級友たちが縫い上げたおむつをとめどなく溢れ出るおしっこで濡らす羞恥のせいなのは言うまでもない。おねしょシーツの上に横たわっておむつをじくじく濡らす真衣には、一刻も早く保健室に静寂が戻るよう願うことしかできなかった。



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