ルシファーのまどろみ・完結編その一



 内線電話の呼出音が鳴ったのは、京子が恵への授乳を始めてから十五分ほど経った頃のことだった。
 受話器を取り上げ、事務的な口調で短い会話を終えた美和は京子に
「面談の連絡が入ったから、保健室の隣のカウンセリングルームに行ってくるわね。少し時間がかかると思うから、メグミちゃんにおっぱいをあげるのが終わったら、私が戻ってくるのを待たずに宿舎に帰ってちょうだい。バスの時間はわかっているわよね?」
と話しかけ、京子がこくんと頷くのを見て、足早にドアを出て行った。


 美和が待つカウンセリングルームのドアを開けて姿を見せたのは、雅美だった。
「ごめんなさいね、服部さん。いろいろと忙しいでしょうに、わざわざ来てもらって」
 美和は雅美に労いの声をかけ、自分の向い側に座るよう促した。
 美和の言葉からわかるように、この面談は雅美が依頼したのではなく、美和の方から雅美に、児童会を担当する教諭を通じてカウンセリングルームまで来てほしいと伝えて実現したものだ。
 美和が雅美と面談を行う目的は、ただ一つ。かつて京子をそうしたように、今度は雅美を自分の協力者に仕立てるためだ。だが、あからさまにその目的を言葉にするような美和ではない。美和にかかれば、雅美自身にそれと気づかれることなく、言葉巧みに彼女を協力者に仕立てることなど造作ない。
「単刀直入に訊くけど、服部さんは坂本さんのこと、どう思う?」
 美和は、目の前の雅美に向かって、わざと曖昧な質問を投げかけた。
「え? どう思うって言われても……」
 突然の問いかけに雅美は要領を得ない表情を浮かべたが、ややあって
「……とっても可愛い女の子だと思います。なんとなく引っ込み思案というか人見知りするようなところがあって、おどおどしている感じもあるんですけど、暗いとかそういうんじゃなくて、なんていうか、自分に自信がないっていうか、誰かを頼りにしちゃうような雰囲気があって、それで、こっちが守ってあげなきゃって思えるような、同級生なんだけど、なんだか、ちょっと手間のかかる下級生とか妹とか、そんな印象を受けました」
と、考え考え答えた。
「なるほど、『ちょっと手間のかかる下級生とか妹とか』ね。勘がいいのね、服部さんは。実は坂本さん、服部さんの印象通りの子なのよ。担任の先生からも簡単なことは聞いていると思うけど、或る病気が原因で、家庭でも学校でも、誰かが面倒をみてあげないとちゃんと生活できないのよ、坂本さんは。それで、いろいろお世話をするために井上さんが一緒に転校してきたんだけど、中学校と小学校に別れてちゃ、なにかと行き届かないこともあってね。それで、服部さんには、日ごろから坂本さんのことを気にかけてもらって、何かおかしな様子があったらすぐに私に連絡してもらえないかと思って、そのことをお願いするために、ここへ来てもらったの」
 美和がすっと目を細めて言った。
「え? そんなことだったんですか? 先生が私を呼んだのは」
 わざわざカウンセリングルームへ来るよう養護教諭から指示されたものだから何か大変なことがあったのだろうかと身構えてやって来てみれば、新しい同級生の様子を気遣ってやってほしいというさほど難しいわけでもない依頼をされ、いささか拍子抜けな思いにとらわれて、雅美は胸の中で安堵の溜息をつきながら聞き返した。
「ああ、ごめんなさい。余分な緊張をさせてしまったみたいね。実は、今のところ理事長先生と校長先生にしか話してないんだけど、井上さんも坂本さんも私とは遠縁の親戚でね。養護教諭としてはもちろんだけど、個人的にも、坂本さんのこと、病気のせいで学校生活がちゃんと送れなかったらどうしようかと随分心配していたのよ。だから、服部さんみたいに面倒見がよさそうな子がいると、ついついお願いしたくなっちっゃて、でも、他の生徒の前では言いにくいことだから、わざわざここまで来てもらったの。手間をかけさせて本当にごめんなさいね」
 聞き返す雅美に、美和が少しばかり大げさとも思えるくらいの身振り交じりに説明し、いえ、そんなと恐縮する雅美の目の前にタブレットを置いた。
「児童会室で私、『坂本さんには日に何度も検診を兼ねたケアが必要なの』と話したけど、そのこと、憶えている? 実はちょうど今、保健室で井上さんが坂本さんをケアしている最中なのよ。せっかくだから、坂本さんにはどんなケアが必要なのか、服部さんにも知っておいてもらった方がいいと思うの。だから、これを見て」
 美和がタブレットの画面をスワイプすると、雅美にも見覚えがある保健室の様子が映し出された。そして画面の中央には、ベッドに腰掛けている二人の女生徒の姿。
「これって……メグミちゃんと井上さんですか? 下を向いているから顔がはっきり見えないけど、この体の大きさ、たぶん井上さんですよね? でも、二人で何をしているんだろう?」
「そうね、天井に取付けてあるカメラだと、井上さんの顔はよく見えないわね。それに、構図があまりよくないから二人が何をしているのかもわかりにくいかな。じゃ、別のカメラの映像にしてみようか。ああ、そうだ。念のために言っておくけど、坂本さん以外の生徒が保健室に来てもカメラで監視することはないのよ。これは坂本さんの具合を調べるために病院の人が特別に設置してくれたカメラで、顔色とか瞳の揺らぎ具合とか唇の動かし方とかで、体調を崩していないかとか、どんな心理状態にあるのかといったことをAI技術で判断するために使うことになっているの。坂本さん以外の生徒のプライバシーは絶対に守るから。それは安心してね。――さ、この映像はどうかしら」
 そう言って美和がタブレットの画面を何度かタップすると、京子の胸元を正面からとらえたアングルの映像が映った。
「あ、やっぱり、ベッドに腰かけているのは井上さんだ。それで、ええと、メグミちゃんは井上さんの太腿にお尻を載せて座っているのかな? でもって、井上さんの体にもたれかかって……え? ええ? メグミちゃんの口、井上さんの胸に……」
 そこまで言って、タブレットの画面を覗き込んだまま雅美は言葉を失った。
「そうよ、坂本さんは井上さんのおっぱいを吸っているのよ。井上さんの綺麗なピンクの乳首を咥えてね」




 雅美の困惑ぶりをよそ目に、美和は画面を軽くスワイプした。すっと映像が流れて、恵の下半身が大映しになる。
「スカートを脱いでいるから、坂本さんの下着がよく見えるでしょう? たしか、服部さんは児童会の活動で週に一度、こども園で小っちゃい子の面倒をみているのよね。だったらわかるでしょう? 坂本さんの下着が何なのか、小っちゃい子の面倒をよくみている服部さんにはすぐにわかるわよね?」
 美和は、恵のお尻のあたりを指先でとんと叩いた。
「……本当なんですか? メグミちゃん、本当に……」
 雅美はタブレットの画面を凝視したまま、浅い呼吸を何度も繰り返して声を震わせた。
「そうよ、本当よ」
 美和はわざと素っ気なく答えた。
「メグミちゃん、本当に……お、おむつをして、井上さんの、おっぱいを……で、でも、どうして!? 私と同じ小学五年生にもなって、どうしてメグミちゃん、おむつとおっぱいなんですか!?」
 雅美は上目遣いに美和の顔をちらと見て、おそるおそる尋ねた。
「病気のせいなのよ。病気のせいで坂本さん、排泄機能が駄目になって、つまり、自分の意思ではおしっこを我慢することができなくなってしまったの。それと、病気を治療する方法の一つとして、食べ物と飲み物の成分を厳密に管理することになって、それで、井上さんのおっぱいしか口にできなくなっているのよ。――そのへんの事情は後で話すとして、先に病気の主な症状について説明しておくわね」
 美和は机の上で手を組み、静かに言った。
 雅美が曖昧に頷く。
「坂本さんは、次第に記憶がなくなってゆく病気にかかっているの。といっても、認知症みたいに記憶が脈絡なく欠落したり不意に戻ったりを繰り返しながら記憶全体が薄れてゆくんじゃなく、或る周期で新しい記憶から順に一定の期間の記憶がなくなってしまうの。たとえば、十日ごとに一年間ほどの新しい記憶が消えてしまうみたいにね。しかも本人には、記憶がなくなってしまったという意識さえない。実は昨日の朝にも記憶がなくなる症状が発現したんだけど、その時もそうで、自分の部屋で眠ったつもりなのに目が覚めたら全然知らないところにいたって言っていたわ。つまり、或る日、記憶としては一年前の昔の自分に戻ってしまうということになるのよ。昔の自分に戻ったということを意識しないままに」
「そんな……そんなの、治せるんですか?」
 雅美の顔から困惑の表情が消え、驚きと哀れみがない交ぜになった表情が浮かんだ。
「治してほしいからこそ、ご高名な笹野先生に直々にお願いしたのよ。先生としても初めての症例ということで随分と迷われたようだけど、最終的に治療に当たってみようとおっしゃってくださったの。しかも、今後の研究につながるかもしれないから治療費は一切受け取らないとおっしゃって。そんな経緯があって、学業も疎かにしないよう、笹野先生が懇意にしておられる遊鳥清廉学園の理事長先生のご厚意で坂本さんと井上さんは、研究所付属の病院に近いこの学校に編入させてもらうことになったというわけなのよ。付け加えて言うなら、高齢で辞意をしめしておられた前任者の後任として私もこちらで養護教諭の職を得ることができたの。……正直、治るかどうか、私にはなんとも言えないわ。今は笹野先生を信じて、その指示に従うことしかできない。ただ……」
 美和は努めて穏やかな声で説明していたが、最後に顔を曇らせた。
「……ただ、坂本さんは、自分が病気の治療中だという記憶さえ失っていてね、そのことを幾ら繰り返し説明しても、記憶をなくす症状が発現するたびに、そのことも忘れてしまうの。だから、坂本さん自身は自分がそんな病気にかかっているという自覚がないのよ。そのせいで、病院の先生方や私たちが幾ら病気の治療のためだからといって行動を制限しようとしても指図に従ってくれなくて我儘を通そうとすることも多いの。それで、これも服部さんにお願いしたいんだけど、病気のせいで坂本さんはこれからも新しい記憶をなくし続けて、いずれは、小っちゃな子供だった頃の記憶しか残らなくなる筈。その時、記憶をなくしたという自覚を持たない坂本さんは、小っちゃな子供そのままに振る舞うことになる。駄々をこねて我儘ばかり言う幼児に戻ってしまうのよ、坂本さんは。でも、それでも治療は続けなきゃいけない。せめて、それ以上は記憶をなくさないように。だから、坂本さんが少しでも我儘を言うようなら、遠慮しないで叱ってあげてほしいの。今はまだそれなりに理性も残っているけれど、いずれ幼児みたいに振る舞うようになってしまう時に備えて、今からきちんと叱ってあげる習慣をつけておいてほしいの」
(ああ、そうか。そういうことだったのね、メグミちゃん)
 美和の説明に、雅美は胸の中で頷いた。児童会室で何を質問されても曖昧な受け答えしかしなかった恵。あれは曖昧な受け答えしかしなかったのではなく、曖昧な受け答えしか『できなかった』のだ。新しい記憶から順になくなっていって、前の学校のことや、ひょっとしたら日ごろの生活のことさえ憶えていないのだ。
「さて、それじゃ話を戻して、坂本さんは井上さんのおっぱいしか口にできなくなっているということの説明をしておくわね。坂本さんの記憶がなくなるのは、何か特定の物質が脳細胞に蓄積して、いったん細胞に収納した記憶情報を読み出す機能を阻害しているせいだろうと笹野先生は見立てていらっしゃるの。それで、その物質が何なのかを調べる必要があるんだけど、調べるためには、坂本さんが無闇になんでも食べたり飲んだりしないよう制限しなきゃいけないのよ。それと、口にした物に含まれる成分を必要に応じていつでも調べられるような状態にしておかなきゃいけないんだって。だから、出来合いの物を口にするのは厳禁だし、家で調理した食事でも、スーパーとかで買ってきた食材に含まれる成分をいちいち検査しておくことなんてできないから、これも駄目。となると、坂本さんが口にできるのはサプリくらいしかなくなるんだけど、サプリだとビタミン類やミネラル類は摂取できても、体を動かすエネルギーに転化する炭水化物や、体を構成するタンパク質とかを摂取することはできない。こんな条件の下で坂本さんにきちんと栄養補給させるなんてとてもじゃないって病院のスタッフが諦めかけたところに笹野先生が出したアイディアがすごくてね。笹野先生は個人的に、自然界には存在しない様々なホルモンを人為的に合成する研究を行っていらっしゃるんだけど、その内の一つで、女性ホルモンの一種に似た構造式を持つ合成ホルモンを使えば、まだ赤ちゃんを産んだことがない人のおっぱいから母乳を出させることができるようになるんだそうよ。笹野先生は、その合成ホルモンを若くて体格に恵まれた女の人に服用してもらって、その人の母乳を坂本さんに摂取させることを思いついたの。その方法なら、その女の人が食べたり飲んだりした物の成分の内、有用な成分だけが母乳をつくり出す時に使われるから坂本さんが取込む成分はかなり限定されるし、坂本さんが口にするのと殆ど同時に母乳の成分を検査することだって簡単。それに、若くて体格に恵まれた人なら母乳をつくり出せる量も期待できる。そう、一種の完全食品である母乳を坂本さんに摂取させることで、大きな問題が解決することになるわけよ。ただ、その合成ホルモンを誰が服用するのかという新しい問題も発生するんだけど、それは、私にその役目をまかせてほしいと井上さんが自分から名乗りをあげて解決したわ。小さい頃から大の仲良しだった同い年の従姉妹の病気を治療するために自分の体を合成ホルモンの効き目を試す実験台に使ってもらってもいいと名乗り出た健気な井上さんのおかげでね。それと、おむつのことも話しておくとね、これも笹野先生の推測なんだけど、記憶をなくす原因になっている物質が神経系統に広く悪影響を及ぼしているのか、脳と膀胱の間で信号をやり取りする仕組みがきちんと働かなくなっているみたいで、膀胱におしっこが溜まってもなかなか尿意を感じないし、よほど切羽詰まって尿意を感じた時にはもう間に合わないという状態になってしまっているらしいの。しかも、坂本さんが口にするのは井上さんの母乳ばかりだから、どうしても摂取する水分が多くなって、おしっこの回数や量も増えちゃうのよ。そんなことが合わさって、どんなに注意していても普通の下着じゃ生活できなくなっちゃってね。だから、井上さんと同い年なのに、赤ちゃんみたいにおむつなのよ、坂本さんは」
 美和は静かな口調でそこまで一気に話し終えて、ようやく一区切りつけた。
 そこへ、説明に聞き入っていた雅美が
「え? 梶田先生、『同い年の従姉妹』とか『井上さんと同い年なのに』っておっしゃいました? メグミちゃんと井上さん、同い年なんですか? 小学五年生のメグミちゃんと中学一年生の井上さんが?」
と、怪訝な表情を浮かべて尋ねた。
 尋ねながら雅美は児童会室での恵の様子を再び思い出して
(はっきりじゃなかったけど、メグミちゃん、前の学校で井上さんと同級生だったみたいなことを言っていたよね。あれって、私の思い違いなんかじゃなかったのかもしれない。だけど、だとしたら、どうして……)
と胸の中で呟いていた。
「ええ、同い年よ、二人は。ただ、さっきから話している通り、坂本さんは次第に記憶を失っているの。もちろん、知識も欠落してゆくわよね。そして、いずれ、本来の学年の授業についてゆけなってしまう。だから、予め学年を下げて転校することにしたのよ。たぶん、もう何ヶ月か経ったら五年生の授業にもついてゆけなくなって、もっと下の学年に移らなきゃいけなくなるんじゃないかしら」
「……メグミちゃん、本人は今、自分の年齢を幾つだと思っているんですか? 今、何歳までの記憶が残っているんですか?」
 雅美はタブレットの画面をスワイプし、京子の乳首を盛んに吸う恵の顔と、恵のお尻を包む青地に水玉模様のおむつカバーとを見比べながら、ぽつりと尋ねた。
「正確なことはわからないけど、およその雰囲気だと、最近一年間ほどの記憶をなくしている感じかな。たぶん本人は、小学六年生のつもりでいると思うわ」
「そうなんですか。メグミちゃん、本当は井上さんと同じ中学一年生で、記憶をなくした今は小学六年生のつもりでいるんですね。なのに五年生のクラスに入れられちゃうなんて恥ずかしいでしょうね。記憶をなくしたことを知らない本人にしてみれば、理由もわからないまま『逆進級』させられちゃったわけだから、とってもびっくりして、とっても恥ずかしいでしょうね。しかも、小学六年生のお姉さんのつもりなのに赤ちゃんみたいにおむつをあてられちゃって、すごく恥ずかしいでしょうね」
 頬を仄かに赤く染め、上気したようなうっとりした目でタブレットの画面をみつめて雅美は呟き、つい口に出して言ってしまいそうになる
(メグミちゃんが我儘を言ったら叱ってあげて、おむつのお世話をしてあげて、井上さんのおっぱいを飲ませるお手伝いをしてあげたいんです。そうやって、本当は私より年上のメグミちゃんを妹みたいにして可愛がってあげたいんです。うふふ、そうしたらメグミちゃん、どんな顔をして恥ずかしがるかな。その時のメグミちゃん、とっても可愛い顔をするんだろうな)
という言葉を慌てて飲み込むと、にこりと微笑んで 
「私、児童会室で先生に言いましたよね。『何か手伝えることがあったら言ってくださいね。どんなことでもいいから、言いつけてください』って先生にお願いしましたよね。私、メグミちゃんのお世話をしたいんです。井上さんを手伝って、メグミちゃんの面倒をみてあげたいんです」
と美和に告げた。

 美和が雅美に言って聞かせたのは、事実とは異なる偽りの説明だった。それだけでなく、一年間ほどの記憶をなくして目覚めた恵の耳元に繰り返し囁き聞かせたのとも異なる、更なる偽りの説明だった。
 恵の年齢が実は十七歳であることも、恵が実は男の子であることも、美雪が恵の病気を治療しようとしているのではなく逆に実は美雪こそが恵の記憶を奪っている元凶であることも、恵がおむつ離れできない理由が実は病気の治療のためなどではないことも、様々なことを巧妙に押し隠した、雅美を協力者に仕立て上げるための、虚実取り混ぜ脚色した、都合のいい説明。
 だが、雅美を自分たちの側に引き寄せるには充分に効果のある説明だった。
 現に雅美は、美和の説明を易々と信じ込み――あるいは、信じたふうを装い――美和への協力を自ら申し出たのだから。


 こまごました打合せを美和と雅美がカウンセリングルームで続ける一方で、授乳を終えた京子は恵の手を引いて保健室をあとにし、恵の教室に足を運んで帰り支度を整えてから、恵を連れたまま自分の教室へ戻ろうとしていた。
 そこへ、ビジネススーツ姿の大柄な女性が足早に廊下を近づいてくる。
「あら、井上さんとメグミちゃん。今から帰るの?」
 先に声をかけたのは、女性の方だった。
「あ、浜野さん。なんだか慌てているみたいだけど、どうしたんですか?」
 ぺこりと頭を下げて京子が応じた。
 だが一緒にいる恵は、おどおどした様子で京子の背後に隠れてしまう。
「あらあら、いつ会ってもメグミちゃんは恥ずかしがり屋さんだこと」
 浜野さんと呼ばれた女性は恵に向かって穏やかに笑ってみせた後、視線を京子に戻して
「会議が予定よりも長引いてね、それで、優香におっぱいをあげる時間に遅れちゃいそうなのよ。本当は二人に新しい学校の感想とかも聞きたいんだけど、優香がお腹を空かせて待っていると可哀想だから、お話は今度またゆっくりすることにして、今は、こども園の園舎に急ぐわね。私としても、早く優香に飲んでもらわないとおっぱいが張っちゃって痛くてたまらないし。じゃ、バスを乗り間違えないよう気をつけて帰るのよ」
と言って肩をすくめてみせると、ビジネススーツの上からもそれとわかる豊満な乳房を揺らしながら人なつこい笑顔で手を振り、廊下の奥へ足早に姿を消した。

 街の後背地は小高い丘になっていて、丘の中腹に慈恵会の応用医療技術研究所と付属病院や関連施設が建っている。そして街外れと研究所の中間あたりには、研究所と関連施設に勤務する者の内、家族と共に暮らす職員たちの宿舎が立ち並ぶ区画がある。
 その内の一軒を美和たちは美雪の厚意で無償貸与してもらっているのだが、美和たちが暮らす宿舎の隣の棟に住んでいるのが浜野美香だ。恵や京子に先んじて宿舎で暮らし始めた美和が周りから伝え聞いたところでは、美雪は若い頃、現場経験を積むために医師が一人しかいない小さな医院に赴任していたことがあり、その時にナースとして働いていたのが美香らしい。ただ、美香はナースの資格を有するにとどまらず、経理や組織マネジメントにも精通しており、一人で幾つもの職務をこなして、若き日の美雪を大いに支える存在だったという。そして美雪が慈恵会の理事に名を連ねることになった際に美香は秘書室への異動を命じられ、それ以後、美雪に付き従って、様々なプロジェクトを成功裡に導いてきたという。
 そのような経緯で本来は美雪付きの秘書室職員である美香だが、遊鳥清廉学園の理事長である紗江子と美雪が昵懇の仲という事情に加え、紗江子と美雪が手を組んで中央省庁に対して影響力を行使する機会が増加する中、現在の美香は慈恵会からの出向で、慈恵会と遊鳥清廉学園との間で重要な情報を共有するための任務を主とする遊鳥清廉学園の理事長付特別秘書の職責にある。
 そのような輝かしい経歴の持ち主である美香には幼い娘が二人いて、上の娘の名は優香、下の娘は祐香という。しかし事情があって、遊鳥清廉学園とも取引のある大手衣料品店のオーナー社長である鈴本真由美のもとに祐香が養子として引き取られたため、現在は優香だけの一人娘となっている。遊鳥清廉学園に出向するに際して美香は優香を遊鳥こども園の年長クラスに入れ、勤務中は園で娘の面倒をみてもらっているのだが、優香が入園するのとほぼ時を同じくして、鈴本家に養子として引き取られた祐香も、特別年少クラスの園児として遊鳥こども園に入園してきた。傍目にも仲のいい姉妹だった優香と祐香は離れ離れになって誰の目にも明らかなくらいしょげかえっていたのが、こども園の中だけとはいえ再び一緒にいられることになって二人とも大喜びしたものだが、一つだけ困ったことがあった。それは、優香のおもらし癖の再発だった。もともと年齢のわりにおむつ離れの遅かった優香だが、美香の甲斐甲斐しいトイレトレーニングの成果もあって、他の子供よりもだいぶ遅くはなったものの、ようやくおむつが外れ、年長クラスの園児として遊鳥こども園に入園することがかなった。しかし、園で祐香との思いがけない再会を果たし、(特別年少クラスは園児が少ないため、比較的手のかからない年長クラスの園児と遊ばせることが多く)時が経つのも忘れて二人仲良く積み木遊びに興じているうちに尿意が高まってきていることにも気づかず、とうとうしくじってしまったのだ。そのことを年長クラスの他の園児たちに囃し立てられ、ようやくおむつが外れてお姉さんパンツになれたという子供ながらの矜持を無残に打ち砕かれたことが相まって、それからもかなりの頻度で優香は粗相してしまうようになってしまった。そして、年長クラスの担任教諭や副園長である(田坂姓を改め)御崎薫がどれほど指導しても優香の再びのトイレトレーニングはめぼしい成果をみせず、遊鳥清廉学園特有の制度である『逆進級』の対象となって、妹である祐香がいる特別年少クラスに入れられてしまうことになったのだった。だが、優香にとって逆進級措置は屈辱でも羞恥でもなく、むしろ大好きな妹と一緒にいられる時間が増える好機であったようで、一時はあれほど憧れ望んでいたお姉さんパンツを脱がされ、妹とお揃いの動物柄の布おむつをあてられ、キャンデー柄のおむつカバーでお尻を包まれる時も嬉々とした表情を浮かべていた。それどころか最近ではちゃんとした食事をとることを頑なに拒み、幼い妹と同様に母乳をせがむようになり、とうとう根負けした美香が、職務の合間をぬって三時間おきにこども園の園舎に足を運び、祐香の養母である(上野姓を改め)鈴本香奈と並んで授乳するようになっているのだった。

「小っちゃな子がいるお母さんはみんな大変ね。仕事で忙しい中、むずがる子におっぱいをあげなきゃいけないし、いつまでもしくじっちゃう子のおむつを取り替えてあげなきゃいけないしで」
 足早に去って行く美香の後ろ姿を見送った京子は曰くありげに恵の顔を見おろし、わざと大げさに溜息をついて
「もっとも、幼稚園児みたいな小っちゃな子じゃないのにおっぱいをせがんだり、一日に何度もおむつを汚しちゃう困った子も近くにいるんだけどね。メグミは、美香さんと私、どっちが大変だと思う?」
と言って恵をからかい、くすりと笑って、
「来年の母の日を楽しみにしているわよ。カーネーションの一本でももらえたら、一年中の苦労も吹き飛んじゃうんじゃないかな」
と、とびきり優しい笑みを浮かべた。


 バスの中からスマホを使ってエアコンを作動させておいたおかげで、宿舎は二人が帰宅した時には気持ちのいい温度になっていた。

 京子は先に自分が制服を脱いでトレーナーとジーパンという寛いだ格好になってから、
「学校じゃ五年生のお姉さんのふりをしなきゃいけなくて疲れたでしょう? でも、もう大丈夫よ。お家の中では、こんな窮屈な格好しなくてもいいからね。さ、メグミにお似合いの可愛いお洋服に着替えさせてあげるようね」
とわざとのように優しく言って聞かせながら、慣れた手つきで恵の吊りスカートを脱がせた。
「で、でも、恥ずかしい。可愛いお洋服、恥ずかしい」
 あらわになったおむつカバーを見まいとして京子の顔を振り仰ぎ、拗ねたような甘えたような口調で恵が言う。
「可愛いお洋服が恥ずかしいだなんて変なことを言うのね、メグミは。幸子ママのお家じゃ、いつも里美ちゃんとお揃いの可愛い格好で仲よく遊んでいたでしょう? なのに可愛いお洋服が恥ずかしいだなんて」
 胸元のリボンタイを外し、ブラウスのボタンに指をかけて、京子は小首をかしげてみせた。
「だけど恥ずかしいの。だって、京子ママの言う可愛いお洋服って……」
 そう言って目の前のポールハンガーに掛けてある衣類をちらと見た恵の頬が紅潮する。
「可愛いでしょう? お引っ越しの前の日に幸子ママが里美ちゃんとお揃いでつくってくれて、二人並んで記念に写真を撮ったよね」
 ブラウスのボタンを外す手を止めて、京子はスマホを恵の目の前に差し出した。
 画面には、恵とお揃いの格好をして嬉しそうにしている二〜三歳くらいの女の子が写っていた。記憶消去反応が発現する前に撮った写真だから自分と並んで写っている幼女が誰なのか恵にはわからなかったが、それが里美という子なのだろうと察することは容易だ。いずれにしても、まだおむつ離れできていないことが明らかな幼女と瓜二つの装いに身を包んだ自分が(幾分は恥ずかしそうにしてはいるものの)満更でもなさそうな笑顔で写っている写真を見るのは羞恥の極みだ。だが、その羞恥をこれから何度も恵は味わうことになる。どんなに恥ずかしい格好であっても、ごく親しい者の目しかない状況でなら幾らかは慣れることができるだろう。しかし、繰り返し記憶を失う定めにある恵は、記憶をなくすたびに、以前は親しかった筈である者を初対面の人物としか認識できず、顔を憶えている者でさえも、どれだけ親しくしていたのか思い出すことができなくなってしまう。そのような状況のもと、幾分は慣れた筈の装いであっても、初めて身に着ける恥ずかしい装いを初対面の人物の目にさらす限りない羞恥に胸を焼かれる羽目になるのだ。記憶を失うたび、何度も繰り返し、決して馴れることのない羞恥に。
「着替えて、今のメグミの様子を写真を撮って幸子ママに送ってあげようよ。こっちでも元気にしているよって可愛い写真を送ってあげようよ」
 スマホをジーパンのポケットにしまい、ボタンを外し終えてブラウスを脱がせた後、両手を上げさせて淡いピンクのタンクトップを脱がせながら、はしゃいだ声で京子は言った。
「で、でも……」
 恵はおそるおそる、もういちどポールハンガーに目をやった。
 ポールハンガーに掛かっているのは、オフホワイトの柔らかそうな生地でできた三分袖のロンパースと、丸っこいラインに仕立てたキャミソールチュニックだ。どちらも、いかにも小さな子供向け、というよりも、赤ん坊向けにデザインされた衣服だが、サイズは恵が着てちょうどになるよう仕立ててあるのが一目でわかる。
「さ、これを外しちゃえばおしまいよ」
 京子は、恵がタンクトップの下に着けているジュニアブラのホックに指をかけた。小学五年生ともなると、ブラを着け始める子もぼちぼち現れる。それを口実に、ブラを着ける子がたくさんいる中、メグミだけ着けてなかったら可哀想だし、これを着けておけばメグミが本当は男の子だってばれにくいわよという京子の『心遣い』で転校に際して着用させられるようになった、小花の刺繍をあしらった純白のジュニアブラ。だが、胸の膨らみなどあるわけがない恵だから、ブラがずれて、カップの位置が妙におかしなことになっている。それを京子は
「大丈夫よ、心配しなくても。メグミはママの娘だから、いつか、ママみたいに大きくなるわよ。だから、今はまだぺったんこでも、心配しなくていいのよ」
と言って『慰め』ながら、ホックを外してジュニアブラを剥ぎ取ってしまう。
「これで、お姉さんのお洋服は全部脱がせてあげたわよ。小学校へ行っている間はおむつが濡れてもお友達に知られないように注意をしなきゃいけなかったし、おっぱいが欲しくなっても休憩時間になるまで我慢しなきゃいけなかったし、スカートが捲れておむつのことを知られないようにおしとやかに歩かなきゃいけなかったし、椅子に座る時も脚を開かないよう気をつけなきゃいけなかったし、すごく窮屈だったよね。小学五年生のお姉さんでいるのって、すごく大変だったよね。でも、もういいんだよ。もうお家に帰ってきたから、メグミは赤ちゃんに戻っていいんだよ。小学生のお姉さんのふりなんてしなくていい、本当のメグミに戻っていいんだよ。赤ちゃんならおむつを汚すのも当たり前だし、おっぱいがほしくてぐずるのも当たり前だし、おむつが見えるのもお構いなしに元気に動きまわるのも当り前なんだよ。だから、どんなことも好きにできる赤ちゃんに戻ろうね」
 全裸におむつカバーと白のソックスだけという倒錯的な姿の少女。かなわぬことと知りつつも両手の掌をできるかぎり大きく広げておむつカバーを覆い隠そうとし、左右の腕を交差させて二の腕の僅かな膨らみで固い乳首を隠そうとする、華奢で儚げな少女。けれど実は十七歳の男の子。そんな恵の耳許に京子は甘ったるい声で囁きかけた。
 それに対して恵は、ぞくりと体を震わせつつも
「やだ。メグミ、赤ちゃんじゃない」
と弱々しくかぶりを振る。
「ふぅん、メグミは赤ちゃんじゃないんだ。だったら、おっぱいなんて要らないよね。それに、赤ちゃんじゃないんだったらおもらしなんてするわけないから、おむつがどんなに濡れていても取り替えてもらう必要なんてないよね。おむつがぐっしょり濡れておむつカバーから漏れ出して、スカートを汚しちゃって、お友達にくすくす笑われても取り替えてもらわなくて大丈夫だよね」
 恵の抗弁に対して京子はわざとらしい笑みを浮かべ、抑揚のない声で言った。
「……」
「そっか。メグミはおっぱいなんて要らないんだ。だったら……」
 返事をしない恵の目の前で、やおら京子が、さっき着替えたばかりのトレーナーを脱ぎ捨ててベッドの上に放り投げ、授乳ブラに包まれた乳房をぷるんと揺らしてみせた。
「あ……」
「メグミはおっぱいなんて要らないんだから、ママ、こんな可愛くないブラなんて着けなくていいよね。もっと可愛いブラに替えちゃおうかな」
 トレーナーに続いて京子は授乳用ブラもベッドの上に投げ捨て、上半身裸になった。
 恵の目が、じっとり湿った京子の乳首に釘付けになってしまう。
「もういちどだけ訊くけど、小学五年生のお姉さんはおっぱいなんて要らないんだよね?」
 恵の顎先に指をかけて上を向かせ、京子はわざとらしい笑顔のまま念を押した。
「メ、メグミ……」
 恵は唇を震わせ、今にも泣き出しそうな顔になる。
「それとも、お姉さんぶってみたくて強がりを言っただけなのかな? 小っちゃい子はお姉さんの真似っこをしたくなることがあるそうだから」
「……メグミは……」
「どっちなの? メグミは、おっぱいなんて要らないお姉さんなの? それとも、本当はおっぱいが欲しくてたまらないけどお姉さんぶってみただけなの? どっち?」
 メグミは赤ちゃんなの、それとも赤ちゃんじゃないの。そんなふうに訊かれたら、恵はまだ答えていなかっただろう。しかし、おっぱいが欲しいの、それとも欲しくないのと訊かれたら。
「……可愛いお洋服着たら、おっぱい飲んでもいい?」
 自分が京子に決して抗えないことを改めて恵は思い知らされた。これから先も、記憶を失うたびに何度も何度も繰り返し、恵は京子に手懐けられ、屈服させられ、依存させられる定めにあるのだ。

 性別も年齢も曖昧で、そこにいるのが真実とは信じ難い、少女であり少年であり童女であり青年であるような、不思議な存在である恵。そんな恵の両手を上げさせ、四つ並ぶボタンを外して股布を大きく広げたオフホワイトのロンパースを頭の上からすっぽりかぶせた京子は、細っこい腕をロンパースの三分袖に通させ、ロンパースの裾をすっと引き下げて、股間に並ぶボタンを四つわざとゆっくり留めながら
「どうしてこんなところにボタンが付いているのか、メグミはわかる?」
と、ねっとり絡みつくような声で問いかけた。「……」
 それが何のためのボタンなのか、恵にもわかっている。最初の記憶消去反応が発現した日も、宿舎にいる間はずっとこれと同じようなインナーを着せられ、何度も股間のボタンを外され、そのたび、ぐっしょり濡れたおむつを京子や美和の手で取り替えられた。記憶消去反応が発現する前のことは憶えていなくても、その日に繰り返し味わった羞恥や屈辱は、忘れたいと願っても忘れられずに胸を疼かせている。胸を疼かせて、「そのボタンはね、いつしくじっちゃうかもしれない赤ちゃんのおむつを取り替えやすくするために付いているんだよ。ボタンを外してお股の布を大きく広げておむつを取り替えやすくするために付いているんだよ。おむつを取り替え終わったらお股の布を閉じてボタンを留めて、恥ずかしいおむつカバーを隠しちゃうために付いているんだよ。でも、おかしいよね。いくらおむつカバーを隠しちゃっても、お股にボタンが付いているロンパースを着ていたら、おむつをあてていることなんてすぐにわかっちゃうのにね。なのにわざわざおむつカバーを隠そうとするなんて、とってもおかしいよね」と、羞恥と屈辱の念は恵に囁きかけてくる。それが何のためのボタンなのか、恵にわからない筈がなかった。けれど恵は、それを口にできずにいる。
「ま、いいわ。ボタンの意味はメグミが一番よく知っている筈だから。さ、次はこれよ。インナーのままだなんて恥ずかしいから、ちゃんとトップスも着ようね。なんたって、メグミはレディだもの。まだおむつが外れなくて手がかかるけど、それでもレディだもの」
 ロンパースに続いて京子は、幅の広い肩紐の縁がレース仕立てになっているキャミソールチュニックを恵の頭の上からかぶせ、手早く肩紐の位置を調整して裾を引き下げ、皺を伸ばしながら全体の形を整えた。
 チュニックの丈は内腿の付根あたりの長さになっていて、おむつでぷっくり膨らんだロンパースのボトムス部分を完全には覆い隠せず、おむつを取り替えやすくするためのボタンが股間に並んでいる様子や、ロンパースの股ゴムが太腿をむっちりと締め付けている様子が見え隠れして、それが幼児特有のあどけない可愛らしさを強調すると同時に妙な倒錯感を漂わせ、ただでさえ実際の年齢よりもずっと下に思える恵の姿をますます幼く見せると共に、ぞくりとするような艶めかしさを醸し出す。
「あとは、お姉さんソックスを可愛いソックスに履き替えて――はい、できた。こっちへ来て自分の目で見てごらん」
 学校指定の純白のソックスを、くるぶしのあたりにボンボン飾りをあしらったコットンの可愛らしいソックスに履き替えさせた京子は、恵の手を引いて姿見の鏡の前に連れて行き、その直後にすっと手を離して恵の側から離れた。

 手をつないでくれていた母親がどこかへ行ってしまい、どうしていいかわからずに不安そうな面持ちで立ちすくむ幼女。太腿までの丈のキャミソールチュニックの裾が揺れるたび、下に着ているオフホワイトのロンパースの股の部分がちらりと覗いて、四つ並んだボタンが部屋の照明を受けてぬめりと光り、少し脂肪がついてぷるんと弾ける太腿をロンパースの股ゴムがむっちり締めつける様子が見え隠れする。なで肩のせいでキャミソールチュニックの幅の広い肩紐がずり落ちそうになっているのが、いかにも手のかかる幼児らしいあどけなさを強調して、二の腕こそ太腿と同様少し脂肪がついてぷにっとした感じだが全体としては華奢でほっそりした腕が周囲の者の保護欲を掻き立て、薄い胸板と、たっぷり厚くあてたおむつのせいでぷっくり膨らんだお尻の対比が幼児めいて愛くるしい。ぷるぷると脚を震わせ、今にも泣き出しそうにして潤んだ瞳をきょときょとさせる様子は、ようやく伝い立ちができるようになったばかりの幼児が母親の手にすがって立ち上がったはいいものの、母親が手を離して側から離れてしまったせいで自分ではどうにもできず、母親の手を求め、母親の姿を探し、不安に耐えかねて今にもべそをかいてしまいそうになっているかのようだ。
 大きな鏡に映るその幼女が、今の恵の姿だ。十七歳の男の子の面影など微塵もなく、自分よりも四つ年下の母親の姿を求めてぐずり出しそうになっているその姿こそが、すっかり京子に手懐けられてしまった哀れな恵の姿だ。

 一時はその場を離れた京子が、待つほどもなく再び恵の側に戻ってきた。
 恵は京子の顔を振り仰ぎ、大きな体にすがりついて、豊かな胸に顔を埋めた。チュニックの裾がふわりと舞い上がり、ぷっくりと丸く膨らんだロンパースのボトムス部分があらわになる。ロンパースの股ゴムがむちっと締めつける太腿がぷるんと震える。
「おっぱいをあげるのに必要なものを取りにちょっと離れただけなのに、そんな顔しちゃって。本当にメグミは甘えんぼうなんだから。ママは、ほら、メグミの箪笥が置いてある所へ行っていただけよ」
 すがりつく恵の背中を優しくぽんぽんと叩きながら、京子は、部屋の隅にあるベビー箪笥を指差した。
「ちゃんと可愛いお洋服を着てくれたから、ご褒美におっぱいをあげるわね。恵は体の大きな赤ちゃんだから三時間ごとのおっぱいじゃお腹も空くし、この季節は喉も渇きやすいから、こまめに飲ませてあげなきゃね」
 京子は穏やかな声で言いながら姿見の向きを少し変えてから恵の体を横抱きに抱き上げ、ベッドの縁に腰かけて、授乳の際のいつもの姿勢になった。
 そうして、待ちかねた恵が京子の乳首を口にふくもうとするのを押しとどめ、
「まだ駄目よ。せっかく幸子ママが里美ちゃんとお揃いでつくってくれた可愛いお洋服をおっぱいで汚しちゃいけないから、ほら、これを着けようね」
と言って、ベビー箪笥の引出から取り出してきた大きなよだれかけを恵の胸元に押し当てて
「おっぱいはまだお預けよ。もうちょっとだけ待ってね。――さ、できた。いいわよ、たっぷり吸ってちょうだい」
とあやしながらマジックテープ式のよだれかけを片手で着け終え、恵の後頭部を支え持つ手をそっと上げた。
 恵の唇がぴちゃぴちゃ動いて、京子の乳首から母乳があふれ出る。
 授乳の際にいつも味わう下腹部がきゅんと痺れる感覚に身を委ね、京子はうっとりした目で恵の顔を見おろした。
 京子が向きを変えた姿見の鏡に、二人の姿が大映しになっている。そのことに気がついた恵は慌てて鏡から目をそらし、羞恥のあまり京子の乳房に顔を埋めてしまう。
 だが、しばらくすると、おずおずと視線を鏡に戻し、自分よりも年下の母親の乳首を口にふくんで盛んに唇と頬を動かしている自分の姿を確認し、京子の顔に穏やかな笑みが浮かんでいるのを確認して、なぜとはなしに安心して、けれど、そんなことに安心してしまう自分のことが気恥ずかしくなって、再び京子の乳房に顔を埋めてしまう。

 恵が京子の腿の上でお尻をもぞもぞ動かしたのは、母乳を飲むのが左の乳房から右の乳房に替ってしばらくした頃だった。
 その意味をすぐに理解した京子は、ロンパースの股間の部分をそっと撫でながら
「おしっこが出ちゃいそうなのね? いいわよ、おっぱいを飲みながら出しちゃいなさい」
と甘ったるい声で囁きかけた。
「……おむつに?」
 乳首を咥えたままのくぐもった声で、恥ずかしがりながらも甘えた声で恵が訊く。
「そうよ。メグミは赤ちゃんだもの」
 何度も口にしてもうすっかり互いの耳に馴染んでしまった言葉を京子は甘ったるい声で囁きかけて、恵の耳朶にふっと息を吹きかけた。
 恵の腰が小刻みに震える。
 京子はロンパースの股ぐりの中に掌を這わせ入れ、更におむつカバーの股ぐりに指を差し入れて、おむつの様子を探った。
 股当てのおむつがお尻の方からじっとり濡れる感触があって、ほどなくして前の方へ濡れ広がってゆき、やがて横当てのおむつもじくっと湿っぽくなる。
 恵はうっとりした様子で瞼を軽く閉じ、それまでにも増して乳首を強く吸った。
「たくさん飲むのよ。たくさん飲んで、おしっこをたくさん出しちゃいなさい。おむつをぐっしょり濡らして赤ちゃんになりなさい。赤ちゃんになって、ママの娘になりなさい」
 おしっこのぬくもりを指先に感じながら、京子は恵の頬にそっとキスをした。


 授乳を終えた京子は改めて授乳ブラとトレーナーを身に着け、床に敷いたおねしょシーツの上に恵を寝かせると、チュニックの裾をお腹の上に捲り上げ、更に、四つ並ぶボタンを外してロンパースの股布も捲り上げた。
「おむつカバーの股ゴムがちょっと湿っぽいわね。もうそろそろおむつカバーも取り替えておかなきゃいけないかな。でも、仕方ないよね。体の大きな赤ちゃんはおしっこの量も多いんだから」
 独り言めいた口調ながら、聞こえよがしに京子は言い、すっかり慣れた手つきでおむつカバーの腰紐を解き、マジックテープを剥がして横羽根を左右に開くと、ホックを外して前当てを恵の両脚の間に広げた。
 ぐっしょり濡れた布おむつがあらわになる。
 京子は恵の左右の足首をまとめてつかんで、高々と差し上げた。本当の赤ん坊がおむつを取り替えてもらう時そのままの屈辱の姿が大きな鏡に映って、恵の羞恥をくすぐる(だが、恵の痴態を映し出しているのは、鏡だけではなかった。遊鳥小学校の保健室と同様、画像認識システムによって制御されるカメラが宿舎のいたる場所に設置してあって、常に恵を追尾し、全身像だけでなく、赤外線センサーから得られる体温や脈拍等のデータや、心理状態を把握するための手がかりとなる瞳や唇の動きを高精細撮影した映像を研究所に絶え間なく送信しているのだ。受信した研究所では最新のAIが間断なくデータを処理し、恵の体調や精神の状態を解析して記録し続けている)。
 京子は、濡れたおむつをおむつカバーと一緒に手前にたぐり寄せ、研究所から支給されている容器に収納した(一見したところではごく普通の蓋付きペールだが、実は、蓋を閉じてロックすると、おむつに吸収されたおしっこの酸化や成分変化を防ぐために窒素を充填し、内蔵バッテリーによって冷却するといった機能を有する特殊な密閉容器になっている。おむつを取り替えるたび、新しい容器におむつを入れて宿舎の指定場所に置いておくと、定期的にスタッフが回収して研究所に持ち帰り、おしっこの成分を分析し、分析を終えたおむつは慈恵会の契約業者が洗濯して宿舎に届けてくれる手筈になっている。治験の経過を綿密に観察するには、本来なら血液を採取して成分検査を行うところだ。しかし、日に何度も採血するとなると恵の負担が過重になるので、次善の策としておしっこの成分を調べることになったのだが、美雪の発案による様々な手法改善の結果、検査精度を飛躍的に高めることができたため問題はなさそうだった。ちなみに、恵だけではなく美和や京子にも容器が支給されていて、二人も、着替えをするたびに脱いだ衣類を容器に収納し、研究所に提出する決まりになっている。治験対象者たる恵と常に接触している二人も治験対象者に準ずる扱いを受けるのは仕方のないことだが、京子にしてみれば、恵に授乳するたびに下腹部が疼き知らず知らずのうちに溢れ出る恥ずかしいおつゆを吸ったショーツをじっくり検査される場面を想像すると顔から火が出る思いだ。けれど、そこは、可愛い恵の母親になるための試練と諦めて、渋々ながらも納得せざるを得ないところだろう)。
 京子は、新しいおむつカバーを恵のお尻の下に敷き入れた。
 おむつカバーの内側の防水素材がお尻にぬめりと触れて、恵の口から喘ぎ声が漏れる。
 続けて京子は、おむつカバーの上に新しいおむつを敷き込んだ。
 おむつカバーの防水素材とはまるで異なる、新しい布おむつのふかふかした、あまりにも柔らかな感触に再び恵は喘ぎ声を漏らしてしまう。
 京子は左手で足首を差し上げたまま右手で恵の下腹部にベビーパウダーの白化粧を施した後、股当てのおむつを両脚の間に通した。八枚重ねの股当てをまとめて両脚の間に通すのではなく、一枚ずつ、わざとゆっくりと。
 京子が股当てのおむつを両脚の間に通すたび、ふかふかのおむつに内股を優しく撫でられて、何度経験しても慣れることのない柔らかな感触に恵の下腹部がぞくりと疼く。
「お、おむつ、早く……」
 繰り返し何度も内股をおむつに撫でさすられる甘ったるい責め苦に耐えかねて、恵は思わず懇願してしまう。
 それを京子はわざと理由を取り違えて
「あらあら、そんなことを言ってせがむだなんて、メグミはおむつが好きになっちゃったのね。ママ、嬉しいな。おむつを嫌がってむずがる赤ちゃんは多いけど、おむつが大好きで、早くおむつをあててほしくて、おむつをせがむメグミは、なんてお利口さんなのかしら」
と言ってくすっと笑い、恵の頬に優しくキスをしながら
「でも、そんなに大好きなおむつだったら、尚更ゆっくりあててあげなきゃね。ゆっくりあてて、大好きなおむつの肌触りを楽しませてあげなきゃね」
と囁きかけて、さきほどよりもずっと丁寧に、ずっと時間をかけて、おむつがずっと長く内股を撫で触れるよう意識して、ゆっくり手を動かすのだった。


 それからもたっぷり時間をかけて股当てのおむつと横当てのおむつで恵の下腹部を覆い、新しいおむつカバーで恵のお尻を包んでロンパースの股ボタンを留め、チュニックの裾を引き下げた京子は、恵の両手を引っ張って上半身を引き起こした。
「おむつを取り替えてあげる間おとなしくしていて、本当にお利口だったわね」
 おむつのせいでちゃんと閉じることができず開きぎみになっている両脚の間からロンパースの股ボタンを覗かせ、おねしょシーツにぺたんとお尻をつけて座っている恵の髪を優しく撫でつけて京子は言い、ジーパンのポケットからスマホを取り出して、幼児の装いに身を包んだ恵の姿を何枚も写真に収めた。
 京子が撮影ボタンを押すたびに恵の頬が羞恥の色に染まるのだが、その羞じらいの表情があどけなく愛らしい。

 写真を撮り終えた後も京子はスマホをポケットにしまおうとはしなかった。
 なぜだか胸騒ぎを覚えた恵は、つい、不安そうな目を京子のスマホに向けてしまう。
「せっかくだから、動画も撮って送ってあげようと思ってね。幸子ママも里美ちゃんも心配していると思うから、メグミが元気にしている様子を動画で送って安心させてあげるのよ」
 恵の視線に気づいた京子は意味ありげな笑みを浮かべ、スマホを振ってみせた。
「ただ、普通の動画じゃつまらないでしょ? それでママ、考えたの。こんなに可愛らしいお洋服を着ているんだから、お洋服に負けないくらい可愛いらしいメグミの様子を撮りたいなって。可愛い赤ちゃんのお洋服を着せてあげたんだから、可愛い赤ちゃんになったメグミの様子を撮ってあげたいなって。だから、メグミが赤ちゃんみたいに這い這いしているところを撮りたいなって。おむつで膨らんだお尻を揺らしながら一生懸命に這い這いするメグミ、絶対に可愛いだろうなって。――だから、ほら」
 スマホを振ってみせながら京子は膝立ちで後ずさり、部屋の隅へ移動して
「ほら、ここまで這い這いで来てごらん。うんと可愛らしく撮ってあげるから、さ、頑張って」
と手招きをする。
 けれど、恵は動かない。
 部屋の隅で手招きをする京子に向かって弱々しくかぶりをふるだけだ。
 すると京子はさっと立ち上がり、足早にベビー箪笥に近づくと、箪笥の上に置いてある小物入れから玩具を一つ取り出した。
 それは、プラスチック製のガラガラだった。「這い這いを頑張ったら、ご褒美にこれをあげるわよ」
 ガラガラを持って恵の側に戻った京子は床に膝をついて、手にした円筒形の玩具を恵の目の前で軽く振ってみせた。
 からころからころ。
 からころからころ。
 優しい音色が部屋の中にさざ波のように広がってゆく。
 途端に恵の表情が緩んだ。
 目がとろんとする。
「いい? メグミは赤ちゃんなのよ。おしっこを教えられないからおむつで、固い物を食べられないからおっぱいの、自分じゃ何もできない赤ちゃん。まだあんよができなくて、どこへ行くにも這い這いしかできない赤ちゃん。いいわね?」
 京子は絶え間なくガラガラを振りながらメグミの耳許にゆったりした口調で囁きかける。
「メグミは赤ちゃんだから、優しい音が出るガラガラが大好き。メグミは赤ちゃんだから、ママのことが大好き。ママがガラガラを振って呼んであげるから、ママの所へ這い這いで来るのよ。そしたら、メグミの大好きなママがメグミの大好きなガラガラをご褒美にあげる。わかったわね?」
 京子は念を押すように言って、最後にもう一度だけ、ころんとガラガラを鳴らした。
 とろんとした目で恵は頷き、おねしょシーツにお尻をぺたんとつけて座ったまま、おずおずと背を丸めて両手を床についた。
 それを見た京子が、膝立ちのまま再び部屋の隅に移動する。

 京子が恵の目の前で振ったのは、普通のガラガラではない。保健室で美和が恵の口にふくませたおしゃぶりと同様、メグミを京子と美和の指図に従順に従わせるために美雪が用意した道具だ。人間の自律神経には、体や心の活動を活発にする交感神経と、逆に鎮める働きをする副交感神経がある。また、或る特定の周波数分布とリズムを持つ音波が人の神経の昂ぶりを沈静化させる作用を持っていることも広く知られている。美雪は、人によって異なる聴覚器官の特有共鳴現象を巧みに利用することで、特定の人物に対してのみ鎮静効果のある音波を発生させ、その音波によって副交感神経の働きを人為的に操作する手法を確立していた。その手法に基いて研究所で試作したのが、このガラガラだ。ガラガラに内蔵した電子回路と鋭い指向性を有するスピーカーからは恵の聴覚器官のみに作用するよう調整された特殊な音波が発せられ、その音波は恵の副交感神経に作用して精神を無防備な状態にまで沈静化させ、外界からの暗示をきわめて強く受けるようにしてしまう。ひどく大雑把な表現を許していただけるなら、このガラガラは要するに、強引に催眠効果を惹き起こす玩具型デバイスとでもいうことになるだろうか。
 ともあれ、この装置のおかげで京子は容易に恵を催眠状態へと誘い、易々と暗示を与えることができたというわけだ。

 からころからころ。
 からころからころ。
「ほら、ママはここよ。頑張ってここまで這い這いしておいで」
 ガラガラのかろやかな音色と京子の声に呼ばれて、手と膝を床につき、四つん這いの姿勢で盛んに体を動かす恵。普段することのない不慣れな動きのためついつい身振りが大きくなってしまい、一歩を進むたびにお尻が大きく揺れ、チュニックの裾がふわりと舞う。時おりバランスを崩しそうになるのをこらえるたびにロンパースの股ゴムが太腿をきゅっと締めつけ、内股がぷるんと震える。
 慣れない動きのせいで下腹部に余計な力が入り、両脚の間でお尻の方を向いているペニスの先端が何度もおむつに撫でさすられ、これまで味わったことのない股間の疼きが手足の動きを鈍らせる。
「ほら、頑張って」
 恵の進み方が次第にゆっくりになってきたことに気がついた京子は、片手でスマホを構え、もう片方の手でガラガラを更に強く振った。
 ガラガラの音色による暗示効果のせいで京子に言われるままお尻を上げ、盛んに手と脚を動かして這い進もうとする恵。だが、柔らかなおむつにペニスを撫でさすられ、体中の力が抜けてしまって、手も脚もぷるぷる震えるばかりで思うように動かせない。
 そんな恵の様子をしばらく正面から撮影していた京子だが、
「ほら、もっと元気にしないと幸子ママと里美ちゃんが心配しちゃうわよ。ママがお尻を押してあげるから頑張って」
と言ってガラガラをその場に置き、スマホを構えたまま恵の後ろにまわりこんで、今にも力なく床につきそうになっているお尻を上げさせるために、空いている方の手を恵の両脚の間に差し入れ、掌を股間に押し当てた。
 と、僅かな膨らみを掌に感じる。
 厚くあてたおむつ越しだからはっきりした感触ではないが、それがペニスの膨らみだということは京子にもわかった。
 微かな膨らみを掌に感じた瞬間、美和の企みで恵の面倒をみるようになり幸子と懇意になってすぐの頃に、「一度だけおちんちんをいじっておむつの中で射精させてあげたことがあるんだけど、その時のメグミちゃんの様子、京子ちゃんにも見せてあげたかったわ」とくすくす笑いながら話してくれた幸子の顔が思い出された。途端に、嫉妬めいたもやもやした感情が京子の胸に湧き起こる。
 これまで京子は恵を女の子扱いしてきて、遂には自分の娘に堕とそうとさえしている。男の子扱いなど考えたこともなかった。しかし、幸子の顔を思い出した途端、かつて恵におっぱいをあげようとする幸子を制して自分の乳首を強引に恵に咥えさせた時とおなじような感情が湧き起こってきたのだ。
 恵に対しては自分が最も愛情を抱いている。恵のことは誰よりも自分が一番よく知っている。他の誰とも比べようのないほどに自分が最も甲斐甲斐しく恵の面倒をみてきた。なのに、幸子がしたことがあるのに、自分がまだ恵にしてあげていないことがある。私はまだ、男の子としての恵の生理現象の世話をしてあげたことがない。
 そんな感情に突き動かされるまま、京子の手が恵の股間をもぞもぞ這った。
 びくんと背中をのけぞらせ、恵は京子の手から逃れようとするが、下腹部がじんじん痺れて手も脚も動かせない。
 京子の掌が閉じて開いてをゆっくり繰り返し、おむつ越しに恵のペニスを包み込むようにして優しく揉みしだく。
「や……」
 喘ぎ声とも呻き声ともつかない短い声が恵の口を衝いて出た。
「可愛い声を出すのね、メグミは。男の子としておちんちんをいじられているのに、女の子みたいな声を出すんだ」
 京子は掌をきゅっとすぼめたり広げたりしながらじわじわとお尻の方に手を這わせ、中指の先を膨らみの端に突き立てた。
「……んん」
 いつもは皮をかぶっているくせにこの時ばかりは僅かに露出しているペニスの先っちょを柔らかな布おむつ越しに京子の薬指が撫でこする。
「……や、やだ……」
 はぁはぁと浅い呼吸を繰り返す恵の口から熱い吐息が漏れた。
 それから何度も京子は感じやすいペニスの先端を狙って中指を突き立てたり、中指と人差指ではさんだりを繰り返す。
「……いじわる。ママのいじわる……」
 とうとう我慢できなくなった恵は、膝を折り、床についた両手の力を抜いてお尻を後ろに突き出し、その場に突っ伏した。
 ペニスがどくんと脈打つ感触が京子の掌に伝わって、突っ伏したままの恵の下腹部がびくんと震える。
   




 京子は恵のお尻から手を離し、膝立ちの姿勢で前方にまわりこんで、恵の脇に手を差し入れて体を支え起こした。
「マ、ママ……メグミ、メグミ……」
 膝を曲げ、お尻をぺたんと床に付けて、恵は意味をなさない言葉を繰り返しながら京子にすがりつき、胸元に顔を埋めた。
 それは、母乳を求めてのことではなかった。ひどい羞恥と戸惑いを覚えて、どうすればいいのかわからなくて、京子と目を合わせまいとして、豊満な胸に顔を埋めたのだ。
「どうしたの? 最初は元気に這い這いできていたのに、途中からどうしちゃったの? あんよが痛くなったの? それともお手々が疲れちゃったのかな?」
 京子は恵の背中を優しくぽんぽんと叩いて、あやすように訊いた。
「ち、違う……そんなじゃない。そんなじゃなくて、メグミ、メグミ……」
 恵は自分の顔を京子の胸になすりつけ、弱々しくかぶりを振った。
「それに、せっかくママがお尻を押してあげたのに這い這いをやめちゃうし。どうしちゃったの? 泣いてばかりじゃわからないでしょ」
 京子は恵の背中に両手をまわし、細っこい体をぎゅっと抱きしめた。
「……メグミ、ち、ちっちなの……おむつにちっちなの、メグミ、ちっちなの……」
 よく耳を澄ましていないと聞き取れないような小さな声で恵は言った。
 それを聞いた京子は
「そうなんだ、おむつを汚しちゃったんだ、メグミは。ついさっき取り替えてあげたばかりなのにこんなにすぐまた汚しちゃうなんて、困った子だこと。でも、メグミは赤ちゃんだから、おむつを汚すのは当り前。恥ずかしがることなんてないのよ。さっきはおしっこが最後まで出てなくて、普段はしない這い這いでお股に力が入って、残っていたおしっこが出ちゃったのかな。だったら、これからも這い這いのお稽古を続けなきゃね。這い這いに慣れて、おしっこが残らないようにしないとね」
と恵を宥めつつ、
(これまで何度もおむつを汚しちゃったけど、『おむつにちっちなの』なんておしっこを教えてくれたことは一度もなかった。なのに、おしっこじゃない恥ずかしいお汁でおむつを汚しちゃったら、こんなふうに教えてくれるんだ)
と胸の中で面白そうに呟いた。
 恵は尚も京子の胸に顔を埋め、
「メグミ、おむつにちっちなの、ちっちで……ふ、ふぇーん。ぇえん、うわーん」
と手放しで泣きじゃくってしまう。
(あらあら、とうとう泣き出しちゃって。おむつを汚して泣いちゃうなんて、本当に赤ちゃんそのままね。ただ、本当の赤ちゃんみたいにおしっこで汚しちゃったんじゃないけど)
 京子は胸の中で、うふふと笑って、
「メグミはお利口さんね。おむつを汚しちゃったこと、ママに教えられるようになったんだもの。これまでは教えられなかったけど、教えられるお利口さんになったのね。だから泣かなくてもいいのよ。メグミは赤ちゃんなんだから、おむつを汚しちゃうのは仕方がないことなの。でも、それを教えてくれるようになったんだから、メグミはお利口さん。そうやって少しずつパンツのお姉さんになれるといいね」
と、わざと優しく言ってメグミの背中を優しく撫でさすった。

 身体の発育不全に起因するホルモン異常のため第二次性徴を迎えていない恵は、E高校に入学した時点でもまだ精通が済んでいなかった。それに、そういう事柄に関する知識は親や教師から教えてもらうより、友達どうしでそれとなく、或いは冗談めかして曖昧な形で互いに伝え合い、少しずつ正確な情報に辿り着くつくものだが、恵は、友達どうしでそのような話題に興じる年頃の時にはクラスからやや孤立した状態で、打ち解けて話せる友人もいず、そういった情報に触れる機会が乏しい少年時代を過ごしていた。だから、ふとした偶然で扇情的な映像や書物を目にして下腹部が疼くことがあっても、それがどういうことなのか、そのもやもやした感情をどうやって鎮めていいのか正確なことをまるで知らずに生きてきた。第二次性徴を迎えていない恵は、『精通』や『夢精』や『自慰』といった言葉そのものは知っていて或る程度は意味も理解していても、それが自分の肉体にどのような変化を惹き起こすのか実感覚としてはわかっていなかった。それでも時おり湧き起こる性欲のまま、自らの手で自分を慰めてみたことはある。だが、発育不全で皮をかぶったままの状態ではペニスのどのあたりを慰めてやれば下腹部の疼きに応えられるのかもわからず、ただ力まかせに貧相なペニスをいじくるばかりで、絶頂を迎えるには至らなかった。
 それが、美和の謀略で幸子の部屋に預けられるようになってすぐ、幸子の柔らかな手でペニスをいじられ、遂に初めて絶頂を迎え、おむつの中に精液を迸らせてしまったのだ。それも、成人男性のみに許される射精という行為を、幼い女の子の格好で、しかも、赤ん坊の下着であるおむつをべっとり汚して。男子高校生である恵にとってそれがどれほど惨めでどれほど屈辱に満ちた仕打ちであったことか。最初の記憶消去反応が発現して最近一年間ほどの記憶を失った恵は、そのことを憶えてはいない。だが、言葉では到底言い表せないその時の屈辱と惨めさは、記憶とはまた別の情念として心の奥底に刻み込まれていた。
 だから、ガラガラの音色に誘われて這い進んで行くうちにペニスの先端を刺激され、更に京子の手に弄ばれて二度目の射精を体験した瞬間、理由のわからない屈辱感が胸を満たし、今やすっかり慣れ親しんでしまったおしっこのさらりとした肌触りとはまるで異なる、どろりと溢れ出てペニスのまわりをべとべとに汚す精液の感触に、絶望的なほどの惨めな感情で体をぞくりと震わせてしまうのも仕方ないところだった。それに加えて、一年間近くも幼い女の子扱いされ続け、否応なしにその環境に慣らされてきた恵にとって、♂の醜い肉棒から溢れ出る精液はとても不潔なものに感じられ、なんだか自分が穢されてしまったようにさえ感じられてならなかった。しかも粘りけのある精液はおしっこと違って容易にはおむつに吸い取られず、ペニスのまわりのおむつにいつまでもべっとりいやらしくまとわりつく。
 恵は、穢らわしい精液でおむつを汚してしまったという事実を京子に告げることができず、かといって、下腹部から伝わってくる不快な感触を黙って押し隠すこともできず、いやらしくておぞましい精液で再び、赤ん坊の下着であるおむつを穢してしまったことを認めたくなくて、知らず知らずのうちに精液を『ちっち』という幼児言葉で言い表して、不快なおむつを取り替えてくれるよう京子にせがんだのだった。
 だが、そんな心の動きを瞬時に推し量ることは難しい。おむつを汚してしまって泣きじゃくる恵の様子に妖しい悦びを一瞬は覚えたものの、一向に泣きやもうとしない大きな赤ん坊をどう扱っていいものか、京子の顔に戸惑いの表情が浮かんだ。

 と、床に置いたスマホから、メールの到着を知らせる通知音が鳴り響いた。
 慌てて手を伸ばしてつかみ上げたスマホの画面をタップすると、『とりあえずガラガラを使って恵くんを落ち着かせて、おむつを取り替えてあげてください。その後のことは電話で連絡します』というメールの文面が浮かび上がった。届いたメールは、転校初日ということで、カメラからの映像解析をAIにまかせきりにせず自分の目でも確認していて異変に気づいた美雪からのものだった。
 京子は美雪からのメールに従い、精神の昂ぶりを沈静化する音波を発するガラガラを手渡して恵をおとなしくさせ、再び恵をおねしょシーツの上に横たわらせてロンパースの股布をお腹の上に捲り上げると、おむつカバーの腰紐を解いて横羽根をお尻の左右に広げ、前当てを両脚の間に広げた。
 一見しただけでは、おむつが濡れているような様子はなかった。
 けれど、横当てのおむつに続いて股当てのおむつを広げると、貧相なペニスの先端とおむつとの間にぬめぬめした細い糸を引き、おむつに完全には吸い取られなかったべっとりした液体がペニスのまわりのおむつにねっとり付着している様子があらわになった。
 独特の青臭い匂いが微かに立ちこめる。
(へーえ、べとべとでぬるぬるで、おしっことは全然違うんだ。男の人って、おちんちんからこんなのを出しちゃうの? こんなべとべとのを出して気持ちよくなっちゃうの? なんだか嘘みたい。――でも、あれ? 何かの本で読んだのとは違うみたいなんだけど)
 初めて目にする精液というものに好奇心をくすぐられて、すっかり萎えて縮こまってしまった恵のペニスと、おしっこで濡れたのとはまるで異なる汚れ方をしているおむつをしげしげと眺めながら京子が不思議そうな顔をした。
 京子は漠然と、とろりとした練乳のようなものを精液として頭に思い浮かべていた。なのに、恵のペニスにまとわりつき、おむつにべっとり付着している粘りけのある液体は、どろりとはしているものの、一見しただけでそれとわかるほど白濁しているわけではなく、言われてようやくわかるほどにうっすらと白っぽいだけで、無色透明に近かった。それは、熱に弱い精巣がおむつの中で体温に蒸され、精子を造る能力が低下して精液中に含まれる精子の数が極度に減少しているせいなのだが、いくら大人びて見えても実は中学一年生の少女にすぎない京子にはそこまでの知識はないから、不思議がるのも仕方ないことだった。
(それにしても、なんだかいやだな。男の人と女の人がエッチするってことは、つまり、男の人のおちんちんが女の人のあそこに入って、それで、女の人のあそこの中で男の人のおちんちんがこのべとべとのを出しちゃうってことだよね? ぅう、なんだか気持ちわるいんだけど)
 気持ちわるいと胸の中で呟きながらも、初めて見る精液というものから京子は目を離せない。
(あ、でも、女の人のあそこも、おしっこじゃないぬるぬるのお汁で濡れちゃうことがあるよね。私だってメグミにおっぱいをあげる時にエッチな気持ちになって、パンツをぬるぬるに濡らしちゃうもん。それを美和ママは「男の人を受け入れやすくするためなのよ。つまり、京子ママはもう男の人を受け入れられる体になっている、要するに、女の子じゃなく、大人の女性の体になっているのよ」とか説明してくれたけど、だったら私、メグミのことを男の人だと思っているの? 私ったら、男の人と女の人の関係になりたいって思っているのかしら、メグミと!?)
 ふとそう思った京子は慌てて首を振った。
(違う! 違う、絶対にそうじゃない! だってメグミは私の娘で、私はメグミのママだもの。だから、絶対に違う。違うけど、でも……そうだ。たしか、美和ママと幸子ママ、女の人どうしだけど恋人どうしだって話してくれたことがあったっけ。それで、女の人どうしでも愛し合う時にはあそこがぬるぬるになっちゃうんだよって教えくれたっけ。そうだ、だから私、メグミにおっぱいをあげる時にあそこがぬるぬるになっちゃうんだ。男の子の恵じゃない、女の子のメグミが好きで好きでたまらないから。娘のメグミが可愛くて仕方ないから。だから私、エッチになっちゃうんだ。女の子どうしでも愛しているから、エッチな気分になって、お股がきゅんとなって、あそこがぬるぬるになっちゃうんだ)
 そう思い至ると同時に、一瞬は不安そうな面持ちになっていた京子の顔がぱっと輝く。
(でも、娘のことをそんなに愛しているママなんて変かな。娘のことが好きすぎてエッチな気持ちになっちゃうママなんておかしいかな。娘におっぱいをあげるたびにパンツをぬるぬるにしちゃうママなんて世界中に私一人しかいないかな。だけど、いいよね。私はメグミのことが大好き。ママが娘のことを本っ当に愛している証だもの)
 ぱっと明るくなった京子の顔に更に、晴れ晴れした表情が浮かぶ。
 それが何なのかはわからないけれど、とにかく何かから解放されたような気分になった京子は、うっすらと白い精液がべっとり付着した恵のペニスを再びしげしげと眺めた。
 すると、さっきまではあれほど汚らしく思えていた精液が、少しちがったふうに見えてくる。
(そうか、これは男の人の精液なんかじゃないんだ。メグミも私のことを大好きで、女の子どうしで私のことを受け入れたくて、それで、お股をぬるぬるにしちゃっているんだ。そうよ、そうに違いない。私はメグミを大好きなんだから、メグミも私を大好きに決まっている。そんなに私を好きでいてくれるメグミのこと、何があっても守ってあげる。絶対に誰にも渡したりしない。私はメグミの、この世に一人しかいないママだもの。メグミが頼れるのは、一人しかいない母親である私だけだもの。だから私は、メグミをずっとずっと愛してあげる)
 強くそう思う京子の瞳の奥底に妖しい光が宿った。それは、美和と幸子が瞳に宿しているのとまるで同じ光だった。

「……メグミ、ちっちのおむつ、いや。ちっちのおむつ、いやなの……ぅぇ、ぅえ〜ん。い、いやなんだってばぁ、ふぇ、ふぇ〜ん、ぅ、ぅわぁ〜ん」
 何かの拍子に、それまで機嫌よく振り鳴らしていたガラガラを床に落としてしまい、恵が再びぐずり始めた。
 恵の下腹部に目をやって夢想に耽っていた京子は、はっと我に返ってガラガラを拾い上げ、再び恵に握らせると、
「可哀想に、メグミのすべすべの綺麗なお肌がこんなになっちゃって。べとべとで気持ちわるいよね。こんなの、気持ちわるくて泣いちゃうよね。急いで『べとべとの白いちっち』を綺麗綺麗して、新しいおむつにしようね」
と優しく言って宥め、恵の左右の足首を左手で一つにまとめてつかんで高々と差し上げ、お尻拭きを三枚ほど重ねて容器から抜き取り、恵のペニスにべっとり付着している穢らわしい体液(いや、ひょっとしたら、今の京子にはそれが愛汁に見えているかもしれないが)を手早く拭き取って、ねとっと濡れた股当てのおむつを乾いたままの横当てのおむつで包み込むようにして手元にたぐり寄せた。それから、ふかふかの新しいおむつを恵のお尻の下に敷き込んで、ベビーパウダーのパフを下腹部に押し当てる。。
 ガラガラが発する音波の強い鎮静作用と新しいおむつの柔らかな感触とベビーパウダーの甘い香りが相まって、泣きべそをかいていた恵の顔に恥ずかしそうながらもあどけない、言葉では表現しようのないほど愛くるしい笑みが浮かんだ。
 京子は恵の足首を床におろして軽く膝を立てさせ、綺麗になったペニスを後ろ向きに折り曲げつつ片方の手で股当てのおむつをきつめにあててペニスを両脚の間に押さえつけ、横当てのおむつの上におむつカバーの横羽根をマジックテープで重ね留めてから更に前当てを重ね、手早くホックを留めて腰紐を結わえた。
 ほんのりと頬を染めて、けれど、これまでのおむつの交換ではみせたことのないようないかにも気持ちよさそうな笑みを浮かべて、
「おむつ、ちっちじゃないの。メグミのおむつ、ちっちじゃないの」
と恵はうっとりしたように言いながら何度もガラガラを振り鳴らした。


 美雪から電話がかかってきたのは、精液で汚れたおむつを容器に収め、所定の場所に置いて京子が部屋に戻ろうとしていた時のことだった。
「笹野です。カメラでのモニタリングは続けていますが、念のために直接お訊きします。映像を見る限りでは恵くんは落ち着いているように思えますが、実際はどうですか?」
 スマホのスピーカーから美雪の穏やかな声が流れ、京子が
「さっきはありがとうございました、笹野先生の指示のおかげで助かりました。おむつを取り替えてあげた後は特にむずがる様子もありませんし、泣き出す様子もありません。もうすっかりご機嫌で、さかんにガラガラを振って嬉しそうにしています。小っちゃな子は感情の起伏が激しくてびっくりしちゃいますね」
と、恵を幼児扱いするのを忘れずくすっと笑って応じる。
「そうですか、それはよかった。一応、さきほど恵くんがどのような心理状態になっていたのか私なりの見立てをお伝えしますので、今後の参考にしてください」
 美雪は電話越しにそう言い、京子がはいと応えるのを待って
「治験前の最終面談において、私どもは恵くんの精神状態を綿密に調べました。その現場には井上さんにも立ち会っていただいたから憶えてらっしゃると思いますが、研究所で開発した向精神薬を使って恵くんに退行催眠を施し、本人が記憶している限り、幼い日から現在までのことを細かく聞き出し、身体の様子を隅々まで調べた結果と共に記録しました。そこで明らかになったのですが、恵くんは明確な第二次性徴をまだ迎えておらず、殆どの青年男子が経験するマスタベーションも不完全な状態でしか経験していませんでした。そのため――」
と、恵が生まれて二度目の射精でおむつをべっとり汚して、遂に手放しで泣き出してしまった際の心理状態を(前述の通り)詳細に説明した。

「……私、心配なことがあるんですけど……」
 美雪の説明が終わると、その少しややこしい説明の内容を頭の中で反芻しながら、京子はスマホのマイクに向かっておそるおそるといった様子で問いかけた。恵の精液で汚れたおむつを取り替える時にふと頭に浮かび、すぐに打ち消した不安。その不安を再び感じて、どうしても訊かずにはいられなかった。
「……ひょっとして、今回の射精がきっかけになって、メグミが男の子に戻っちゃうとかいうことはないでしょうか? 初めて会った時、メグミのことをすっかり女の子だと思い込んで、後から本当は男の子だと知ってもどうしても信じられなくて、メグミが女の子になるよう躾けて、メグミが私の娘になってくれるよう笹野先生が道筋をつけてくれて……だけど、それが、メグミが第二次性徴を迎えていなくて、他の汚らしい男の子みたいに穢らわしくていやらしいお汁を溢れさせたことが、自分の欲望のためじゃなく幸子ママの手で絞り出された一度しかなかったからだとしたら、二度目の射精を経験したメグミは、それがきっかけになって、男の子に戻っちゃうんじゃないかって、私、心配でたまらないんです。ちょっとした悪戯っていうか、なんとなく幸子ママに負けたくないって思ったこともあって、私がメグミのおちんちんをいじったせいでメグミが女の子のままじゃなくなっちゃうとしたら私……」
「いいえ、その心配はありませんよ」
 声を震わせて尋ねる京子の言葉をやんわり遮って、美雪は優しく言った。
「二度目の射精がきっかけになって男の子に戻るどころか、逆に、これがきっかけになって、もっと女の子になってゆきますよ、恵くんは」
「……?」
「間違いありません。まず、最初の射精から九ヶ月あまりも経過した今日になって恵くんが二度目の射精を体験した、その理由を説明しておきましょう。中学一年生の井上さんはまだ保健体育の授業で習っていないかもしれませんが、精子を造る精巣という器官は、様々な原因によって、その機能を失うことが少なくありません。中でもよく知られているのは、おたふく風邪でしょうか。成人になってから男性がおたふく風邪にかかると、おたふく風邪の原因になるウィルスが精巣に炎症を起こして、その結果、かなりの高確率で精子を造る機能が失われます。また、他の男性性器もそうですが、精巣も熱に弱いため、体温のせいで蒸れやすいおむつの着用が常態化すると、精子を造る機能が低下します。恵くんのように一年間近くもおむつをあてたまま、しかも、精嚢とペニスを両脚の間で下腹部に密着させたままの生活が続き、更に気温も上がるこの季節になると精巣の機能低下は顕著で、最終的にその機能が失われる可能性が極めて高くなります。それに、恵くんの尿を検査したところ、井上さんが服用している合成女性ホルモン様化合物の成分が極めて微量ながら検出されました。健康な男性にとっては全く差し障りのない微々たる量ですが、発育不全で様々な防御機能が成育していない恵くんの男性性器には多少の影響をおよぼすかもしれません。そういった幾つかの要因が重なり合って、おそらく、精巣だけでなく、恵くんの男性性器は全体としてもう限界が近かったのでしょう。そのことを本能的に感じ取った恵くんの身体は、生物学的に極めて自然な反応として、生殖機能を失う直前に、生まれ持って与えられたその機能を発露しようとします。その場に性交の相手がいるかどうかを確認するプロセスを経ることもせず、ただ闇雲に。結果として、恵くんは生まれて二度目の射精を果たしました。しかし、それは、生まれて二度目であり、同時に、生涯を通して二度だけの射精でもありました。生殖機能を失う直前の、男性性器としての限界を前提とした最後の射精。機能を発露するというよりも、全うすると表現した方が正確でしょうか。――もう二度と恵くんはペニスから精子を迸らせることはできません。精巣の機能は完全に喪失した筈です」
 穏やかな中に微かな憐憫の響きを交えて美雪は言い、少しだけ間を置いて説明を続けた。
「そしてその射精は、皮肉なことに、射精の負の印象だけを、恵くんの意識に植え付けてしまいました。射精という生理現象が持つ正の面、つまり、命をつないでゆくための崇高な行為であるという面はすっぽり抜け落ち、柔らかな肌にべっとり付着する青臭くてねっとりしたいやらしい体液を欲望のまま放出するという負の面だけが、屈辱的で惨めな射精しか経験したことのない恵くんの心を占めてしまったのです。そのせいで恵くんは射精という行為に対して絶対的な嫌悪感を抱き、そのような行為を本能的に行う♂という存在に対して絶望的な忌避感を抱き、♂の一員である自分自身のことを、これ以上はないくらい不潔に感じているに違いありません。つまり恵くんは、今回の射精をきっかけに男の子に戻るのではなく、射精という行為を嫌悪するあまり、穢れなき幼い女の子への親近感を強くし、醜い欲望などとは無縁の幼い女の子と自分を同一視することを望み、そういった清らかな存在へと接近する途を選ぶようになると考えられます。その結果として恵くんは、おそらく、迷いに迷いながら、果ての見えない曲がりくねった途を歩むことになるでしょう。――恵くんを迷いから解放し、先に立って導くのが、井上さん、あなたに課せられた役割です。恵くんの母親になるということは、そういうことです。覚悟はよろしいですね?」
 電話を通してとは思えない、威厳に満ちた美雪の声だった。



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