わが故郷は漆黒の闇


【六】


 もちろん、各コロニーの自治行政組織はその身勝手な通達に対して『否』の回答を送りつけた。だが、自治行政組織が強硬な態度をいつまでも貫き通すことはできなかった。例によって例のごとく連邦政府が援助物資の供給停止を匂わせて脅しをかけてきたからだ。結局、コロニーの自治行政組織は連邦政府からの(私欲に満ちた)通達を受け容れざるを得なかった。その時から高等助言官は、コロニー自治行政組織の動向を監視・監察を行うと同時に、連邦政府高官の要望を受けて、高官が望む通りの子供を育児センターでスカウトし、地球へ『帰還』させるという職務を担うことになったのだった。
 今回、高等助言官がLP2−C1の育児センターを訪れたのが、三人の高官からの依頼を受け、それぞれのオーダーに応じて三人の少女を地球に送り込むための準備を進めるためなのは言うまでもない。そんな事情を知っているケイトだから、無邪気にはしゃぐボビンたちに向かって「いい子にしていた御褒美」という嘘をつくのに耐えられなくなって、思わず言葉を濁してしまったのだ。

「ボビン、幼稚園に行ける? おじ様、ボビンのこと、いい子だって褒めてくれたでしょ? いい子で地球へ連れて行ってもらえたら幼稚園にも行ける?」
 ケイトの胸の内も知らぬげに、ボビンは高等助言官の顔を振り仰いで、せっつくように言った。
 人工子宮装置から生まれ出て後しばらくは保育器の中で育ち、それから一年間くらいは十人ほどの子供たちと一緒に成長したボビンだが、その愛くるしい顔立ちや何事にも物怖じしない性格などを考え合わせて、この子は『帰還者リスト』に入りそうだとセンター長が判断したため、他の子供たちとは離れて帰還準備室に招き入れられ、それからはカタンとユリの他には自分と同年輩の子供とは一切触れ合いがない。そんなボビンが、大勢の子供たちが楽しそうに駈け巡っている映像を見せつけられたものだから、もう心ここにあらずといった精神状態になってしまうのも仕方のないところだろう。
「もちろん行けるさ。お利口さんは幼稚園に行って勉強して、もっとお利口さんになるんだからね」
 高等助言官は甘い声でボビンに囁きかけた。これで素直に地球へ行って、引き取られた高官の家庭でも『お利口ないい子』にしていてくれれば、ボビンをスカウトした自分の評価も上がるというものだ。
「やったー。ボビン、早く幼稚園に行きた〜い」
 高等助言官の言葉に小躍りして全身で喜びを表現するボビン。
 そんなボビンの姿を見ながら、高等助言官は胸の中で肩をすくめてみせた。
(やれやれ、あんなに喜んじまって。本当のところ幼稚園なんて収容所と大差がないってのにな。そりゃ、本物の捕虜収容所じゃないんだから虐待なんてものはないだろうさ。上等な給食も恵んでもらえるだろうさ。だけど、外の世界に逃げ出さないよう一つ所に閉じ込められてるんだってことじゃ収容所そのものだもんな。それに、何を教えてくれるわけじゃない。あの幼稚園で教えるのは、養父や養母にどうやったら気に入ってもらえるか、それだけだしな。ま、そりゃ、そうだ。偉いさんたちは子供を身近に置いておきたいとは思っても、躾なんて面倒なことはしたがらないから、協同で幼稚園なんてものをおっ建てて、躾はそこに丸投げするだもんな。躾なんて、要は、養父や養母に対していい子でいなさいってだけのこと。しかも、養父や養母ったって、引き取った子供を生涯に渡って面倒をみるわけじゃない。飽きたらポイしちまって、次の子供をどこかのコロニーから俺達に連れて来させるだけ。ポイされた子供は幼稚園どころか首府そのものにいられなくなって、人がひしめき合う地球のどこかに捨てられちまうんだろうさ。生まれたての頃から生きることに必死でこすっからい地球の子供に混じって生き延びることができるなんて、よほど運が強くても無理だろうさ。この子にしたって……)
 珍しく、高等助言官は少しシニカルに胸の中で呟いた。優雅な物腰からは想像もできないヤサグレた口調は、自分がしていることに対して抱いている嫌悪感の表れだろうか。
「ボビン、幼稚園に行くのよ! カタンちゃんもユリちゃんも一緒に行こうね!」
 ぎゅっと握ったこぶしを振り上げんばかりにして、ボビンは仲間の少女に向かって元気一杯の声で言った。
「……そうね、カタンちゃんやユリちゃんと一緒に幼稚園に行くのね、ボビンちゃんは」
 ケイトは、まだ走り続ける映像の少女の顔を見つめてぽつりと言った。
 ケイトは、その映像の少女の顔に見憶えがあった。その少女もまた、このLP2−C1の育児センターでスカウトされて地球へ旅立った子だ。LP2−C1を離れたのが一年前。その時は幼稚園の年中クラスだったのが、今は年長クラスの襟章をセーラースーツの純白の襟に付けて元気に駆けまわっている。この子がこの先どんな生涯を送ることになるのか、ケイトにはまるで見当もつかない。そうして、カタンとボビンとユリがどんな家庭に引き取られてどんな生涯を送るのかも。
「さて、お嬢ちゃんたちの元気な顔を見せてもらって、おじさんは安心したよ。次に会うのは、いよいよ地球へ連れて行ってあげる日だね。楽しみに待っているといい」
 ふと訪れた沈黙を破るかのように高等助言官はそう言い残して扉を出て行った。ソフトな声の高等助言官の言葉は、けれどケイトの耳には
「大切な商品に傷が付いてないのを確認して安心したよ。商品の最終チェックも終わったし、あとは発送の手続きを済ませるだけだな」
と言っているようにしか聞こえなかった。


「なによ、あれ。あのオヤジ、絶対にロリコンだね。幼稚園児の格好をした私たちのこと、デレーッとしたいやらしい目つきで見ちゃってさ」
 高等助言官とセンター長が出て行った後、扉が閉まるやいなや、あれほど幼稚園に行くんだーとはしゃぎまわっていたボビンがぴたっと立ち止まって、嫌悪に満ちた表情で吐き棄てるように言った。
「ま、ロリコンかどうかは知らないけど、確かにヤな奴だったよね。人買いみたいな商売をやってるヤツなんだから、最初からヤな奴に決まってるけどさ」
 ボビンに向かって軽く頷きながら言ったのはカタンだった。
 二人とも、とてものことではないが幼稚園児とは思えない口調で高等助言官のことを貶し続ける。愛くるしい外見とは裏腹に、その様子は、とても幼児とは思えない。
「けど、仕方ないよ。あのオヤジ、高等助言官だってコロニーじゃ威張り散らしてるけど、連邦政府の職員としちゃ下っ端だし。お偉いさんのご機嫌を取るのに精一杯だから、あんたたちみたいな可愛い子を三人も地球に送り込めることになって、天にも昇る気持ちになってるんでしょうよ。上役の憶えめでたく、ちょっとは出世の芽も出てくるかもしれないし」
 ボビンとカタンだけではなかった。少しばかり憂いを含んだ顔をしていたケイトも、今や、二人と一緒に高等助言官をこきおろすのに余念がない。




戻る 目次に戻る 本棚に戻る ホームに戻る 続き