わが故郷は漆黒の闇


【七】


「ね、ユリはどう思う? さっきのオヤジが私たちのことをやーらしい目で見てたの、オヤジがロリコンだからか、私たちっていう商品を値踏みしてたからか、どっちだと思う?」
 高等助言官が出て行ってもまだ元の位置に立ちすくんでいるユリに向かってボビンが言った。
「……え? あ、あの、さぁ、そんなこと急に言われても……」
 どことなく心ここにあらずといった表情のユリだったが、ボビンに声をかけられて、ようやく我に返ったように顔を上げた。
「やれやれ、本当にはっきりしないんだから、ユリってば。もう少し自分の意見ってのを持たなきゃいけないよ」
 優柔不断なユリの対応に少し呆れ顔になって、ボビンはおおげさに肩をすくめてみせた。
 そんなボビンを、ケイトがくすっと笑ってたしなめる。
「でも、ま、それは仕方ないよ。カタンがしっかり者の年長さん役、ボビンは勝ち気な年中さん役で、ユリは甘えん坊の年少さん役っていうキャラになってるんだから。それで、そういうキャラ作りをするために二ケ月間みっちり練習を続けてきたわけだしね」
 そういうキャラを作る――そう、カタンもボビンもユリも、実は幼い子供などではない。実際の年齢は三人とも二十一歳で、れっきとした民政局の職員だ。肩書きは保護官。つまり、ケイトの後輩というわけだ。
 厳しい環境の下で生き延びるために、コロニーの住人は自然に幼形成熟の途を選んだ。そのせいで、コロニーの住人は一人の例外もなく、成人しても一メートル四十センチ前後の身長にしか達せず、まるで第二次性徴期など迎えていないかのような幼児体型と丸っこい童顔の持ち主だ。そして、そんなコロニー住人たちと比べても尚更にネオテニー化の進んだ個体が誕生する事例が希に報告されている。そういった事例の最近の貴重なサンプルこそがカタン、ボビン、ユリの三人だった。希にしか発生しない事例だが、発生する時には複数の個体が同時に誕生するという報告が過去にもなされているようで、カタンたちの場合も、互いに隣接する人工子宮装置からほぼ同時期に生まれ出た三人だった。その発生パターンを解析した結果、或る種の確率の揺らぎというよりも、なにか有意味なファクターが事例の発生には絡んでいそうだという見方が有力だが、きちんとした検証は今のところなされていない。
 発生の原因については他にも様々な仮説が提唱されているから、ここではこれ以上の説明は割愛することにしておくとして、さて、一般的なコロニー住人よりも尚更ネオテニー化が進んでいるというのが具体的にどういうことなのかを説明するには、三人の外見をもういちど眺めてもらうとわかりやすいだろう。三人とも、幼稚園の制服である淡いブルーのセーラースーツを着てもまるで違和感のない幼い外見をしているのがすぐにわかる。カタンの身長と体重は一メートル十センチの十八kg、ボビンは一メートル二センチの十七kgで、ユリにいたっては一メートルに満たない九十九センチの十五kgという体つきだ。そんな小柄な体格で、下腹部がぷっくりした幼児体型に、体と比べて大きく丸い童顔の持ち主だから、高等助言官のみならず、何の予備知識も持っていなければ三人の本当の年齢を推し量ることなどできる筈もない。年齢は成人でも見た目は子供というよりも幼児そのものというのが、他の住人よりもネオテニー化の進んだ事例のサンプルである三人の外見上の特徴と言える。そして、次に内面的な最も特徴らしい特徴を挙げるなら、三人とも、その外見とは裏腹に、既に受胎可能な性器を有しているという事実をおいて他にはない。単なる成育不全とネオテニーとを根本的に区別する要因は、実に、この点にあるのだ。先述した通り、ネオテニーとは、身体は幼い段階のまま、生殖可能な状態になる現象だ。たとえば栄養不良やホルモン異状などを原因とする発育不全という状態とは、生物学的に根元的な差異を持つ事象なのだ。
 そして、成人しても幼児並みの体格しかないくせに既に受胎可能な状態なっているということは、言い換えれば、体格のそれ以上の成育は望み得ないということでもある。人間は、第一次と第二次の性徴期を迎えるたびにペニスや膣など外性器と精嚢や子宮・卵巣など内性器の機能が格段に進歩すると同時に、その機能を有するにふさわしい外見へと変化する。特に第二次性徴期を迎えてからの変化は顕著で、それまではどちらかというと中性的だった身体が、女性は丸みを帯びて乳房の発育が進み、男性は体毛の成長が顕在化すると共に筋肉質の体つきになり、それから数年間は身長、体重ともに、生涯の中でも最も目覚ましい発育をしめす時期を迎える。そして、第二次性徴期に伴う成長期を過ぎた後は、身体の発育はほぼ停止し、身体部位の機能は安定、一部の部位においては既に機能の低下が始まってゆく。カタン、ボビン、ユリが(幼児体型を保持したままで)生殖機能を有するようになったのは今から十四歳の時だった。それから七年が経過した今、生物が身体を発育させるのが生殖能力を有することを第一義としていることを考え合わせれば、三人の体がこれ以上発育する可能性はゼロだと断言せざるを得ない。
 つまり、三人は、幼児並みの体格でこれからの生涯を送ることを宿命づけられてしまったというわけだ。
 その貧相な体格ではコロニーのメンテナンスというような体力の必要な業務に従事することなどかなわない。そこでLP2の自治行政院は、教育期間を終えた三人を民政局の保護官の任につけることにした。つまり、幼児教育期間にある子供たちの面倒をみる保母みたいな仕事を与えたわけだ。一メートル四十センチくらいのケイトが幼児の面倒をみていても姉と妹がじゃれ合っているようにしか見えないのだから、三人が幼児の面倒をみている光景は、それこそ、同じような年齢の幼児どうしがふざけ合っているようにしか見えない。それでもカタンなら年長クラスの幼児くらいの体格があるから年中クラスや年少クラスの幼児に向かってなら幾らか威厳もしめせるのだが、最も小柄なユリだと年少クラスの幼児たちと一緒にいる時など、どうかすると年長クラスや年中クラスの幼児たちから妹扱いされることもしばしばという始末だった。
 何事も起きなければ、三人はそんな人生を送って生涯を閉じ、安楽死施設で自らの体を『コーションS』に変えて次世代の住人の糧となっていったかもしれない。けれど、連邦政府から二年前に届いた例の通達が三人の人生を劇的に変化させたのだった。援助物資の供給停止という脅しをちらつかせて連邦政府の高官たちがコロニーから幼児を何人も地球に『帰還』させ始めたという事実は、住民が怒りを爆発させて不測の事態を招きかねないからという政治的判断によって、一般のコロニー住人には知らされなかった。しかし、定期連絡にかこつけて高官の一人が自治行政院の長に言った言葉は、その言葉を耳にした自治行政院の幹部職員たちに、決して鎮まることのない怨嗟の念を抱かせるに充分だった。その言葉というのは「コロニーには多くの精子と卵子がストックされているのではないのかね? なのに、一つのラグランジェポイントで誕生する子供は年に四千体に過ぎないと聞いている。それなら、いずれは、ストックしている卵子と精子も保存耐用期限を迎えて廃棄されるしかないだろう。それはあまりに『非人道的な行為』とは思わないかね? だから、私たちは、少数とはいえコロニーからの帰還を認めることにしたのだよ。私たちの温情に感謝しつつ子供たちを地球に帰還させるのが自治行政を預かる者として当然の判断でなくて何だろうね」というもので、通信機のログに明瞭に残っている。
 人の誕生と死の両方に立ち会う機会が多いため却って感情を隠すようになっていた民政局の幹部職員も、この時ばかりは怒りに顔を赤黒くして連邦に対する復讐を誓い合った。そうして彼らは、連邦政府に対する特殊工作――それは、明らかに、テロという言葉で呼んでいいものだった――のプランを練り始めたのだ。そして、特殊工作員として選ばれたのが、カタン、ボビン、ユリの三人だった。




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