わが故郷は漆黒の闇


【九】


 その方が可愛いからとは、えらく無責任な理由に聞こえるかもしれないけれど、実に、それこそがユリのおむつの理由だった。身近な所から子供たちの姿が消え去ったため、連邦の高官たちは(子育ての真似事でもしてみたいという妻たちに強くせがまれてという事情もあって)コロニーから幼児を迎え入れる算段を企てた。渋るコロニー側に対しては援助物資を人実にとった脅しをかけて言うことをきかせたものの、けれど、どうしても一つだけ高官たちの思い通りにはゆかないことがあった。それは、高官たちがいくら望んでも、或る年齢よりも下の幼児をコロニーから出発させるわけにはいかないという事実だった。高官たちの妻の中には、どうせ子供を迎え入れるなら少しでも年齢が下の幼児を手に入れたいと願う者も少なくなかった。母性本能を持て余している妻たちにしてみれば、できることなら新生児を手に入れて本格的な育児ごっこを楽しんでみたいと思う者がいるのも自然なことだ。しかし、ラグランジェポイントに浮かぶコロニーから地球へ移動するには、シャトルに搭乗するしか方法はない。コロニーから地球へ向かう場合は、逆に地球からコロニーに向かう時とは違って発進加速に伴うGはさほどではないものの、けれど、地球に降下する際の大気圏突入という大イベントを避けては通れない。そして、大気圏突入に伴う減速Gと、飛行姿勢が安定するまでの激しい衝撃に、新生児や生まれて間もない乳児が耐えられるわけがないのは誰の目にも明らかだった。いくら連邦の高官とその妻が望んでも、物理法則を変えることはかなわない。そのため、迎え入れられる子供たちの年齢の最下限を三歳とするという暗黙の不文律が連邦とコロニー自治行政組織との間に結ばれたのだった。それを無視して三歳未満の乳児を強引に地球へ連れてこようとして事故でも起きたら、連邦とコロニーとの関係は修復不可能な状況に陥る。さすがに、そのことは、傲岸な高官たちも理解していた。だが、できるだけ幼い子供を相手に育児の真似事をしてみたいと願う高官の妻たちの思いは募るばかりだった。その思いを敏感に察したLP2自治行政院民政局の職員は、高官の妻たちが抱える願いを利用することにしたのだ。それが、特殊工作員を、幼稚園の年少クラスになってもまだおむつの外れない幼児とも乳児ともつかない子供に仕立てるという方策だった。そうすれば、妻たちの母性本能により強く訴えかけることができて、ユリたちの正体に気づかれる恐れが格段に減少するだろうという判断だった。幼児になりすませば地球への潜入は容易とは言うものの、切り札は一度しか使えない。念には念を入れる必要がある。連邦への復讐の思いに胸を焼かれる民政局職員のそんな判断のもと、工作員として選ばれた三人の内、最も幼く見えるユリがその役割を受け持つことになったわけだった。
 その方が可愛いからというのは、単にケイトが面白がって口にした言葉では決してない。その裏には、特殊工作を絶対に成功させねばならないという思いにかられる多くの人々の執念が渦巻いているのだ。
「そんなこと、何度もケイトの口から聞かされてきたわよ。でも、どうして私だけなの? おむつの方が可愛らしくて連邦のセキュリティをごまかしやすいなら、カタンとボビンにもパンツを穿かせずにおむつをあててあげればいいじゃないよぉ」
 ケイトの説明に、ユリは頬をぷっと膨らませて拗ねたように言った。
「だって、カタンは年長さんで、ボビンは年中さんってことになってるんだよ。年中さんや年長さんがおむつだなんておかしいよ。却って怪しまれて正体に気づかれるかもしれないから、おむつはユリだけでいいのよ。それに、小さな子供を欲しがっている人たちばかりじゃないのよ。おむつの交換なんて手間がかかるからトイレトレーニングの終わった子じゃなきゃ駄目っていう要望も多いらしいの。だから、これで丁度バランスが取れてるの。もう子供じゃないんだから、これくらいの理屈、ユリにもわかるでしょ?」
 『もう子供じゃないんだから』という部分をちょっと皮肉っぽく強調して、言い聞かせるようにケイトは重ねて説明した。
「だから、私もパンツにしてよ。もう子供じゃないんだったら、おむつなんて外してもいいんでしょ?」
 羞恥に耐えかねてか、尚も言い募るユリ。ぱっと見、おむつを嫌がる幼児そのものだ。
「あ、そう。おむつ、そんなにイヤなの。なら、パンツにしてあげてもいいよ。だけどユリ、パンツを汚さずにいられるの?」
 いつまでも我儘を言い続けるユリに、ケイトは少し意地悪な口調で言い返した。
「……それは……」
 はっとしたように顔を上げて、ユリは口ごもった。
 いくら口ではおむつはイヤだと言っても、実際おむつを汚してしまっているユリだ。カタンやボビンのように女児用のショーツを穿かせてもらったとしても、たちどころにおもらしで汚してしまうのは目に見えている。
 けれど、そんなユリにしても、生まれてからずっとおもらし癖があったわけではない。これも、帰還準備室に配属されてから受けた様々な訓練の結果だった――。


 連邦側に明確な証拠を掴まれるのを避けるため、文書による辞令の交付は行われなかった。全ての指示は口頭で伝えられた。もちろん、民政局保護官としての任を解くという連絡も、自分たちが特殊工作員に選定されたという事実も、その頃はまだ知らされていなかった帰還準備室というセクションへ出頭するようにという指示も。
 その日、センター長に伴われ、緊張した面もちで帰還準備室に足を踏み入れたユリたち三人を待っていたのは、三人ともがよく見知った顔だった。
「いらっしゃい、カタン、ボビン、ユリ」
 にこやかにそう言ってユリたちを出迎えたのは、保護官として三年先輩のケイトだった。
「え? あ、あの、ケイト保護官も新しい任務を命じられたんですか?」
 予想もしていなかった顔を目の当たりにして、カタンが戸惑ったようにケイトに尋ねた。
 三人とも、ケイトの指導を受けたおかげで、これまで大過なく保護官という職務を全うしてこられたのだ。それが、三人揃って職務を解かれて別のセクションに異動するよう指示され、ケイトと離れ離れになるのを寂しく思いながら新しい配属先に来てみれば先にケイトがやって来ていたのだから、驚くのも無理はない。
「いいえ。私の職務は元のままよ」
 カタンたちの驚きようが面白かったのか、くすくす笑いながらケイトは応えた。
「で、でも、こんな帰還準備室なんて、一般職員はまるで知らないセクションで顔を会わせるなんて……私たち、こんなセクションがあるなんて、ついさっき知らされたばかりなんですよ」
 カタンの言葉を引き継いでボビンが早口で言った。
「そうね、あなたたちは知らなかったわね。でも、私は早い時期から帰還準備室というセクションのことはよく知っているのよ。――実は私は二つの職務を兼任しているの。一つは一般保護官としての職務。そしてもう一つが、帰還準備室の室長という職務なのよ」
 悪戯めいた表情でケイトは言って、三人に向かって軽くウインクしてみせた。




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