わが故郷は漆黒の闇


【十】



「ケイト保護官が帰還準備室の室長……?」
 ユリがぽかんとした顔になった。
「そうよ。この帰還準備室というセクションの存在が公になっていないのはカタンたちも知っての通り。だから、このセクションの専従スタッフというのを置けないの。もしも一人でも専従スタッフを置いて、そのスタッフがこれまでの配属先から抜けたりしたら、ただでさえ人手不足の民政局のことだもの、大騒ぎになって、下手したら、帰還準備室の存在が一般職員にも知られてしまうかもしれないでしょう? そんなことになったら、コロニーの住人みんなに知れ渡ってしまうのも時間の問題。そうしてコロニーの住人が連邦の行為を知って騒ぎ出したりしたらどんなことになるか予想もつかない。だから、通常の職務と秘密裡の職務を兼任できる人間が必要なの。私がその任務を与えられたのには幾つか理由があるけど、それはあなたたちのミッションとは直接関係はないから省略します。――大まかな説明は以上。ここへ来てもらって早速で悪いんだけど、ブリーフィングを始めたいと思います。いいわね?」
 ケイトはこれまでの経緯を手短に説明すると、セクションリーダーらしいきっぱりした口調で三人に同意を求めた。
「あ、はい」
「うん」
「いいけど」
 三人とも充分に納得したという表情ではないけれど、いつしかケイトのペースに巻き込まれていた。

 センター長を交えてのブリーフィングは二時間ほどで終了した。その内容は、連邦が各コロニーに送りつけた通達の真意に関する説明と、それに対するコロニーの対応、そして、コロニーの対応に対して連邦がとった措置の詳しい説明といった事実確認に加えて、LP2自治行政院が連邦への特殊工作を決行せざるを得なくなった事態に関する正当性の検証ならびに特殊工作の内容および地球への潜入方法の解説といった技術的なレクチャーといったものだった。
 そうして、総合的なブリーフィングが終わってセンター長が出て行った後、実際に特殊工作を担当することになった三人と、三人の訓練係兼コマンダーといった役割を担うことになるケイトとの間で、更に詰めた意見交換・打ち合わせが始まった。
「ブリーフィングでも説明した通り、この二年間で地球に帰還して行った子供たちの数はLP2だけで既に二十六人になります。その中には、あなたたち三人が保護官として接した子供たちも入っています。――保護官として勤務していた時、或る日、急にクラスからいなくなった子供がいたでしょう?」
 ケイトは三人の顔を順番に見やって硬い表情で言った。それまでに比べて言葉遣いが幾らか他人行儀になったのが、却ってケイトの三人に対する期待を物語っているみたいな気がする。
「いました。私が知っているのは二人ですが、二人とも、何の前触れもなく、或る日、クラスから姿を消していました。わけがわからなくて主席保護官に説明を求めたのですが、その時、主席保護管からは『素晴らしく成績もいいし体の発育もいいから、飛び級制度で幼児教育期間を途中で終えて初等教育機関に身柄を移した』という説明を受けただけで、具体的にどのブロックにあるどの初等教育機関に移ったのかは、いくら尋ねても教えてもらえませんでした。今になって思うと、あれが……」
 カタンは険しい目つきで言った。ただ、どうしても年長クラスの幼児にしか見えないカタンが険しい目つきをしてみせたところで、なんとも愛くるしい表情になるだけなのだが、それはご愛敬というものだ。
「そういうことです。その子供たちは、初等教育機関へなど行っていません。その子たちが連れて来られたのは、ここ。この帰還準備室です」
 ケイトはふっと溜息をついて室内をぐるりと見まわした。
「高等助言官は、育児センターを訪れるたびに、幼児教育施設を見てまわります。その訪問が一般職員に気づかれないよう、バックヤードの廊下を移動し、マジックミラー越しに教育ルームの様子を観察したり、健康管理センターのデータベースに無制限権限でアクセスして子供たち一人一人の成育度合いや健康状態といったデータを入手したりしているのです。そうして、連邦の高官たちからの要望に沿うような子供を見つけると、その子を地球に帰還させるよう育児センター長に指示します。ブリーフィングで経緯を説明したように、高等助言官の指示には逆らえません。センター長は、高等助言官に指示されるまま、帰還対象とされた子供を、一般職員にそれと気づかれないよう注意を払いつつ、ここ帰還準備室へ送り込むわけです」
「すみません、一つ質問してもよろしいですか」
 ケイトの説明を遮ってボビンが手を上げた。
「いいでしょう。どんな質問ですか?」
 ケイトは小さく頷いてボビンの顔を正面から見た。
「はい。あの、帰還準備室というのは、何をするためのセクションなんでしょうか? さっきのブリーフィングだけではもうひとつわかりにくかったもので、補足説明をしていただけると助かるのですが」
 ボビンはちょっと恐縮したように身を固くして言った。
「わかりました。これまでの説明の後に帰還準備室の設立目的を話そうと思っていたのですが、ここは順序を入れ替えた方がわかりやすいかもしれません。それでは、まず、帰還準備室が何を目的として設立されたか、そこから説明することにしましょう」
 そう言ってケイトは言葉の順番を組み立てるみたいに少し間を置いてから続けた。
「簡単に言えば、帰還準備室がしているのは、地球に帰還する予定の子供たちが実際に地球に着いてから戸惑うことがないよう、予め地球での生活に関する予備知識を与えるということです。コロニーの教育機関では、コロニーで生活する上での慣習や、宇宙物理学の基礎、それに、コロニーのメンテナンス等に関する技術的な知識と技術を教えています。けれど、その知識や技術だけではコロニーでの生活には支障がなくても、地球で生活するには何の役にも立ちません。そこで、地球上の生活様式や風習、人間関係といった知識を与えて、子供たちが地球での生活に少しでも早く慣れるよう、前もって準備を進めておくことが必要になります。帰還準備室は、そのためのセクションなのです。帰還することになった子供たちはここで一ケ月間の教育を受けてから地球に向かって旅立つわけです。――それと、地球の重力に慣れるための訓練も行っています」
 ケイトは、これまでに地球へ向かって送り出した子供たちの顔を思い出すように目を細めながら説明した。
「地球の重力に慣れるための訓練……」
 ユリがぽつりと呟くみたいにケイトの言葉を繰り返した。




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