わが故郷は漆黒の闇


【十三】


「そうよ。あなたたちも、保護官として子供の面倒をみていた時は自分のことを『先生』とか『お姉ちゃん』とか呼ばせていたでしょう? 今は私があなたたちの面倒をみる先生で、あなたたちは面倒をみてもらう子供だもの、呼び方もそれに合わせなきゃ」
 ケイトは、何を今更とでもいうような口調でカタンに言った。
「あの……私たちの同期の他の保護官は自分たちのことをそんなふうに呼ばせていたみたいですけど、私たちは子供たちからそんなふうに呼んでもらったことは一度もないんです」
 横合いから少し悔しそうに言ったのはボビンだった。
「そうです。私たち、子供たちからも同い年の子供くらいにしか見てもらえなくて、だから、面倒をみている時から『カタンちゃん』『ボビンちゃん』『ユリちゃん』なんて呼ばれてて……」
 やはり横合いから溜息まじりに言ったのはユリだった。
「特にユリはそうよね。年長クラスや年中クラスの子から見たらユリの方が小さいんだもん、仕方ないっちゃ仕方ないんだけど」
 童顔に似合わない溜息をつくユリの表情に苦笑しながらカタンがからかう。
「あ、カタン、ひっど〜い」
 ユリがぷっと頬を膨らませた。
「はいはい、わかりました。あなたたち、誰一人として先生なんて呼ばれたことがないのね。でも、逆に、ちゃん付けで名前を呼ばれるのには慣れているみたいだから、それはそれで好都合かな」
 ほんの少し呆れたみたいにケイトは言って、ちょっと何か考えるように目を細めると、カタンの目の前にあるバスケットにすっと手を伸ばした。
「さっきは自分で着替えなさいって言ったけど、ちょっと前言撤回。ついでだから私が着せてあげるわ。着るのが難しい物は一つもないけど、地球じゃ、あなたたちを着せ替え人形みたいにして遊びたがっている人が待っているかもしれないから、そういう事態にも慣れておいた方がいいかもしれないしね。それじゃ、カタンちゃんから始めましょう。あとの二人はちょっと待っててね。ここは他の部屋と違ってエアコンもちゃんと効いているから、少しの間なら裸ん坊でも大丈夫よ」
 そう言ってケイトは、バスケットから、くしゅくしゅに丸まった布地をつかみ上げると、両手でぱっと広げてみせた。
「はい、パンツ。コロニーで育てた綿でできたパンツじゃない、地球産のパンツだから穿き心地はいい筈よ」
 ケイトがカタンの目の前で広げたのは、どこかくすんだ色のコロニー産のパンツとはまるで違う、純白の生地でできた女児用のショーツだった。純白とはいっても、全体が無地なわけではなく、お尻の膨らみのあたりに何か人の顔みたいなのがプリントしてある。
「……何なんですか、そのプリントは?」
 ショーツのバックプリントを目にしたカタンは、少しばかり興味深げにケイトに訊いた。
「ああ、これ? これはね、前世紀のニッポンで放映されていた旧式のアナログテレビ番組の主人公よ。なんでも、『ナージャ』とかいう名前の女の子らしいわ」
 ケイトは、手にしたショーツのバックプリントに描かれた十五歳くらいの少女の顔をちらと見て応えた。
「ここ何年間も地球では子供が生まれていないから、テレビでも子供番組は一つも放映していないらしいわね。でも、連邦の首府じゃ、コロニーから帰還させた子供たちに見せるために昔のアニメなんかを限定的に放映しているらしいの。それが子供たちに受けて、大昔のニッポンの、パンツにアニメの主人公をプリントするという風習が首府で復活してるんだって。詳しいことは知らないけど、こういうバックプリントのあるショーツも含めて、そういった前世紀ニッポンの風習を総称して『萌え』とか呼ぶらしいわね。英語がまだ世界共通語になる前から"moe"という単語は多くの国で認知されていたという記録もあるそうよ」
「ふぅん。絵柄はいろいろ種類があるんですか?」
 ケイトの説明を聞いていたボビンが僅かに首をかしげて訊いた。
「そうね、こちらに届いている情報じゃ、『夢のクレヨン王国』とか『金魚注意報』とかいうのもあるそうよ。あ、そうそう、ボビンちゃんに穿かせてあげるパンツは『おジャ魔女ドレミ』だから楽しみに待っててね」
 ケイトは、ボビンの方にひょいと振り向いて、にこやかに微笑みかけた。
「じゃ、ユリのも、その『萌え』パンツなんですか?」
 ボビンは、ケイトが持っているナージャのパンツとユリの顔を見比べて何気なく訊いた。
「あ、ユリちゃんのは別よ。前世紀ニッポンでは、『萌え』という風習とは別に『カワユイ』とかいう風習もあったらしいの。ユリちゃんには、その『カワユイ』系を代表する『ハローキティ』の下着を用意してあるから」
 ケイトは小さくかぶりを振ってボビンに応えた。
「へ〜え、いろんな風習があったんですね、昔のニッポンには」
 半ば感心しているような、半ば呆れているような声でボビンは言った。
「そういうこと。ま、前世紀の地球には、いたる所に混沌としたエネルギーが渦巻いていたらしいわね」
 ケイトは軽く頷いてから、手にしたショーツをカタンの右足に通した。それから、今度は代わりに左足を上げさせてショーツの股ぐりを通し、そのままウエストのゴムを引っ張ってお腹のあたりまで手早く引き上げる。
 ケイトの言う通り、『明日のナージャ』のバックプリントが付いたショーツは、コロニー産の綿を素材にしたパンツなど比べ物にならないほど肌触りが良かった。さらりとした感触で、腿と腰まわりのゴムは強すぎず弱すぎず、ショーツ全体でふわっとお尻から下腹部を包み込む感じだ。
「どう?」
 床に膝をつき、カタンに肩を貸した姿勢で、ケイトは確認するように訊いた。
「あ、あの……いい感じです。こんなに気持ちのいいパンツ、初めてです」
 両目の下をうっすらと赤く染めて、はにかみがちにカタンは応えた。




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