わが故郷は漆黒の闇


【十四】


「そう、気に入ってもらってよかった。さ、次はシャツよ。ショーツと同じように保温性と吸水性のいい生地でできたシャツだから、これも気に入ってもらえると思うわ。はい、お手々を上げてバンザイしてちょうだい」
 カタンにショーツを穿かせたケイトは、床についていた膝をすっと伸ばして、今度はカタンの両手を高々と差し上げさせ、バスケットからつかみ上げたシャツをさっと広げてカタンの頭からかぶせた。
「どう、シャツの着心地は?」
 いくらか大きく開いた丸首のシャツの胸元のシワをのばし、裾を引っ張って乱れを整えながら、ケイトはカタンの耳元に唇を寄せて囁きかけた。
「あ、あの、シャツもとっても着心地いいです。つるっとしてて、さらさらで……」
 プロテクターを兼ねたボディスーツに比べれば、地球製のシャツの着心地の良さは格段なのは言うまでもない。それも、幼い女の子の柔らかな肌に合わせて選んだ素材をしっかり縫製して仕立てたシャツなのだから尚更だ。
 けれど、カタンがそう応える時に熱い溜息が交ざっていたのは、シャツの着心地のせいばかりではないのかもしれない。地球住人の基準でいえば小学生くらいのケイトが幼稚園児くらいのカタンの耳たぶに唇を寄せて何やら囁きかけている光景というのは、或る意味ひどくなまめかしく見える。そんな情景がカタンの心を高ぶらせたとしても不思議ではないように思うのは考え過ぎだろうか。二人とも、見た目は少女と幼女でも、その実、既に受胎可能な体の持ち主なのだ。男と女の自然な営みを固く禁じられたコロニーでの生活の中、あるいはと思うのは不謹慎だろうか。
 ともあれ、ショーツに続いて、カタンは女児用のシャツの着心地にも満足したようだ。
「さ、いよいよ幼稚園の制服ね。パンツとシャツだけでも可愛いけど、これを着たら、もっと可愛い幼稚園児になれるわよ。はい、そのまま、お手々を上げたままにしていてね。カタンちゃんはいい子だもの、ケイトお姉ちゃんの言いつけ、ちゃんと守れるよね」
 ケイトはわざとのように幼児言葉で言って、淡いブルーのセーラースーツをカタンの頭にすっぽりかぶせた。
「この制服はね、シルクでできているのよ。本当なら小さな子供が着る物に使うには贅沢すぎるんだけど、連邦の高官たちが、せっかくだからって採用させたらしいわ。わざわざそのために、今じゃ絶滅した蚕を遺伝子技術で蘇らせたそうよ。んっとに、それだけの技術と資源を他のことに使えば助かる人だっているでしょうにね」
 やはりカタンの耳たぶに熱い吐息を吹きかけんばかりに、それでも今度は、少しだけ怒気を含んだ声でケイトは囁いた。
「連邦の高官たちは、そんなに子供たちを大事に思っているということでしょうか?」
 セーラースーツの胸元のリボンをきゅっと結わえるケイトの指先を目で追いながら、カタンは思案げに呟いた。
「たぶん、違うわね。地球連邦ができた時には、誰もが理想に燃えていたと思う。困難な事態に人類が力を合わせて立ち向かうことを決心した、そのシンボルが連邦制度の制定だったと思う。そのために、人類が力を合わせることができるかどうかを試す最初の試金石として太平洋上にメガフロートを築いた筈だった。でも、それから百年以上の時間が流れて、当初の理想は失われてしまった。連邦の首府でぬくぬくと生きている高官たちは、旧来の国々やコロニーで暮らす人たちの困窮を知ろうともしない。そんな腐りきった連中が子供たちを大事になんかするもんですか」
 セーラースーツの乱れを整えてから、大きな襟に年長クラスを示すコバルトブルーのリボンを安全ピンで留め、『ねんちょうぐみ・カタン』と書いた布製の名札をセーラースーツの左胸に、これもやはり安全ピンで留めながら、ケイトは吐き捨てるように言った。
「でも……」
 カタンはケイトの突然の口調に気圧され、微かに体を固くした。
「あ、ごめん。怖がらせちゃったわね。でも、本当のことよ。あいつら、コロニーから力づくで帰還させた子供たちのこと、ペットくらいにしか思ってないのよ。贅沢なシルクでできた制服を着せるのだって、せっかく手に入れた珍しい動物をきらびやかに着飾らせて喜んでいるだけなのよ。あなたたちの潜入期間がどれくらいの長さになるか、今のところ、私にもわからない。それは上層部が決めることだからね。でも、憶えておきなさい。もしも潜入期間が長引きそうなら、連中には気をつけなさい。ずっと一緒にいると連中が親切そうに見えることがあるかもしれないけど、でも、それが表面のことだけだってこと、絶対に忘れちゃ駄目」
 セーラースーツに続いて、足首のところが小さなフリルになった短めのソックスをカタンに履かせながら、きつい口調でケイトは言った。
 それに対して、カタンは無言で頷くばかりだ。
「あとは髪を整えて――はい、できた。うふふ、可愛い幼稚園児のできあがりよ」
 カタンの後ろ髪を二つに束ね、一つ一つの房を飾りの付いたカラーゴムできゅっと結わえたケイトが、再び急にがらりと口調を変えて言うと、ボビンとユリの方に振り向いた。
「どう? カタンちゃん、とっても可愛いでしょ?」
「あ、はい……」
「……びっくりしました」
 すっかり幼稚園児の装いに身を包まれたカタンの姿に、ボビンもユリも、目を丸くして大きく頷いてしまう。
「よかった、二人にそう言ってもらえて」
 ケイトは、にっと笑って満足そうに頷いた。
 そうして今度は、カタンの横に立っているボビンの目の前に移ると、ボビンの顔を覗き込んで言った。
「さ、次はボビンちゃんの番よ。カタンちゃんに負けないくらい可愛い年中さんの幼稚園児になりましょうね」
 ケイトの言葉に頬を赤くして、ボビンは頼りなげに睫毛を震わせるばかりだった。




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