わが故郷は漆黒の闇


【十六】


「冗談なんかじゃないわよ。私は一度もユリちゃんの分は『パンツ』だなんて言った憶えはないんだからね。ま、もっとも、『下着よ』と言っただけで『おむつよ』とも言わなかったけど」
 ユリの胸の内を見透かしたように、ケイトはすっと目を細めて言い、パステルピンクの生地にハローキティをプリントしたおむつカバーを改めてユリの目の前に突きつけた。
「で、でも……どうして私だけ、パンツじゃなくて、お、おむ……」
 どうして私だけおむつなんですか。心を奮い立たせてそう訊こうとするユリだが、やはり今度も言葉が途中までしか続かない。
「地球で子供たちの到着を心待ちにしている人たちの中には、本当に小さな子供、それこそ新生児を欲しがっている人も大勢いるのよ。でも、赤ちゃんをシャトルに乗せることは、とてもじゃないけど危なくてできるわけがない。だから、三歳児以上しか地球に帰還させないっていう暗黙の取り決めがコロニーと連邦との間にできたの。一応、表面上は連邦の高官たちもそれで納得しているけど、それでもやっぱり少しでも小さな子供を欲しがる人たちがいるのよ。そんな人たちにとって、まだおむつの外れない子供というのは、それこそ、滅多に手に入らない貴重な宝石と同じくらいの価値があるの」
 ケイトは、サイズを確認するように、手にしたおむつカバーをユリの下腹部にそっと押し当てながら言った。
「形式的なものだけど、地球に帰還する子供たちも首府の宇宙空港に到着した時点で一応は身体や所持品のチェックを受けることになっているの。コロニー側が子供たちを利用して何かしでかすんじゃないかって、あまり本気じゃないにしても、連邦の高官たちもちょっとは危機感を持っているのよ。あなたたち三人ならチェックに引っかかって正体がばれるような心配はまずないでしょうけど、念には念を入れておかないとね。それで、ユリちゃんには、貴重な宝石の役をしてもらうことにしたのよ。まだおむつの外れない子っていう設定にしておけば、身体チェックが甘くなる筈だから。――ユリちゃんがおむつな理由、これでわかったわね?」
 ケイトはおむつカバーをユリの下腹部に押し当てたまま、有無を言わさぬ強い口調で言った。
「……で、でも、それだったら……カタンやボビンだって、おむつにすればいいじゃないですか」
 下腹部に触れるおむつカバーのなんともいえない感触から逃げるように腰をひき気味にして、ユリは細い声で言った。
「それは駄目よ。だって、考えてもみて? カタンちゃんは年長さんで、ボビンちゃんは年中さんってことになってるのよ。年長さんや年中さんでおむつの外れていない子なんて滅多にいないわよ。なのにおむつをあてていたりしたら却って怪しまれだけ。おむつが不自然じゃないのは、せいぜい年少さんまでよ。だから、ユリちゃんだけ、おむつなの」
 これから先ことあるごとに繰り返されることになるやり取りの、これが最初の一回目だった。
「で、でも……だからって、お、おむつなんて……」
 いくらユリが腰をひいても、ケイトが尚更おむつカバーをユリの下腹部に強く押し当てる。そのつるっとした防水生地の肌触りが妙に恥ずかしくて、ユリは頬をピンクに染めて小さな声で抗弁した。
 それに対してケイトは、くすっと笑って
「大丈夫よ、すぐに慣れるから」
と言うと、おむつカバーをそっとバスケットに戻して、不意にユリの体を両手で抱き上げた。
 地球の住人から見れば小学生くらいの体格しかないケイトだが、ユリの方は、それこそ幼稚園の年少児くらいの体つきだ。軽々とはゆかないものの、本気になれば、その小さな体を抱き上げることは難しくない。
「やだ、何するんですか、ケイト保護官たら」
 突然のことにユリは身を固くして、甲高い抗議の声をあげた。
「言った筈よ。私のことはケイト保護官じゃなく、ケイトお姉ちゃんて呼びなさいって。今度から気をつけなさいね。――心配しなくていいわよ。少しの間だけおとなしくしていればいいの。すぐにすむから」
 ケイトはそう言ってユリの体を横抱きに抱き直すと、カタンとボビンに向かって目配せをした。
 カタン、ボビンとケイトが前もって打ち合わせをしていたわけではない。けれど、カタンもボビンも、ケイトが二人に何をさせようとしているのか、すぐに察しがついた。
 二人は同時に頷くと、ケイトがバスケットに戻したおむつカバーをボビンがあらためてつかみ上げ、おむつカバーの下に置いてあった布おむつを六枚、カタンが両手で持ち上げた。
「や、やだ……カタンもボビンも何をするつもりなのよ。ね、やめようよ、そんな冗談は」
 ほどよく弾力性のある床の上にボビンがおむつカバーの前当てと横羽根のマジックテープを外して広げ、その上にカタンが布おむつを一枚ずつ丁寧に重ねている様子をケイトの腕に抱かれたまま見おろして、ユリは悲鳴じみた声をあげた。
 カタンもボビンも、実際の年齢にはまるで似つかわしくない幼女の装いに身を包まれて、言葉では言い表せない羞恥を覚えていた。それが地球に潜入するための仮の姿だということは理性ではわかっているものの、感情はどうにもならない。アニメキャラのバックプリントをあしらった女児用のショーツに、レースのフリルが可愛い足首までの長さのソックス、それに淡いブルーのセーラースーツという装いは、カタンもボビンも同じだ。互いに相手の姿を目にするたび、自分もそれと同じ格好をしているのだと、いやでも思い知らされてしまう。その羞恥を少しでも軽減するために、二人は、どちらから言うともなく、ケイトの手助けをすることにしたのだった。自分たちの恥ずかしい姿を少しでも忘れるために、ユリにおむつをあてようとしているケイトの手助けをすることにしたのだった。
 自分たちの恥ずかしさをごまかすためにユリに自分たちよりも恥ずかしい格好をさせようとして、どちらからともいうことなくケイトの手助けをしてしまう二人を、けれど誰が責められるだろう。




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