わが故郷は漆黒の闇


【十八】


 おむつカバーの左右の横羽根をマジックテープでしっかり留めると、布おむつが押さえられて、ユリが少しくらい体を動かしても殆どずれることがなくなる。ケイトは横羽根の留め具合を指先で確認すると、小さく頷いて、今度は、おむつカバーの前当ての端を持ち上げた。
「もうすぐだからね。もうすぐ、ユリちゃんのお尻はおむつでくるまれちゃうからね」
 ケイトは、布おむつをそうしたように、おむつカバーの前当ての端をユリの両脚の間に通しておヘソのすぐ下まで持ってゆき、横羽根の上に重ねて、これもしっかりマジックテープで留めてしまった。
「さ、できた。あとは、こうして……」
 おむつカバーの前当てを横羽根に重ねて留めたケイトは、おむつカバーの全体の形を整えて、おむつカバーの裾からはみ出ている布おむつを指先で優しくおむつカバーの中に押し込んでいった。
「うん、これでいいわ。これなら、ユリちゃんが少しくらいたくさんおしっこしちゃっても横漏れすることはないわね。お待たせ、ユリちゃん。おとなしくしてて本当にいい子だったわね」
 ケイトは、布おむつの厚みでぷっくり膨れたユリのお尻をおむつカバーの上からぽんぽんと叩いてカタンとボビンに三度目の目配せをした。
 カタンとボビンはケイトに向かって小さく頷き返すと、それまでユリの腕を押さえていた手をそっとどけた。
 と、ユリが慌てて上半身を起こして、自分の下腹部に両手を伸ばした。もちろん、無理矢理あてられたおむつを外すためだ。
 けれど、ユリがどんなに頑張っても、おむつカバーの前当ては横羽根から外れない。ユリはおむつカバーの前当ての端を指先でまさぐり、強引にマジックテープを剥がそうとするのだけれど、まるで歯が立たないのだ。
「や、やだ……どうなってるのよ、このおむつカバー……」
 おむつカバーに包まれたお尻をぺたんと床につけ、上半身だけ起こして自分の下腹部をまさぐるユリの姿は、まだ年端もゆかぬ幼児そのままだった。実は僅かながらも膨らんだ乳房を持ち、おむつの中には成熟した性器を持っているのだが、その本当の年齢を物語るのは、妙に大人びた口調の呟きだけだった。
「無理よ。そのおむつカバー、ユリちゃんの力じゃ絶対に外せないようになっているんだから」
 ユリのすぐ目の前で膝立ちになったケイトが、ユリの手の動きを面白そうに眺めながら言った。
「どういうこと……?」
 尚もおむつカバーの前当てを外そうと両手の指を動かしながら、ユリは驚いたような顔でケイトに問い質した。
「そのおむつカバーに使っているマジックテープ、普通のじゃないのよ。スペースジャケットの下に着るボディスーツの電磁ファスナーと同じ仕組みになっているの」
 ケイトは、しれっとした顔でこともなげに応えた。
 コロニーに暮らす住人が常に簡易スペースジャケットを着用しているのと、スペースジャケットの下にプロテクターを兼ねたボディスーツを身に着けているのは前述した通りだ。そのボディスーツに使われているファスナーは、私たちが知っているような単純なファスナーではない。いざという時に身体の中枢部分を保護する役目を持つボディスーツだから、ファスナーにしても、簡単には破損せず、少々の衝撃では開いてしまわないよう、特殊な構造になっている。それが、分子一つ一つが強力な電磁力で結合するような仕組みになっている『電磁ファスナー』だ。一般的なファスナーとは違って、この電磁ファスナーは、三重の螺旋状になった長い高分子構造をエントロピー弾性によって何重にも折りたたむように絡み合わせ、螺旋構造の節目ごとに電気的に分極させた上で強磁性体を付着させることで強力な結合力を生み出すような仕組みになっている。その結合力は、とてもではないが、普通のファスナーみたいに人間の力で引き離せるものではない。電磁ファスナーを解放するためには、電磁的な結合力を無力化する『フィールドキャンセラー』という装置を使う必要がある。もっとも、このフィールドキャンセラーというのは大がかりな装置などではなく、昔のポケットベルくらいの大きさしかない物で、コロニーの住人なら誰もがスペースジャケットのポケットに入れて常に持ち歩いている。ただし、フィールドキャンセラーがあるからといって、無条件に電磁ファスナーを開くことができるわけではない。誰かがフィールドキャンセラーを作動させた途端、周囲の人間が着ているボディスーツの電磁ファスナーまで開いてしまっては、不測の事故が起こる危険がある。そのような事態にならないよう、電磁ファスナーとフィールドキャンセラーとは一対一のペアになっていて、それぞれに共通のキーコードが内蔵されている。そのキーコードが合わなければ、いくらフィールドキャンセラーを作動させても電子ファスナーは開かないようになっているわけだ。そして、ケイトの言葉を信じるなら、ユリのお尻を包み込んでいるおむつカバーに使われているマジックテープは、そんな強力な電磁ファスナーと同じ仕組みになっているという。そうなら、いくらユリが力を入れても、おむつカバーの前当てを開けることができないのは当然のことだ。
「これが何だか、ユリちゃん、わかるかな?」
 絶望的な表情を浮かべてケイトの顔を見上げるユリに向かって、ケイトはスペースジャケットのポケットから小さなカードのような物を取り出してみせた。
「もちろん、見覚えがあるわよね。そう、ユリちゃんもよく知っているフィールドキャンセラーだもの。ただし、これは、おむつカバーの電磁マジックテープを外すためのキーコードを内蔵したフィールドキャンセラーだけどね」
「外して、おむつを外してよぉ。私、赤ちゃんなんかじゃない。赤ちゃんじゃないんだから、おむつなんて嫌なの」
 ユリは慌てて立ち上がると、ケイトが取り出したフィールドキャンセラーに向かって手を伸ばした。
 それに合わせて、それまで膝立ちだったケイトも素早く立ち上がり、フィールドキャンセラーを持った右手を自分の頭の上に差し上げた。そうなると、小柄なユリがいくら爪先立ちをしてもフィールドキャンセラーには指先も届かない。




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