わが故郷は漆黒の闇


【十九】


 おむつのせいで脚を閉じることができなくて両脚を少し開きぎみにしてケイトの高く差し上げた右手に向かって爪先立ちするユリの姿は、お気に入りのオモチャを姉に取り上げられてしまって必死になって取り返そうとしている幼児そのままだった。
「それを貸して、そのフィールドキャンセラーを貸してちょうだい」
 ケイトが持つフィールドキャンセラーに手が届かないのは充分に承知していながら、尚も諦められずに、ユリはぴょんぴょんと飛び跳ねるようにして指を伸ばした。
「駄目よ、ユリちゃん。これは子供のオモチャじゃないんだから」
 すっかりユリのことを子供扱いして言って、ケイトはフィールドキャンセラーをますます高く差し上げた。
「私、子供じゃない。私、赤ちゃんなんかじゃない」
 ユリはぶるんと首を振って、おむつで膨れたお尻を後ろに突き出すようにして右手を伸ばした。けれど、その指先は、ようやくケイトの肘のあたりに届くか届かないかだ。
「わかってるわよ、ユリちゃんが赤ちゃんなんかじゃないことは。ユリちゃんは幼稚園の年少さんだもの、赤ちゃんに比べればずっとお姉ちゃんだものね。でも、おむつは恥ずかしくないのよ。年少さんでもおむつの外れてない子は珍しくないの。だからユリちゃんがおむつでも恥ずかしくないのよ」
 ケイトはころころ笑いながら言った。
「でも、嫌なの。おむつは嫌なの」
 ユリは訴えかけるようにケイトの顔を振り仰いだ。
「そう、そんなにおむつを外してほしいの。だったら、いいことを教えてあげる」
 不意にケイトが目を細めて言った。
「いいこと……?」
 ユリはきょとんとした顔で聞き返す。
「そう、いいこと。あのね、本当を言うと、フィールドキャンセラーを使わなくても電磁マジックテープを外す方法があるのよ」
 まるで重大な機密情報を告げるみたいに声をひそめてケイトが言った。
「本当? 本当に、フィールドキャンセラーを使わなくてもいい方法があるの?」
 ユリの顔がぱっと輝いた。
「本当よ。可愛いユリちゃんに嘘なんてつくもんですか」
「どうすればいいの? ね、どうすればのか早く教えてよ」
「簡単なことよ。おむつカバーに使っている電磁マジックテープはH2Oセンサーを内蔵していて、或る程度以上の水分を検知すると、フィールドキャンセラーを作動させなくても分子間の電磁結合力が無効化するようになっているの」
 ケイトは言い聞かせるようにゆっくりした口調で説明した。
 が、ユリがその意味を理解するまでには、少しだけ時間が必要だった。
「……H2Oセンサーを内蔵……或る程度以上の水分を検知……」
 ユリはぽつりと繰り返した。
 そうして突然、両目を大きく見開く。何か言おうとするのだが、唇が震えて言葉にならない。
「どうすればおむつカバーのマジックテープを開くことができるか、ユリちゃんにもわかったみたいね」
 ケイトは、にっと笑ってユリに囁きかけた。
「あの、ひょっとして、ユリちゃんがおもらしすると、おむつカバーのマジックテープが外れるようになっているということですか?」
 ユリに代わって言ったのはボビンだった。
「はい、正解。ボビンちゃん、よくできました」
 ケイトはボビンの頭をくしゅっと撫でて、あらためてユリの顔を見おろした。
「もちろん、ユリちゃんもわかってるよね? 私がフィールドキャンセラーを持ったまま出かけている時にユリちゃんがおむつを濡らしちゃってもカタンちゃんやボビンちゃんがおむつを取り替えられるように、マジックテープにH2Oセンサーを内蔵しておいたのよ。これで、いつおもらししちゃっても安心ね」
「わ、私、おもらしなんて……」
 ユリは唇を震わせながらも、咄嗟にケイトに言い返した。
 けれど、すぐに気がつく。このままおむつを外すことができないのならトイレに行くこともできないのだ。
「……いや、そんなの、いや。おむつにおもらしなんて、そんなの、絶対に嫌!」
 ユリは今にも泣きだしそうな表情になって、悲鳴じみた声で弱々しく叫んだ。
「いいのよ、それで。ユリちゃんはおむつの外れない小っちゃな子供になって地球に潜入するんだから。これからの訓練期間の間ずっとおむつにおもらしして、おむつに慣れてもらわなきゃいけないんだから」
 ユリの悲鳴など耳に届かぬかのようにケイトは決めつけた。
「さ、おむつの後はシャツと上着よ。あ、そうだ。その前にソックスを履いておきましょうか。おむつの外れない年少さんのユリちゃんのために、年長さんのカタンちゃんや年中さんのボビンちゃんのと比べてずっと可愛いソックスを用意しておいたのよ」
 ケイトはフィールドキャンセラーをスペースジャケットのポケットに戻すと、気密性を保持するカバーでポケットを覆って、バスケットの中から、おむつカバーの生地と同じ色合いのソックスをつかみ上げた。
「ほら、見て見て。このボンボン、可愛いでしょ?」
 パステルピンクのソックスはカタンやボビンが履いているのと同じ足首くらいまでの長さで、足首のあたりが飾りレースの小さなフリルになっていた。ただ、カタンやボビンのソックスとは違って、足首の少し下の所にサクランボを模したボンボンをあしらってあるのが、いかにも幼児向けといったデザインで、いっそう愛らしい。




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