わが故郷は漆黒の闇


【二十】


「はい、あんよを上げて。あ、でも、ユリちゃんは年少さんだから、あんよを上げるのは難しいかもしれないわね。カタンちゃんとボビンちゃん、ユリちゃんが尻餅つかないように体を支えてあげて」
 他の住人よりも殊更にネオテニー化が進んだためまるで幼児にしか見えないという特性を活かして特殊工作員に任命されたユリだが、まさか、こんな恥ずかしい格好をさせられるとは思ってもいなかった。それでもまだ同僚のカタンやボビンと同じ格好なら我慢できなくもないのだが、一人ユリだけがカタンやボビンと比べてもいっそう幼児めいた格好を強要されるものだから、ついつい任務も忘れてケイトの手から逃げ出そうとしてしまう。そんなユリをおとなしくさせるようカタンとボビンに命ずるケイトだった。
「はい、ケイト先生」
「ユリちゃんが倒れないよう、私たちが体を支えてあげます」
 二人が同時に返事をした。
 最初は自分たちの恥ずかしい姿を少しの間だけでも忘れるために、ケイトがユリに自分たち以上に恥ずかしい格好をさせるのを手伝っていたのが、いつのまにか、そうすることが楽しくてたまらないというような顔つきになってきている。最初の頃のぎこちない動きが嘘みたいに、ユリの体をおさえつける二人の息はぴったりだ。
「はい、じゃ、そのままにしていてね――」 僅かとはいえ自分よりも体の大きな二人に両腕を絡め取られて自由を失ったユリに、ケイトは手際よく幼児の装いを身に着けさせていった。サクランボのボンボンが付いたソックス、カタンやボビンに着せたシャツとはまた違う、すべすべした薄手の生地でできた女児用のスリップに、これは二人とお揃いのセーラースーツ。ただ、このセーラースーツにしても、まるきり二人と同じというわけではない。襟章の代わりに付けられた大きなリボンが年少クラスを示すベビーピンクになっているだけでなく、スカートの丈が二人のセーラースーツに比べて短めに仕立ててあったのだ。カタンとボビンが着ているセーラースーツの丈が膝よりも少しだけ上まであるのに対して、ユリが着せられたセーラースーツは、太腿よりも少し下くらいまでの丈しかないのだった。そのせいで、ユリが少し腰をかがめただけで、セーラースーツの下に身に着けているパステルピンクのおむつカバーが見えてしまうという状態だった。
「ケ、ケイト保護官……もう少し丈の長い制服はないんですか?」
 首もとのリボンをケイトがきゅっと結わえてようやくのことカタンとボビンの手から自由になったユリは、身に着けさせられたばかりのセーラースーツの丈が他の二人のと比べて随分と短いことに気がついて、おずおずと言った。
「ほら、また、保護官って言った。今度言ったら、年少さんどころか、まだちゃんと言葉を話せない赤ちゃんにしちゃうわよ。――制服の丈はそれでいいのよ」
 ケイトは腰に手の甲を押し当て、ユリの顔を見おろして言った。
「で、でも……」
「それでいいの。年長さんのカタンちゃんや年中さんのボビンちゃんと違って、おむつの外れない年少さんのユリちゃんはまだアンヨも上手じゃないから、スカートの丈が長いと足をもつれさせてすぐにころんしちゃうんだから。それに、長いスカートだと、おむつを取り替える時じゃまになるでしょ? だから、おむつのユリちゃんには、それくらいのスカート丈が丁度いいのよ」
「そんなこと言っても、ケイト保護……せ、先生……」
「さ、着替えも終わったし、少し休憩しましょうか。休憩しながら、この帰還準備室の設備を簡単に説明してあげる」
 尚も言い募るユリをまるで無視して、ケイトはカタンとボビンの顔を見比べて言った。
「わかりました、先生」
「どんな設備があるのか、楽しみです、ケイト先生」
 カタンとボビンもすっかりケイトに調子を合わせて応える。
「じゃ、そこに座って。飲み物を用意するから」
 小刻みに体を震わせるユリを無視してケイトは二人に言うと、スペースジャケットのポケットから、フィールドキャンセラーとはまた別の銀色に光る小さな装置を取り出して、その表面に並ぶボタンの一つを押した。
 待つほどもなく、壁の一角が音もなく開いて、座卓ほどの高さの茶色い台のような物が現れたかと思うと、そのまま、四人のもとに滑るように近づいてきた。
「給仕ロボットよ。さ、どうぞ」
 壁の一角から滑り出てきた座卓みたいな台が停止するのを待って、ケイトは三人に、台の上に載っている容器を指し示した。
「地球産の天然オレンジを搾ったジュースよ。こんな贅沢な物、地球でもなかなか手に入らないでしょうね。でも、ここにいると、こんな物を飲むこともできるのよ。連邦の高官たちが、地球に『帰還』する子供たちのために幾らでも送ってくるから。こんな物より、一般住人の生活に必要な標準パッケージの援助物資の方がどんなに役立つかなんて、高官たちは思いもしないんでしょうよ」
 ケイトは硬い声で呟いた。
 けれど、じきにふっと溜息をつくと、表情を和らげて三人に言った。
「あ、今のは愚痴みたいなものよ。気にしないでちょうだい。気にしないで、遠慮なくいただきましょう。せっかく地球から大事なエネルギーを使って送ってきてくれた貴重な天然オレンジなんだから」
 まだ幾らか皮肉っぽい口調で言いながら、それでも穏やかな笑顔もみせて、ケイトは三人にジュースの入った容器を手渡した。カタンには、取っ手が一つ付いたプラスチック製のマグカップ。ボビンに渡したのは、カタンのと同じようなマグカップなのだが、両手で持てるように取っ手が二つ付いている。それぞれ、幼稚園の年長さんと年中さんという設定だから、それにふさわしいマグカップだ。そうして、ケイトがユリに手渡したのは、カタンやボビンのと比べると一回り小振りで取っ手が二つ付いたマグカップだった。それだけならボビンのカップとさほど変わらないのだけれど、ユリが受け取ったカップは、ボビンのカップとはまるで違うものだった。ユリのカップには、まるで哺乳壜みたいなゴムの乳首が付いた蓋がしてあったのだ。




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