わが故郷は漆黒の闇


【二三】


「さて、遠心加速器を設置したジムエリアというのは、実は、この中央の浮遊部分のことを指しています。シャトルの発着が地球からの援助物資の到着と、コロニーからの子供たちの出発にしか使われていない現在、シャトルの発着場へ行くために浮遊部分に向かう人は極めて希です。そこで、浮遊部分に幾つかの改造を施してジムエリアとして使うことになったわけです。改造といっても、もともと、一般の住人が浮遊部分に足を踏み入れることは滅多にありませんから、それが改造されたものなのか元からそんな構造になっているのか、怪しまれる心配はありません」
「あの……どんな改造なんですか?」
 ケイトの話に引き込まれ、ごくっと唾を飲み込んでボビンが訊いた。
「実は、改造と言うほど大げさなことをしているわけではありません。浮遊部分の回転を制御するモーターをパワーアップしたことと、浮遊部分の輪郭に沿って設置してあるキャットウォークを兼ねたフェンスを、それまでの物から高張力材の物に交換したというくらいの簡単な細工です」
 ケイトは苦笑ぎみに応えた。
「それをどういうふうに使うですか……?」
 ボビンが重ねて尋ねる。
「そうですね。実際に使ってみる前に説明しておきましょうか。――浮遊部分の回転を停止すると、もちろん、そのエリアでは遠心力が発生しませんから、いわゆる無重力状態になります。さて、無重力ですからどんな姿勢でも取れるわけですが、地球上の重力を体験するには、キャットウォークを兼ねたフェンスに足の裏をつけて立つような姿勢を取ることになります。この姿勢で浮遊部分を回転させると、回転に伴って発生する遠心力は、体を頭の上から足の方向にフェンスに向かって押しつけるような疑似重力として作用することになります。つまり、コロニーの内側でいつも感じている疑似重力と同じものなわけですね。ただ、浮遊部分は自由に回転数を変化させることが可能ですから、その疑似重力の強さも自由に変化させられるということになります。そこで、疑似重力の強さを地球上での重力と同じに設定して、それに慣れる訓練をするわけです。簡単に言えば、本当ならシャトルの発着場への連絡口を勝手に改造して遠心加速器として使っているということです」
 ケイトは悪戯めいた仕種で肩をひょいとすくめてみせると、ドアを示す別の光点を指先で触れた。それまで空間に浮かび上がっていたCG映像がまたたくまに消え失せ、代わりに、無機質な寝台や鋭い銀色に光る工作機械のような物を据えた部屋の様子が立体映像として浮かび上がってくる。
「ジムエリアの説明はこれくらいにして、次は、向かって右側のドアにつながっているメディカルルームについて説明しておきます。このメディカルルームには、中央病院にあるのと同じ型の医療ロボットがあって――」
 ケイトはジムエリアの次に医療室の説明を始めた。幾つかの専門知識も必要なその説明が終わる気配はまるでない。

「――というわけです。わかってもらえたでしょうか」
 医療ロボットの使用方法の説明に小一時間もかけて、ようやくケイトは視線を三人の顔に戻した。もっとも、これから三人が地球に向かって出発するまでの間、原則として医療関係者も帰還準備室に立ち入ることができないため、病気や怪我の治療は医療ロボットを使って仲間内ですませなければならないから、その使用方法の説明に時間を割くのは当然といえば当然のことだった。
 三人は互いに顔を見合わせると、いささか自信なげではあるものの、ケイトに向かってこくんと頷いてみせた。
「はい、結構です。それでは、次に……」
 ケイトがそう言って最後に残った三つ目の黄色い光点を指先で触れようとした時だった。
「あ、あの……ちょっといいですか」
 ケイトの言葉を遮っておずおずと右手を上げたのはカタンだった。
「はい、何でしょう?」
 ケイトは微かに首をかしげて言った。
「すみません……トイレへ行ってもいいでしょうか」
 少し恥ずかしそうな表情でカタンは言った。
「え? ああ、そうですね。休憩のついでにと思って話し始めたのに、いつのまにか本格的なレクチャーみたいになってしまっていましたね。もう三人ともジュースも飲み終わっちゃったみたいだし、知らず知らずのうちにそんなに長い間話続けていたんですね、私。いいでしょう、今度こそ本当に休憩にしましょう。――丁度いいわ。今、これを説明しようとしていたんです。トイレの入り口は、このドアです」
 ケイトは、ジュースの入っていた容器が三つとも空になって給仕ロボットの上面トレイの上に並んでいるのを見て、軽くウインクしてみせてから、最後に残った光点に指先を触れた。
 現れたのは、なんの変哲もない標準型の便器を備えたトイレの映像だった。もっとも、なんの変哲もない便器とはいっても、地球上で使われている便器と比べれば様々な工夫が施してある。コロニーで使用する便器として最も考慮されたのは、尿を絶対に便器の外へ飛び散らさないという点だった。閉鎖空間であるコロニーでは、水や空気といった、人が生きてゆく上で必要不可欠な要素は僅かでも無駄にはできない。全ての要素は完全にリサイクルされるようになっている。当然、尿として排泄された水分も、一滴も余すことなくリサイクルセンターに集約されて処理され、飲料水として再び供給される。それが幾らかでも便器の外に飛び散ってしまうと、それを回収するのに余分なエネルギーが必要になるわけだ。そういった事態を避けるため、その形状はもとより、便器内の気圧を低下させて尿を吸引するような機能を付与するなど、設計者の無数のアイディアが見え隠れするのがコロニー用の便器だ。また、尿や便の成分を瞬時に分析して排泄者の健康状態をチェックしたり、コロニーの外皮が破損して空気が漏れ出した場合などには便器の内側から透明の樹脂でできたバルーンが膨らんで排泄者を包み込み、その生命を保護するといった機能を備えるようISO−38001に規定されているのは言うまでもない。




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