わが故郷は漆黒の闇


【二六】


「二人が終わっているんだったら、それでいいじゃない。どうしてユリちゃんが困ることがあるのかしら?」
 ケイトは、さも不思議だという顔をしてみせる。
「だって、だって、私もトイレに……」
 ユリは、トイレの入り口になっているあたりの壁をちらちらと見て言った。
「あらあら、おかしなことを言う子だこと。ユリちゃんはトイレへ行く必要なんてない筈よ。だって、ユリちゃん、幼稚園の制服の下に着けている下着は何だったかしら?」
 ケイトはすっと目を細めて今度は体ごと振り返ると、まるでユリのスカートの中を覗き込むみたいに腰をかがめた。
「……」
 ユリは何も言えない。
 カタンやボビンみたいに床にお尻をぺたんとつけた座り方だと恥ずかしい下着が丸見えになってしまうのがわかっているから、正座なんていう慣れない座り方をして、なるべくスカートが広がらないよう気をつけているユリだ。けれど、スカート丈が短いものだから、そんなふうに注意していても、きちんと揃えた両脚の太腿のあたりはスカートの裾から出ていて、恥ずかしいおむつカバーも少しだけ見えてしまっている。それを目にすると、それ以上は何も言えなくなってしまうのだった。
「そうよ、ユリちゃんはおむつなのよ。おむつをあてているから、トイレなんて行かなくていいの。おもらししちゃっても柔らかな布おむつがおしっこを吸い取ってくれるから心配しなくていいのよ」
 一旦は真ん中のドアの方に歩きかけていたケイトだが、少し何か考えるような顔つきになると、急にこちらへ戻ってきて、ユリの両脇の下に手を差し入れて、そっと立たせた。
「……でも、そうね、ユリちゃんがトイレへ行きたいんだったら連れて行ってあげる。さ、お手々を引いてあげるからついてらっしゃい」
 ユリを立たせたケイトはそう言うと、ユリの右手を引いて歩き出した。
「本当? 本当にトイレなんですね?」
 ユリは、並んで歩くケイトの顔を見上げて聞き返した。
「本当よ。だって、ユリちゃんもトイレへ行きたいんでしょう?」
 ケイトはユリの顔を横目で見おろして応える。
「は、はい。ずっとトイレへ行きたかったんです。でも、なかなか言い出せなくて。それを最初にカタンが言ってくれたから、助かったって思って……」
 さほど広くない居住エリアだから、ユリがみんな言い終わらないうちにトイレの前に着いてしまう。
 二人が壁の前に並んで立つと、ドアがすっと開いた。
「そう。ずっとトイレに行きたかったの」
 ドアが開くのを待って、ケイトは、ユリの言葉を繰り返した。
「はい」
 ユリが短く応える。
 自治行政院の幹部会議から口頭で辞令を言い渡され、気がつけば帰還準備室に連れて来られて、ケイトからいろいろ説明を受けて、その間あたふたしていて、水を飲むゆとりもトイレへ行く暇もなかった。それがようやく束の間の休憩時間になって、ついさっき飲んだジュースのせいもあるのだろう、いよいよ尿意が強くなってきていた。ただ、そのことをついつい言いそびれてしまい、どうしようかと思案していたところに最初にカタンが口火を切ってくれたおかげで、ようやくトイレタイムになった。それでも、人間の手では外すことのできない電磁マジックテープを使ったおむつカバーのせいで、ちゃんとトイレをすませられるかどうか心配だった(実際、ケイトは、一度は、おむつなんだからトイレなんて行かなくていいのよと言ったのだから)。それでも、どういう風の吹きまわしか、ケイトがトイレへ連れて行ってくれるというのだ。トイレに入ってからフィールドキャンセラーでおむつを外してくれるんだろうなと万全と考えて、ユリは安堵に胸を撫でおろす思いだった。

 二人がトイレの中に足を踏み入れると同時に音もなくドアが閉じた。
「はい、ここがトイレよ。さっきも言ったけど、ユリちゃんはおむつだから、本当はトイレなんて行かなくていいのよ。でも、年中さんのお姉ちゃんになる頃にはおむつとバイバイしてトイレへ行かなきゃいけなくなるから、今のうちに少しだけトイレの練習もしておこうね」
 ケイトは再びユリの両脇に手を差し入れて抱き上げ、そのまま、便座の上に座らせた。
「え? あ、あの……」
 てっきりおむつを外してもらえるものだと思っていたユリは、きょとんとした顔でケイトの手元を見つめるばかりだ。
 けれど、ケイトがスペースジャケットのポケットからフィールドキャンセラーを取り出す気配はまるでない。
「あら、どうしたの、ユリちゃん? 何をそんなに不思議そうな顔をしているのかしら?」
 ケイトはすっと腰をかがめると、おむつのまま便座に座らせたユリと目の高さを合わせて僅かに首をかしげてみせた。
「だって、あの……このままじゃ、お、おしっこができないんです」
 まだケイトが何をしようとしているのかわからず、きょとんとした顔で、頬だけをうっすらとピンクに染めてユリはぽつりと言った。
「何を言ってるの、ユリちゃんてば。そのままでいいのよ。ユリちゃんはおむつなんだから、おむつの中におしっこしちゃっていいのよ。ただ、いつかはおむつ外れしなきゃいけないから、トイレにどんなふうに座ればいいのか、その練習をしているだけなんだから」
 ケイトはしれっとした顔で言った。
「え……?」
 何を言われたのか咄嗟には理解できなくて、二度三度とまたたきを繰り返してケイトの顔をぽかんと眺めるばかりのユリ。
「トイレでちゃんとおしっこをするのは、年中さんのお姉ちゃんになってからでいいのよ。おしっこが出ちゃいそうなのがわかって、ちゃんとおしっこを先生に教えられるお姉ちゃんになってからでいいの。ユリちゃんはまだ年少さんの中でも小っちゃい方だから、おむつにおしっこでいいのよ」
 ケイトは、便座に座らせたユリのスカートをそっと捲り上げ、おむつカバーに包まれた下腹部に右手の掌を押し当てた。




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