わが故郷は漆黒の闇


【二九】


 エレベーターの内部には、保護官用の大きめの座席が二つと、子供向けの小振りな座席が四つ据え付けてある。ケイトはカタンとボビンを前列の座席に座らせて体をシートベルトで固定してから、ユリをカタンの後ろのシートに座らせた。
 耐Gシートになっている座席は他の乗り物の座席に比べると幾らかふわふわした感じで、座った途端、ユリの体が幾らかバックレストにめりこむ。
「きゃっ」
 慣れない者には妙に不安定に感じられる座り心地に、ユリは思わず小さな悲鳴をあげてしまった。
「大丈夫よ、ユリちゃん。最初はびっくりするけど、じきに慣れるから。慣れたら、揺りカゴの中にいるみたいで気持ちよくなるからね」
 座席のバックレストに上半身をめり込ませて両手をばたばたさせているユリにケイトは優しく言い聞かせながら、シートベルトに手を伸ばした。シートベルトといっても、自動車のベルトように簡単な構造の物ではなく、クッションの付いた固定具で肩と胸元を押さえて上半身を固定し、下半身の方は、腿のあたりと足首のあたりをベルトで固定するといった、遊園地のジェットコースターの安全装置をもっと大がかりにしたような構造の物だ。もちろん、一時もじっとしていなくてすぐに暴れ回る子供たちが座席から振り落とされないようにするためなのは言うまでもない。
 ケイトは、ユリの上半身を固定具で固定し、足首もベルトでしっかり固定してから、腿のあたりを固定するベルトのバックルを持ち上げた。
「ケイト保護……せ、先生、もうこれくらいでいいんじゃないんですか」
 ケイトが手を動かすたびに体の自由が奪われてゆく。その不安に嫌な予感を覚えて、ユリはおそるおそるケイトに言った。
「駄目よ。小っちゃい子はすぐに暴れ回るから、少しきついくらいに体を固定しておかないと、いつどんな事故になるかわからないもの」
 ケイトは幅の広いベルトを座席の下から引き出して、ユリの右脚の腿に押し当てた。
「でも、私、本当は子供じゃありません。ちゃんとおとなしくしてますから、あまり体を固定しないでください」
 ユリはそう言いながら身をよじった。
 けれど、分別のない子供が勝手にベルトを外してしまわないようにするため肩口から肘のあたりまでしっかりバックレストに押さえつけるようになっている固定具のせいで、微かな身じろぎしかできない。それをいいことに、ケイトは、ユリの右脚の腿をさっさとベルトで座面に固定してしまう。そうして、今度は左脚を強引に開かせて、こちらも幅の広いベルトで座面にしっかり固定する。
「そんな我儘を言っちゃいけないわね。地球に着いたら、地球の生活に慣れるためにコロニーでどんなことを教えてもらったか訊かれるかもしれないのよ。もちろん、地球の重力に慣れるための訓練についても尋ねられるかもしれない。そうしたら、エレベーターにどんなふうに乗ったのか、それも説明しなきゃいけないのよ。それが他の子供たちと違った乗り方だと正体を怪しまれるかもしれないでしょ? だから、他の子供たちとまるで同じことを経験しとかなきゃいけないのよ」
 ケイトは、留めたばかりのベルトの位置を調整しながら言った。
「で、でも、そんなにきつくしなくても……あん!」
 突然、ユリが喘ぎ声を漏らした。ケイトがベルトの位置を動かして、それまで太腿を固定していたのを、もう少し上の方、もう殆ど股間に触れるくらいになるよう調整し直したせいだ。幅の広いベルトの端は、おむつカバーの上からユリの感じやすい部分を締めつけているかもしれない。
「や、やだ……ケイト保……先生、ベルトの位置をもう少し……」
 ケイトの指とは違って無遠慮に秘部をおむつカバーの上から押さえつけるベルトの感触に小刻みに腰を震わせて、ユリは途切れ途切れに言った。
 けれどケイトはユリの懇願などまるで無視して
「さ、できた。じゃ、行くわよ」
と言って自分も席につくと、手早く固定具を操作して、保護官用シートのアームレストに設置してあるコンソールのボタンを押した。
 短い警告音が鳴り響いて、その直後、エレベーターが加速を開始した。
 いつも体感している疑似重力の0.3Gに倍する0.6Gの加速が四人を座席に押しつけ、なおいっそうバックレストに体をめり込ませる。
「きゃっ」
「すごっ」
 カタンとボビンが同時に感嘆の声をあげた。
 そうして、それから僅かに遅れて、ユリの口から
「いや〜っ」
という悲鳴じみた声が漏れる。予想以上の加速Gに対する驚きというだけではない、もっとなんだか切羽詰まった状況におちいったらしいことが誰にもわかるような、そんな悲鳴だった。

 隔壁に沿って鉛直方向に走行を続け、やがてエレベーターの速度が殆どゼロになる頃、隔壁第三層中心部の浮遊部分への連絡口に到着する。
 僅かに残った速度を到着場所の短い区間にだけ設置されたリニアモーターで減速して、四人を乗せたエレベーターは滑らかに停止した。
 エレベーターが完全に停止したことを確認したケイトは上半身を押さえつけている固定具をはね上げ、手早くシートベルトを外して、出発時には後ろ側の壁だった床に立つと、足早に最前列の座席に向かって、カタンとボビンの固定具とシートベルトをフリーにした。
 それから、くるりと振り返って、まだ座席に固定されたままのユリの顔をおもむろに覗きこむ。
 ユリは、今にも泣きだしそうな顔をしていた。




戻る 目次に戻る 本棚に戻る ホームに戻る 続き